第8話 ご神体復活

「ええと、久美子のステータスはと……」




 無事、葛山刑部の悪霊とゆかいな仲間たち……じゃなくて、彼が率いる霊団を全滅させたので、俺は久美子のステータスを確認してみた。

 すると……。





相川久美子(巫女)

レベル:32


HP:410

霊力:350

力:30

素早さ:35

体力:28

知力:52

運:115


その他:★★★





「能力値は大分増えたね。どのくらい強いのかよくわからないけど」」


「向こうの世界だと、ベテラン兵士くらい」


「微妙ね……」


 それが現実なのだけど、この世界だとかなり強いはずだ。

 B級や、勿論A級除霊師のステータスを見ていないので、正直なんとも言えないけど。

 下級の悪霊をチラシの裏に筆ペンで書いたお札で、中級でも半紙に筆で書いたお札で退治できていたから、もう一人前に近い能力はあると思う。

 あとは、いかに経験を積むかだな。


「これからも、裕ちゃんと一緒に除霊師として活動してもっと強くなればいいのよ。とりあえずここは安全になったから、ちょっと様子を見てみようか?」


「そうだな」


 とはいえ、裏森は普通の森みたいだけど。

 なにか面白い観光地になりそうな、〇ンスタ映えするようなものはないと思う。

 

「でも、葛山刑部の悪霊がいた時とは空気が全然違うね」


「悪霊がいなくなったからだろうな」


 よく心霊物件の中に入ると、そこの空気が淀んでいる。

 そこにいるだけで体が重たい。

 背筋が寒くなる。

 生臭い臭いがする。

 などといった現象に見舞われることが多いが、今の裏森の空気は澄んだ状態であった。

 完全に葛山刑部の悪霊が除霊された証拠といえよう。

 

 森の木々からも、鬱蒼とした重たい雰囲気が消えていた。

 木も生物なので悪霊の影響を受けやすく、悪い雰囲気や空気を纏ってしまうのだ。


「糞池はどうかな?」


「確認してみようよ、裕ちゃん」

 

 さらに森の中を少し歩くと、裏森の中心に糞池があった。

 父からの話だと、水の色は糞みたいに茶色く濁っているという話だったが……。


「綺麗だよね」


「本当だ」


 糞池という名前とは矛盾して、池の水はとても澄んでおり、底の綺麗な砂地から綺麗な湧水も噴き出していた。

 糞池とは似ても似つかない、とても綺麗な池なのだ。

 今までに聞いていた糞池の話とは、一体なんだったのであろうか?


「葛山刑部の悪霊を倒したから、汚いものが消えたのか」


 高位の悪霊や霊団に占拠された土地は、とても汚れることが多い。

 特に影響を受けやすいのは空気と水で、糞池が評判どおりだったのは間違いないと思う。

 ただ、こんな瞬時に綺麗にはならないはず。


「底の砂地から綺麗な水が湧いているな」


「裕ちゃん、池の中心部を見て」


「小さな社があるな」


 ちょうど池の中心部に、小さな社が沈んでいた。

 なにを祭っているのかはわからないが、この社のおかげですぐに水が綺麗になったのであろうか?


