第18話 成仏
「完敗だ……だが納得した」
「お父さん!」
私も含めて安倍一族が誰も気がつけなかった広瀬君の実力に誰よりも早く気がつき、その実力差に絶望し、死後に悪霊となってパワーアップしてまで彼との勝負にこだわった。
そんな人間臭いお父さんを、娘である私は責めることができなかった。
広瀬君には悪いと思ったけれど、でも、彼の圧倒的な実力を見てしまったから、お父さんの気持ちがよくわかるのだ。
わずか十五歳にしてB級除霊師になった。
そんな評価に浮かれていた私が、いかに井の中の蛙であったか。
お父さんの霊圧を受けて膝をついてしまったのは私だけで、広瀬君が鍛えていた相川さんにも除霊師として劣っていることがわかってしまったのだから。
「涼子、さっきは済まなかったな」
「ううん、私が未熟なのは事実だから」
若くしてB級除霊師となり、安倍一族でも十本の指に入る実力者で、将来の当主候補。
私はそういう評価に浮かれていたと思う。
私のお母さんは霊能とはまるで関係がない一般家庭の娘で、そのせいでお母さんはお父さんと結婚できなかった。
お母さんの実家が裕福だったから、母子家庭でも貧しくて苦労したということはないけれど、お父さんが政略結婚した女性と子供たちに気を使って、なかなか会うことができなかったのは辛かった。
私の運命が変わったのは、お父さんがお母さんと別れて政略結婚までした女性の子供たちが、まったく霊力を持っていなかったことにある。
その頃にはお父さんも当主になっていたので、かなり長老連中から嫌味を言われたそうだ。
そして、なぜか私に除霊師としての才能が現れた。
お父さんが、お母さんと別れてまで政略結婚した意味とはなんだったのであろうか?
結局私は長老たちに呼ばれて、除霊師として活動するようになった。
お父さんとは定期的に会えるようになってよかったけど、たまに顔を合わせる異母妹弟たちの恨めしい視線は忘れない。
彼女たちはお父さんの子供なのに、まったくといっていいほど霊力を持っていない。
それでも安倍一族は巨大な組織なので、傘下の企業や組織で働けるけど、肩身は狭いはずだ。
彼女たちは、どうして自分には霊力がなく、お父さんが外に作った子供に霊力があるのだと、私を恨んでいるのだと思う。
でも、私は彼女たちに同情する気にはならなかった。
正直なところ、彼女たちの母親も含めて『ざまあみろ』と思ったくらいだ。
以後、私は努力を重ねて若くしてB級除霊師となった。
自信もあったのだが、悪霊化したお父さんのひと睨みと負の霊力の放出に恐怖し、その場で膝をついてしまった。
私など、生前の父よりも圧倒的に除霊師として劣っていたのだ。
そして、その隣で父の威圧行為をまったく気にしていない広瀬君。
新人C級除霊師で、独自にお札を書けて低級なら怨体を浄化できる、かなり出来る同級生の男の子という認識だったけど、それは私の大きな勘違いだった。
戸高ハイムに巣食う霊団を一掃し、戸高備後守とお父さんの悪霊をいとも簡単に除霊してしまったのだから。
さらに、私とお父さんに最期の時間をくれた。
そんなに格好良くないけど、お父さんによる渾身の一撃を軽くかわしてトドメを入れる強さと、除霊し終わったお父さんに情けをかける優しさ。
私は、彼がどういう人なのかとても気になり始めていた。
彼をよく知ることで、私も除霊師として強くなれるかも……同じくお父さんの威圧をものとしなかった相川さんが……どうしてだろう?
ちょっと彼女が邪魔なような気がしてきたわ。
「涼子は、由美子に似てきたな」
「お母さんに? 私が?」
「ああ、由美子に伝えてくれないかな。『すまない』と」
「お父さん……」
そうだった。
これまで悪霊化していたので実感がなかったのだけど、お父さんはもう死んでいたのだった。
そして今、除霊されてこの世から消えようとしている。
私の目には涙が溢れてきた。
もうお父さんには二度と会えないのだと思うと、涙が止まらなくなってきたのだ。
「せっかく綺麗な顔をしているんだ。泣かないでくれ、涼子」
「お父さん」
「父親らしいことはなにもしてやれなかったが……最後に。広瀬裕。あれはいい男だな。彼にあの神刀ヤクモとやらで斬られた瞬間、私はこれまで彼の祖父広瀬剛に抱いていたコンプレックスが完全に雲散霧消してしまった。彼は素晴らしい除霊師だ。彼について行け。安倍一族とは少し距離を置け」
安倍一族から距離を置く?
お父さんは、安倍一族の将来を悲観しているのであろうか?
