第6話 酒盗と塩辛とゆかいな仲間達
車の外、郊外に向かう国道に寄り添う建物達が次第に小さなものに変わり、誠にもここが都心部と呼べるものではなくなったことが分かった。
「そういやー、オメー。職場環境とか聞かねーんだな。結構大事だと思うんだがな。アタシは。まあ、酒盗でも詰まってんだろ。カツオの内臓の塩辛だ。慣れると良いもんだぞあれも」
突然ぽつりとランがそう言った。
「日本酒党なんですね、中佐は。職場環境って……何か問題でもあるんですか?」
誠がそれとなくランに言ってみた。頭の頂点しか見えない運転しているランの後ろ姿だが、その頭の頂点が驚いたようにピクリと動いた。
またしばらく沈黙が流れた。
「やっぱ、言わなきゃだめだよな……言わなきゃ。次は乾きもので行こうと思ったけど……」
そう言うランの口調は完全に言いたくないという心の起伏を表していた。
「しゃーねーなーあの『馬鹿娘達』と『ゆかいな仲間達』の話はうちじゃー避けて通-れねーからな。うちにゃー馬鹿がいる。特にその中の三匹……いや、他に一匹ひでーのが……割り算できない馬鹿がいてさー。隊長は……あの『プライドゼロ』は別格だな……」
ランはとてつもないことを迷いつつ言った。
「あの……『馬鹿』とか『ゆかいな仲間達』とか『割り算できない』とか『プライドゼロ』とかクバルカ中佐。無茶苦茶言ってません?」
ただひたすらランの言葉に冷や汗をかきながら誠はつぶやく。
「なーに。隠し事なんてーのはいつかばれるもんだ。たぶん主要な馬鹿はオメーとやたら絡むことになる。そんでだ……」
一度ランは誠を振り向いた。そして、誠の顔に困惑の表情を見ると再び前を向いて運転に集中する。
「多分、オメーはそいつ等は常識外れの馬鹿だ。パワハラ、セクハラ、その他社会問題になるようなハラスメントのターゲットにオメーはなる。かわいそうに」
ランはひどいことを言った。その内容の通りの職場が実際にあるとしたら、すぐにそれに対応できる連絡先に連絡するべきだ。そう思う程度の常識は誠にもある。
「冗談……ですよね?」
恐る恐る誠は運転に集中しているランにそう言ってみた。
一瞬時が停まった。しばらく低速で走っていた車が、前の車が停止するタイミングで止まる。そして、満面の笑みを浮かべてランが振り返った。
「おい!能無し!テメーみてーな落ちこぼれに人並の職場が待ってるとでも思ったか。オメデテーな。クズにはクズにふさわしい居場所があるってことだ。そこに空いてる席があるから、アタシはそこにテメーみてーなクソ馬鹿を座らせる。その為にアタシは今、車を運転している。アタシがさっきうちが馬鹿しかいねーカスの集団だって紹介したのは、そいつ等に会ったとき、テメーみてー無能が卒倒しない為のアタシなりの配慮だ。そのくらい察しろ、低能」
悪口雑言の限りをその可愛らしい口から吐くとランは怯えた表情を浮かべる誠を満足げな笑みを浮かべながら上から下まで眺め、そして再び前を向いてハンドルを握りなおした。
さすがに温厚篤実が自分の数少ない長所であると自覚している誠でもここまで罵られれば怒る。
『なんだ?この餓鬼……こいつがあの遼南内戦共和軍のエース……別人が来てるんじゃないのか……このチビがクバルカ・ラン中佐本人だって言う証拠は見せてもらってないじゃないか……単なるコスプレした餓鬼が粋がってるだけなんじゃないか……下手をすると今運転してるのだって免許があるかどうか怪しいな……』
誠の目は冷たいものに変わる。
「……神前……まあいいや。若いオメーに分からないことがある。それを全部説明するほどアタシは親切じゃねーからな。でだ、オメーに悪さしそうなアタシの部下達。まー、言っても信じちゃくれねーだろうが、その悪さは悪気でやってるわけじゃねーんだ」
車はまっすぐ進む。
「悪気じゃない?」
悪気じゃなくハラスメントは迷惑以外の何物でもない。その矛盾を指摘するタイミングを誠は図っていた。
「かばう義理はねーが、連中は悪人ではない……まあ例外がいるから全員そうだとはアタシも言わねーが、あの馬鹿共全員には歓迎すべき人間を見抜く才能がある。まー大概けっかはその人間に迷惑しかかけねーが、その歓迎してやろうって思った人間の為を思ってやってるんだ」
その声は子供だが、その口調はまるで誠を教え、導こうとしている師のそれであった。だが、今の誠にはランは口の悪いインチキな餓鬼にしか見えなかった。
「それで、セクハラとかパワハラとかその他もろもろのハラスメントをするんですか?その善意とやらで」
誠は自分の言葉に敵意を込めてそう言った。
「だから、そう感じたらうちを辞めてもいーって最初に言ったじゃねーかバーカ。上官になるかも知れねー人間がしゃべってんだ。全部聞いて、ちゃんと覚えろ能無し!イカの塩辛でも詰まってんだろ!その頭!冷酒用意しろ!それを肴に一杯飲んでやる!」
相変わらずの口の悪さ。完全にやる気をなくした誠は視線を窓の外に移した。
要するに自分の状況は最悪だ。まあ、何を考えているか分からない。目の前のちびっ子の上司をしている嵯峨に向けて、このちびっ子ほどではないが、自分の知っている最大限度の悪口を言ってから出ていこう。最低でもそのくらいのことはしたい。誠はそのことだけを考えて窓の外を見ていた。
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