第7話 勇者の力

(甘かった……俺みたいな無能が、勇者なんか気取ったからだ……)


 隆は泣き出しそうな気持ちで辺りを窺う。手首に鎖を巻かれ、スケルトン兵に連れてこられたのは、テレビで見た闘牛場のような場所だった。すり鉢状の座席に、沢山の雷槍疾走の悪魔達が座っているのが見える。


 隆が今いるのは、そこから少し離れた待機所。自分の周りには同じく鎖を付けられたエクセラやオルネオ、そして数十人にも及ぶ奴隷達が絶望した顔で佇んでいた。


「何だよ、何だよ!! 奴隷は殺されないんじゃなかったのかよおおおお!!」


 痩せ細った男が悲痛な叫び声を上げる。女達はしくしくと泣いている。


 自分がネフィラと一緒にいたから、魔王軍参謀セルフィアノは奴隷達全員の処刑を考えたのかも知れない。申し訳なさ過ぎて、隆はエクセラやオルネオの顔を見られなかった。


「いやだあああああ!! 死にたくないいいいいいいいい!!」


 スケルトン兵が、錯乱して叫び続ける男の腕を引っ張る。


「うるさい奴め。まずは、お前からだ」

「ひいいいいっ!! そんなあああああああああああ!!」


 泣き叫ぶ男をスケルトン兵が無理矢理、引きずっていく。鎖で縛られている隆は、為す術もなかった。



                   ◆



 今や処刑場と化した、旧レイルーン国の円形闘技場。処刑の様子が一望出来る特別席で、ネフィラは苦渋に満ちた表情のまま座っていた。片足を忙しなく上下に揺する。


(ううっ、どうしてスズキが……!)


 今からスズキが殺されると思うと、泣きそうな気分になる。しかし悪魔が、それも雷槍疾走の長が泣くなど許されることではない。ネフィラは必死に耐えていた。


「いやだあああああ!! 助けてくれえええええ!!」


 突然、処刑場に痩せ細った男の声が木霊した。スケルトン兵に腕を引かれているのは以前、エクセラが奸計を図っていると自分に告げ口した男だった。


 泣き叫びながらも、処刑場の真ん中まで引きずられる。すり鉢状の観客席にいた雷槍疾走の悪魔達が、楽しそうに声を荒らげ始めた。


「ひゃははは! 何だ、あの哀れな人間は!」

「ホホホ! 惨めな顔ねえ!」

「カカカ! ぶち殺せええええええ!」


 普段、ネフィラの前では隠している悪魔としての片鱗を見せている。人間の処刑と聞いて、盛り上がっているようだ。


「「「殺せ、殺せ、殺せ!!」」」


 やがて、悪魔達の大合唱が始まった。雷槍疾走の悪魔六百体の声が闘技場を揺らす。そんな中、鉄仮面を付けた筋肉ダルマのバーサーカーが、巨大なサーベルを持って男に近付ていく。


「や、止めてくれえええええ!!」


 バーサーカーが遠慮なく、サーベルを振り下ろす。サーベルは男の右腕を胴体から切り離した。鮮血が溢れ、男は更に絶叫する。その様子を見て、頭髪が蛇の女悪魔が高笑いした。


 続けて、バーサーカーが男の左腕を落とす。男は泣き叫び、処刑場は悪魔達の笑い声で満ちた。


「もう殺し……て……殺してください……」


 あれほど死にたくないと叫んでいた男だったが、両腕を切り落とされ、胡乱な目で死を懇願していた。


 存分に痛めつけてから殺す――それが悪魔の処刑だった。ネフィラは、更に生きたまま両足を切断されようとしている男から目を逸らす。普段は別段、気にすることなどなかったが、これからスズキも同じ目に遭うと思えば、男の処刑を正視出来なかった。


 ようやく男の首が切り離された時、会場はドッと大きく湧いた。だが、ネフィラから数メートル離れた場所にいる参謀セルフィアノは怒声を発する。


「さっきから何をしているのでーーーーーーーーす!! 最初の処刑はスズキではなかったのですか!! ウヒッ、オヒッ!! スズキを早く殺すのでーーーーーーす、オエッフ、ゲロゲロ!!」


 叫びながら、吐瀉物を辺りにまき散らしている。城内で体を縛っていた魔獣の鎖は解かれていたが、代わりに手錠が付けられており、お付きのオーガのグラントに、そこから伸びた縄を握らせていた。


「グラント! 今から私を処刑場に連れて行くのです! オッゲェ!」

「ウガ……」


 グラントがセルフィアノを引きずっていく。まるでグラントの奴隷のようになりながらも、処刑場に降り立ったセルフィアノが叫ぶ。


「次こそスズキを処刑するのです!! さぁ、スズキを早くこの場に!! オベロ、ゲロゲロゲー!!」


 ぐっ、とネフィラは歯噛みした。鳥頭の悪魔フォルスがネフィラの傍にやってきて、おずおずと話しかける。


「ネフィラ様。本当によろしいので?」

「し、仕方あるまい! セルフィアノ殿の命令は、魔王様の命令と同じだ!」

「しかし……あんなにも魅力的で愛嬌のある可愛らしい人間を……」

「分かっている!! だが命に背けば、雷槍疾走は叛逆罪!! 私だけではなく六百体の悪魔全員に罪が及ぶ!! 無論、貴様にもだ!!」


 きつく唇を食いしばったせいで、血が垂れた。


「ネフィラ様……」


 フォルスはそれ以上、もう何も喋らなかった。



 

