第74話 ハートのネックレス

気が付くとBMWM3は静止しており、周囲を見回すうちに僕は記憶が徐々に戻ってきた。

僕たちは、カフェ青葉のオーナー細川さんが運転するBMWM3で首都高速道路に出没する白いカレラ4を追っていたのだ。

追跡する途中、細川さんが白いカレラ4に衝突するラインで走行して、カレラ4と接触した瞬間、僕の視界はホワイトアウトしたのだった。

首都高速道路上でスピンした後に制止したのなら、周囲には首都高速のフェンスや緊急停止するか、徐行して通り過ぎようとする後続車も見えるはずだが、辺りは明暗のはっきりしない灰色の靄で覆われている。

そして、サイドウインドウ越しに僕たちが乗っているBMWM3の隣にヘッドライトを灯したまま停車している白いポルシェカレラ4も見えた。

「山葉さん、神田さん起きてください。すぐ隣に白いカレラ4がいるんですよ」

僕の声に、公募座席にいた二人が相次いで目を覚ました。ドライバーズシートの細川さんはハンドルに突っ伏したまま気を失っている。

山葉さんは周囲の状況を見て取るとぽつりとつぶやく。

「現実世界ではないみたいだ。もしかしたら私たちは事故に遭って死んでしまったのかもしれない」

「縁起でもないことを言わないでください。僕たちが置かれた状況を調べるためにもカレラ4のドライバーに話を聞いてみませんか」

僕はいつになく、山葉さんに指示しながら助手席のドアを開けた。

僕は後部座席の二人のためにシートを倒し、二人が外に出ると僕を先頭にカレラ4ドライバーズシート側のドアを覗き込んだ。

僕たちの予想に反して、ポルシェカレラ4の車内に人影は見当たらない。

「一樹、そこにいるなら返事をして」

神田さんがポルシェカレラ4のドライバーズシート側のドアを叩き始めたが、彼女にこたえる人影は無かった。

「この車だけが走っていたというのだろうか」

山葉さんが途方に暮れたように周囲を見回すのを見て、僕は昼間見つけた包みのことを思い出していた。

「神田さん、僕は昼間にこのカレラ4がスクラップとして保管されている場所に行って、一樹さんがあなたに渡そうとしていた品物を見つけてんです。中身を確認してくれませんか」

僕は、昼間探し出したペンダントをよれよれになった袋のまま差し出した。

彼女が受け取って中身を改めようとするが袋の開口部からまばゆい光がほとばしった。

閃光が収まっても袋は青白い燐光を放っている。

そして周囲もほのかに明るく、その明りは僕たちの横に立っている人影から発していた。

「一樹なの?」

「真理、この前は映画に遅れてごめんよ。そのペンダントで機嫌を直してくれないかな。」

一樹さんは柔和な笑顔で真理さんに話しかける。真理さんは両手で顔を覆った。

「そんなことはもういいのよ。私があれほど腹を立てなければあなたは死ななくて済んだのに」

「やはり俺はもう死んでいるんだな」

一樹さんは自分の体を見下ろしながら言った。

「もう気にしなくていいのは君の方だ。あの日僕は途中で挑戦してきた車と競争ごっこをしていた。そして、カーチェイスに夢中になっていたのでうっかり向島出口を通過しそうになったんだ。慌ててブレーキを踏んだらコントロールを失って擁壁にぶつかった。身から出た錆だな」

