最終話
ショートホームルームが終わり、下校の時刻となった。周囲がだらだらとクラスメイト達と話している中、俺はいそいそと帰り支度をしていた。
今日は何を隠そう、俺と先生が付き合ってから初めて行われる授業だ。それに、先生のマンションで会って以来、初めて顔を合わせる日でもある。楽しみでないはずがなかった。
どんな顔をして会えばいいのだろう、どんな顔をして授業をするのだろう。そんな事を今日は一日中考えては、顔をにやけないようにするのに必死だ。
先生と付き合う事が決まって以降、俺には勉強疲れというものがないらしく、フルスロットルで毎日勉学に励んでいる。惚れて通えば千里も一里と言うが、今の俺はまさしくそんな感じだろう。彼女のいる大学までどれだけ険しく遠い道のりであろうとも、彼女と共に大学生活を送れるのであれば、頑張れる。
帰り支度をしていると、スマートフォンが震えた。LIMEのメッセージのようで、ポップアップで送り主の名が表示されていた。送り主は『三枝結月(先生)』だ。何の用事だろうと思って慌ててメッセージを見ると、思わず目を見開いた。
(……マジかよ)
ちょっと内容が予想もしていなかった事だったので、暫く固まってしまった。何にせよ、もっと急がなくてはならなくなったので、教科書をカバンの中に突っ込んで席を立った。
「おーい、結城! 一緒に帰ろうぜ! あ、飯田もな!」
焦る俺の気持ちを他所に、佐々岡が声を掛けてくる。どうして飯田瞳も誘うのかわからないけれど、彼女は彼ではなく何故か俺に対して「ふん!」と顔を背けるのだった。
「あたしは帰らないわよ。バイト辞めて予備校通う事にしたから」
「へー! 飯田、志望校決めたの? お前テキトーに入れるところで良いって言ってなかったっけか?」
飯田瞳は佐々岡の問いに対して、俺をぎろりと睨んでから、
「明大! 絶対受かってやるんだから」
と宣った。まるで宣戦布告である。
「あれ? 明大って、結城と一緒じゃなかったっけ?」
佐々岡が俺と飯田を見比べて不思議そうに訊く。
彼女は顔をかっと赤くしたかと思えば、佐々岡の問いかけを無視して、さっさと一人で教室から出て行ってしまった。
飯田が先日返された模試の結果を見て、俺に大敗してショックを受けていたのは知っていたけれど、同じ大学を目指していたのは初耳だった。
「何でお前飯田にあんなに嫌われてんの?」
「知らないっつーの……」
そういえば、文化祭の時に先生を見てショックを受けていたけれど……もしかして、先生に嫉妬した? いや、それで俺が怨まれる意味がわからないのだけれど。
「まあいいや、一緒に帰ろうぜ」
「あ、悪い。俺、今日は人待たせてて」
時刻を見て、そのまま席を立った。ちょっと待たせてしまっている。急がないと。佐々岡が「あ、おい! まさかカテキョか!?」などと呼び止めているが、無視である。
教室から出る際、廊下側の席だった神崎勇也と目が合った。隣には恋人の双葉明日香がいて、何か談笑している最中だったようだ。
神崎は俺と目が合うと、口元に笑みを浮かべた。俺が急いでいるところを見て、色々察したのだろう。俺も笑みを浮かべ返してやる。俺達のそんなやり取りを見て、双葉さんは首を傾げていた。
そのまま俺は廊下に飛び出て、昇降口を目指す。
先生と付き合う事になった翌日、実は神崎にだけ結果を報告してある。彼には話しておくべきだと思ったからだ。
きっと、神崎が発破を掛けてくれていなかったら、俺は今日もうじうじ一人で悩んでいただろう。そして、今日の授業を怯えながら迎えていたはずなのである。
神崎に言われた通り、あの日彼女に会いに行ったからこそ、彼女の本音を引き出せたのだと思う。もし先生もあのままずっと一人で考え込んでいたら、別の結論を出していた可能性だってあったのだ。神崎には感謝しかなかった。
「おめでとう、やったじゃないか! 本当によかったよ」
俺の報告を聞いた時、神崎はこう言ってくれた。俺の恋の成就を心の底から祝ってくれているようだった。
正直に言うと、報告をするのは少し躊躇った。彼は家庭教師との恋に破れ、深く傷ついた過去がある。そんな彼に対して、自分だけ上手くいったと報告するのは嫌味になるのではないだろうか、と思えたのだ。それを彼に言うと、「バカだな」と一笑に付された。
「君の為ってだけじゃないよ。君がその先生と結ばれてくれたら……僕の後悔も、少し和らぐ気がしただけだから」
彼は笑みを浮かべてそう言っていた。それは強がりではなく、きっと本音だったのだと思う。
神崎の失恋の話もその時少しだけ聞かせてもらった。ただ、それは思った以上に辛いものだった。
彼が恋をしていた家庭教師は、元カレとの子を身籠っていて、その子を産む為に寄りを戻したのだという。夢も将来も、そして神崎との恋も諦めて。神崎はその残酷な事実の前に、自分の気持ちすら伝えられなかったそうだ。だから彼は俺に、気持ちを伝えろと強く言ったのだろう。
ただ、一歩違えば俺もそうなっていた可能性はあった。先生にも──ろくでもない奴ではあったが──元カレが一応はいたのだから、可能性はゼロではない。
彼の気持ちがわかるだけに、その話を聞いた時は酷く落ち込んだものだ。
「まあ、でも……今の僕には、明日香がいるからさ」
神崎はそう言ってから、こう付け加えた。
「僕は僕で幸せになるし、
柔らかく穏やかな笑みだった。不思議と、今まで感じていた諦観のような感情はそこからは感じなかった。