 ……なかなか次の処刑が始まらないので、六百体の悪魔は苛立っているようだった。ゴブリン兵士達が声を荒らげる。


「次の処刑はまだかあ!! 早くしろ!!」

「けけけ!! もっともっと人間の苦しむ姿を見せてくれえええ!!」


 一人の人間の死で、火に油が注がれたようだ。処刑場の悪魔は沸き立っていた。男悪魔も女悪魔も獣人もスケルトンもサイクロプスも、集まった全ての魔物が本性をさらけ出し、より残虐な処刑を望んで声を張り上げていた。


 狂乱の渦の中。スケルトン兵が、一人の少年を処刑場に連れてくる。


「ひゃはははは!! 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ……アッ……」

「えっ……」

「ちょ……」

「は……?」


 処刑場が水を打ったように静まりかえる。悪魔達は酔いが覚めたが如く、神妙な声で、ざわめき出した。


「お、おい。アレもしかして、スズキじゃねえか?」

「嘘だろ。あの可愛い人間も、これから処刑されるのか?」

「み、見ていられねえぜ……!」

「酷すぎる! 止めてやれよ!」


 先程まで、殺せ殺せと煽っていた魔物達が、一斉に沈痛な表情を見せる。


「いやあっ!!」


 蛇の頭髪の女悪魔が、金切り声をあげて顔を覆う。


「こんなことをしちゃあ、いけない。いけないわ……」


 口が耳まで裂けた女悪魔や、角の生えた女悪魔も、さめざめと泣き出した。


「ああ! 禍々しき魔界の邪神様! どうか、スズキにご慈悲を!」


 ひざまづいて、邪神に祈りを捧げる者までいる。


 打って変わって、お通夜のようになった処刑場。しかし、サーベルを持ったバーサーカーがスズキに近付いていく。


「フーッ、フーッ!」


 頭を垂れて処刑を待つスズキを前に、バーサーカーも呼吸を荒くしていた。サーベルを持つ手は心なしか震えているように見える。しかし、


「そーーーでーーーーす!! そのままスズキの首を、オヒッ! 切り落とすのでーーーーす!! アビバババ!! 円の直径に対し、周りの長さの比率は3.141592653589793238462643……ぶつぶつ……」


 セルフィアノは大声で処刑を指示した後、何かから気を逸らそうと計算を始めたようだった。だが、そんなことより、ネフィラが気になるのは勿論、


(スズキ!! 私のスズキが殺されちゃう!!)


 ひたすら円の周率を数えているセルフィアノの隣には、魔王軍最強のオーガ、グラントが佇んでいる。かつてあった内戦で、数百の悪魔を殺した強力な魔物だ。その力はまさに一騎当千。故に身一つながら、参謀の身辺警護をしているのである。歴戦のネフィラとて、グラントと戦えば勝負はどう転ぶか分からない。


(でも……っ!)


 ネフィラはすっくと立ち上がり、鳥頭の悪魔フォルスに凜とした声で命令を下す。


「我が雷槍ブリッツベルグを持て!」

「せ、セルフィアノ様に逆らうのですか!? そ、それは!!」


 怖じ気づくフォルスだったが、その直後。聞き慣れた声がネフィラの耳に届く。


「取りに行かせなくても大丈夫だぜ!」


 赤毛ツインテールの悪魔キルがネフィラの武器、雷槍ブリッツベルグを片手に持って佇んでいた。隣には妹の蒼髪ポニーテールのメルもいる。雷槍疾走の幹部悪魔、双子のメルキル姉妹もまた、その手に愛用武器である死神の鎌と、アサシンダガーを構えていた。


「お前達……!」

「スズキを助けるんですよねー! 一緒に行きますよー!」

「ははっ! ネフィラ様だけ、罰を受けさせる訳にはいかねえって!」

「分かっているのか? グラントとの戦闘は避けられない。もし勝ってスズキを救えたとしても、魔王様への反逆と見做される。勝っても負けても地獄だぞ」


 そう。この戦いはどう転んだところで雷槍疾走に取って最悪な結果しか生まない。スズキは単なる奴隷である。誰がどう考えても、スズキを見殺しにするべきなのだ。

 

