ナイトバード
第69話 GSX400S
僕は新宿から小田急線に乗ると、下北沢駅を通り過ぎて二つめの駅で降りた。
秋口から普通二輪免許の教習を受け始めたのだ。
実技教習では二人の教習生にインストラクターが一名付くため、ヘルメットをかぶった僕は一緒に教習を受ける人に軽く挨拶をしてから教習用のバイクにまたがった。
教習所のバイクはホンダのCB400だ。
取り回しが良くて癖がないと言われているらしいが僕にとっては重くて言うことを聞かない難物だ。
今日も早速トラブルが持ち上がった。どうやら前の時間に乗った人がギアを入れっぱなしにしていたようなのだ。
クラッチを切ってギアをニュートラルに入れようとしたが、思ったようにシフトレバーが動かない。
一緒に教習を受ける人は既にエンジンをかけてスタンバイしている。
焦ってオタオタしている僕を見て、インストラクターは状況に気がついてくれた。
今日の教官は中年のおっとりしたタイプで僕にとっては比較的相性がよい人だ。
「バイクを前後に動かしながらニュートラルにして。」
言われた通りに左足に力を入れて、バイクをゆさゆさと前後に動かすと、やっとの事でギアがニュートラルになったのがわかり、僕はセルボタンを押してエンジンを始動した。
右手のアクセルを開くと排気音が響き、シートの下から4気筒エンジンの振動が伝わってくる。
四輪と違ってバイクはマシンとの一体感が強い。
今のは僕の失敗ではないよなと、僕は自分に言い聞かせながら、教官に続いてコースに出た。
今日は、パイロンスラロームの教習だ。
バイクの免許を取ろうと思い立ったのは夏休み中のことだ。
僕は夏の初め頃、ウエポンの一件をしばらく引きずっていた。
八月のある日、カフェ青葉でアルバイトをしている時に、一緒に仕事をしていた雅俊は僕の気分を察した様子でもなく声をかけてきた。
「ウッチーも一緒に普通二輪の免許とらへんか」
「も」と言っているのは彼が連れのクラリンと一緒に免許を取るつもりだからだ。
「そうだな、気分転換に教習受けてみようか」
僕は深く考えずに答えていた。山葉さんが二輪に乗っているのも知っているし、自分も乗ってみたいという気があったからだ。
しかし、三人で教習所に当たってみると夏休みは既に予約で満杯だった。
空きを待たないと無理だと言われると、余計に免許を取りたくなるのが人の心理らしく、僕たちは予約が空き次第教習を開始できるように手続きをした。
実際は、大学の授業やアルバイトがあって教習所のための時間はなかなか取れるものではない。
そのため、雅俊やクラリンと相談してアルバイトのローテーションの間に教習時間をいれるようにして、少しずつ教習を受けて今に至っている。
その日の教習を終えた僕は、直接家には帰らずに下北沢で降りるとカフェ青葉に寄った。
教習でいろいろあったので何だか疲れた気分だ。
カウンター席でコーヒーを頼んだ僕にアルバイトに来ていたクラリンが聞いた。
「ウッチー、今日の教習はどうやったん?。そろそろパイロンスラロームあたりやろ」
「パイロンに接触して教習バイク倒した」
「何してるのよ。リズミカルなアクセルワークを使って倒し込んだら簡単でしょ」
彼女の言葉も教官の受け売りだ。ちょっと先に進んでいる彼女はそろそろ第二段階に進むところだ。
こちらに背を向けてコーヒーを淹れていた山葉さんの背中が心なしか震えているような気がする。
きっと話を聞きながら笑いをこらえているのだ。
「いいんだよ。とりあえず今日の課程はクリアしたから」
僕は口をとがらせて答えた。もっとも、カフェ青葉に立寄ったのは誰かに失敗した話を聞いて貰うために来たようなものだ。
抱え込んで帰ると尾を引いてしまうからむしろ誰かに話したい時もあるのだ。
「冬までには免許が取れそうだな。バイク買ったら一緒にどこかに行こうか」
コーヒーを持ってきてくれた山葉さんは、にこやかに言った。
それは僕が待ち望んでいた言葉だった。
「行きます」
僕はコーヒーを手に取りながら答えた。
「バイクは何を買うつもりだ?。ウッチーの体格なら四百CCの方がいいだろうな」
「でも、四百だと車検があるんでしょう?」
僕が聞くと、山葉さんは指を振って見せた。
「ガレージに飾っておいてたまに乗るくらいならまだしも、二百五十CCでも頻繁に乗れば相当に消耗する。まともに走れるようにメンテしていたら車検を受けるのと大して変わらなくなるよ」
「そんなもんなんですね」
コーヒーを飲んでいる僕にかわって、クラリンがつぶやいた。
僕はその日、カフェ青葉から家に帰る前に、下北沢駅の近くの環七通り沿いにあるバイクショップに寄ってみた。
普通二輪の免許が取れたら、どんなバイクに乗ろうかと物色に行ったのだ。
去年から頻繁にアルバイトを入れている僕は、そこそこ貯金が貯まっていた。四百CCクラスの新車購入も無理ではない。
そのショップは中古も扱っていたので、様々なメーカーのバイクが並んでいた。好みからいうとカワサキかなと眺めていたら、年式の古そうなスズキのバイクが目に入った。
一見ハーフカウルに見えるが、角ライトと周辺のデザインがボディーと一体化したデザインが格好いい。よく見ると、水冷の四気筒エンジンで、値段と一緒に書いてあるカタログデータには五十二PSと書いてある。
「気に入りましたか。このバイクは古いけどワンオーナーが大事に乗っていたみたいですからお薦めできますよ」
僕がしげしげと眺めていたのでショップの人が寄ってきた。