「いや、滅ぶことはないが、暫くは振るわないであろうな。当主が悪霊に殺されたという悪評の、A級戦犯が言うのもなんだが……」
初代以降、安倍一族は代を経るごとに深刻化する、除霊師としての実力の低下を組織化などで補ってきた。
それもあって長続きしていたが、今回の当主死亡は安倍一族にとっての大きな契機になるはずだとお父さんは言う。
「一族や家臣筋の人たちのみでは、もう難しくなるだろう。特に我ら安倍一族は、日本で最大の除霊師一族。逃げられない高位の悪霊の除霊もあるのだ」
きっと、戸高ハイムの除霊成功でお父さんの次の当主はすぐに決まるはず。
自分が死ぬかもしれない脅威がなくなったからこその就任承諾となるであろうが、そんな姑息な方法で当主になっても、安倍一族には避けられない除霊というのもあるのだ。
戸高備後守クラスの除霊はそうそうないと思うが、お父さんよりも実力が低い次の当主では難しい局面があるかもしれない。
「安倍一族には暫く受難の時代が続く。涼子、そこで粘っても無駄とは言わないが、もし除霊師としてもっと高みに上がりたければ、広瀬裕の傍から離れるな」
「はい」
お父さんがここまでハッキリ言うことは珍しい。
つまり、広瀬君の傍にいることこそが、私の除霊師としての実力を上げる近道だと確信しているのだと思う。
「安倍一族の長老たちにはこう言っておけ。『広瀬裕を監視します』と。今回の件で、安倍一族は恥をかかされたという見方もある。菅木議員がいるから大丈夫であろうが、長老たちは広瀬裕を意識せざるを得ないであろう。その監視だと言って安倍一族から距離を置けばいい」
もう一つ。
私は、悪霊に殺されたお父さんの娘だ。
これから、安倍一族の中では冷や飯食いになることは確実。
だから先に、広瀬君の監視と称して外に出てしまえばいいというわけか。
「監視と称して、広瀬裕と結婚してもいいぞ」
「なっ! 私は広瀬君にそういう感情は!」
確かに、除霊師としては凄いなとか、もうこれは尊敬に値するレベルだなとか思ったけど、それと恋愛感情は別で。
お父さんの件で、感謝していないわけじゃないけど……。
それはやっぱり、恋愛感情とは違うわけで……。
「お父さんの方が顔もいいわ」
「顔のいい悪いなど、ちょっとした目や鼻の位置の違いでしかない。あれほどの男はそうそう現れないと思うけどな。でも、彼にはあの少女がいるか」
相川さんは広瀬君の幼馴染で、同じく除霊師で、家でも学校でも一緒にいると学校で聞いた。
クラスメイトたちは『広瀬夫妻』と呼んでからかっているけど、相川さんはそれを喜んでいる節があるし、広瀬君も満更でもなさそうな……なんか、腹が立ってきたわね。
「あの才能を凡人どもの嫉妬で潰すのは惜しい。私の遺言だ。ためになるから、彼の傍にいればいいのさ。もう時間だな。私の霊器『髪穴』をやろう。どうせ、優子と一馬には使えないからな」
そう、お父さんが使っていた霊器は、残念ながら私の異母妹弟には使えない。
だから私にくれるのであろう。
「最期に、二人きりで話せてとても楽しかった。涼子は天寿をまっとうしてくれよ。さらばだ」
「お父さん!」
最後にそう言い残すと、父は黒い光の粒子となって完全に消えてしまった。
黒い粒子が天に昇っていく。
悪霊が除霊される時には必ず見られる定番の光景だけど、それが自分の父であった人はとても少ないはず。
父は消えてしまった。
本当は何日も前に死んだのだけど、父が黒い光の粒子となって天に昇っていく光景を目の当たりにして、私はようやく父の死を実感できたのだと思う。
その目には涙が浮かんでいた。
「お父さん、私は安倍一族と距離を置きます」
無責任な判断で父を死に追いやり、挙句の果てに除霊を怖がって誰も当主にならないなど。
元々私は、安倍一族など好きではなかった。
除霊師になったのは、父に会いたかった、認めてもらいたかったからだ。
父のいない安倍一族になど、もうなんの未練もない。
衰退するも滅ぶも、自由にすればいい。
私には一切関係ないのだから。
「広瀬君は、菅木議員に報告し終わったのかしら?」
父を見送ったあと、私は広瀬君のことが段々と気になってきて仕方がなかった。
普段はどこにでもいそうな男子にしか見えないのに、除霊の時には誰よりも冷静で、時には厳しい言葉も吐く人。
でもそれは、その人が悪霊に殺されないための優しさから出ていた。
顔は全然似ていないけど、そんな除霊を行う時の態度がとても父に似ていて……早く彼のところに行こう。
今度は、もうちょっと普通に話せたらいいなと思う。
こういう時、それが自然にできる母が羨ましい。
「お父さん、さようなら」
最後に、父に挨拶をすると、私は広瀬君に会うためマンションの屋上をあとにするのであった。
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