第51話 葛城桜

「えっ? 戸高市に引っ越せって? 嫌よ、生臭ジジイ」


「久しぶりに会った、か弱い祖父に対し酷いではないか。年寄りは労わるものだぞ」


「誰がか弱いのよ。全然年寄りじゃないし。お坊さんの親玉が」


「拙僧は、あくまでも無間宗の総代にして、日本除霊師協会の会長にすぎぬ」


「胡散臭い除霊で詐欺ってるね」


「詐欺は酷いな。それに、桜は見えるようになったのであろう? 霊の類を。偶然の事故で頭を打ったせいで」


「……幻覚だったらよかったのにね」




 私の名前は葛城桜(かつらぎ さくら)。

 都内に住む高校二年生だ。

 家族は公務員の父とパート主婦の母で、どこにでもいる普通の女子高生だと思う。


 ところが、私の母方の祖父は仏教のとある宗派のお坊さんにして、除霊師の協会の会長であった。

 私は霊なんて微塵も信じておらず、母も霊感の欠片もないから、お坊さんにならず……女性だからお坊さんじゃなくて尼僧さんか……父と結婚して普通に暮らしていた。


 私にも霊感なんて一切なかった……のだが、先月自転車に乗って通学している時に車と接触してしまい、転倒して頭を打ってしまった。

 幸い、軽い脳震盪を起こしただけで済んだが、それ以降霊が見えるようになってしまったのだ。


 最初は事故の後遺症で脳に損傷ができ、幻覚が見えるようになってしまったのかと思ったけど、やはり私もこの生臭ジジイの孫だったというわけだ。

 そんな私の話を聞いて、ドヤ顔で大喜びする生臭ジジイ。

 私にお坊さんの婿でも取らせて、お寺も除霊師業も継がせるつもりなのかしら?


「桜は外的なショックで、いきなり除霊師としての才能に目覚めてしまったわけだ。これを上手く制御できないと、最悪悪霊に憑り殺されるであろう。ゆえに、早急な鍛錬が必要となる」


 私は否が応でも、この生臭ジジイの思惑どおり除霊師になるしかないわけだ。

 少なくとも、除霊師として力をつけなければならない。


「別に除霊師になるもならないも自由だがな。ある程度力をつけておかなければ、今の桜は一番危うい状態にあるのだぞ」


 悪霊は、自分たちがよく見える人間に憑りつこうとする。

 さらに、悪霊に対する防御が薄い人間を好む。

 まさに今の私というわけね。


「鍛えた結果、桜の実力では除霊師としてはやっていけない可能性だってあるのだ。桜も甘いな」


「私が生臭ジジイの孫でも?」


「代を経るごとに除霊師の実力低下は問題になっている。拙僧の孫だから優秀な除霊師になれるなんて、祖父の七光り的な発想は危険だぞ」


「わかりましたよ」


 将来除霊師になるもならないも、とにかく悪霊に憑りつかれやすい現状をなんとかしなければ、近い将来呪い殺されてしまうかもしれない。

 生臭ジジイの言いなりは嫌なのだけど、ここは転校を承諾するとしよう。


「了承してくれたか。では、お祝いに焼き肉にでも行こうか」


「いつも思うんだけど、お坊さんが肉とかいいの?」


「うちは大乗仏教なのでな。そういう細かいことは気にしないのだ」


 生臭ジジイは、焼き肉屋でビール飲むの好きだからね。

 仏様の罰が当たらないのか心配にはならないけど、普段も自分のお寺のことはお祖母さんや副住職さんに任せて除霊か、除霊協会の仕事ばかりしていると聞いた。

 正直、本当にお坊さんなのか怪しく思ってしまうくらいなのだから。


「私、弓道は辞めないわよ」


「安心するがいい。その高校にはちゃんと弓道部があるのでな」


「ならいいけど」


 実際のところ、私はそんなに優秀な選手ってわけじゃないけど、好きなものを辞めさせられたら嫌だものね。

 どうにか、除霊師としての訓練と弓道を両立しないと。


「引っ越し先はどうなるの?」


「それについては、ちょっとある人物と相談していてな。上手くいけば、超高層マンションの最上階ぶち抜きの部屋に住めるぞ」


「気が利いているわね」


 そんなセレブな物件に住めるなんて、実は思っていた以上に生臭ジジイは稼いでいるのかしら?

