第60話

「落ち着きました?」


 先生がようやく落ち着いてきた頃合いで体を離して訊いてみると、「ん」と小さく頷いた。口元に片手を当てている仕草が可愛らしい。


「……湊くんこそ、こんな私でいいの?」

「はい? 今更ですか?」


 いきなり脈絡のない事を訊いてくる。

 さっきまで散々口付けておいて、何を言い出すのだ。


「だって……私、あんなに。名前、囁かれただけで……自分があんな風だって思ってなくて」


 恥ずかしい、とまた顔をかぁっと赤らめて俯いてしまった。

 やっぱり……さっき感じちゃった、のかな。それで恥ずかしくなって、泣いちゃった、とか……?

 そういえば、ご褒美の時も体を震わせている時があったけど、あの時もそうだったのだろうか。もしかして、先生って感じやすかったりして。訊いてみたいけど、さすがに野暮だ。


「普段も名前で呼んだ方がいいですか?」


 訊くと、じぃっと先生が上目で睨んでくる。睨んでるつもりなんだろうけど、可愛さしかない。


「まだ、だめ……心臓持たない──じゃなくて」

「え?」

「本当に私でいいの? 私が悩んでたのは他にもあって……やっぱり、同じ高校で同じクラスの子とか、もっと距離の近い子の方がいいんじゃないか、とか……年上だとおばさんだって思われるんじゃないか、とか──」

「先生が良いです。っていうか、先生じゃないと嫌です」


 なんだかグチグチと面倒な事を言い出したので、一刀両断で切り伏せた。

 彼女の並びたてた理由なんて、全て俺にとってはどうでも良い事なのだ。俺にとって、女性とは──先生か、先生以外かの二種類しかないのだから。例えば他の女の子がどれだけ条件が良くても、それは〝条件〟というオプションとしか見れない。本当に人を好きになれば、それらの条件などどうでも良くなってしまうのだ。


「恥ずかしがりなところも、可愛いところも、実はちょっとドジで天然入ってるところも……キスで感じちゃうところも、全部好きですよ」

「~~~ッ!」


 最後の一言が余計だったのか、枕でおもいっきり殴られた。


「まあ、冗談は置いといて──」


 また枕で殴られそうになったので、慌てて言葉を濁して身を守る。これでは話が進まない。


「告白した時も言いましたけど、俺、もっと色んな先生が見たいんです。俺にしか見せないところも、普段見せてる顔も……まだ全然見てないですから」

「湊くん……」

「でも、さっきみたいなのは良くないので、先生も無理しないで下さいね」


 苦い笑みを漏らしてそう伝えた。


「俺も、女の子と付き合うの、その……初めてなんで。どこまで進んで良いのかわからないところもありますし、嫌なら嫌って言って下さい。先生に泣かれるのだけは、嫌なので」

「……うん」


 先生は安心したのか、柔らかい笑みを浮かべて、俺の胸に背中からもたれかかってきた。そして、こちらを振り向いてはにかんでいる。なんだか甘えているみたいで、可愛かった。

 そんな彼女を後ろからそっと抱き締めて、その髪を存分に嗅いだ。


「俺、こうしてるだけで幸せです。もう、ずっと先生の事、離したくないです……」

「うん……私も。ずっとこうしてたい」


 先生が俺の右手を握ってそう言った。

 バックハグは相手を包み込める感じがして、とても好きだ。でも、一つだけデメリットもあって……相手の顔が、見えない事だ。きっと先生は今、凄く可愛い顔をしているに違いないのに、それが見れない。

 先生の顔が見たかったので、左手を先生の右頬に添えて、もう少し後ろを向かせる。恥ずかしそうにしている彼女の瞳は、相変わらず雫を零しそうなほど潤んでいて、頬も赤かった。それが最高に愛しくて、自分の中にある気持ちが抑えられなくなる。


「他の事は……お互い慣れるまで、我慢します。でも……キスだけは、していいですか?」


 その瞳を見ているだけで切なくなって、愛しくなって……さっきあれだけしたのに、先生の顔を見ているだけでまたキスがしたくなって、収まりがつかなかった。

 先生も同じ気持ちのようで、切なげな瞳のまま、ゆっくりと頷く。

 

「うん……いいよ。いっぱいしよ?」


 彼女が恥ずかしそうに微笑むと、それを合図として互いに瞳を閉じて顔を寄せ合い──ゆっくりと唇を重ね合った。

 それから俺達は飽きる事なく、何度も何度も口付けを繰り返した。せめて今だけは、時間も立場も悩みも全部全部忘れてしまって、眼の前の彼女だけを見て、お互いの心を通わせていたかった。

 色々なすれ違いや誤解、そして想いを乗り越えて──俺と先生が、初めて心を通わせた日なのだから。

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