「いや、それはないな」


 ただ、糞池を一瞬で綺麗にしたなにかは実在する。

 それはこれから調べなければわからないが、少なくともあの小さな社のせいではない。


「どうしてそう言い切れるの? 裕ちゃん」


「あの小さな社、ご神体が入っていないんだ」


 探ってみたが、俺はあの小さな社からはなにも感じなかった。

 ご神体がいれば、向こうの世界で鍛錬を積んだ俺なら絶対にその気配に気がつくはずなのだから。


「そうだったんだ。ちなみに、裕ちゃんとうちの神社はどうなの?」


「実はなにも感じない」


「えーーーっ! 駄目じゃん!」


 とはいっても、実はご神体の気配を感じない神社なんて珍しくもない。

 あれだけ沢山あれば、祭っているはずの神がいないなんてよくあることなのだから。


「ただ、引っかかるんだよなぁ……」


「なにが引っかかるの? 裕ちゃん」


「あの『裏山』がな」


 葛山刑部の悪霊がいなくなったおかげで、戸高山北側斜面通称『裏山』もその影響力から解放されたはずなのだが、どうもあそこからなにかを感じる。

 うちと久美子の実家の神社から気配を感じないご神体も、あそこになにかヒントがありそうな気がするのだ。


「というわけで、一旦事情を両親に説明して、両神社のご神体のことを聞こうと思う」


「私もその意見に賛成だけど、裏森と糞池のことをどう説明したらいいのかな?」


「正直に言えばいいんじゃないかな? 俺たちで除霊・浄化したからもう安全だって」


「それはそうなんだけど、新人C級除霊師が、突然四百年以上も性質の悪い悪霊に占拠されていた土地を解放したなんて話、信じてくれるかな?」


「実際に見せればいい」


 『百聞は一見に如かず』だし、どうせなにも言わなくてもいつか同業者などによってバラされてしまうであろう。

 その時に慌てて対策するよりも、先に話した方がいいというわけだ。

 なにしろここは、うちと久美子の実家が所有・管理している土地なのだから。


「というわけで、戻って説明しよう」


「結局、それが一番いいような気がしてきた」


「だろう? じゃあ行こうか」


「そうだね」


 俺と久美子は、一旦家に戻って事情を説明することにするのであった。






「はあ? 除霊した? あの葛山刑部の悪霊を?」


「綺麗さっぱりと除霊した」


「そんな簡単に『除霊しました』なんて言えるほど、葛山刑部の悪霊はお手軽な悪霊じゃないぞ」


「そうね。結局亡くなった義父様も、除霊できなくて立ち入り禁止にしていたわけだし」


 まずは俺の両親に事情を説明したのだが、父も母もなかなか信じてくれなかった。

 亡くなった祖父さんですら除霊できなかった葛山刑部の悪霊を、新人除霊師の俺が除霊できるわけがないと思ったのだ。

 なにより、俺の両親に霊感がまったくないのも、裏森と糞池が除霊・浄化されたことに気がつけない原因の一つでもあったのだが。


 いくら霊感がゼロでも、あそこに人が行くとかなりの確率で呪い殺されるので誰も近寄らせなかったから、霊自体の存在を信じていないわけではないが、感じられないというのは、こういう時に事情を説明しても信じてもらえないのでもどかしかった。


「信じてもらうしかないけどね。事実、裏森と糞池は正常な土地に戻った。同業者があの土地に近づけばわかることで、彼らが市役所に報告してから焦って対策する?」


 裏森とその周辺、戸高山北部の土地は、葛山刑部の悪霊のせいでまったく利用できないからこそ、うちと久美子の実家が管理していた。

 市役所側も土地を寄贈すると言われると面倒だから、亡くなった祖父さんとの密約で固定資産税などをゼロにしてあった。

 外部の人間から、裏森が除霊されたと市役所に報告がいけばどうなるか?

 火を見るよりも明らかであろう。


「両神社の家計、大丈夫?」


 裏森やその周辺の山野は、戸高市の中心部からそう離れていない。

 住宅地などに転用可能であり、市役所側が地価を改訂すれば、うちは高額になった固定資産税を払えないであろう。

 そうなれば、裏森を売らなければいけなくなるかもしれない。


「あそこを売って大丈夫ならいいけど」


「いいわけないだろうが。両神社の聖域なんだぞ」


「だから、未成年の俺と久美子には対応できないから報告したんだけど」


 俺がいくら向こうの世界で除霊として強くなっても、まだ高校生でしかない俺にはそういう話はさっぱりなのだ。

 未成年が頑張って対応したとしても、役所から舐められるに決まっている。


「俺と久美子は最悪この神社がなくなったとしても、除霊師として活動できるから問題ないけどね」


「確かに、神社がなくなっても困りはしないかな」


 これがまったく困らないんだよな。

 実家である神社がなくなってしまったら、少し悲しくはあるのだが、大きなショックを受けるかといえばそうでもなかった。


「いや、戸高山と南側麓の両神社、北側麓の裏森と糞池とその周辺の土地。これは一つで聖域なんだ。分割して売るなんてできない」


 戸高山を中心とした領域が聖域なんて話、今初めて聞いた。

 葛山刑部の悪霊に占拠されている土地があるし、両神社にはご神体の気配すらないし、とてもそうは思えなかったのだ。

 

「だから、そうならないように報告に来たんだけど」


「そうは言うがな。私は親父が売れっ子除霊師だった頃を実際に見ているんだ。廃墟になっていた両神社を再建する金を稼いだのも親父だった。その親父ですら、裏森と糞池には手を出せなかった。それをいきなり裕が除霊したなんて言われても、いきなりは信じられない」