 なにしろ除霊師協会の会長だものね。


「引っ越しの準備が終わったら教えてくれ」


「わかったわ」


 そのあと、引っ越し祝いの前渡しということで焼き肉をご馳走になったのだけど、相変わらず生臭ジジイは大量に肉を食らい、何杯もビールを飲み干していた。

 というか、本当にお坊さんがそれでいいのかしら?

 仏様の罰が当たらなければいいけど。




「……はあ……面倒だな」


「裕ちゃん、仕方ないよ」


「急に呼び出して配置するなんてね。岩谷彦摩呂のせいよ」


「そうよね。あいつは死ねばいいと思うわ」




 早朝、学校に行こうとしたら、日本除霊師協会から緊急連絡が入った。

 なんでも、除霊し損ねた『|祟り猪(たたりしし)』が暴走しているそうで、俺たちに除霊してほしいらしい。

 俺は、祟り猪の除霊なんてC級の仕事じゃないと言ったんだが、『もう今日から、あなたたちはB級です。今は暫定B級というのが正しいですけど』と言われてしまい、戸高市北部にある山林の入り口に立っていた。

 いきなり俺たちをB級除霊師にしてしまうなんて、確実にあの会長の仕業であろう。

 そして俺たちにこんな仕事が押しつけられたのは、やはり確実に岩谷彦摩呂と戸高高志のせいだ。

 あのお札不足の余波で、突然発生した祟り猪に購入制限のあるお札を使いたくなかったのであろう。


 祟り猪とは、要するに死んだ猪が悪霊化したものだ。

 主に天敵である肉食獣に殺されかけたり、狩猟で負傷させられ、暫く苦しんでから死んだ猪が祟り猪と化す。

 彼らは苦みながら殺された恨みを晴らすべく、暴走しながら山谷を駆け巡るのだ。

 その昔、ニホンオオカミが仕留め損ねた猪が祟り猪と化して人間に被害を出してしまい、そのせいでニホンオオカミが人間から恨まれ、絶滅してしまったという理由も存在したというのは、除霊師協会では有名な話だったりする。

 今では、熊に負傷させられるか、狩猟で仕留め損ねた猪が祟り猪と化すことが多い。

 祟り猪は暴走し続けるため、よくハンターが負傷したり、最悪死ぬこともあるのだが、一般的には事故死扱いにされる。


 いまだに霊を信じていない人たちへの配慮というわけだ。


 そして、祟り猪は除霊師に人気がない。

 中級レベルの悪霊なのに、山谷で発生してしまうので、除霊の報酬が極端に少なかったからだ。

 土地や建物に居つく悪霊なら、その持ち主からの多額の報酬が期待できるが、山谷で発生した祟り猪を誰が除霊するか。

 財政難である国や地方自治体は渋く、かとって放置すれば被害が拡大してしまう。

 仕方なしに、指名された除霊師がほぼボランティアで除霊することが多かった。

 完全に貧乏クジな依頼なのだ。


 さすがにお札代くらいは出るが、せめてそのくらいは出さないと赤字の依頼なんて受けられるかということでそうなっている。

 ちなみに、お札代の負担は日本除霊師協会であった。


 そんな祟り猪なので、今のお札不足のおり、無理して依頼を受ける除霊師など一人もいなかった。

 俺たちを指名したのは、俺と涼子がお札を書けるから。

 それと、今の俺たちは『暫定B級』であった。

 元々B級への昇格には悪霊一体の除霊が必要なので、これがその試験ということにすれば辻褄は合うわけだ。


「裕ちゃん、北から来るね」


 久美子はこちらに迫り来る祟り猪の気配に気がついたようだが、祟り猪はわかりやすい憎悪を霊力に乗せて周囲に拡散しているので、察知しやすかった。


「さてと、誰がやる?」


「私が髪穴で除霊すれば、お札代もかからないわ」


 祟り猪の除霊に、涼子が立候補した。

 彼女は除霊師には珍しく霊器を持っているので、これで除霊すればお札代はかからないというわけだ。


「あの会長、涼子か裕に除霊させればお札代がかからないから指名したと思うな」


 それしかないだろうな。

 里奈の推察に、俺たち全員がそう思わずにいられなかった。


「では、私が……ちょっと! あなた危険よ!」


 祟り猪を迎え撃とうとした涼子は、その走行ルート上に立ちはだかった少女に注意をした。

 彼女は俺たちと同じく戸高第一高校の制服を着ており、ショートカットと久美子よりも低い身長、それほど変わらない大きさの胸が特徴で……そんな彼女の後姿に、俺はデジャブを感じていた。


 そしてそのデジャブが気のせいではないとわかったのは、彼女が大きな弓を持ち、番えた矢で祟り猪を狙っているをの見たからであった。


「葛城桜か……」


 忘れもしない、彼女も俺と一緒に向こうの世界で死霊王デスリンガーと死闘を繰り広げた。

 彼女は弓の名手であり、多くの死霊やアンデッドを除霊したのを思い出す。


 とはいえ、それは別の世界の葛城桜であり、今俺の視界にいる葛城桜とは別人であった。

 同じく弓道はしているようだが、残念ながらその腕前はそれほどでもないようだ。

 そういえば、向こうの世界で一緒に戦った彼女も最初はそうだったのを思い出す。

 そして……。


「涼子、あの弓矢。普通の弓矢だよな? 弓道の競技用の」


「矢じりの先にお札が刺さってるから、それで祟り猪を狙っているんだと思う」


「当たるかな?」


「無理ね。裕君は当たると思っているのかしら?」


「まさか」


 彼女は、向こうの世界で一緒に戦った彼女と別人であり、弓の腕前もそれほどではない。

 動く的に矢を当てるのは非常に難しく、あの隙のある構え方では、よほどの奇跡でも起こらなければ当たらないであろう。

 なにより困ったのは、祟り猪が涼子ではなく、自分を狙っている葛城桜に攻撃目標を変更したことであった。

 祟り猪は、遠距離用の飛び道具である弓矢を構える葛城桜の方を脅威と判断したようだ。


「裕君!」


「わかった」


 まったく、葛城桜が余計なことをしてくれたので、こちらの作戦が狂ってしまった。

 このまま涼子が迎え撃てば終わる話だったのに、祟り猪が進路を大幅に変更したせいで、涼子の応援が間に合わないではないか。


「久々に全力だ!」


 俺はレベルアップのおかげで、素早さなどが常人を遥かに超えていたが、この世界ではそこまで能力を駆使する機会もなかった。

 今が、久しぶりの全速力というわけだ。


 俺はそのまま葛城桜を救援すべく、全速力で彼女の下へと走り出した。


「裕ちゃん、速っ!」


「いけるよね? 私だって、少しは除霊師として鍛錬はしたんだから」


 全速力で救援に向かおうとしている俺の目前で、肝心の葛城桜は『当たるだろう』とお札を刺した矢を放った。

 ところが、やはり彼女の弓の腕前はさほどでもなく、矢は祟り猪から離れた地面に突き刺さって外れてしまう。


「えっ? 当たらない?」


「当たり前だ!」


 多少弓道を習っていた程度で、全速力で突進してくる猪に矢が当たるわけがない。

 矢を動いている標的に当てるのは、非常に難しいのだから。


「えっ? 私、まずい?」


「ちっ、ちょっと余裕がないな。下がれ!」


「いきなりなによ!」


「邪魔だ!」


 まったく、このまま祟り猪に轢かれてもいいというのか?

