第110話扉をたたく少年act2
田中一郎君とその家族が住む分譲マンションは環状7号線に面した立地だった。そしてそのマンションは秋山司君が謎の死を遂げた現場でもある。
マンションの出入口を見通せる場所で、僕と山葉さんは張り込みをする。
ターゲットは田中一郎君だが、彼の自宅にアポイントを取って押し掛けるのはいろいろな意味でまずいので、帰宅時に待ち伏せして話を聞くことにしたのだ。
山葉さんは、グレーのスカートに白いセーター、その上にコートを羽織っている。
緋袴に千早を羽織った巫女姿の彼女はかわいらしいのだが、むやみに目立つ。
聞き込み捜査には向いていないので、地味な格好に着替えてきたのだ。
田中君が住んでいるマンションは、オートロックこそないものの住民以外は入りにくい構造だ。
僕たちは散歩の途中で立ち話をしているような雰囲気でさりげなくマンションの入り口を見張る。
「ウッチー、あの自転車置き場から出てきた子は違うかな」
「見た目、中2ぐらいですね。声をかけてみましょうか」
僕は歩いていくと、さりげなくその子の進路をふさぎ、山葉さんは素早くサイドを固める。
何だか、中学生相手に悪事を働こうとしている悪い大人の雰囲気だ。
「田中一郎君だね。ちょっと教えてほしいことがあるんだけどいいかな」
山葉さんが刑事のような口調で話しかけ、少年は身を固くした。
「僕は鈴木次郎です。人違いじゃないですか」
早口に答える少年を見て僕は思わず道を開けた。マンションの入居者はたくさんいるから、無関係の第三者ということは往々にしてありうるからだ。
足早に通り過ぎる少年の後姿に向かって、山葉さんはのんびりとした口調で呼びかけた。
「ツカピーの話なんだけどね田中君」
少年は、はっとした表情で振り返った。
「警察の人ですか」
「やはり田中君だね。私達は警察じゃなくて秋山君のお母さんに彼の魂を慰めてほしいと頼まれた宗教の人だ。そのために少しだけ話を聞かせてくれないかな」
僕は、自ら宗教の人と称してしまう山葉さんに苦笑いする。
「どんなことを話せっていうんですか」
「秋山君がこのマンションで飛び折り自殺したことは知っているね。実は彼は自殺じゃないかもしれない。彼が屋上から落ちる直前にもう一人別の中学生と一緒に屋上にいたのを見たという人がいるんだ」
田中君は僕たちに向き直ると、挑むように僕たちを見返してきた。
「俺が殺したと言いたいのか」
「誰もそんなことは言っていないよ」
僕はとりなすように言うが、彼のきついまなざしは変わらない。
「そうとも、あの時一緒にいたのは俺だよ。秋山はWEBの投稿サイトに小説を書いていて、ちょっと人気が出ていたけど、続きがかけなくて悩んでいたんだ。あいつ柵を乗り越えて屋上のふちを歩き回っていて、俺が危ないから戻って来いと言ったのに足を滑らせて落ちたんだ」
僕は彼の目を見ながら考え込んだ。彼の話は一見つじつまが合っているようだがどこかが引っかかる。
「屋上から落ちた後の秋山君は見たのかな?」
山葉さんが訊ねた。
「見たよ。まだ生きているかもしれないと思って助け起こしたけど顔がぐちゃぐちゃになっていたから怖くなって逃げたんだ。話してやったから満足しただろ」
山葉さんは笑顔でうなずく。いわゆる営業スマイルというやつだ。
「ありがとう。私達は除霊もしているから気になることがあったら相談に乗るよ」
山葉さんがカフェ青葉の所在地を記した彼女の名刺を出すと、彼はひったくるようにしてそれを取った。しかし表情は険しいままだ。
「だからあ、俺が殺したんじゃないって言っているだろ」
田中君は僕を手荒く押しのけるとマンションの入り口に駆けていく。
「何処とは言いずらいんですけど、彼の話に引っかかりを感じるんですよね」
「私もだ。だが彼は秋山君を殺していないし、屋上で目撃されたのも彼ではないと思うよ」
山葉さんは確信がある時の表情で答える。
「何故そう言い切れるんですか」
「それは、次の機会に彼の口から語ってもらおうか。今日の所は引き上げよう」
山葉さんは眉間にしわを寄せてマンションの屋上のあたりを眺めながら言う。
しかし、僕たちが田中君から話を聞く機会はなかった。
翌日の日曜日に僕たちがカフェ青葉で仕事をしていると、坂田警部がお店に現れたのだ。
カウンターに座ってカフェラテを注文した彼は苦虫をかみつぶしたような表情だ。
山葉さんがカフェラテを運ぶと、彼の表情は一瞬和らいだように見えた。
「山葉さん、猫のラテアートで僕を和ませても無駄ですよ。昨日、あなた方は田中一郎君に会いましたね」
坂田警部は苦い表情に戻ると山葉さんを問い詰める
「ええ、ちょっと立ち話をした程度だけど」
「彼は昨夜遅くに、自宅のあるマンション前の道路で大型トラックにはねられて即死しました。我々は、自殺と事故の双方で調べているのですが、現場付近の聞き込みをしていると不審な男女二人組が浮上してきたのです」
昨日の夕方会った田中君が死んだと聞いて僕は愕然とすると同時に、坂田警部が話す不審な不男女二人組のことが気になった。
「目撃者の証言では男女は20代前半、背格好や風貌はちょうどあなたたち二人に合致します。その二人は、田中君が帰るのを待ち伏せて、絡んでいたようだと目撃者は話しています」
坂田警部は、冷ややかな表情で山葉さんを見つめる。
「田中君と会った時刻と、彼と何の話をしたのか、捜査の参考にしたいので教えていただけませんか。私としては任意同行で署に来ていただくようなことはしたくないのです」
