第28話 山葉の災難
照明が落下するという突然の事故に劇場内は騒然となったが、上演終了後だったこともあり観客たちはすぐに落ち着きを取り戻した。
観客が帰り始める中で劇団員達は、前列の観客に怪我がないか確認して回り、ヒロイン役の奈々子さんが山葉さんの怪我に気付いた。
「大変。応急手当をしますから楽屋に来てください」
「いや、これくらいの傷はなめておけば治るよ」
山葉さんは子供みたいなことを言って、そのまま帰ろうとしたが奈々子さんは引かなかった。
「駄目です。消毒だけでもさせてください」
彼女は山葉さんの無傷の方の腕をつかんで楽屋まで連れて行き、僕も付き添った。
ザ・オオイリの楽屋は6畳ほどのこじんまりした部屋で、奥に窓があり、両側の壁はメイクアップ用らしく鏡張りで明るく照明されていた。
床は何故か畳敷きで、壁に面してカウンター状のメイク用のテーブルが設置されており、テーブルの下は荷物用の棚となっている。
山葉さんは抵抗をあきらめて、丸椅子にすわって奈々子さんのされるままになっていた。
「すいませんね。せっかく私たちの劇を見に来てくれたのに怪我をさせてしまって」
奈々子さんは山葉さんの腕にオレンジ色の消毒液を塗りつける。
「大したこと無いから大丈夫だよ。あなたこそ近くにいたのに良く怪我をしなかったね。」
「ありがとうございます。最近こんな事故が続いたけどおかげさまで怪我一つしていません」
僕は小さな劇団とはいえ、照明落下のような事故がそう続くものだろうかと不思議に思う。
奈々子さんは消毒液が乾いたところで、ガーゼを当てて包帯を巻き始めた。
その時、楽屋のドアが開いて、誰かが入ってくる気配がした。
「今日は参ったわね。もう少しで奈々子さんが怪我をするところだった。」
「でも、あり得ないでしょ。この劇場の照明なんて、そう簡単に落下するような作りではないのに。」
ドアから入って来たのは劇団員の女性二人だった。
「ちょっと絵里ちゃん。さっきのお客さんの治療をしているみたいよ」
「え、うそ」
絵里と呼ばれた女性は劇中では奈々子さんと関わる場面が多い準主役級の人だった。
もう一人のツインテールの髪型をした童顔の女性は、僕たちの近くまで来ると山葉さんをのぞき込んだ。
「大丈夫でしたか、せっかくご来場頂いたのに、申し訳ありませんでした」
「莉子ちゃん包帯の巻き方こんな感じで良いかな」
奈々子さんは、山葉さんにお詫びの言葉をかけているツインテールの人に聞く。
彼女は莉子さんというらしい。
「うん、良いと思いますよ」
莉子さんがうなずいて見せた。
傷の消毒も出来たので、僕たちは帰ることになったが、山葉さんは立ち止まって奈々子さんに言う。
「申し上げにくいのですが、あなたには霊が取り憑いていますね」
「え、私に霊が取り憑いているのですか」
奈々子さんの反応は、怖がっているよりむしろ、怪訝に思って聞き返している感じだ。
「私は青葉というカフェで働いているのですが、お店まで来ていただいたら、浄霊のための祈祷ができます。良かったら来てくださいね」
山葉さんは奈々子さんに名刺を渡した。
「あら、この界隈のお店の方だったんですね。そういえばチケット買ってもらったのも駅の東の方だったし」
彼女が憶えていたので僕は少し嬉しくなった。
その横で名刺を一緒に見ていた莉子さんが奈々子さんに囁いた。
「奈々子さん、最近変な事故が多いからお祓いしてもらった方いいかもしれませんよ」
「そうね。皆が気になっているならお願いしてみようかしら」
二人が僕たちの方を見たとき、僕は奈々子さんの片眼だけが光っているような気がした。
何だろうと思って、見つめていたので彼女に気付かれてしまった。
「片眼が光っているのでしょう。私は、先天性の白内障だったので手術をしているのです。」
「人工レンズが入っているのですよね」
莉子さんが事も無げに口を挟んだが、僕は気が咎めた。
「すいません。詮索するつもりはなかったんです」