 そいつは悪霊の一種ではあるのだが、腐り果てるまで肉体は残っているんだぞ。

 推定百キロ以上の腐った猪に突進されて大怪我をしたくなかったら、今すぐ下がれ。


 そう叫びながら高速で走る俺は、そのまま祟り猪と彼女の間に割って入り、素早く祟り猪に向けてお札を投げつけた。

 そのお札が祟り猪の頭に張りついて青白い炎を出すと、それは体全体へと燃え広がっていく。

 悪霊である祟り猪はこれで消滅するのだが、一つ厄介な問題があった。

 勢いよく突進していた猪の腐った巨体がお札で消えるはずもなく、回避しなければ大怪我をしてしまうからだ。


「えっ? 臭い!」


「ゾンビみたいな特徴もあるからな」


 祟り猪の除霊には成功したが、勢いが止まらないその腐った巨体が葛城桜に激突する直前、俺は彼女を抱えてその進路から外れた。

 レベルアップのおかげで回避に成功直後、いまだ勢いが止まらず滑り続ける腐った猪の巨体が進路上にある木に激突してようやく止まる。

 木にぶつかった瞬間、腐った猪の体が爆ぜてしまい、周囲に腐った肉や内臓をまき散らして酷い臭いを撒き散らしていた。


 祟り猪の除霊が嫌がられるのには、こんな理由もあったのだ。


「大丈夫か?」


「……」


 向こうの世界で一緒に戦った葛城桜ではないが、この世界の彼女もよく性格が似ている。

 最初に、俺たち四人でパラディンのパーティを組んだ時、一人だけ一歳年上だからとリーダー役になろうとしたり、最初はなかなか弓矢の腕前が上がらなくて、それなのにとにかく前に出て戦おうとしたり。

 悪い人ではないのだが、ちょっと向こう見ずな部分があるのは同じだなと思う俺であった。


 それでも、彼女のその押しの強さというか、やる気が死霊王デスリンガー討伐では大いに役に立ったわけで。


 今はただ無謀だったわけだけど。

 いくら除霊師の才能が発露したからといって、ちょっと鍛錬した程度で中級レベルの悪霊に挑むのは無謀でしかなかった。


「今のお前の実力では、祟り猪の除霊なんて無謀だぞ」


「……」


 俺が注意しても、葛城桜は黙ったままであった。

 もしかすると、俺に助けられたのが恥ずかしいとか?

 だが、このような無謀な真似は駄目だと、ここは強く注意しておかなければならないだろう。

 またこんなことを繰り返した結果、次こそは本当に死傷してしまうかもしれないのだから。


「……生臭ジジイ……なにが『お前は天才だから大丈夫だ』よ! 嘘つきやがって!」


 怒りに打ち震える葛城桜であったが、元々背が低く可愛らしい容姿をしているので、あまり怖さや迫力はなかった。

 それにしても、生臭ジジイって誰だ?


 彼女に祟り猪をお札付きの矢で射れば除霊出来ると入れ知恵した爺さん?

 祖父さんか?

 そういえば、向こうの世界の葛城桜のお爺さんはお坊さんで、とある宗派のお偉いさんだとか言っていたな。

 自分や両親は、一切お寺とは関係ないと言っていたけど。

 お祖父さんがお坊さん?

 もしかして!