 亡くなった祖父さんは、よほど優れた除霊師だったようだな。

 それでもB級が精々で、葛山刑部の悪霊には手を出せなかった。

 それを俺が倒したと言っても、信じてもらえなくて当然というわけか。


「あなた、信じてあげたら? 裕はお義父さんの孫なのよ。才能があるかもしれないじゃない」


「小父さん、実際に糞池を見てみればわかります」


「しかし、あそこは入るだけでも危険なんだ。裕と久美子ちゃんが生まれる前、肝試しで侵入した不良どもが三人も呪い殺されて大変だったんだ」


 父によると、普通の戸高市民でフェンスに囲まれた裏森に入ろうなんて考えるバカはまずいないらしい。

 必ず親などから『入るとほぼ死ぬ』と言われていたからだ。

 彼らは隣の高城市から肝試しで裏森に侵入して呪い殺され、なんと彼らの遺族からうちと久美子の家は訴えられてしまったそうだ。


「心霊関係の話で、しかもあそこは両神社の土地だ。死んだ不良どもは不法侵入で、過去の判例で入った方が悪いということになっていたから助かったが、裁判で苦労したからな。何度も言うが、新人除霊師の『除霊しました』なんて話は俄かに信じられないし、確認で入るのも危険なんだ」


「うーーーむ」


 俺たちと父の意見は平行線を辿り、さてどうしようかと思ったその時、そこに久美子の両親が息を切らせながら駆け込んできた。


「良治! ご神体を見たか?」


「どうした? 孝弘。そんなに慌てて」


 俺の父と久美子の父親は幼馴染の関係で、名前で呼び合うほど仲がよかった。


「ご神体?」


「見ればわかる。戸高神社の方もそうだった」


 みんなで家を出て神社の本殿に入ると、なんとご神体である銅鏡が淡い光を放っていた。


「竜神様たちが、力を取り戻しつつあるんじゃないのか?」


「なぜいきなり……まさか!」


 父は俺を見つめた。

 どうやら、俺の報告を信じてもらえる下地がようやくできあがったようだな。


「良治、裕君がどうしたんだ?」


「裕が、葛山刑部の悪霊を倒したって」


「うちの久美子もそうだが、裕君は隔世遺伝で除霊師になれたんだ。剛さんを超える才能を持っていたとしても不思議ではないのでは?」


「そうなのかな?」


「疑ってばかりいてもなにも状況は変わらない。糞池に確認に行こう。ヤバそうなら深く入らなければいいんだ」


 久美子のお父さんのおかげで、俺たちは無事糞池に確認に行けるようになったのであった。






「これが、糞池……。親父から聞いていたのとはまるで違うな」


「水が正常に戻っているし、中心部に沈んでる社も見えるようになった。なにより、ここまで私たちがなんともない。葛山刑部の悪霊は無事に除霊されたんだな」


 底の砂地から綺麗な湧水が噴き出すようになった糞池の前で、久美子のお父さんは葛山刑部の悪霊が除霊された事実を認めてくれた。


「小父さん、話がわかる。うちの父とは大違いだ」


「そうは言うがな。四百年以上もこの地は悪霊に占拠されていたんだ。そんないきなり正常に戻ったと言われても信じられるものではない」


「良治、実際にこの土地の空気も水も正常に戻った。いい加減認めたらどうだ?」


「認めてはいる。実際に見たからな」


 ようやく父も、裏森が正常になったと認めてくれたようだ。

 

「親父が残したノートに書かれているとおりでもある」


「祖父さんは、そんなものを残していたのか」


「親父は、結局自分では葛山刑部の悪霊を除霊できなかったが、聖域の復活を諦めたわけではなかった。もし将来、自分の子孫が聖域の復活を成し遂げた時に備えて、色々と書いてあるノートがあるんだ」


 父によると、両神社のご神体である銅鏡に輝きが完全に戻った時、戸高山の地下に封印されているご神体、二体の竜神様、赤竜神様と青竜神様が復活するのだそうだ。


「戸高神社と戸高山神社のご神体って、竜神様だったのか」


 竜神様がご神体で、さらに実在している神社などそうはない。

 今はマイナー神社であるが、戸高神社と戸高山神社は実は凄い神社であることが判明した瞬間であった。


「そうだ。うちの戸高神社のご神体が赤竜神様。孝弘ところの戸高山神社のご神体が青竜神様になる」


 ご神体が存在するのに、両神社にその気配を感じなかったのは、戸高山地下に封印されているからだったのか。

 でも、どうして竜神様が封印されたんだ?