真理さんはぼろぼろと涙を流しながら言った。

「ばかあ!」

一樹さんはぺこりと頭を下げてから彼女に片手をあげ、その姿は次第に透明になって見えなくなっていった。

残された真理さんはその場で泣き崩れた。

僕は自分が渡した品物が、彼女に悲しい思いをさせただけで終わったのではないかと考え込んでしまった。

しかし、神田さんははひとしきり泣いた後で、袋の中身を取り出した。

「オープンハートだったのね。確かにこれもらったらうれしかっただろうな。内村君わざわざ探してくれてありがとう」

彼女は嗚咽をこらえながら、ちっともうれしくなさそうな声で言った。

僕はいたたまれなくなって真理さんから顔をそむけたが、そこでは山葉さんがいざなぎ流の祈祷を始めていた。

山葉さんが祭文を唱えながら緩やかに神楽を舞ううちに、ポルシェカレラ4は次第にその姿を失い、小さな青白い光の塊になっていく。

やがて、やがて山葉さんが祭文を唱え終え、強く気を込めると彼女の手のひらに引き寄せられていた青白い光の塊は、どこへともなくその姿を消した。

山葉さんはホッと一息浮くと僕に告げた。

「これで、首都高速道路に白いポルシェカレラ4が出没することはないはずだ」

それは一樹さんの心残りを無くしたからだろうかと問いかけようとした時、僕は現実世界で意識を取り戻した。

ドライバーズシートの細川さんも僕と同時に気が付いたようだった。

M3は首都高速道路の深川線の追い越し車線側の擁壁に張り付くように止まっていた。擁壁に接触した形跡はないが、後続車両にいつ追突されてもおかしくない状況だ。

細川さんは、ササッと周囲を見回して状況を把握すると、素早くエンジンをかけてM3を発車させた。

細川さんは時速百キロ前後のスピードまで一気にスピードを上げると、後は周囲の車の流れに乗って走らせる。

「私は、ポルシェに接触した瞬間、気を失って夢を見ていたの。ガールフレンドと仲直りするために、プレゼントを持ってさっきの白いポルシェを運転して会いに行こうとする夢だった」

彼女は僕たちとは異なり、僕が中古パーツショップで追体験した一樹さんの記憶を夢として見たようだ。

暗いので細川さんの顔色まではうかがえないが、彼女は悄然としているようだ。かねてからお望みだったものの、心霊体験がショックだったようだ。

僕が後部座席を振り返ると、真理さんと目が合った。

「あなたも一樹の夢を見たの?」

僕がうなずくと、彼女は両手で顔を覆った。

「どうしよう。私がそんなにポルシェが好きならずっと乗っていればいいなんて言ったために、一樹は今まで、首都高速を彷徨っていたのだわ」

真理さんが自分を責める言葉を聞いて山葉さんがゆっくりと口を開いた。

「それは違うよ。感情に任せて口走ったことで人が死ぬなら世の中は死体の山になっている。一樹さんは心残りだったあなたとの仲直りを果たしあの出安心して来栖へと旅立ったのですよ」

真理さんは手で顔を覆ったままだが、ゆっくりとうなずいた。

その後、僕たちはカフェ青葉に戻り、そこで解散することになった。

「細川さんお疲れさまでした、帰りは気を付けて運転してくださいね」

山葉さんが気遣って声をかけると、細川さんは手を振って応えた。

「首都高バトルはもう十分よ。やっぱり命あっての物種ね」

念願の心霊体験を果たした細川さんは、ひどく疲れているようだった。

僕が挨拶して帰ろうとした時、背後から真理さんの声が響いた。

「内村君ちょっと待って」

僕が降り返ると真理さんは、ペンダントのケースを僕に投げてよこした。それは軽くパスするなんて投げ方ではなく、力いっぱいぶん投げたのだった。

僕は頭上を飛び越えていきそうだったケースを背伸びしてキャッチした。

「それはあなたが持っていきなさい。私は受け取るわけにはいかないわ」

言い分としてわからないわけでもないが、僕はただ、一樹さんの遺志を果たさなければいけないと思って届けたのだ。

「それでは彼のご両親に届けましょうか」

彼女はぶんぶんと首を振る。

「そんな悲しい由縁の品物を渡したら彼の両親を泣かすだけよ。あなたが陰陽師の彼女にプレゼントしなさいよ」

「え」

僕は慌てて振り返ったが山葉さんはカフェ青葉の店内に引き上げた後だった。

ぼくは、ちょっと迷ったが結局彼女のいうとおりにすることにした。

「わかりました。真理さんはもう大丈夫なんですね」

「当たり前でしょ。私はもうすぐ母になるのよ」

彼女はお腹にポンと手を置いて微笑んだ。

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