第109話 まったり異世界ライフ

「まあ、落ち着きなさい。それ自体は相手にとっても嫌なことに違いはないけれど、それだけで自殺してしまうとも思えない。気に病むのもわかるが全てが自分のせいだとは思わないほうがいいよ」

山葉さんはもっともなことを言って彼をなだめた。

「それじゃあ、僕が見た夢は一体何だったんですか」

「相手に対して悪いことをしていたという思いが、潜在的に働いてそんな夢を見ている可能性もある」

僕は心理学の授業の受け売りのような言葉で武志君に説明した。

自分では説得力があると思わないが彼は意外と聞き耳を立てている。

「それじゃあ、あいつが僕に取りついているのではなくて、僕が気にしているから夢に見ているということなんですね」

僕がうなずくと、武志君は俯いて黙り込んだ。本当に納得しているのではないが、僕たちの所に駆けこんできたときよりは落ち着きを取り戻しているように見える。

「どうしても気になるなら今からお祓いをするけど、どうする?」

山葉さんは、祈祷をすることで彼自身が落ち着くことを期待したようだ。

武志君はしばらく考えていたがぽつりと言った。

「今日はやめておきます。また司の夢を見たら相談に来ます」

山葉さんは彼の言葉を聞いてゆっくりとうなずいた。

武志君は礼を言って帰ろうとする。

僕は彼を引き留めて訊いた。

「司君が小説を投稿していた時のハンドルネームと、投稿サイトを教えてくれないかな」

彼は意外そうな顔で僕を見返した。

「どうしてそんなことを知りたいんですか」

「君たちが書いた小説を読んでみたいと思ったからだよ」

武志君はペンを持つ仕草をして見せた。

「何か書くものはありませんか」

僕は周囲を見回して、業務用冷蔵庫にマグネットで張り付けてあるメモ用のノートとノートにひもで結びつけてあるボールペンを見つけた。

「ここに書いてもらえるかな」

武志君はノートにさらさらと聞きつける。

僕がのぞき込むと、ハンドルネームは「つかぴー」で投稿サイトは最大手と言われるネット投稿サイトだった。

「ちなみに、君と田中君のIDも教えてくれないかな」

「どうして?」

彼から、苛立ったような返事が返ってきた。

「せっかくだから一緒に見てみようかと思って」

「そんなものは見なくていいんです」

そっぽを向いた彼の表情を見て僕は聞き出すのをあきらめた。中学生のころはシャイな面もあると思ったのだ。

山葉さんと一緒に彼を店の外まで送り出すと。彼は軽く会釈してから夜の街角に消えていった。

「友達が自殺したら、心中穏やかではないんでしょうね」

「そうだね」

山葉さんは相槌を打つが、その目は物思いにふけるように遠くを見つめていた

土曜日の午後、山葉さんはカフェ青葉の裏手で秋山さんのお宅に祈祷に行く準備をしていた。

僕は同行する予定で、準備を手伝う。僕たちの留守中は雅俊がアルバイトに入る予定だ。

「司君の小説は読んだんだろう?。内容はどんな感じだった?」

緋袴に白い半着、その上に千早という上っ張りみたいなのを着た巫女姿の山葉さんが訊ねる。

「異世界に転移して、魔物と一緒にまったりとスローライフを送る内容でした。本に残っていたイメージの通りでした。ただ・・・」

「どうしたのだ」

「僕がイメージを拾った内容が全て書かれていたわけではなかったんですよ。司君が亡くなってしまったので、もうその物語が世に出ることはないのだなと思って」

彼の小説は、読みやすくて面白かった。

異世界でのまったりとしたスローライフというと、ともすれば単調になりそうな気がするが、そこにちりばめられたエピソードやギャグは読む者を惹きつけて離さない。

続きが読めないとわかったら惜しむ読者は多いのではないだろうか。

司君の小説の閲覧数は最近増え始めたところだった。口コミなどで一気に読者数が増えれば、出版化の道も開けたかもしれないと思われるた。

山葉さんにそのことを告げると彼女は言う

「そうか。才能のある子だったのだな。ほかの二人の作品は判ったのか」

「閲覧履歴を見ると投稿の初期に閲覧があり、応援ポイントやコメントを送っていたユーザーが二人いてそれが武志君と田中君だと見当がつきました。二人とも、ちゃんとした文章を書いていて内容もストーリーとして成立していましたよ。」