「これは、親父も実際に戸高山の地下で確認したわけではないから、あくまでも推察ではあるんだが、親父はそれが真相だと確信していた。不運が三つ重なって、竜神様たちは封印された状態になってしまったのだ」


 戸高山の地下には、かなり大きな地底湖が存在するそうだ。

 その地底湖に、二体の竜神様は住んでいる。

 そして永遠の寿命を持つ竜神様は、数十年おきに寝たり起きたりを繰り返すそうだ。


「葛山刑部の首が糞池に放り込まれ、彼が悪霊になった時、二体の竜神様たちは寝ていたらしい。さらにその少し前に大きな地震があった。この地震に竜神様たちは関わっていなかったから、地震で起き出すなんてこともなかった。まずは、それが不運の始まりでもある」


 その地震により、戸高山地底湖に地下からの湧水が流れ込まなくなった。

 竜神様は、常に綺麗な湧水がなければその力を落としてしまうらしい。


「寝ている時に力を落としてしまい、そこに葛山刑部が悪霊となって裏森と糞池を占拠してしまった。さらに葛山刑部の悪霊は、水の流れを遮断してしまった。糞池が水の色が糞と同じだから糞池と呼ばれるようになった原因でもある。本来の糞池は、地底湖と同じく豊富な湧水で常に浄化されたとても綺麗な池だったのだ」


「小父さん、あの社は?」


「糞池は、元は竜神池と呼ばれていた。あの社は、竜神様に命じられたお稲荷様が竜神池を守るために置かれていたのだ」


 ところが、竜神様が眠っていて、地底湖の水も淀み、さらに葛山刑部の悪霊は竜神池の水の流れも堰き止めて汚してしまった。

 社を守っていたお稲荷様は力を落としてしまい、かといって人間も葛山刑部の悪霊に対抗できるわけがない。

 そのお稲荷様は、別の場所にある社に移されてしまったそうだ。


「守護者であったお稲荷様を失ってしまった竜神池は、その名を糞池などと呼ばれるまでに汚れてしまった。地底湖の水も今は同じような水質か、もしかしたら枯れているかもしれない」


 以上のように不運が重なって、竜神様たちも動けなくなってしまったとのだと、祖父さんは考えていたようだ。

 

「地底湖に行って対策できないのか?」


 その地底湖の地下水の流れを元に戻せば、綺麗な水に浸かった竜神様たちも力を取り戻せるかもしれないというわけだ。

 

