第3章 陽だまりの天使
第1話
「ただいま」
「おかえり、遅かったな。風呂湧いてるぞ」
「サンキュ。汗ながしてくるわ」
家に着いて父親の一と軽く言葉を交わし、風呂場へと向かう郁を見て、一は出ていく時の表情より少し良くなっているように感じていた。
「すこしすっきりしたのか……」
それでも少し表情の硬さがとれた程度のもので、親としての心配はつきない。
「あいつの心を溶かすような人がいればな……こんな時の父親ってのは役にたたないな……」
そうボヤくとワインを飲みため息をつく。
それから数日後の週末の土曜日。休みということで朝からの練習も終わり、各自昼食をとりに帰ろうとしていた。
「郁! 今日も居残りか?」
いつも居残る郁に俊彦が問う。
「ああ、おつかれ」
「おう。おつかれ、ほどほどになぁー。じゃまた明日」
郁はいつも居残る。それは高2からという遅いスタートだからというのもあるが、もう一つ残る理由があった。
郁は帰っていく部員達を見送るとマットの上に寝転ぶ。
「この誰もいないシーンとした広い道場で寝転ぶの癖になったな……」
そう呟くと、高窓から見える空と、近くに植えている桜の木が見え、まだまばらに咲いてる桜と隙間から覗く晴天を見つめる。開けてある窓から時々桜が舞って入ってくるのを見ながら穏やかな風を体に感じて、ぼーっとする。
週末の休みの練習後の楽しみになりつつあった。
この短い半月の間に郁の心は疲れきっていた。確かに部員はみんな仲が良く、郁にも気安く接してくる。揶揄われるのは遠慮願いたいが、嫌悪するほどではない。慣れない格闘技という種目に戸惑っているというのもあるが、それはそれで新鮮で自身楽しんでもいた。
が、たまに彼らの郁への配慮というのだろうか、それが心に何かを感じている。それが何かわからないところへ、元カノとその彼氏や元部活仲間に戻れなど言われ、過去を刺激され心が疲弊していた。
そんな心理状態の時、我武者羅に練習をし疲れて寝転がった時に、この環境が少し心が落ち着くのを感じて以来、窓からの景色を見、風を肌で感じ、季節の匂いでリラックスさせようとしていた。
大の字で寝転がる郁は目を閉じ自然を感じる。するとやがて眠りについた。
そんな道場に一人の部員が現れる。
「まだ灯りついてるわね。まだやってるのかしら?」
もうすぐ帰宅する直前に忘れ物に気づき戻ってきた百華だった。
灯りがついてるわりに物音がしないので道場を覗くと、大の字で寝転がる郁を見つける。近づくと目を瞑っており、静かな寝息をしているのに気づく。
あどけない寝顔を見て百華はクスっと笑いこぼす。
物音をたてないよう静かに忘れ物と膝掛けを取ると、忘れ物を鞄にしまい道場の灯りを消した。
郁に近づくとそっと膝掛けをかけて、壁を背もたれにして隣に座った。
「こうやって寝顔みると本当に幼い顔ね……かわい、ふふ」
静かに呟き頬を緩ますと軽く頭を撫でる。そして同じようにこの静けさを感じようと外を眺める。
「今日は気持ちいい風ね……」
丁度いいかと取りに戻ってきた本を取り出すと読み始め百華もまた静かな雰囲気を味わい始めた。
どのくらい時間が過ぎただろうか。ゆくっりとした空間を読書をしながら味わっていると、寝ている郁から声が聞こえてきた。
「……ご…ん」
声がし起きたのかと目線を向けると、先程まで穏やかな顔をし寝ていた郁が、今は少し苦しそうに眉をしかめている。
「あ、こ………よ……ら」
何か悪い夢でも見ているのか、うなされてる様子を見て、体をゆすって起こそうと肩に手を伸ばした時、また何かを漏らす。
「……かあ、ん……ど、して……おいてか、いで」
ところどころ聞き取れないが最後だけはなんとなくわかった百華は「置いてかないで?」そう呟き郁の顔を見る。すると目からひと粒の涙がこぼれ落ちる。
「あなたは……やっぱり寂しいの?」
百華は思考する。誰かに置いてかれてる夢なのか。それに最初は何かに謝っていたようにも思えた。この夢は体験した事を走馬灯のように見ているのではないかと考える。そして夢の中で、もしかすると誰かと会っているのもしれない。そう思うと悪夢かもしれないと思いつつも起こすのを躊躇った。
そして自然と何を考えるまでもなく涙を人差し指で拭い、先程より強く頭を撫でる。
「誰に置いてかれるのかしら……。元カノ? 母親? 大丈夫。あなたはもう一人じゃないわよ……」
そう優しく声をかけ頭を撫で続けていた。そして呟く。
「寂しいのよね。気持ちはわかるわ。だからかしら……こんなにほっとけないと思うのは……」
郁はまだ起きない。夢の中で誰かと会っているのか。百華は少しでも良い夢に変わるようにと頭を撫で続ける。そしてなぜか胸がしめつけられるような感覚になり空いてる手で心臓あたりの服を握る。
その理由は百華にもわからない。知らず知らず掴んでいた。
しばらくすると右肘から下だけが天井に伸びる。何かを探すようにゆらゆらと動いている。
百華は咄嗟に空いている右手でその手を掴むと優しく手を握り、左手で頭を撫で続ける。もう寂しがらなくていいと言うかのように、百華の顔は慈愛の満ちた優しい顔で郁を見ながら、手を握り撫で続ける。
そんな二人を変わらず穏やかな風が吹き込み、桜がちらちらと窓から入り、道場の中に舞踊って暖かい光が二人を照らしてた。
やがて落ち着いたのか息苦しくしていた郁の表情は戻り静かな寝息をたてる。安心したのか撫でながら目を瞑ると、百華もやがて眠りについた。
どのくらい時間が経っただろうか。明るかった外は太陽が傾き、オレンジ色の夕日が差し込んでいる。
暖かさが増している光と気温が下がった少し肌寒く感じる風が道場を包む。
西日が差し込み郁の顔を照らす。その眩しさから目を醒ます。
「ん、んー……。寝てたのか……」
起きると手に少しの温もりと頭に重さを感じ、目を開けるとすぐ隣で座ってる百華が目にはいる。
「ん? え? 先輩……?」
この状況に寝起きの郁の思考が追いつかず、じっと百華を見つめる。徐々に頭が覚醒し百華を見つめる。
郁は見惚れていた。ただただ見惚れて近くで眠る百華に魅入っていた。
夕日に照らされ少し明るめのライトブラウンの髪が光の加減でキラキラと輝いている。手入れがされているのか、頭頂部は光の輪のようになっており、天使の輪のように見える。
穏やかな顔も紅く照らされ、マザーと言われるのもわかる優しい凛とした顔立ちがはっきりと際立ち、小柄な身長のせいか、大きな人形が置かれているような幻想的な雰囲気を醸し出している。
「綺麗だ……」
そんな言葉をつい漏らし、握られている事や何故いるかなど頭の中から消えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます