第70話 CBA-R35 GTR
一般的にはバイクに乗ると排気音が耳に付きそうに思うが、GSX400Sはスロットルをあけるとカムチェーンの駆動音の方が大きく聞こえる。
キュイーンという高い金属音と共に車体はぐんぐん前に引っ張られる。
僕はシフトアップしながら、クラッチを切るのとスロットルを戻すタイミングがずれないように気をつけた。
スロットルとクラッチのタイミングがずれると、ブオンと回転が上がってみっともない。
ポルシェカレラ4とR35 GTRは、まばらに走行しているトラックや乗用車の間をパイロンスラロームのようにすり抜けていき、僕も車体を左右に倒しながら二台の後を追った。
GSXのフロントに申し訳のように付いている風防はセパレートハンドルの上にちょこんと飛び出て、戦闘機のリフレクターサイトのようだ。
その向こうに見えるGTRの四つの丸いテールライトライトが次第に近づいた。
有明ジャンクションからの合流で混雑しているためだ。
僕は大型トラックに前をふさがれたGTRをかわして、先行した白いポルシェを追った。
そして、ジャンクション周辺で車線をふさいでいたトラックや乗用車の集団を抜けてフル加速する。
しかし、ポルシェは遙か先にいて、湾岸線の直線を更に加速していく。
そして、他の車両に紛れたわけでもなく、白いポルシェのシルエットはふっと消えて見えなくなった。
追跡を止めてスピードを落とした僕の右前に山葉さんのXJRが被さってきた。彼女は左のウインカーを出している。
頭を押さえられた僕は山葉さんの後に付けてスピードを落とした。
彼女はそのまま辰巳第一パーキングに入っていく。
パーキングで僕たちはバイクを並べて止めた。僕はいきなりスピードを上げて追い抜いたことを彼女に怒られるのではないかと内心びくびくしながらヘルメットを取った。
「急にスピードを上げるから驚いたよ。一緒にレインボーブリッジを走るつもりだったのにジャンクションを通り抜けてしまったじゃないか」
彼女は口をとがらせて言った。その口元が微妙にアヒル口になっていて可愛い。
「すいません。追い抜いていった白いポルシェが何だか気になって後を追っていたんです」
「ポルシェ?。そういえばGTRの前に何かいたような気がしたが、」
「白いカレラ4だったんです。僕らを追い抜いて加速していく間もエンジン音が聞こえなくて雰囲気が怪しかったので」
「車の幽霊ってあるのかな?。どっちにしても、もう少し慣れるまではむやみに飛ばさない方がいいよ」
彼女はバイクに関しては寛容なようで、ビギナーのくせに飛ばしすぎだとしかられると思っていた僕はほっとした。
「その白いカレラ4、普通の人にも見えているかもしれないな。現にGTRが追いかけるような素振りをしていた。だとするとちょっと問題がある」
山葉さんは腕組みをして考え込んだ。交通事故防止のためにお祓いでもするつもりかもしれないが、相手は首都高速や湾岸道路を疾走する白い鳥のような奴だ。
「そういえば、あのポルシェは他の自動車に車線をふさがれたらちゃんと隙間を縫って前に出ていましたよ。ドライバーは普通の人と同じに運転しているつもりなのかもしれませんね」
普通の人と言うと語弊があった。カレラ4は合流車線の続きのゼブラゾーンや追い越し車線右の路側帯までフルに使って、あっという間に遅い車の集団をかわしていた。僕が言いたかったのは生身の人間と同じようにと言う意味だ。
「ご本人は、自分が死んだことを意識していなくて、生前の行動を繰り返しているのかも知れないね。機会があれば状況を教えてあげるのが親切というものだ」
山葉さんは、駅前で見つけた落とし物を交番に届けるくらいの口調で話すが、その内容は首都高速を徘徊する死霊を浄霊する事に他ならない。
「どうやったらそんなことが出来るのですか」
「さあね。とりあえず追いついてみないと話も出来ない」
彼女は肩をすくめた。どうやら今夜のうちに何かするつもりはないようだ
辰巳第一パーキングエリアはトイレの他は屋外に自動販売機が置いてあるだけの簡素なパーキングエリアだ。
山葉さんは自動販売機で紙コップのコーヒーを買うと僕にもおごってくれた。
「普段お店でおいしいコーヒーを売っているのに、外に出たら自動販売機のコーヒーも飲むんですね」
「これだってそこそこな味だよ。このパーキングエリアは、人の出入りが多いから自販機の中身もまめに補充されているからね」
僕は紙コップのコーヒーを飲んだ。夜の冷たい空気の中をバイクで走った後なので、熱いコーヒーがとてもおいしい。
「でも、こんな場所のパーキングエリアでそんなに人が出入りするんですか?」
「ここは、首都高速を走る走り屋さんがたむろしやすいんだ。土日や休前日の深夜は暴走行為を防止するためだとか言って閉鎖されていることも多いよ」
山葉さんは何気なく言ったが、僕の頭に疑念が浮かんだ。
それを知っている彼女は仕事が終わった後、走りに来ているのではないか。
彼女のプライベートな時間は未だに謎が多い。