「戸高山の地下にある地底湖への道は一本だけだ。裕は定期的に南側山腹の洞窟内にある祠を掃除しているだろう?」


「ああ」


 いつも面倒だけどな。


「北側山腹の同じ高さに、やはり洞窟と祠があるんだ。南側山腹とは違って、北側の洞窟は地底湖へと繋がっているわけだが」


 なるほど。

 地底湖に封印というか干からびている竜神様たちを復活させようにも、これまでは葛山刑部の悪霊が邪魔していたわけだ。

 だから北側斜面も進入禁止だったのか。


「地底湖の竜神様たちが復活すれば、いくら葛山刑部の悪霊でも勝てないからな」


「事情はわかったけど、まずはどうしようか?」


「決まっている。なによりも一番先にしなければいけないことは、竜神様の復活であろう」


 父は、竜神様たちさえ復活させてしまえば、あとはどうにでもなると思っているようだ。

 だが、現実社会にその理屈が通用するかどうかだな。

 この世界では霊の存在が世間に認知され、除霊師という職業が活動はできている。

 だが、必ずしもお上や法に守られているわけではないのだ。

 市役所側だって税収になるとわかれば、密約を無視して裏森の基準地価を上げ、固定資産税を支払えないうちが土地を切り売りするように誘導するかもしれない。

 切り開いた土地に新興住宅地ができた方が、税収が上がって好都合と考える役人たちだっているのだから。


「だからだ。まずは竜神様たちを復活させる。彼らへの対処は大人に任せておけ」


「わかった。じゃあ、早速に」


「裕、休んで明日にしなくても大丈夫なのか?」


「大丈夫。久美子、北側の斜面に行くぞ」


「わかったわ」


「気をつけるんだぞ」


 俺と久美子は、心配する両親たちを置いて戸高山の北側斜面へと向かうのであった。






「大体同じ標高の山腹にあるな。祠もある」


「洞窟は……大分奥まで続いているね」


「そりゃあ、地底湖へと繋がっているからな」


 父の言ったとおり、戸高山の北側斜面の山腹にいつも掃除している洞窟の祠と似たものがあった。

 ここにくるまでに十体ほどの怨体を久美子が退治し、それらがいなくなると北側斜面の空気もよくなったように思う。

 洞窟に入ると祠が置いてあり、祠の後ろに洞窟の通路が続いていた。

 さっそく奥に進むが、洞窟はらせん状に地下へと続いている。


 洞窟内は暗いので、『ライト』の魔法で照らした。

 実はこの魔法、普通の魔法使いが使う『ライト』ではなく、パラディンが弱い死霊やアンデッドを倒すための魔法であった。

 それでも灯りを確保できるので、転用しているわけだ。


「裕ちゃん、この洞窟って誰が掘ったんだろうね?」


「謎だよな」


 人が掘ったのであろうが、なにしろそれを確認する術がないのだ。

 竜神様自身が、そこに住むため地底湖を掘ったというのはあり得なさそうなので、間違いなく洞窟を掘ったのは両神社の創始者であろう。


 戸高山の地下にあるとされる地底湖へ向けて、俺たちはらせん状に下っていく洞窟を歩いていく。

 幸い、怨体や悪霊の残りはいないようだ。

 降りやすいようらせん状になった洞窟は意外と長く、一時間ほどかけてようやく地底湖らしく空間へと到着した。


「戸高山の地下にこんな広大な空間があるなんて」


「凄いな」


 久美子のみならず、俺も驚きを隠せなかった。

 なにしろ、戸高山の地下に縦横一キロ四方、高さ五十メートルほどの空間が広がっていたのだから。


「でも、地底湖はないね」


「水がないんだと思う」


 地下空間には、半分ほどの面積を占める穴が開いていた。

 きっとその穴が、以前は竜神様が喜ぶほど綺麗で豊富な水を湛えた地底湖だったのであろう。

 今は完全に枯れており、さらに少し生臭い臭いもする。

 どうやら、葛山刑部の悪霊が地底湖の水を塞いだのは事実のようだ。


「肝心の竜神様は……」


 竜神様が死ぬことはないので、きっと地底湖の底で干からびているはずだ。

 俺と久美子は、手分けして竜神様たちを探し始めた。


「裕ちゃん! いたよ!」


「本当か?」


 久美子が竜神様を見つけたようだ。

 確認しに行くと、そこには全長十センチほどで、まるで漢方薬の原料のように干からびたタツノオトシゴみたいなものが落ちていた。

 それも二つ。


「どっちが赤でどっちが青かわからないな」


 あまりに干からびすぎているので、ライトで照らしても、どちらが赤竜神と青竜神かわからなかった。


「裕ちゃん、生きているのかな?」


「生きているのは間違いない」


 というか、竜神様は永遠の寿命を持つので死なないからだ。

 今は不運が重なってこんな状態だが、地底湖に水さえ戻れば元に戻るはず。


「それで、地底湖に水を戻す方法ってあるのかな?」


「あるさ」


 俺は、地底湖の中心部に置かれた巨大な石を発見した。

 これこそが、地底湖の水が枯れた戦犯というわけだ。


「この巨石、ちょっと生臭いね」


「葛山刑部の悪霊が封印をしたんだよ」


 最初は、葛山刑部が悪霊になる直前の地震により、あの巨石が動いて水が噴き出す場所が塞がれてしまったことが不幸の始まりだったと思う。

 ちょうど睡眠期だった竜神様たちは石を動かして水流を復活させることもせず、寝たままだった。

 永遠の命を持つ竜神様なので、その辺の危機感がなかったようだ。

 寝ている間に地底湖の水が徐々に枯れていき、同時に竜神様も力が衰えていった。

 そこに葛山刑部の悪霊が入り込んで、あの石を穢れで封印したのだと思う。


「穢れで封印? どういうこと? 裕ちゃん」


「地底湖に水を供給していた入り口は、あの巨石の重さだけで封印されているのではないということ」


 もしそれだけで封印されているのであれば、あの巨石から生臭い臭いはしないはずだ。 

 二重で地底湖に水が入らないようにしておけば、睡眠中の竜神様たちは力を落としていくのみ。

 水が戻れば竜神様は力を戻してしまい、覚醒すれば葛山刑部の悪霊は簡単に消されてしまう。

 だから、葛山刑部の悪霊は二重の封印にしたわけだ。


「だから俺が力を入れても、巨石は動かない」


 今の俺は、レベルアップにより尋常でない力を持っている。

 その力で生き物を直接傷つけることできないのがパラディンなのだが、その気になればあの巨石くらい簡単に持ち上げられる。

 普段は一般生活に支障があるので、大分手加減をしているが。

 