これが、先生との交際を伝えた時に、彼と交わした会話だ。
(あいつは……本当に大人で、かっこいいんだよな)
昇降口で靴に履き替えながら、大きく溜め息を吐く。
彼が大人になった理由、大人にならざるを得なかった理由を垣間見て、そう痛感した。そして俺は、自らの子供っぷりに嫌気が指すのだった。
まあ、今は良い。これからも彼とは友人でいたいと思うし、相談にも乗ってもらいたい。それは変わらないのだから。
俺は逸る気持ちを押さえて、校門を目指す。
そして校門を出たところには──気まずそうにもじもじとしながら、俺を待っている人がいた。きっと下校中の生徒からちらちら見られて恥ずかしかったのだろう。
「先生、すみません。お待たせしました」
そう声を掛けると、彼女は驚いて顔を上げ、ぱぁっと表情を明るくするのだった。
「……来ちゃった」
はにかみながら、彼女はそう口にした。まるで、いきなり彼氏の家に遊びに来た彼女のような口ぶりだ。
「──って言ったら、恋人っぽい?」
言ってから恥ずかしくなったのか、くすっと笑って誤魔化す先生。
「っぽいんじゃなくて、恋人なんですよ、俺達は」
そう言ってから、先生の手を取って指を絡めてやる。
「……うんっ」
彼女はやっぱり嬉しそうにはにかんで、しっかりと手を握り返してくるのだった。
白昼堂々先生と手を繋ぐのはもちろん初めてだ。しかも、学校の通学路。高校の制服を着た俺が、大学生風の女の子と手を繋いでいると、やはり下校中の同じ学校の生徒からはちらちらと見られた。でも、もう今の俺はそれを恥ずかしいと思う事もなかった。誰に何と言われようとも、俺達は付き合っているのだから……誰にも文句を言われる筋合いはない。
ちなみに、先生がこうして俺を迎えにきたのには理由がある。今日、先生は本来なら夕方まで講義があって、その後俺の家に直行して家庭教師をするはずだった。しかし、午後の講義が休講になってしまって、時間を持て余していたそうだなのだ。それで、どのみち今日は家庭教師でうちに来るので、一緒に帰らないか、と誘ったのである。尤も俺は、駅前で合流すれば良いとばかり思っていたのだが、先ほど『学校の前まで来ちゃった』とLIMEが入っていたのである。
「どっちにしろ会えるのに、何でわざわざ学校まで来たんですか?」
「その、早く会いたくて。迷惑だった……?」
「ぐふっ」
恥ずかしそうに上目遣いで言うものだから、危うく吐血しそうになってしまった。
付き合い始めてから、先生の天然小悪魔っぷりは更に成長を遂げているのではないかと思う。
「迷惑じゃないですよ。どっちかっていうと嬉しかったです」
滅多にない事ですし、と付け加えた。
先生だって暇ではない。家庭教師以外にも、学校では講義補佐のバイトも行っている上に、ゼミの勉強もかなり忙しいみたいだ。それに、講義が休講になる事も滅多にないらしい。
こうして家庭教師がある日に休講になって、尚且つ他に用事がない日など、そう滅多にある事でもないのだ。
「ほんと? よかった……実は、ちょっと不安だったりして」
先生が安堵の笑みを浮かべて微笑みかけてくる。
その笑顔を一瞬でも早く見れるなら、こっちは大歓迎だ。
「ほんと言うとね、湊くんの学校から一緒に帰ってみたかったの」
「何でですか?」
「……一緒の学校に通ってるみたいだから」
またこっちの顔から火を噴く事になった。先生は先生で自分で言って恥ずかしそうにしているし。一体何のコントだ、これは。
「そんなの、来年からいくらでも出来ますよ」
俺が明大に受かれば、の話だけども。いや、絶対に受かってみせる。ここで落ちたら、あまりにも格好が悪い。もはや俺の明大合格は義務なのだ。
「うん。あと少しだから、頑張ろうね」
きゅっと手を握って、先生が言った。
何だかそれだけで全てが満たされた気持ちになってきて、受験でも何でも来いと強気になれる。いや、大切な人がいると、人は強くなれるのだ。俺は今、それを実感していた。
(それにしても……)
こうして一緒の通学路を手を繋いで歩いていると、なんだか本当に──
「なんだか本当に一緒に下校してるみたいだね?」
まるで俺が考えている事を読み上げたかのように、先生が言った。
驚いて隣の彼女を見ると、先生は俺を見上げて、嬉しそうににこにこしていた。どうやら、同じタイミングで同じ事を考えていたようだ。
笑みを交わした瞬間、木枯らしが吹いた。思ったより風が冷たくて、無意識にその風から彼女を守ろうと、身を寄せる。先生がそのタイミングで顔を上げたので、俺達はそのまま見つめ合う形になってしまった。
「先生、キスしていいですか?」
すぐ目の前に最愛の人がいて、どうしようもなく彼女が愛しくなり、そう口走っていた。
今は周りに生徒もいないし、人が少ない住宅街だ。家に着けば母親の手前、また生徒と家庭教師の関係に戻らなければならない。
おそらく、OKしてくれるだろう──そう期待していたのだけれど、その予想は外れた。先生は悪戯な笑みを浮かべて、そして残酷にもこう言い放ったのである。
「今度の模試の〝ご褒美〟で、ね?」
(了)
──────────────
【後書き】
https://kakuyomu.jp/users/kujyo_writer/news/1177354054894047818
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