第8話 先生、それはずるいです。
「話を戻すけど──」
先生が時計を見て、そう切り出した。休憩時間がそろそろ終わる頃合いだったのだ。
もっと先生の昔話を聞きたかったのだけれど、俺にはそれ以上訊く権限がない。それに、先生と俺はただの家庭教師と生徒の関係だ。プライベートに足を突っ込んで良い理由がない。
「再来週に予備校の模試受けるって言ってたじゃない? 志望校いくつか決めておいた方がいいんじゃないかなって」
「あ、そうですね……」
志望校……全然考えた事がなかったけれど、そろそろ考えておかなければいけない時期だ。先生と同じ大学に通いたいけれど、彼女の通う明大は偏差値が高い。今の俺にはかなり難しい大学だ。
「次の模試も七割超え目指そうね!」
そんな俺の不安を知ってか知らずか、先生がガッツポーズを作って、笑顔で言った。
模試……試験……ご褒美……って、ダメだ! また邪な事を考えてしまった。
せっかくこうして重い本まで持ってきてくれているのだから、先生の気持ちを汲んで、真剣に勉強しないと──と思った矢先である。
「あ、そうだ! 頑張ったらまたご褒美とかも……」
名案だ、とでも言わんばかりに楽しそうに言う先生の言葉に、思わず「え!?」と声を上げてしまう。聞き捨てならない言葉が出てきた。
「先生、今ご褒美って言いませんでした!?」
がばっと立ち上がって先生に詰め寄るようにして訊くと、彼女は「ひゃっ」と驚いたような声を上げていた。
俺の真剣な顔を見てから、先生は一瞬固まって、ハッとして自らの口を両手で押さえた。自分の失言に気付いたのだろう。
「ち、違うの……! そ、そういう意味じゃなくて、その……ッ」
そして顔を赤らめて、俯いてしまった。
なんだこれは。わざとなのか!? 天然なのか!? 小悪魔なのか!? そういう意味じゃないなら、一体どういう意味で言ってるんだよ!
「わ、私が言ってるのは、もっと普通の……ッ! 普通のご褒美の事ッ」
顔を真っ赤にして慌ててぶんぶん首を振る彼女があまりに可愛らしくて、その両手をがしっと掴んでしまった。
「先生!」
「は、はい!」
何故か先生が驚いて敬語になってしまっている。
「次の試験でも……七割超えたら、あのご褒美、欲しいです……!」
じっと先生の瞳を見て、真剣に伝える。
彼女の顔がどんどん前みたいに赤くなっていって、瞳も潤んできている。そんな彼女を見て、心臓がバクバク高鳴らしながら返答を待った。
俺は調子に乗り過ぎなのだろうか。こんな事やってたって、きっと関係なんて何も進展しないのに。でも、彼女と距離を縮める方法が今の俺にはこれしか思いつかなくて。昔の話やプライベートに踏み込めないなら、こうしてこんなご褒美に縋るしかないのだ。そんな自分を情けなく思いつつも、今俺の立場でやれる事といったら、これくらいしか思いつかない。
「そのご褒美だったら、もっと頑張ってくれる……?」
先生は恥ずかしそうに上目でこちらを見て、小さな声でそう訊いてきた。
「はい! 絶対頑張ります。もっと……絶対に!」
「うん……わかった」
そのまま先生と目が合う。彼女は瞳を逸らさなくて、その大きな瞳には俺が映っていた。俺の瞳にも、先生が映っているのだろうか。
そのまま、そっと顔を近づけていくと……先生も瞳を閉じて、顎を少しだけ上げてくれた。
そして、少しだけ触れる程度の軽いキスをした。
「ご褒美……ちょっとだけ先払いするから、次も頑張らなきゃダメ、だよ?」
固唾を飲み、もう一度こくりと頷いて目を閉じる。すると、先生がもう一度だけ優しいキスをしてくれた。
目を開けると、そこには顔を赤らめながらも優しく微笑んでくれている先生がいた。
──先生、それ反則だよ。もう絶対に点数を落とせないじゃないか。
嬉しくて昇天しそうな気持ちを抑えながら、心の中でそんな不満を呟くのだった。
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