「古いのに何でこんなにスペックが高いんですか」
「排ガス規制が厳しくなる前のモデルだからです。それにその頃はこのクラスが売れ筋でメーカーも力を入れていたからね」
そのバイクは年式が古いだけに新車の高性能モデルよりは安いが、そこそこの値段が付けられていた。しかし、何故か僕の記憶に強く残った。
クリスマスが近くなる頃に僕はやっと普通二輪の免許を取れた。
何だか気分がハイになった僕は、以前のぞき見したバイクショップに立ち寄る。
秋に来たときに見たスズキのバイクはそのまま陳列されており、後からスマホで調べたのだが、そいつはスズキのGSX400S、通称カタナと呼ばれるモデルだった。
スズキ系のチューンナップショップの名前が入ったマフラーも目を引く。
四気筒の排気を一つにまとめるタイプで、そ同じショップの名前が入ったショックアブソーバーも付いている。
僕はいきなりそのバイクを買うことにしてしまった。
「検受け渡しで自賠責と任意保険の手続きがあるから少し時間がかかりますよ」
すぐにも乗って帰りたそうな勢いの僕に、ショップの人は申し訳なさそうに言った。
数日後、バイクの代金を支払った僕は、通販で買ったアライのヘルメットをかぶり、ライディンググローブとシューズを着用してカタナにまたがった。
アルバイトの時間より少し早くカフェ青葉に乗り込んで皆にお披露目するつもりだった。
カフェ青葉につくと、裏のガレージの前に止めたカタナに対する皆の反応はまちまちだった。
雅俊はカタナの細部まで検分すると口を開いた。
「ウッチーこれいくらで買ったんだよ」
「車両本体が四十万円」
雅俊は腕組みをしてうなった。
「買うときに俺に相談してくれたら止めたのに。こいつは二十世紀に生産されたバイクだぜ。これから何処が壊れるか判らないよ」
僕のテンションは雅俊の言葉で一気に下がった。
「まあまあ、ここまで古くなると消耗系のパーツはほとんど交換済みだと考えるべきだな。私のXJRと同じだよ。修復歴はないみたいだから意外といい買い物だったかも知れない。ワンオーナーというのは新車で買った人が最近まで大事に乗っていたと言うことだからね」
僕には山葉さんの言葉が神のように聞こえた。
「ヨシムラの4-1マフラーが付いていて格好いいと言えばいいよな。」
雅俊も最後は褒めてくれたので僕の気分は良くなった。
「ウッチー、ETCは付けたのか。」
「ええ、ショップの人がツーリングにいくなら絶対付けた方がいいって言うから取り付けていますよ」
「そうか。それなら今日の仕事が終わったら湾岸まで行かないか。どうせウッチーは家までそれで帰るんだろ。途中でお流れ解散でいいから首都高を走ってみよう」
山葉さんはこともなげに言った。
いきなり首都高を走るのか?と僕は心のなかで呟いた。家に帰るなら環状七号線を道なりに走ればいいが、首都高速に乗るのはちょっと敷居が高い。
しかし、話の流れでぼくは平静を装って答えた。
「いいですね。仕事が終わったら行きましょう」
僕たちの会話を聞いていた雅俊はつぶやいた。
「いいなあ。俺も早く免許を取ってバイク買おう」
雅俊とクラリンはあと1、2単位教習が残っていた。
その後、僕も加わって皆で仕事を再開し、カフェ青葉の時間はいつもと変わりなく流れていった。
夜になりディナータイムの片付けが終わると僕と山葉さんは少し早めに仕事を上がらせて貰った。
裏のガレージで支度をしていると、山葉さんが自分のXJRのエンジンにに火を入れる。
「四号新宿線から高速中央環状線に入って湾岸まで行ってみよう。私がゆっくり先導するから付いてきてくれ」
彼女は上下に分かれたオリーブ色のジャンプスーツに着替え、レーシングブーツを履いていた。
そして小脇に抱えていたフルフェイスをかぶるとバイクのエンジンをかけた。
彼女はそのままバイクを発進させ、僕も慌ててエンジンをかけると彼女の後を追った。
彼女は環状七号線を右折してから首都高四号線に乗った。
ゆっくり先導すると言った割にペースは速い。
四号線に乗った直後に彼女はジャンクションを経由して中央環状線に入った。その辺りは長いトンネルになっている。
首都高速は何となくすすけたイメージがあるが、この辺りは出来たばかりで綺麗で、まるで未来都市のアクセスチューブを走っているような錯覚に陥ってしまう。
前を走る山葉さんを見ると彼女のヘルメットに葉っぱが描いてあるのが見えた。形からすると山桜の葉のようだ。
僕のGSXは甲高い排気音を立てながら彼女のXJRに遅れずに加速していく。
一時代前の直列4気筒エンジンのバイク達は意外と元気に走る。
山葉さんは中央環状線から湾岸道路に出ると東に向かった。
そう言えば彼女は逗子に仕事に行った帰りも時間があれば湾岸道路を通ることがあり、湾岸道路が好きなのかもしれないと僕は思う。
僕がそんなことを考えていると、背後から僕たちを追い抜いていく影があった。
白いボディーのポルシェ系のシルエットだ。テールにはカレラ4と表示されているように見える。
僕は背筋がざわりと総毛立つのを感じた。その車に何かこの世の物ならぬ雰囲気を感じたのだ。
その直後に、今度はGTRが僕たちを抜いた。
ガンメタのR35GTRの最新モデルは白いポルシェを追うように、轟音を残してフル加速していく。
僕は無意識のうちにシフトダウンしてアクセルをあけるとGTRの後を追い始めた。
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