「いいんですよ。気にしないでください」
彼女は穏やかに答える。
結局奈々子さんをはじめとする三人の劇団員は、ぼくらが劇場を出るまで送ってくれ、途中から男性の団員も加わり、山葉さんを先頭にぞろぞろと連なって歩くことになった。
「今回の劇の題名はエラリークイーン作品のオマージュですか」
歩きながら山葉さんが尋ねる。
「ええ、脚本の樋口君がエラリークイーンのファンなので最初はWの悲劇にする予定だったみたいです。でも、そのタイトルの映画や小説が既に出ていたようでタイトルの決定に苦労していたみたいです」
「商標みたいに登録がある訳ではないのですが、演劇用のシナリオも含めてネットで検索したら、アルファベットの全ての文字が使われていたのです。仕方がないのでギリシャ文字から取りました」
樋口さんが苦笑しながら話す。エラリークイーンの人気は根強いようだ。
話しながら歩いているうち劇場の出入口があるロビーに着いた。
収容人数の割に手狭に見えるロビーには、初演日だけに花輪や贈り物が所狭しと並べられている。
「さっき、私に霊が取り憑いていると言われたけど。それは私の叔母ではないかしら」
奈々子さんは山葉さんに問いかけた。
「ほう。どうしてそう思われるんですか」
「私を育ててくれた叔母が昨年亡くなったんです。今彼女が私に残してくれたマンションに住んでいるのですが、時々隣室に彼女がいるよう気がすることがあって」
奈々子さんは途中で言葉を濁した
「ハッキリとはわからないのですが、女性のようだから叔母さんかもしれませんね」
山葉さんの言葉を聞いた奈々子さんは少し考えてから山葉さんに告げた。
「お祓いを頼むかまだ決めていないけど、明日の夜カフェに伺っていいかしら」
「もちろんです。お待ちしていますよ」
山葉さんが笑顔を浮かべた。
山葉さんでも心霊系の話を普通の人にするときは勇気がいるのかもしれない。
劇場を出た僕と山葉さんは連れだって街を歩いた。
「ウッチー、私が晩ご飯をおごるよ」
「え、いいんですか」
「チケットのお礼だよ。ウッチーが誘ってくれたおかげで演劇を見ることが出来た」
彼女は僕を連れて、近くのカフェに入った。多国籍の料理が売りのようで、案内された半個室的な席はアジアンテイストな作りで下北沢の土地柄になじむ雰囲気だ。
「カフェ青葉のライバル店の一つですね」
「自ずと客層は違うけどね。他店に来るのも勉強になるよ」
彼女はコース料理ではなく適当に料理をチョイスして外国のビールをオーダーした後、未成年の僕のためにソフトドリンクもオーダーする。
ウエイターが運んできたハードシードルでビールを手にした彼女と乾杯するのは、子供扱いされたようで内心面白くなかったが、口にしてみるとハードシードルはビールよりも僕の好みに合っていた。
運ばれてきたアジア料理は、香辛料が効いた味が美味しい。
「カフェ青葉が休みの日にこの辺のレストランで食事をするのが好きなのだ」
彼女がトムヤムクンを口に運びながらつぶやいたので僕は思わず言った。
「おひとり様で食べ歩きするんですか」
彼女はトムヤムクンの器から顔を上げずに上目使いに僕をにらむ。
「おひとり様で悪かったな」
「いえ、悪くはないですけど。」
僕は考えもなく地雷を踏むような発言をした自分を呪いながら、形勢の挽回を図る。
「これからも時々、僕と一緒に食事に行きませんか」
山葉さんの顔に戸惑ったような表情が浮かんだが、やがて彼女ははにかんだように微笑んだ。
「ありがとう。誰かと一緒に食事をしたほうがおいしいからね。でも、いつも奢ってあげるつもりはないよ」
僕の言葉は婉曲に彼女に交際を申し込んでいるようなものだが、彼女の答えは意図的にはぐらかしたのか、彼女が筋金入りの天然系だと示しているのか定かではない。
それでも、拒絶されたわけではなく発展の余地があることで僕は気をよくした。
