不揃いな勇者たち

第108話 扉をたたく少年

十一月の街の空気はしんと冷えて、セーターだけでは役不足に感じられる。

しかし、カフェ青葉への道を急ぎ足で歩く僕は、寒さもさして感じなかった。

最近はアルバイトに行くというよりは、彼女の部屋にお泊りに行くノリが多くなりつつあるからだ。

店内に入ると、店の奥にあるカウンターで山葉さんがお客さんらしき女性から相談を受けていた。

時刻は午後七時。この時間帯になるとお祓い関係のお客さんも多い。

「それでは、自殺したお子さんの魂を慰めたいということですか」

山葉さんが訊ねると、相談していた女性がうなずく。

「息子が自殺した後、あの子が一人でうずくまり、足もとを流れる川の水面を見つめている夢を度々見ます。何か思い残すことがあって成仏できないのではないかと気になるのです」

女性はカウンター席で、ハンカチを出すとそっと涙をぬぐった。

「息子は中学校二年生でした。自ら命を絶つほど悩んでいたのに、親の私が気づいてやれなかったのが悔しくて」

山葉さんは眉間にしわを寄せて虚空を見つめていたが、ふっと息をつくと女性に言う。

「お話を聞いた限りでは、司君はこの世をさまよっている可能性があります。何か彼が使っていた品物をお持ちなら貸していただけませんか。それを手掛かりに探してみます」

女性は目を丸くした。

子供を亡くした親が祈祷を頼んでも、そこまで生真面目に応える宗教関係者はあまりいない。

彼女は自分のバッグを探すと、カバーのかかった文庫本を取り出した。

「この本は、司が死んだ時に鞄と一緒にマンションの屋上に置いてあったものです。多分最後に読んでいたのではないかと思います」

山葉さんは文庫本を受け取ると一瞬びくっと身を動かしたが、そっとカウンターの上に置いた。

「ありがとうございます。それでは、今度の土曜日にお宅まで祭祀に伺うということでよろしいですか」

女性はうなずくと席を立った。

細川さんが女性から飲み物の代金を受け取っている間に、僕は山葉さんに近寄った。

「祈祷の依頼ですか」

「ああ、秋山さんという方で最近息子さんが飛び降り自殺で亡くなっている。葬儀は終わっているが無くなった息子さん、名前は司君だが、頻繁に夢に現れるらしく相談に来られた」

僕はカウンターに置かれた文庫本に目を落とした。

「今日はバイトの日ではなかったね。その本をもって二階に上がって休んでいてくれ」

僕は何気なく文庫本を手に取ろうとした。

その瞬間僕の頭の中に様々なイメージが浮かんだ。

それはファンタジー系の物語の様々な場面をぶちまけたように感じられた。

僕の表情を見ていた山葉さんが言う。

「やはり何か感じるか?」

「映画一本分のいろいろなシーンを圧縮送信されたみたいな感じですよ」

彼女は怪訝そうな顔をした。

「そんなことがわかるのか?。私は頭の中で何かが爆発したような気がしたのに」

「それに近いですよ。二階に行ってこれを読んでますね」

彼女は何か口を開きかけたが、気を取り直して笑顔を浮かべた。

山葉さんは、カフェ青葉の二階にある住居部分に住み込んでいる。その他にアルバイトの従業員の仮眠室もあるのだが、僕が泊まる時は当然のごとく彼女の部屋だ。

僕は合いかぎを使って彼女の部屋に転がり込むと、ベッドに腰かけた。

すっかり馴染みになったクマのぬいぐるみをヒョイと脇にどけるとベッドに仰向けになって持ってきた文庫本を広げる。

先程自分の頭の中に広がったのは、亡くなった司君がこの本を読んだ時のイメージが残ったものだと思えたからだ。

しかし、文庫本を読み進むうちに僕の中に違和感が広がった。

本の内容と伝わってきたイメージが微妙にかみ合わないのだ。

両者ともに、異世界を舞台にしたファンタジーもので剣と魔法の世界を舞台とするところは同じなのだが、ストーリーが微妙に異なっていた。

僕が読んでいるる文庫本では、主人公は冒頭で通学中にダンプに轢かれて死んでしまうのである。

それを哀れんだ神が、彼に特別な力を与えたうえで、剣と魔法が支配するファンタジー世界に転生させるというよくある筋立て。

主人公は新たな世界で長じるに及び、神に与えられた能力を発揮しながらその世界を支配せんとする魔王と対決するという爽快なストーリー。

しかし、僕の頭に流れ込んだストーリーは少し違っていた。

様々なシーンが一気に流れ込んできたので詳細までは理解できないが、主人公は世界を救おうなどと大仰なことはしないで、仲良くなった魔物と森の中でまったりとスローライフを送るというものだった気がする。

「この本を読んだイメージではないのかな」

僕がつぶやいていると、階下から山葉さんが昇ってくる足音が聞こえた。本を読みふけっているうちにそんな時間になったらしい。

「晩御飯を一緒にと思ったが細川さんは今日は早めに上がると言って帰ってしまった。気を使わせてしまったな」

彼女は仕事用のカフェエプロンを外したモノトーンのバリスタ用コスチュームのままだ、彼女はその上に私用のキッチンエプロンを着けると自分の部屋のキッチンに向かった。

普段は彼女が仕事をしている間に僕がご飯を作ったりするのだが、今日は彼女が料理をすると言っていたので待っていたのだ。

僕は普段と違う彼女のエプロン姿を楽しんでいると、山葉さんは上機嫌な表情で振り向いた。最近は彼女と意識が通じているような事が多く、言葉にしなくても感づかれることが時折ある。