坂田警部の言葉は暗に、聞かれたことをしゃべらなかったら被疑者として任意同行を求めると言っているのだ。
僕はドキドキしながら山葉さんの表情をうかがった。
「彼と会ったのは夕方の5時ごろ、もう薄暗くなり始めたころだったよ。話した内容は秋山司君に関すること。秋山君が自殺した現場の目撃者がいて現場にはもう一人、中学生らしき人影がいたことを話すと、彼は自分が殺したのではないとむきになって否定した」
坂田警部は目を閉じてじっと考えたあとで、おもむろに目を開けるとカウンターからカップを持ち上げてカフェラテを一口飲んだ。
そして、カップを置いてからため息をつくと山葉さんに告げた。
「わかりました。あなたの言葉を信じましょう。実は死亡した田中君の服のポケットからあなたの名刺が出てきたので、先の目撃証言と合わせてあなたと内村君に捜査のスポットが当たっていたのです」
「ほう、だが田中君が事故に遭ったのは夜遅くなってからだとあなたは言った。私達が彼に会ったのは夕方だから事故にしても自殺にしても関与のしようがない」
山葉さんの言葉に、坂田警部はうなずいた。
「そのとおりです。あなた方が彼に会ったのが夕方5時ごろだとすれば、彼の死の3時間以上前になる。実はNシステムを使って、あなた方が乗っていた細川さん名義のBMWの動きを追ったのですが、夕方6時までには環状7号線経由でカフェ青葉帰ったことが確認されました」
Nシステムとは幹線道路などで道路上をまたぐように設置さされたブリッジに設置されたカメラの映像を検索するシステムだ。街角に設置された防犯カメラなどと連動すると、自動車の動きは
容易に追跡できると言われている。
「それなら、そもそも私達の嫌疑は晴れているのではないかな?」
山葉さんは両手を広げて見せた。
今日の彼女は白いブラウスに黒のベストとパンツを合わせ、カフェエプロンをつけたバリスタスタイルだ。ヘアスタイルは例によってポニーテイルにしている。
「だからこそ、私が個人的に話を聞きに来たのです」
僕は彼の言動に齟齬があるような気がして思わず聞いていた。
「それでは、最初に任意同行させてもらうと言ったのは、はったりだったのですか」
坂田警部はむっとした表情で僕を見返した。
「任意同行というのは、任意で署に来てもらうということです。今の状態でもそれは可能ですよ」
何だか気まずい空気が流れた。
「坂田さん。私は田中君が秋山君が死んだときに現場にいたといったが、それは彼の言葉だ。私自身は彼は真実を言っていないと思っている」
「他の人間が関与していたとおっしゃるのですね」
山葉さんはゆっくりとうなずいた。
「私には、坂田さんに告げるに足るほどの確証がない。それを聞きたいのなら後日にしてくれないかな」
坂田警部は眉間に手を当てながら言う。
「わかりました。今日の所は私は引き上げますから、くれぐれもご遺族の気持ちをかき乱すようなことはしないでください。一応あなたたち二人はマークされているのですから。何か気が付いたことがあれば、確証がなくてもいいから私に連絡してください」
坂田警部は席を立って帰りかけたが、山葉さんは伝票をヒラヒラさせながら叫んだ。
「坂田さーん、お勘定は?」
坂田警部は気まずそうな顔をしてレジまで戻ってくると細川さんに代金を支払った。
坂田警部が店を出てから僕は山葉さんにつぶやいた。
「きょうの坂田さんは何だかカリカリしていましたね」
「多分、彼は私たちのことを庇おうとしてここに来てくれたのだよ」
僕は意外に思って山葉さんの顔を見た。
「本当に被疑者だと思っていたら部下を使って私達の身柄を確保するだろう。署の内部で私たちが相当疑われていたからこそ、プライベートで会いに来て探りを入れたのだろうな」
坂田警部は山葉さんが一時思いを寄せていた人だ。
彼女が柔らかな表情で彼を信頼するセリフを口にすると僕は複雑な心境だ。
その夜、僕は山葉さんの部屋に泊めてもらうことにした。
翌日は日曜日でどうせアルバイトに来る予定だ。そんな時のために、お泊り用着替えセットは常備してある。
実のところは、山葉さんに秋山君の現場写真の映像がちらつくから一緒にいてくれと頼まれたからだ。
彼女がシャワーを浴びる音を聞きながら、僕はベッドに腰かけてクマのぬいぐるみ両手で持ち上げた。
「彼女も意外とかわいいところがあるよな?」
僕はぬいぐるみに話しかけるが、ぬいぐるみのクマは眉毛をハの字にしていつもの困った表情だ。
その時、階下から店舗のドアをドンドンと叩く音が聞こえてきた。それと共に男の声も聞こえてくる。
山葉さんはバスルームのドアを開けて、バスタオルを巻きつけた半身をのぞかせて言う。
「ウッチー、すまないけど様子を見てくれ。また杉本君が来ているのかもしれない」
それは、僕も考えていたことだった。
「ちょっと見てきます」
彼女に告げて、階下に降りた僕は、セキュリティーを解除してから店舗の出入口に向かう。
お店の出入口からはドンドンと叩く音が続いていて、ガラス越しにうっすらと人影が見える。
ぼくはドアを開けると外に出た。最近このパターンで邪魔が入ることが多いので、少々不機嫌だ。
しかし、僕はそこにいた少年の顔を見て凍り付く。それは杉本君ではなかった。
「なあ、相談に乗ってくれるって言っただろ。俺は秋山の幽霊を見たんだよ」
幽霊を見たと訴えるのは、坂田警部から大型トラックにひかれて死んだと知らされたばかりの田中君だった。
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