次に運ばれてきたのはタコとパクチーのサラダにパッタイと呼ばれるタイ風の焼そばだった。
「カフェ青葉のランチメニューにタコライスが登場する時があるけど、僕は最初本物のタコを使った料理だと思っていました」
僕が少し受けを狙って話題を振ると彼女はタコライスネタに食いついた。
「実は私もそうだったのだ。勘違いして大量のタコを仕入れてしまい細川さんを困らせたことがあるよ」
僕はタコサラダを食べている途中で手が止まってしまう。
「それでどうなったのですか」
勘違いだけならよくある話だが、飲食店レベルの材料の仕入れでは大変な損害になりかねない。
「細川さんがランチメニューの内容をタコメインのパエリヤ風ご飯とガルシア風タコ料理に変更した。メニューの上ではタコライスのままで出したら、お客さんには受けていたみたいだ」
僕は細川オーナーの柔和な顔を思い出した。彼女はどんなトラブルでもすんなり解決できそうな機知の持ち主だ。
「山葉さんが会社勤めを辞めてカフェ青葉で働き始めた時はすぐに仕事に馴染めたのですか」
僕は彼女の過去に興味をそそられて尋ねた
「前にも話したが私は大学卒業後出版社に勤務していたが、いろいろあって会社に行けなくなっていたのだ。細川オーナーは私の状況を見抜いて雇ってくれたのだが、最初は失敗ばかりしていたよ」
山葉さんは笑って首を振って見せた
「山葉さんが失敗していた何て信じられませんよ」
僕にとって、カフェの仕事では彼女はお手本以外の何者でもない。
「それは努力した結果だ。結局私には都会のOL生活が合っていなかったのかもしれない。思い切って仕事を変えてみたが、その決断は後悔していないよ」
人には仕事の向き不向きもあるし、一緒に仕事をする場合の相性もある。細川さんと山葉さんは、互いに仕事のパートナーとして向いていると感じたのかもしれない。
「僕も細川オーナーと山葉さんは互いに補い合えるパートナーとしてうまくいっていると思いますよ」
僕は自分が彼女のパートナーになりたいと告げたいが、そこまで踏み込む勇気はなかった。
「ありがとう。そう言ってもらえるとなんだか嬉しい。私はカフェの仕事を頑張るのと同時にいざなぎ流の祈祷を使って人の役に立ちたいと思っているのだ」
僕は彼女の志に感心しながら、山葉さんの二の腕に巻いた包帯が目に留まった。
奈々子さんが大仰にまいた包帯はなんだか痛々しく見える。
「さっきの照明落下事件はもしかして奈々子さんに取り憑いている霊の仕業なのですか」
山葉さんはしばらく考えていたが、今日の出来事と自分の知識を照らし合わせるようにゆっくりと話す。
「そうとは限らない。霊が物を動かせることは希だからね。だが、問題の霊は舞台の間、妙な動きをしていたのも確かだ。本人が祈祷を受けに来てくれたらその正体を明らかにできるかもしれない」
彼女はトールグラスに入ったビールの匂いをかいでから半分ほど残っていたのを一気に飲み干した。
食事を終えると山葉さんは井の頭線で渋谷に出て買い物をするというので、僕もそれに同行した。
僕がお出かけするテリトリーは池袋界隈が中心で最近、新宿や下北沢が新たに加わったが、渋谷あたりにはあまり馴染みがない。
「ウッチーを買い物に付き合わせるのはなんだか気の毒だ。今日はバーゲン品を探しに来たから時間がかかるよ。」
「そんなことありませんよ。ゆっくり買い物をしてください」
山葉さんは道玄坂界隈のブティックを覗いて回り、試着もしながらじっくりと品定めをして時折気に言った品物を購入する。
僕は少々退屈しながらも次第に増えていく買い物袋を抱えて彼女のあとをついて回り、土曜日の午後は平穏に過ぎて行った。
翌日の夕方、カフェ青葉でアルバイトをするために僕は再び下北沢駅を訪れた。
少し日差しが強くて喉が渇いたので、僕はコンビニに入り、お茶のペットボトルを買うことにする。
何の気なしに見るとレジを打っていたのは奈々子さんだった。彼女もお金を渡すときに僕に気がついたようだ。