彼女はキッチンに向き直って手を動かしながら言う。

「今日は簡単手料理だからあと十五分で仕上げるよ。」

リズミカルに動く彼女の後姿からは鼻歌が聞こえて来るような気がした。

彼女が作ったのは、マゼランアイナメの幽庵焼きと、カボチャとベーコンの炒め煮。それにマカロニサラダと具が多いみそ汁だった。

「これって、うちで食べるご飯の雰囲気ですね。」

料理の取り合わせと薄めの味付けがなんとなくホッとする雰囲気を醸し出している。

彼女は少し心配そうな表情で僕に訊いた。

「普段の食事は健康にも気を付けないといけないが、こんな料理は地味でやぼったいから口に合わないかな。」

僕は勢いよく首を振った。

「こんな料理を毎日食べたい」

僕の言葉を聞いて彼女は素の笑顔を浮かべた。彼女の素の笑顔は表情を崩しすぎなのだが僕はその笑顔を見るのが好きだ。

食事の間に僕は、本を触った時に拾ったイメージと、文庫本の内容がマッチしていないことを説明した。

彼女は食事を終えて箸をおきながら、つぶやいた。

「ほう、それは面妖だな。それでは本を触った時のイメージは一体どこから来たろう」

僕は自分の推測を話すことにした。

「もしかしたら、文庫本は司君が好きな本で持ち歩いていたのだけど、イメージの方は彼が作ったオリジナルストーリーかもしれませんね」

「中学生がストーリーを作ったりできるものかな」

山葉さんは懐疑的なようだ。

「今の中学生の中には、投稿サイトに小説やイラストを投稿して一流の才能を示す子もいて、小説投稿サイトは人気が高いらしいですね。メジャーな投稿サイトでは投稿件数が百万件を数えるとこもあるらしいですよ」

「そんなものなのか。秋山さんに聞いて彼の小説投稿履歴とか調べてみないといけないな」

彼女は僕が読み終わった文庫本をそっと触りながら言う。

僕たちが一緒に食事の後片づけをしていると、階下から何か物音がするのが聞こえてきた。

「今時分、何なんでしょうね?」

以前、宗教団体に襲撃まがいのことをされたこともあるので僕は気色ばんだ。

山葉さんは聞き耳を立ててから言う。

「店の外に誰かがいるみたいだ。声もするから怪しい者ではなさそうだよ、行ってみよう」

僕と彼女は、用心しながら階下に降りた。

カフェ青葉は閉店後も防犯を考えて、店内に常夜灯をつけている。

店内が真っ暗ではないので、人がいると思って誰かがドアを叩いていたようだ。店の中から様子を伺うと中学生くらいの男の子に見える。

店のドアを開けながら僕は山葉さんにひそひそと言った。

「まさか、司君の霊ではないですよね」

「私にもはっきりと見えているから生身の人間だろう」

僕たちは二人とも霊が見える体質だが、その能力には差があった。僕の場合は例と波長のようなものが合えばはっきりと見えるが、波長が合わないと全く見えないこともある。

彼女の場合は眉間にしわを寄せることで霊を見ることができるが、輪郭などはぼやけている場合が多いらしい。

ドアを開けると、その少年は必死の表情で僕たちに訴え始めた。

「このお店に除霊してくれる人がいると聞いて来たんです。助けてください。僕は自殺した友達の霊に呪い殺されるかもしれない」

僕と山葉さんは顔を見合わせた。

「話を聞いてあげるからお店の中に入りなさい」

山葉さんは男の子を招き入れる。

店内で明かりをつけると、通りから目についてしまうので僕たちは彼をお店のバックヤードにある従業員用の食事スペースに連れて行った。

ミルクティーを出すと彼は礼を言ったがあまり飲もうともしないで堰を切ったように話し始めた。

「僕は杉本武志といいます。つい最近僕の友達が自殺したんですけどそいつが、僕の夢に出てくるんです。あいつはきっと僕のことを一緒に連れて行こうとしているんだ。お金がかかるなら払うからお祓いをしてください」

山葉さんは眉間にしわを寄せて彼の周囲を見ていたが首を振ると武志君に告げた。

「私が見た限りでは君には霊などとりついていないよ。差し支えなければ何故、自殺した友達に呪い殺されると思ったか教えてくれないかな」

武志君は声高に答えた。

「そんなはずはないです。あいつは昨夜も夢の中で僕に向かって手を伸ばしながら近づいて来たんだ。右の目玉が飛び出して、脳みそがはみ出した顔で!」

山葉さんはぽつりと聞いた。

「飛び出した目玉ってどれぐらいの大きさだったかな?」

彼はその質問に驚いた様子だったが、少し考えてから答えた。

「すごく大きかったです。手のひら一杯になりそうなくらい」

山葉さんはうなずいた。そして、彼は少し落ち着いたのか前後の事情を話し始めた。

「死んだ秋山と僕、それから田中はオンラインのRPGをネット上で一緒にプレイしていたんです。ゲームをしているうちにファンタジーが好きになって、みんなで投稿サイトに登録して、それぞれが書いたファンタジー小説を投稿し始めたんです」

僕と山葉さんはうなずいて聞き役に回る。

「初めのうちは、三人ともお互いに投票した分しか人気投票ポイントがなくてほとんど誰にも読んでもらえてなかったんです。そのうち、秋山だけ閲覧数や人気投票ポイントが増え始めたので、僕は妬ましくなってもう一つ別のアカウントを作り、そこから秋山の小説はファンタジーのカテゴリーじゃないと批判してしまったんです」

「別のアカウントを作ったのは批判したのが君だと判らなくするためだね」

武志君はうなずいた。そして小さな声で付け加える。

「秋山が死んだのはその日の夜でした」

居心地の悪い沈黙が僕たちの間に訪れた。

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