Assia East

 NASA長官アーシャ・イーストは歴史学者キース・クロウリーと面会していた。アーシャは長官という立場から多忙の身だったが、月面に運ぶ歴史データの受け渡しのためにキースがNASAに来たものだから少しばかり時間を割いて応対することになったのだ。NASAはキースにアメリカ全史の執筆という途方もない依頼をしたのであり、無下にはできなかった。


 白髪頭をした七十代の小男であるキースは指で眼鏡を押し上げる。


「大体ね、アメリカ全史を一人に書かせるなんて無茶なんだよ」

「仰る通りです。先生」


 アーシャは受け取ったばかりのデータを手ににこやかに相槌を打った。反論している時間は無い。それにキースの言うことももっともなのだ。だが他にどんなやりようがあった? 歴史学者の合議やアンソロジーで歴史を書かせている暇は無い。世界各国の歴史学者に依頼を出した段階で期限は四年をとうに切っていたのだから。むしろ出来合いの歴史書だけ宇宙船に載せる話すら出ていたところ歴史学界の精鋭たちに新規書下ろしをさせたのだからひどく贅沢な話だ。それだけ、この計画には夢をかけていた。


「それに僕らはネイションなんて近代的思想の産物から離れて歴史をやろうとこの数十年努力してきたわけだよ。なのに、人類最後の歴史書としてそれぞれの国の歴史学者が一国史ナショナルヒストリーを書かされるなんてひどく皮肉な話じゃないか」

「仰る通りです。先生」

「まあ、この駄目さ加減が人類らしいのかもしれんがね」


 反論をしている時間も議論をしている時間も無い。さっき副長官のジョンが部屋に入ってきて「巻きで」と合図している。何か起こっているらしい。しかし、アーシャはこのアメリカ最高の歴史学者にどうしても聞きたいことがあった。


「先生、人類は駄目だったのでしょうか」

「駄目だよ、全然駄目」


 キースは首を振って、アーシャは失望する。しかし、やがてキースは再び眼鏡を押し上げつつこう言った。


「でもさ、ある意味愛しかったよね」


 それを聞いてアーシャは心の底から晴れやかに笑んだ。


「本日はありがとうございました、先生」


 アーシャが部屋から出ると、副長官のジョンが耳打ちをしてきた。


「大統領が通話をしたいと」


 このタイミングで? 何事だろうかとアーシャは思う。大体アーシャはあの大統領が嫌いだった。どうせまた無茶を言ってくるに違いない。そして結局のところアーシャの予感は当たった。ビデオ通話を繋ぐとその男は開口一番こう言ってきたのだ。


「長官、月に行く宇宙船に人を乗せたまえ」

「無茶です、大統領。それに不要です。無人船で十分目的は果たせます」

「別に七十億人乗せろとは言ってないんだ。最低限の人数でいい」

「どういうことか、お考えをお聞かせねがえますでしょうか」

「いいかね、長官、この月面計画は人類最後のエンターテインメントなのだよ。人類の歴史を、我々がこの宇宙に生きた証を月に残すのだ。しかし、それを運ぶ宇宙船が無人とはいかにも侘しいと思わんかね。やはり人の手で運んでこそだろう」

「宇宙飛行士を無駄に危険にさらす計画には同意しかねます」

「最終的に君がノーを言うことはできないよ」


 通話が終わった後、アーシャは机をハイヒールで蹴った。


漫画コミックみたいな大統領はドナルド・トランプでお終いだと思ってたわよ!」


 ジョンはアーシャを宥めた。


「まあまあ、長官。我々合衆国の歴史は漫画のような大統領に満ちていましたよ」

「あー、もう! 本当に人類って駄目ね」


 ジョンはにやりと笑う。


「ある意味愛しいと思う余裕がある内に計画を完遂させましょうか」

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