「そうだったんだ」


「手加減を覚えないと、向こうの世界でも生活に影響があったから当然だ」


「そんな裕ちゃんでも、あの巨石は動かせないんだね」


「葛山刑部の悪霊が仕掛けた穢れの封印を解けば別だけど」


 それを怖れて、葛山刑部が悪霊は戸高山北川斜面もテリトリーにしたのだろうから。

 今は奴も除霊されたので、あとは俺が竜神様たちを解放するだけだ。


「まずは、面倒だから治癒魔法で」


 ぶっちゃけ、パラディンならば治癒魔法で心霊関係の穢れや、怨体など簡単に浄化できる。

 気をつけるのは強さの調整くらいであろう。

 強固な穢れには、強固な治癒魔法でないと効果がない。

 子供にでもわかる仕組みだ。


「久美子」


「えっ、そんな急にこんなところで手を繋いでくるってことは……でも、私って結構歩いて汗まみれだから……」


「どういう勘違いだよ!」


 せっかく治癒魔法で浄化するところを見せるのだから、一緒にやって手順を覚えた方がいい思って誘ったんだが……。

 というか、俺は色魔か!


「手を繋いで、穢れで封印された巨石に両手を置く。治癒魔法を流すから、それを俺と繋いでいない方の手から、巨石に放出してくれ」


 俺だけが両腕を広げて治癒魔法をかけるよりも、久美子と手を繋ぎ倍の範囲に治癒魔法を広げた方が、威力の低い治癒魔法で巨石の穢れを浄化できるからだ。

 いわば、久美子が電線のような役割を果たすわけだ。


「もう一つ。久美子は結構レベルも上がった。治癒魔法をその身に直に流せば、治癒魔法を覚えられるかもしれない」


 その身に直に治癒魔法を受けるのも、治癒魔法を覚える一つの方法だからだ。

 治癒魔法の適性は、元からの才能と、レベルアップにより使用できる条件に達するケースと二つある。

 久美子が治癒魔法を使えるとすれば、それは後者の可能性しかないというわけだ。


「体を楽にして、俺から流れてくる治癒魔法を体中に満たし、繋いでいない方の手で巨石に流す。できるな?」


「大丈夫。私の体も青白く光った」


 時間にして三十秒ほどでであろうか?

 久美子は、俺から受け取った治癒魔法を繋いでいない方の手から巨石に流すことに成功した。

 どうやら、レベルアップにより治癒魔法の才能に目覚めたようだな。


「あっ、本当だ! その他に治癒魔法って書いてある!」




相川久美子(巫女)

レベル:32


HP:410

霊力:350

力:30

素早さ:35

体力:28

知力:52

運:115


その他:治癒魔法




 俺も確認してみたが、久美子には治癒魔法の才能があるようだ。

 もしレベルアップしていなければ、永遠に覚醒することもなかった能力であるが。


「あとは、さらなるレベルアップと治癒魔法の訓練が必要だな」


「私、頑張るよ!」

 

 自分に治癒魔法の才能があると知って、久美子はとても喜んでいた。


「それ自体も嬉しいけど、私が裕ちゃんの傍にいても、あまり足手纏いにならないで済みそうなのが嬉しい。一緒に除霊師の仕事を続けられるのも嬉しいんだ」


「久美子」


 我が幼馴染ながら可愛いことを言うなと思っていると、不意に彼女は目を瞑った。

 ここには二人だけしかおらず、さっきも久美子はあんな勘違いをしていたし……。

 ここは、健全な男子高校生(実年齢は二十前だけど)として、キスくらいしておいてもいいよなと思う。

 きっと俺たちは相思相愛なのだから。

 念のため周囲に誰もいないこと確認してから、俺を目を瞑って久美子とキスしようとした。

 