コーヒーを飲み終わって、僕たちはそろそろお開きにすることになった。
パーキングエリアを出たら流れ解散、途中で別れてそれぞれの家に帰るつもりだ。
その時僕たちの背後から声が聞こえた。
「すいません。あなた達さっき白いカレラ4を追いかけていませんでしたか。」
僕たちは声の主を振り向いた。
そこにいたのは、家事の途中でちょっと上着を羽織って近所に買い物に出たという雰囲気の女性だった。
年齢は二十代の後半くらいだろうか。小柄で童顔なのでぱっと見はもっと若く見られそうなタイプだ。
「ええ、彼が追いかけていたけど有明を過ぎた辺りで見失ったみたいですよ」
山葉さんがのんびりとした口調で答えた。
僕たちは自分のバイクを並べて置いた駐車エリアにたむろしていたので、バイクで識別されたようだ。
「私もGTRで追いかけていたけど途中で振り切られてしまって。追跡していて何かおかしな事は起きませんでしたか」
さっきのGTRのドライバーは彼女だったのだ。僕は意表をつかれた気がした。
そもそもR35GTRは高価な車だ。
オーナードライバーは車好きな中高年のおじさんと言うイメージが強かったのかもしれない。
「見失っただけかも知れないけど、有明を過ぎた辺りで姿が消えたような気がします」
僕が答えると彼女はやっぱりと小さな声でつぶやいてうつむいた。
「もしかして、あのカレラ4のドライバーを知っているのですか」
山葉さんが問いかけると彼女はゆっくりとうなずいた。
「あれは私の知り合いの一樹の車です。彼は二年前にカレラ4に乗って事故で死んだんです」
僕と山葉さんは顔を見合わせた。やはり、あの車はこの世のものではなかったようだ。
「最近、知り合いが一樹のカレラ4を湾岸で見たというので気になって出かけてきたんです。きっと違う人の車を見間違えたのだと思いたかったんですが」
「カレラ4は古い車だけどまだ乗っている人も多いですよ。ドライバーまで確認されたわけではないでしょう?」
山葉さんは、幽霊だと確信しているくせにわざと違う方向に話を向けているようだ。
「リアウインドウに私が神社で買ってあげた交通安全のステッカーが貼ってありました。そんなださい物を目立つところに貼る人って他にはいません」
わざわざ貼ったのに御利益がなかったのかなと、僕が見当違いなことを考えていたら、山葉さんはポケットから名刺を取り出して彼女に渡していた。
「私はこのカフェで働いています。よかったら時間があるときに遊びに来ませんか。話を聞かせて貰いたいけど、こんなところで話し込んでお腹を冷やしたらいけないから」
山葉さんの言葉を聞いて、GTRの女の人はお腹を押さえた。
「そんなに目立ちますか」
「五ヶ月くらいですよね。さっきみたいな走行はあまりお勧めしませんよ。GTRはパワーがあるからスピンでもしたらシートベルトでお腹を圧迫する事になるから」
「そうですよね。でもGTRは滅多なことでは姿勢を崩したりしないし、私はどうしても確かめたかったんです」
彼女は山葉さんの名刺を見ながら続けた。
「お店は下北沢にあるんですね私の家は吉祥寺なのでそう遠くないし、今度お店に伺ってもいいかしら。私は神田真理といいます」
山葉さんは、華やかな笑顔を浮かべた。
その笑顔はクラリンが営業用に特訓したものだが、同性でも引きつける魅力がある。
「絶対来てくださいね。彼も一緒に仕事をしていますから」
真理さんは笑顔を浮かべると僕たちに手を振って自分のGTRに向けて歩いていった。
野太い排気音を立ててパーキングエリアを出ていくGTRを見ながら山葉さんはつぶやいた。
「だんなの愛車で元彼の亡霊の所在を確かめに来たのかな?」
「きっと複雑な心境なんですね」
僕たちが見送るうちに、GTRのテールランプは見る間に小さくなっていった。
彼女が運転するGTRはフル加速すれば時速百キロメートルに達するのに三秒かからないと言われている。もはやスーパーカーと言っても差し支えない車だ。
「さあ私たちも帰ろうか」
彼女の一言で僕は自分のかGSX400Sにまたがると、セルボタンを押した。キュルンというセルの音と共にエンジンに火が入りアイドリングが始まる。
僕はスタンドを外して、先行した山葉さんを追ってクラッチを繋いで発進させた。
先ほどのGTRと比べると、たかが四〇〇CCのバイクだが、僕のGSX400Sは十分な加速ですんなりと本線に乗った。
僕たちは首都高深川線で都心方面を目指した。
都心付近はコーナーやジャンクションが多く、僕は前を走るXJRのテールランプを追いかけるので精一杯だ。
箱崎ジャンクションと江戸橋ジャンクションを抜けてしばらく走ったところで、前を走る山葉さんはぴっと左手を挙げた。
そこは竹崎ジャンクションで、彼女は新宿方面に帰るからだ。
大宮方面への分岐に入った僕と彼女の距離は見る間に離れていった。
いつか一緒に帰れるようになればいいなと、僕は心の中でつぶやいた。
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