「なるほど。さすがは、安倍一族に功績を譲れてしまうわけだ。あの程度の悪霊、いつでも倒せるというわけか」


「会長?」


「こんなところで会うなんて偶然だな。広瀬裕」


「……」


 そんな偶然、あって堪るか。

 今回の祟り猪の除霊は、除霊師協会からの緊急依頼ではあるが、同時に俺たちのB級昇格試験……合格することは確実だった……であった。

 当然、会長がその事実を知らないはずがなく、先回りして孫娘を配置、まだ碌に除霊師として訓練していない孫娘をわざとピンチに追いやったわけだ。


 いや違うな。

 もし俺が助けられなくても、会長自身は優れた除霊師なのだ。

 最悪自分が救えばいいという作戦だったはず。


 俺は見事、会長の策に嵌ってしまったわけだ。


「まだ未熟よな。桜は」


「生臭ジジイ! 孫娘を殺す気か?」


「そんなつもりはないぞ。拙僧の除霊師としての実力は、そう捨てたものではない。その前に、今一番の注目株である若手除霊師が華麗に救ってくれたではないか。桜、颯爽といい男に助けられてよかっただろう?」


「会長、ちょっと露骨だぞ」


 こんなんで、葛城桜が俺に惚れるとか、思っているのであろうか?

 どこぞの出来の悪い恋愛シミュレーションゲームでもあるまいし。


「お主が拙僧の可愛い孫娘に惚れたでもいいぞ。そもそもお主、気に入ったからそのまま腕を回したままなのであろう?」


 会長……いやジジイ!

 あんたは今、葛城桜が猪の巨体とぶつからないよう俺が彼女を抱き抱えて回避したのを見ていただろうが。

 わざとらしいにもほどがあるぞ。


「あくまでも救援作業の延長だ!」


 葛城桜を抱き抱えたのにはオフィシャルな理由があり、決して彼女に下心があるわけではない。

 向こうの世界の彼女とだって友人関係のまま終わったし、俺には迫り来る、美少女ではあるがちょっと残念な三人もいる。

 これ以上、そういうのはいらないのだ。


 特に、この葛城桜が会長の孫娘だとわかればな。


「しかしだな。お主、拙僧の孫娘に興味があるからなのであろう?」


「なにがです? 会長」


 このジジイ、油断ならない奴なので言質を取られないようにしないとな。

 ただ、俺も一つ不思議なことがある。


 いまだ葛城桜がほとんど言葉を発していないのと、普通なら彼女や会長に食ってかかりそうな久美子たちまで大人しいことだ。

 俺はなにかをしてしまったのか?


「お主も好きじゃな。気がつかないフリをして、拙僧の孫娘の胸を揉み続けるとはな。若いのだから別に構わないが、なにしろ拙僧の可愛い孫娘なのだ。無料で揉めるとは思っておらぬよな?」


「はあ?」


 思わず声を出してしまった、そう言われると葛城桜を救出する際、左腕を彼女の背中に回したのだが、何分彼女は小さいので手の先がその左胸まで届いても不思議ではない。

 試しに左の手の平を動かしてみると、とても柔らかい感触を楽しめた。

 これは癖になる……じゃなかった!


 これまで、葛城桜が俺に対して静かだった理由。

 それは、俺に胸を触られて怒っていたからだった。

 慌てて彼女を見ると、静かに打ち震えていた。


 そして、これまで静かだった久美子たちも……。


「裕ちゃん! 確かにその子は小さくて可愛いし、胸も結構あるけど、私も同じくらい胸はあるから! 私のを揉みなさい!」


「胸はね。大きければいいってものじゃないの。幸い、私の胸は手の平サイズでちょうどいいから」


「裕、しょうがないわね。グラビア撮影でも人気を博した私の胸を揉んでもいいわよ。そんな胡散臭いジジイの孫娘なんてやめておきなさい。そういうのをハニートラップって言うのよ」