「(あと少しで久美子の唇に……)」


「おーーーい! 早く巨石をどかしてくれ」


「キスは、あとでいくらでもできるだろうが!」


「「はいっ!」」


 突然二人の声に邪魔をされてしまい、俺のファーストキスは失敗に終わってしまった。 

 慌てて周囲を再確認するも、どこにも人などいない……と思ったら……。


「裕ちゃん。これじゃないかな?」


 久美子が指差したのは、ただのタツノオトシゴの干物にしか見えない、二体の竜神様であった。

 そういえば、この状態でも竜神様は死なないのであった。


「なんだ? 干物?」


「青竜神よ、この少年は彼女いないイコール年齢で童貞だから、初めての接吻を邪魔されてかなり不機嫌だぞ。だから、少し待てばよかったのだ」


「とはいえ赤竜神よ。確かにこいつは彼女いない歴年齢で童貞だが、さっきの状況を見るにそんなに焦る必要もなかろうて。それよりも、一秒でも早く元に戻りたいと思わぬか?」


「それはそうだが、この少年は彼女いないイコール年齢で童貞だからこそ、接吻を邪魔された恨みも大きいのだ」


「そんなものなのか?」


「それが人間の摂理よ」


「……久美子、これ家に持ち帰ってスープにでも入れようか?」


 この野郎。

 相手が竜神様だから、こっちは下手に出ているというのに。

 自分たちが間抜けで葛山刑部の悪霊に出し抜かれたくせに、それから解放された途端に人を彼女いない歴年齢の童貞だと!

 事実だけに余計ムカつくから、中華スープの出汁にしてくれる!


「裕ちゃん! 駄目だよ! 相手は竜神様だから!」


「よく考えてみたら、竜神様って凄い神様なんだ。こんな中華街の乾物屋に売ってそうなのが竜神様のわけないし。もっと探せば本物の竜神様はいるんだよ」


「お前、実は性格悪いだろう?」


 赤だか青だか、乾燥しているので区別がつかない竜神様が俺をディスり始めた。

 いいや、俺は性格悪くないぞ。

 相手に準じた対応をしているだけだ。


「久美子、美味しいスープが作れるかな?」


「どうかな? 乾燥しすぎていて乾物臭くなっちゃうかも」


「こら! 我らで出汁など取ってもなんの薬効もないぞ!」


「むしろ罰が当たると思うぞ」


 そんなにスープの出汁にされるのが嫌なのかね?