それは、ほかのユーザーと比較しても見劣りがするものではなかったのだが、司君の作品が抜きんでていたということだろう。

「そんな状態で、少しばかり批判されたからと言って著者が自殺するとは思えない。武志君も余計な悪戯をしたせいで、良心の呵責に苦しむことになったものだな。」

山葉さんは式神をプラスチックケースに丁寧に収納しながらつぶやいた。

秋山さんのお宅は住宅街にある一軒家だった。僕たちは細川オーナーに借りてきた車をガレージの入り口に無理やり寄せる。

トランクから式神やみてぐらが入った輸送用のケースを取り出していると、秋山家に面した道路にパトカーが止まっているのが目についた。

「ここに置いといて駐禁とられませんよね。」

「大丈夫だよ大半が家の敷地に収まっているから。」

山葉さんはこともなげに言うと先に立って玄関に向かった。

玄関のベルを押すと、秋山さんの声が中に入るように促す。

僕たちが荷物を抱えて家の中に上がり込むと、秋山さんは制服警官を伴った私服刑事らしき人と廊下で立ち話をしているところだった。

そして私服の刑事の顔には見覚えがあった。

「坂田警部補、こちらの担当をされているんですか」

山葉さんが心なしか丁寧な口調で言う。

「警部です」

「え?」

坂田警部がいつになく笑顔を浮かべる。

「十月から昇進したんです」

「そうですか。昇進おめでとうございます」

山葉さんも笑顔を浮かべるが、なんとなくぎごちない。

「祈祷の依頼を受けられたのですね」

坂田警部が話を継ぐと、山葉さんはほっとしたように言う。

「そうなんです。坂田さんも司君の件ですか」

「はい、捜査中の案件ですから詳細は話す訳にいきませんが」

捜査中という言葉が、僕の心に引っかかった。彼は自殺したのではなかったのか?。

僕の考えを読んだかのように、秋山さんが口を開いた。

「司が自殺する直前の現場を目撃した人がいたのです。その人の証言では、司と一緒に同じ制服を着た中学生がもう一人いたらしいのです」

瞬間、坂田警部は嫌な顔をした。捜査中の案件はあまり口外出来ないといった直後だったからに違いない。

「すると、司君は自殺ではなかったということですか」

山葉さんの問いに坂田警部は慌てて首を横に振る。

「いいえ、自殺に至った原因を調査するために事実関係を確認しているだけです。このことはあまり口外しないでください。それでは、私たちはこれで失礼します」

坂田警部は制服の警官に目配せをすると立ち去ろうとしたが、山葉さんは彼を呼び止める。

「坂田さん。もしよかったら、司君の自殺直後の写真を見せてもらえませんか」

坂田警部の足が止まった。

「いや、それは遺族のご承諾なしに見せるわけにはいかないのですが」

坂田警部は秋山さんの方をちらりと見ながら言うが、秋山さんは即座に答えた。

「山葉さんが必要というなら見せて差し上げてください。私からお願い事をしているところですから」

坂田警部はため息をつくと、山葉さんに近寄って小さな声で言う。

「遺体の損傷が激しかったのでご覧にならないほうがいいと思いますよ。私が署にいるときに来ていただいたら対応しますから、事前連絡してからおいでください。」

坂田警部は僕たちに会釈をすると秋山家を後にした。程なくパトカーが静かに発進して遠ざかっていく音がする。

山葉さんは、気を取り直すように言う。

「それでは祭祀を始めましょうか」

僕たちは仏壇が置かれた部屋で儀式を行うことになった。仏教のお家で神事を執り行うのも妙な話だが、日本人とはそんなものだ。

秋山さんとご主人が並んで座る前で山葉さんはいざなぎ流の祭祀を始める。

いざなぎ流の式神は和紙で作られており、水神や竜など様々なものをかたどっているが、それぞれに顔が付いている。