「あら、昨日はありがとう」
「ここで働いていたんですか」
僕は劇団での華やかな雰囲気とのギャップを感じながら彼女に尋ねる。
「時間があるときは時々バイトを入れているの」
おつりを渡しながら彼女は微笑んだ。下北沢界隈の劇団では出演料だけでは生活できないので劇団員がアルバイトに明け暮れているのはむしろ普通のことのようだ。
「今夜祈祷を受けに行くから彼女によろしくね」
ぼくはうなずいてレジを離れた。レジには他の客も並んでいるから長話は出来ない。
カフェ青葉ではいつもどおりの時間が流れていった。夕方の七時を回って、客足も減り始めた頃に奈々子さんと莉子さんが店に現れた。
「いらっしゃいませ。まだ食事のオーダーも出来ますよ」
テーブル席に座った彼女たちに僕がメニューを渡すと莉子さんが残念そうに叫んだ。
「しまった。開演前に軽く食べたからがっつり食べるとカロリーオーバーしてしまう」
「そうね、今日は飲み物だけにしましょうか」
結局、二人はカフェラテを注文した。
山葉さんが作ったカフェラテを僕が持って行くと、奈々子さんが相好を崩した。
「この猫のラテアートかわいい。ちゃんと前足をカップにかけているし」
「どうして、私のラテアートはタヌキなのですか」
莉子さんが不満げに口を尖らすので僕は慌てる。
「いや、それは山葉さんが気分で描いているから僕は何とも言えないです」
二人がカウンターの方を見たので山葉さんも気がついて手を振った。
「昨日話してもらったお祓いの件だけどお願いしたいと思うの」
奈々子さんがメニューのお祓い関連ページを見ながら言った。
「劇団のみんなも、安心して劇に専念できるようにお願いしたいって、カンパしてくれたんです。」
莉子さんがバッグから小銭がたくさん入っている雰囲気の封筒を出して見せた。
「わかりました。彼女の準備に必要な時間を聞いてきますから少しお待ち下さい」
僕はカウンターに戻って山葉さんに奈々子さん達の意向を告げた。
「わかった。すぐに準備をするから十分ほどしたら「いざなぎの間」に案内してくれ」
彼女は僕に告げると店のバックヤードに姿を消した。
僕はご祈祷の申込書を持って二人のテーブルまで戻った。
「十分ぐらいかかりますからもう少しお待ち下さい。こちらの申込書にご記入をお願いします」
奈々子さんがうなずいた。
僕が他のテーブルを片付けて食器類をカウンターに運んでいると、奈々子さん達が申込書を持ってカウンターに来た。
いつの間にか十分経過していたようだ。
店の奥にあるいざなぎの間に案内すると、山葉さんはすでに巫女姿に着かえて準備を整えていた。
彼女と目線が合ったので軽く会釈をして二人を引き渡すと僕は店内に戻る。
店内に戻ると僕はカウンターの下でタブレットを起動するとこっそりと遠隔操作でビデオの録画を始めた。
Wifi経由で録画画面も見られるのだが余計なものを見てしまいそうなので、画面は見ないことにした。
タブレットから顔を上げるとカウンターのスツールに新しく来たお客さんが座っていた。
四十才前後に見える女性で、黒っぽいスーツを着ている。
セミロングのヘアスタイルがきれいに整っていて格好いい雰囲気だ。
「すいません。今準備します」
「いいのよ、今来たところだから」
僕は水の入ったグラスとおしぼりを出しながら。注文を聞いた。
「カプチーノを頂くわ」
口角が上がった表情で注文してもらうと、受ける方も気分がいい。僕は初めて見るお客さんに好印象を持った。
少し離れたところにいた細川さんにオーダーを通して、元に戻って食器を片付け始めた時、カウンターのお客さんがつぶやいた。
「今時はカフェで巫女さんがお祓いをしているのね」
彼女の目線の先には、山葉さんの巫女姿の写真が載っているお祓い関連のページを開いたメニューが置いてあった。
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