 だったら、素直に救出されればいいものを。


「赤竜神よ、我らがこんな様になってしまったのは己の不覚。それを助けてくれた人間に対し、敬意を忘れては竜神としての格を問われよう」


「そうであったな……ちゃんとお礼を言いたのだが、この格好では喋るのも辛くてな」


「それで私の大切なファーストキスも止めたんですね」


「なあ、青竜神。この娘っ子も、男の方と同類なような気がするが……」


「すまない。なんとかして、あの巨石をどかしてくれないか?」


「まあいいけど」


 俺のステータスなら、あのくらいの巨石簡単にどかせる。

 また地震で転がると面倒なので、ひょいと持ち上げると『お守り』に仕舞った。


「裕ちゃん、凄い」


「まあな。久美子、高いところに上がるぞ」


「ここ、地底湖の底だったものね」


 もうすぐ水が上がってくるので、地底湖ではない高台に逃げた方が安全というわけだ。

 竜神様たちは、逆に置いていった方がいいはず。

 俺と久美子が高台に上がると、その直後、巨石をどかしたあとに見えた穴から大量の水が湧き出し始めた。


「綺麗な水なんだね」


「竜神様が住まう地底湖に相応しい清水というわけだ。これに竜神様を触れさせると力が戻ってしまうからこそ、葛山刑部の悪霊は穢れで封印したわけだ」


「なるほど」


 これまで、封印され押さえつけられていたせいもあるのかもしれない。

 地底湖はわずか数分で、この地下領域の半分ほどの大きさにまで回復した。

 そして、俺たちの前に見事復活した赤い竜神と青い竜神が姿を見せる。

 その姿は、神社で祭るに相応しい巨大で神秘的な容姿をしていた。


「あのタツノオトシゴの干物がねぇ……」


 わずか十センチほどで、どちらが赤か青か区別もつかないほど干からびていたのに、地底湖の水をかけると数分で復活してしまうとは。


「昔さ。こういう食玩あったよね」


「あったね、水につけると大きくなるゴムの玩具」


「子供の頃に買って遊んだよな」


「うん、覚えてる。覚えてる」


「青竜神よ。こいつら、竜神に対する敬意がないぞ」


「赤竜神よ。助けてもらった恩もあるし、徐々に我らの偉大さをわからせればいいのだ」


 色々とあったが、とりあえず無事に二体の竜神様を復活させることに成功したのであった。






「改めてお礼を言おう。我は、戸高神社のご神体赤竜神」


「我は、戸高山神社のご神体青竜神だ」


 復活した地底湖から長い首を顔を出した二体の竜神は、乾物状態から復活させてくれた俺たちにお礼を言った。

 竜神様は神なので、人間にお礼を言うとは思わなかった。


「我ら、そこまで狭量ではないぞ」


「我らは神なので死なぬが、あのまま放置されていると暇で仕方がなかったのでな」


 干からびているから暇って……。

 さすがは、死なない竜神様とでも言うべきか。


「とにかく、我らが力を取り戻したことにより、戸高神社、戸高山神社、赤竜神社、青竜神社、及び竜神池稲荷神社の五社と、戸高山、竜神池、竜神森とその周辺領域を含む聖域の復活はなったというわけだ」


「青竜神様、竜神池は糞池の昔の名前なのは知っています。竜神森とは裏森のことですか?」


「なんと! 我ら竜神がこの地底湖の水を竜神池に分け与え、はぐくみ育てた森の名が裏森とは嘆かわしい……」


「これも、あの憎々しい葛山刑部たちのせいよ!」


「汚らしい首で竜神池を汚しおって!」


「これよりは、我ら交替で睡眠を取ることにして、バカどもに出し抜かれぬようにせねば」


 これからは、二体の竜神は交代で眠るそうだ。

 またこんなことになると困るので、そこはちゃんと教訓を生かしてほしいところだ。


「とはいえ、もう数百年も寝ていたので暫くは目が冴えて眠れぬわ」


「そうよな。そう長々と寝ていられるものではない。聖域に力を注入することに集中しよう」


 普段は数十年しか寝ていない……というのも変だが、十倍も寝だめしたようなものなので暫く眠れなくなって当然というわけか。


「竜神様たち、赤竜神社と青竜神社とは? この戸高山の北側・南側斜面の山腹にある祠のことですか?」


「そうだ」


「北側斜面の、お主らがここに降りてきた方の祠が赤竜神社で」


「南側斜面の、普段お主が掃除していた祠が青竜神社だ」


「俺が掃除していたのを知っていたんだ」


「我ら、竜神なのでな。お前が他の世界に飛ばされたことも知っておるぞ」


「随分と強くなったようだな」


 竜神様なので、俺の行動くらいはすぐにわかるというわけか。


「他の世界の邪神とはいえ、神殺しとは凄い」


「そう、普通の人間にできることではないからな。神とは、それだけ凄い存在なのだ」


 その割には、干からびて落ちていたけど。


「だが、死ななかった」


「神を殺すこと自体が特殊な事例なのだ。それができたお前は、これから死ぬまでなにを成すのか」


 そんな大それたことはしたくない。

 除霊師として稼いで、プチセレブな生活を望んでいるだけだ。


「すぐに聖域は元の力を取り戻す」


「ここに手を出す者は、次からは容赦しない」


「速攻で地獄に叩き落とす」


「慈悲はないと思え」


 二体の竜神様から感じる力は、俺たちが苦労して倒したデスリンガーに匹敵するか、それ以上に感じた。

 こんな田舎の神社のご神体が、これほど強力な神だったとは。

 

「さて、お主らはもう戻るがいい」


「お主らが降りてきた洞窟は塞ぐ」


「変な奴に入り込まれても嫌なのでな」


「それと、ちゃんと聖域内の整備を頼むぞ」


「その褒美はちゃんと与えよう」


「我ら、竜神の力を理解できるようになるはずだ」


 無事に竜神様たちは復活したが、俺たちはすぐに地底湖から追い出されてしまった。

 祠の後ろの洞窟も塞ぐという。

 あの洞窟から、関係のない人たちが次々と入ってきたら困るから仕方がない面もあるのだが。

 俺たちは再び一時間ほどかけて、北側山腹にある祠へと戻ってきた。

 そしてその直後、本当に洞窟は消え去ってしまったのだ。


「この祠も整備しないと駄目なのかな?」


「だろうな」


 とはいえ、数百年も掃除すらしていない祠なので、木製の祭壇はボロボロであった。

 これは父に相談しないと駄目だな。


「戻ろうか?」


「そうだね」


 無事竜神様たちの解放に成功した俺と久美子は、これからのことを父たちに相談すべく、急ぎ家へと戻るのであった。

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