 三人が三人。

 葛城桜の胸よりも、自分の胸を揉めと言い放ち、この瞬間葛城桜の俺に対する印象は最悪なレベルにまで落ちてしまった。

 怒りで打ち震えていた彼女は、伏せていた顔を上げ、俺をニコヤカな表情で見つめ始める。


「三人の女に言い寄られている身で、今日初めて会った私の胸を揉むなんていい度胸じゃないの」


「これは救援の際、背中に回した腕が胸まで行ってしまったという、よくある事故で。ほら、君は体が小さいから」


「小さい言うな!」


 胸は、久美子に負けず大きいけど。

 向こうの世界にいた頃、やはり不可抗力で葛城桜の胸を揉んでしまったことがあるけど、大きさといい、柔らかさといい、まったく同じだな。

 やはり、胸はいいものだ。

 つい無意識にもう一度彼女の胸を揉んでしまった。

 これは本能なので仕方がない。


「でも、胸は大きいから。大きいことはいいことだ」


「あんたに、そんなことで褒められても嬉しくないわよ!」


「ふげっ!」


 なんとか言葉を取り繕ろおうとしたんだが、やはりその程度で胸を揉まれた葛城桜の機嫌が直るわけなく、俺は彼女に全力で往復ビンタを食らってしまうのであった。




「ああ、痛かった」


「裕ちゃん、初対面の女の子の胸を揉んでしまうから。だから、ここは私の胸をね」


「ここはジャストサイズの私の胸の方がいいわ。相川さんの胸は垂れているかもしれないし……」


「私は垂れていません! 女子高生で胸が垂れるわけないでしょうが!」


「どうかしら? 裕、ここはこの中で一番胸の形がいい私のを揉んでおきなさい。どれくらい形がいいのかは、過去に撮影したグラビアからも一目瞭然」


「そういうのって、修正が入るって聞いたわ」


「私のは修正なしよ! 喧嘩売ってるの? 涼子!」


「裕ちゃん、私のは垂れてないからね。触って見ればすぐにわかるさ」


「「抜け駆けすんな! ていうか、〇木か!」」


「……」




 今日は早朝から運が悪いとしか言いようのないアクシデントに襲われてしまった。

 採算性皆無な祟り猪の除霊に始まり、無事B級にはなれたが、別にだからどうってこともない。

 学校に行ったら、葛城桜は美少女転入生ということでクラス中の男子が話題にしていた。

 実は彼女は二年生なのだが、最初男子たちはとてもそうは見えない彼女を一年生だと勘違いし、自分たちのクラスに来ないかなどと、熱く語っていたのだ。


 真相がわかってガッカリしたのもつかの間。

 彼女が弓道部に入る予定だと知ると、なぜか弓道部に入ろうとする男子が多数出現してしまった。

 そういえば、向こうの世界で一緒に戦った葛城桜も、同じような目に遭ったと言っていたな。


 結局弓道部は、弓を引けない奴は入部させないと言って追い出していたが、彼女が除霊師志望だと知ると、この一連の騒動の件でなぜか俺が弓道部の部長から文句を言われてしまい、本当碌な一日ではなかったのだ。