 それでもキルは口を三日月にして、ニカッと笑う。


「アタシら悪魔だから、地獄でも別に良いんじゃねえすかね!」

「フッ」


 ネフィラもまた笑った。そして何千もの人間を屠った愛用武器・雷槍ブリッツベルグを受け取る。


 決心は固まった。だが、ネフィラが処刑場に向かうより先に、参謀セルフィアノが絶叫する。


「さっさとやるのです、バーサーカー!! 私の意識がまだあるうちに!! 3.141592653589、アヘッ!! オシッコでちゃった、ウヒヘヒヒ!!」


 セルフィアノに発破を掛けられ、躊躇っていたバーサーカーがサーベルを振り上げる。ネフィラの二つある心臓が激しく動悸する。


「させるか!!」


 雷槍を持ったネフィラが処刑場に降り立つ。十数メートルの距離を一瞬で埋める、人間や下級悪魔に視認出来ない凄まじい速度。しかし、バーサーカーのサーベルは、既にスズキの首に振り落とされようとしていた。


(ま、間に合わない!? スズキ!!)


 だが、その時であった。ブツブツと円周率を数えていた筈のセルフィアノが、グラントの制止を振り切って、スズキに頭から突進してきた。


「やっぱりィィィィィ!! 可哀想でーーーーーーーーーーーーーーーーーーーす!!」


 矢のような勢いと速度でセルフィアノが、スズキとバーサーカーとの間に、滑り込む。だがバーサーカーのサーベルは止まらない。『ザッ』という音と共に――が処刑場を舞った。


「げえええええええええ!? セルフィアノ殿おおおおおおおお!?」


 普段、感情をあまり表に出さないネフィラも、これには我を忘れて絶叫した。ネフィラだけではない。処刑場の悪魔達も目を丸くし、口をあんぐりと開けている。『処刑を命じた本人が急に飛び込んで来て、自ら首をはねられる』――理解の及ばない光景を見せられ、辺りは静まりかえっていた。


 そんな中、首を失ったセルフィアノの胴体は、タタタと走り、転がった自らの首を拾って小脇に抱えた。セルフィアノの顔は苦痛に歪んでいる。


 デュラハン首なし騎士のような出で立ちになったセルフィアノに、ネフィラが声を掛ける。


「だ、大丈夫ですか? セルフィアノ殿……!」

「グウウ……! どうにか知力で耐えています……! グウ……!」

「あ、あの……知力は関係なくないですか?」


 セルフィアノは切られた頭部を首にあてがって、グリグリと押し込みながら話す。


「先程、一つの答えが出ました。3.14以降、無限に続くと思われた円の周率。その解が出たのです……」


 そして、セルフィアノは何かが吹っ切れたような爽やかな笑顔を見せた。


「答えは『スズキ可愛い』です」

「は、はぁ……」


 何を言っているのか、ネフィラには全く理解出来なかった。魔王軍随一の知能は、通常の思惑の外なのだ。ただ、ネフィラはどうしても気になることがあった。


 震えているスズキを指さし、セルフィアノに尋ねる。


「それで、スズキの処刑は……?」

「首切りの刑は中止します」


 喜ばしい反面、一抹の不安が過る。今日、処刑が行われることは既に魔王様にも通達されている筈。先日、自分が雷槍疾走のルールを改竄した時とは訳が違う。人間の処刑を途中で中止にするだけの、明確な理由がなければならない。そう、後日、魔王様に提出する報告書に記す明確な理由を。


(いくら知将といえど、そんなことが出来るの!? 魔王軍参謀セルフィアノ!!)


 ネフィラが、そして処刑場の悪魔達が息を呑む。参謀セルフィアノは片手を挙げて、朗々と宣言した。


「首切りの刑を改め、スズキを爪切りの刑に処す!!」


(なっ!?)


 バーサーカーが、その大きな手にそぐわない小さな爪切りを持ってきて、スズキの右手人差し指の爪をパチンと切る。


「はい。処刑は終わりです」


 セルフィアノが言った。その途端、処刑場は割れんばかりの悪魔達の拍手喝采と歓喜の叫びで満たされた。スズキが助かったことで皆、肩を抱いて喜び合う。中には泣いている者もいた。


 ネフィラもまた胸を撫で下ろし、安堵する。そして、目の前の悪魔参謀に畏怖の念を抱いた。


(流石は魔王軍随一の知将! 何という頭脳! 何という叡知!)


 やはり、セルフィアノだけは敵に回したくない。まぁよくよく考えれば、自分で処刑すると言い出して自分でそれを撤回しただけのような気もするが、それはそれ。セルフィアノが稀代の天才であることに疑いはない。


 ネフィラは、鎖を解かれたスズキに歩み寄る。ギュッと抱きしめたい気持ちを抑えて「よかったな」と素っ気なく告げた。スズキはこくりと頷くと、処刑場の隅を指さした。


「じゃ、じゃあ、俺の後の人達も爪切りで良いんだよな?」


 スズキがセルフィアノを見る。セルフィアノは少し困ったような顔をした。


「まぁ……はい。そうなりますよね。必然的に」


 その後。エクセラ、オルネオ、そして全ての奴隷はバーサーカーに爪を切られた。


 こうして処刑は終了したのだった。

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