第12話 ごめんなさい。調子に乗りました。

「先生……?」


 キスをやめて先生の顔を見てみると──そこには、息を荒げて頬を上気させ、涙目で何かを欲するような瞳があった。

 本当に欲しているのかはわからない。でも、そういう風に俺には見えてしまって……彼女のその瞳を見た時、何かがプッツリと切れてしまった感覚に陥った。

 そのまま後ろのベッドに先生を押し倒して、彼女の顔を挟むように、両手を突いた。先生は何かを堪えるようにぎゅっと股を閉じて、息を荒げて俺を、見据えている。

 大好きな人にそんな瞳をされて、理性で自分を律せるほど、俺はオトナじゃなかった。そのまま先生に覆いかぶさって、一心不乱で唇と口内を蹂躙した。彼女はただ、そんな乱暴な口付けをただ受け入れてくれていた。

 唇から首筋へと移って、初めて唇以外の場所にキスをする。夏場で汗をかいていたのか、彼女の首筋は少しだけしょっぱかった。

 先生は抵抗しなかった。それどころか、そうして襲い掛かるようにキスをする俺の頭を優しく抱えてくれたのだ。


(どうして、そんなに優しいんですか、先生……!)


 何だか、泣きたくなってしまった。

 どうして先生がここまで許してくれるのかわからなくて、そうして許してくれるから、自分がキスだけで止まれなくなりそうで、恐かった。ダメだと思う反面、もっと進みたいという本能が鬩ぎ合う。

 自分の理性が脆くも崩れ去っていく様を感じながら、そのまま肩にかかったカーディガンに手を掛けた瞬間──自分の血の気が一気に引いていくのがわかった。

 先生は俺を抱き締めてくれているけども……その肩は、恐怖で震えていたのだ。いや、恐怖なのかはわからない。でも、そう感じてしまうほど、可哀想な震え方をしていた。

 慌てて顔を離すと、彼女は瞳を潤ませたまま、どうしたの、とでも言いたげに首を傾げて不思議そうな表情をしていた。相変わらず、肩を震わせたまま。


「先生……ごめんなさい」


 それに気づいた時、俺は謝っていた。申し訳なくて、死にたくなった。彼女はおそらく、無理をして応えてくれていたのだ。


「湊くん……? いきなりどうしたの?」

「先生、家庭教師だから……本当は勉強に付き合ってくれる事だけが仕事のはずなのに、なんか俺、自分の欲望ばっかりぶつけちゃってて……挙句に、怖がらせちゃってて。ほんと、調子に乗ってました。ごめんなさい」


 自分の欲望をぶつけて、大好きな人を怖がらせてしまっていた──その事実がショックだった。

 キスしたい、もっと先生と先に進みたい……そんな欲望に支配されて、最も大切なものを見失っていた。彼女に相応しいだとか、身の丈に合う合わない以前の問題だ。男として……最低だと思ってしまった。


「……そんな事、ないよ?」


 先生は起き上がって、乱れた髪を直すように手で押さえていた。絡んで髪がくしゃっとなってしまっていたので、手櫛を通して、そっとそれを直してやる。先生は「ありがとう」と優しく微笑むと、俺の手を取って、じっとこちらを見据えてくる。


「ちょっとさっきは怖かったけど……でも、湊くんはきっと、私の嫌がる事はしないって思ってるから」

「でも、さっき震えて──」


 俺がそう言おうとした時……先生が、それを言わせないようにするように、俺の口を自らの唇で塞いできた。一度離して、またもう一度、恥ずかしそうに唇を重ねてくる。


「もう大丈夫だから……そんな顔しないで」


 照れ臭そうに優しく微笑んで、彼女は俺の頬を指で撫でた。

 どうしてこの人は、こんなにも優しいのだろう。その理由が全くわからなくて、ただ頷くしかなかった。


「あ、そうだ。今度の日曜日って、模試なかったよね? 湊くん、空いてる?」


 暗くなってしまった雰囲気を吹き飛ばすように、唐突に先生が明るい声で訊いてきた。きっと、気まずくならないように気を遣ってくれているのだろう。


「あ、えっと、空いてますけど……?」


 カレンダーの日付を見て、怪訝にそう返す。


「この前、LIMEで参考書選びがわからないって言ってたでしょ? 一緒に見に行こっか」

「えっ……は、はい!」


 ちょうど神崎と図書室で会った日、自分の勉強法に自信が持てなくなって、相談のLIMEをしたのだ。まさか彼女の方からこんな申し出があるとは思ってもいなかった。


「私が使ってたやつ以外にも、湊くんに合う参考書あると思うし……色々二人で見て回ろ?」

「でもそれ、カテキョの仕事超えてるんじゃ……?」

「いいよ、私がしたいだけだから。それとも、私と一緒に歩くの、恥ずかしい?」


 先生が少し不安げに訊いてくる。

 いや、どうしてそこで不安がるんだよ。不安なのはこっちの方なのに。


「ちがっ! 全然、そういうのじゃなくて……その、むしろ嬉しい、ですけど」

「よかった。恥ずかしいって思われてたら、ちょっとショックだったかも」


 先生はくすっと笑ってから、乱れた服を直していた。そこにはいつもの優しい彼女がいて、震えも止まっていたので、ほっと胸を撫で降ろす。どうやら最悪の事態にはならずに済んだらしい。


「じゃあ、まだ時間あるし……模試の見直し、しよっか」


 ちらりと時計を見て、彼女が言う。


「え、あ、はい!」


 先に立ち上がって先生の手を引いて起こしてあげると、彼女は「ありがとう」と照れたようにはにかんでいた。

 とりあえず、大きく道は踏み外さずには済んだ。受験の用件ではあるけども、外で会える事にもなったし、少しは進展できたと思っていいのだろうか。

 ただ、もう何が進展で何が後退なのか、わからない。

 ──もし仮にあのまま突っ走っていたら、先生はどこまでなら許してくれたのだろう?

 もう答えはわからないけれど、そんな疑問がふと浮かんでしまうのだった。

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