それらの式神をみてぐらと呼ばれる祭壇のようなものに榊等と供えると準備は終わりだ。

山葉さんは、御幣を手にし、祭文を唱えながら緩やかに舞った。

いざなぎ流の祈祷は神楽と呼ばれることもあり、舞踊に近い。

カフェで仕事をする時はポニーテールにしていることが多い彼女が、祈祷の際は髪を下ろし黒髪をなびかせて舞う姿を僕は陶然として眺めていた。

祭祀が終わると、お礼を言う秋山さん夫妻に山葉さんは告げた。

「今日も司君の気配を感じることはできませんでした。これからも私たちにできることはするつもりです。何か進展があったらまたご報告します」

そこまでする義理もないのだが、それは彼女の生真面目な性格から出る言葉だった。

「ところで、先ほどの警察の方の話ですが、司君が自殺する直前に誰かと一緒にいたというのは、どうして明らかになったのですか」

山葉さんは帰り際に秋山さんに訊ねた。

「ええ、司は分譲マンションの屋上階から落ちたのですが、以前からそこによく表れていたようです。通報された方は、その日は司の他にもう一人いるのを目にされて危ないなと思っていたそうなのですが、気が付いたら人影が一人に減っていて、後日、司の自殺の話を聞いて通報されたそうなのです」

秋山さんの言葉に山葉さんはしばらく考えていた。

「分譲マンションに何の関係もない第三者が勝手に入り込むのは不自然だが、司君はどうしてそのマンションの屋上にしばしば姿を現していたのでしょうね?。」

「そのマンションに司の同級生の田中一郎君のおうちがあるのでよく遊びに行っていたみたいです。」

田中さんと言えば、司君とゲームや小説投稿を一緒にしていた三人の内の一人のだ。

山葉さんは納得したのか定かでないが、挨拶して秋山家を辞した。

帰る途中、山葉さんは僕に運転を任せて、スマホの通話を始めた。

相手はどうやら坂田警部らしい。

通話を終えると彼女は僕に告げる。

「坂田警部のいる所轄署に寄っていこう。司君の現場写真を見せてもらえることになった」

僕は、カフェ青葉に向かっていた車を、最寄りの所轄署に寄るべく進路を変えた。

警察署に自分で出かけることは事故でも起こさない限りないため、駐車場の入り口からしてわかりずらい。僕が車をどこに止めようかとウロウロしていると、山葉さんは目ざとく外来用駐車場の区画を見つけてくれた。

署内に入ると思ったよりも人が多く、受付前でウロウロする僕たちを係りの人たちは胡散臭そうに見ていたが、坂田警部の名前を告げると、急に態度が丁寧になり別室に案内してくれた。

しばらくすると、坂田警部が写真のファイルを抱えて部屋に入ってきた。

「お忙しい時にすいません」

山葉さんが営業用スマイルを浮かべながら言うが、坂田警部補は無表情に答える。

「本当は現場写真の閲覧なんてできないんですよ。今日見た内容も絶対に口外しないでください。」

そんな真似をして彼は大丈夫なのかと僕は心配になる。

山葉さんは受け取った写真のファイルをぱらぱらとめくっていたが、やがてファイルを僕に押し付けてうずくまった。

ぼくが、何気なく写真に目を落とすとその理由が分かった。司君は頭から転落していたのだ。

写真は記録のプロの手で冷酷なまでに鮮明に撮られていた。

彼の頭頂部は頭蓋骨が割れて脳漿がはみ出し、眼球も片方が飛び出していた。

「大丈夫ですか山葉さん」

坂田さんが声をかけるが、山葉さんは返事をすることもできずに口を押えてうずくまったままだ。

そして、その顔色は真っ青だった。

僕は思い出した。彼女は幽霊や物の怪は平気だがスプラッタ系は苦手なのだ。

「だからやめたほうがいいと言ったのに」

坂田警部は困り切った表情でつぶやいた。

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