 向こうの世界で一緒に戦った葛城桜とも、俺は最初相性が悪かったからな。

 仕方がないと言われればそれまでだ。


 そんなことがあり、今日は特に用事もないので、放課後すぐに自宅に戻っていた。

 久美子たちの発言は相変わらずだが、銀狐は俺の膝の上で美味しそうにオヤツを食べており、今の俺からすれば銀狐だけが癒しだな。


「お兄ちゃん、私すぐに大きくなるから。そうしたら私の胸を揉めばいいよ」


「……」


 見た目幼女で、実年齢は五百歳超えのお稲荷様は言うことが一味も二味も違うな。

 俺の癒しはいなくなってしまった。


「お兄ちゃん、お客さん」


「みたいだな」


 どうやら、俺たちを訪ねてきた霊力持ちがいるようだ。

 俺と銀狐が最初に気がつき、その直後マンションのインターホンが鳴った。


「はいはい」


 除霊師協会の人でも来たのかと思ったのだが、ドアを開けるとそこには、早朝出会って俺が酷い目に遭った最大の要因、葛城桜が大きなトランクを持って立っていた。


「あーーーっ! セクハラ後輩だ!」


「どうしてここに?」


「また生臭ジジイに騙された! なにが高級マンションの最上階特別室で暮らせるよ! こんな先輩を先輩とも思わないセクハラ男と同居なんて!」


「では、お帰りください」


 向こうが嫌がっているのなら好都合だ。

 葛城桜に関わると会長まで出てきて面倒だから、関わらない方が面倒がなくていい。

 俺と一緒に戦った彼女は別人なので、無理に一緒にいる必要はないのだから。

 それにしても、相変わらず年上に見えない人だな。


「そうね、私も同意見……あっーーー! 私、ここに住まないと東京まで戻らなければ……もう戸高第一高校に転入しちゃったから無理じゃない! あの生臭ジジイめ!」


 どうやら彼女は、他に行く場所がないようだ。

 転入したばかりなのに、これからどうしようかと途方に暮れてしまった。

 ここに住むしかないように持っていくとは、あの会長も性格が悪いな。


「でも変だ。どうして葛城先輩がここに?」


「生臭ジジイが、いかにも自分で高級マンションを用意した風に言うからよ。あいつ、絶対に殴る!」


 別世界の彼女と同じで時に勇ましい発言もする葛城桜であったが、残念ながら背の低さと容姿の可愛さのせいで、これでは会長もビビることはないと思われた。

 以前、別の世界の彼女も『いくら本気で怒っても、周囲の人たちに微笑ましく見られてしまう』と言っていたからな。


 それにしても、いくら除霊師協会の会長とて、いきなり孫娘をここに住まわせる権限はないはず。

 なにしろこの物件は竜神会の所有物で、お坊さんの親戚である葛城桜とは相性が悪かったのだから。


「おう、もう到着しておったか」


「えっ? 爺さん?」


「実は、除霊師協会の会長に頼まれてな。孫娘をここで預かることにしたのだ」


 なんと、葛城桜と俺たちとの同居を了承したのは、続けて姿を現した菅木の爺さんであった。


「おい、爺さん」


「別に同じ部屋の同じベッドで寝るわけでもないし、『男女七歳にして同衾せず』なんて時代でもなかろう。部屋は余っているのだからいいではないか」


 菅木の爺さんめ。

 随分と軽く言ってくれるな。

 確かに、この戸高ハイム最上階にあるエグゼクティブルームには、まだ使っていない部屋が沢山あるけどな。


「爺さん、どういう意図だ?」


「どうもこうも。世の中、持ちつ持たれつなのでな。参禅院岩笑は除霊師協会の会長で、現時点でわざわざ敵に回す必要もない。ついでに言うなれば、彼が総代である無間宗も信者が多いのでな。政治家としては気を使わねばならないのだ」


「議席保持のためかよ!」


「なにを言うか! ワシが議席を持っていなければ、様々な妨害で竜神会はここまで発展しておらぬわ。聖域の守護は、我らに課された使命。そのために、裕と同居する女が一人増えた程度で大した問題ではあるまい」


「俺には問題あるに決まっているだろうが!」


 久美子たちがピリピリするから嫌なんだよ!

 俺の平穏な生活を乱さないでくれ。


「裕は、現時点で今の生活が平穏なものだと思っているのか?」


「それを爺さんが言うか?」


 最大の戦犯であろう、爺さんが。


「しょうがないわね。暫くはここに住むけど、私に手を出さないでよ」


「そんな暇人じゃない」


「なんですって!」


「まあまあ、仲良くしなさい」


「爺さん、善意の仲介者気取りで抜かすなよ」


「ワシは基本的に善性の人なのでな」


「「嘘つけ!」」


 なぜか葛城桜とも同居することになってしまった俺だが、幸いなのは彼女にまったく興味を持たれていない点か。

 果たして俺は、これからどうなってしまうのであろうか?

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