Abraham Armstrong

 エイブラハム・アームストロングはアメリカの宇宙飛行士としてファーストネームもファミリーネームもあまりに出来過ぎているので、名前で船長に選ばれたのではないかと陰口を叩かれたが、実際のところ非常に優秀であり、月への着陸をノートラブルで完了させた。


 エイブラハムは乗組員の代表として、宇宙服を着て人類と地球生物のデータが詰まった黒い箱を持ち、月面に降り立った。その瞬間、例のあまりに有名な言葉が脳裏をよぎった。


「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」


 飛躍か、と箱を持ちながら月面で思う。あの時、エイブラハムと同じ姓を持った船長が”one giant leap”という言葉にこめたのはどんな思いだったのだろうか。まさか人類がこんな羽目になるとは思っていなかったに違いない。この自分の一歩、人類の遺言が込められた箱を月に置くための一歩は果たして”飛躍”なのだろうか。


 そこまで考えたが、間もなくしてまあ飛躍でよかろうと一人頷いた。人類はその生きた証を宇宙に残すのだから。この箱が果たして孤独な墓標になるか、やがてここを訪れる異星人へのギフトとなるかは分からないけれど。


 クルーと一緒に箱を月面に据え付けていると青い地球が視界に昇って来た。宇宙飛行士たちは全員それぞれの感慨をもってそれを見る。あの星には束の間の狂騒と悲嘆がある。文明の崩壊、人類の死滅、それは避けがたい。


 だが、エイブラハムは黒い箱をそっと撫でると、その惑星に向かって手を振った。

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人類の遺言 辰井圭斗 @KeitoTatsui

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