第2編 揺れ動く心と人
第1章 投げかけられた言葉
第1話
ゲームセンターでの出来事から数日後。道場ではもくもくと汗を流している五人がいた。時間が来たことを告げるアラームが鳴る。
「「「「ありがとうございました」」」」
「柔軟! あとは各自、自主練するもよし、帰ってもよしで」
4人は乱取りを終え一礼。そして男性がまとめるのが今後も良いという話し合いにより、練習などの声掛けは俊彦の役目となり、その俊彦から指示がでる。
俊彦は記録をつけている百華に話しかける。
「百姉、郁はまだ戻らないか?」
「ええ、まだ走ってるようね」
「かれこれ1時間経つね……流石バスケ出身てだけあってスタミナあるね。すごいや」
百華が状況を伝え真帆が感嘆する。
「辞めたとはいえ走るだけはたまに朝か夜にしてたみたいだからな」俊彦が答える。
「百姉、もう終わるからあいつに戻るように言ってきてくれないか?」
「わかったわ」
俊彦に言われ百華はグラウンドで走っている郁を呼びに行こうとすると、ちょうど戻ってきたようだ。郁は荒く息を肩でしながら姿を現す。
「戻ったか。練習は柔軟して終わりだからお前も入れ」
「わかった」
俊彦の指示に郁は答え輪に混ざる。
「それじゃ先生は帰るなー。自主練するならあまり遅くなるよー。あとは戸締まり忘れるなー」
「「「「「「お疲れ様でした」」」」」」
「おう、おつかれさん」
いつものように顧問の吉田は全員に聞こえるように声をかけて先に帰っていく。
柔軟も終わりそれぞれ着替えもせず畳の上で疲れたと声を零し、寝そべっていた。
そんな中、郁は全員に聞こえるように話し出す。
「店の招待ですが、どうも予約が埋まってるので、なんとか空いてる時間というのが今日のディナーが始まる少し前の、17時から2時間の19時までなら行けるってことですが、どうします? 無理なら春休み明け始業式の日ならランチもディナーも空いてるようですが」
「行く! 私今日で良い!」
郁の問いに即、真帆が返事をし全員今日で良いとなった。
「それじゃ、今からだと2時間ほどあるから家帰って汗流して店に集合で良いな」
「だね。そうと決まったら早く帰ってシャワー浴びないと」
俊彦の言葉に真帆が答え、女性陣は疲れたと寝そべっていたのが嘘のように、すぐさま着替えに部室の中に飛び込んで行く。俊彦もまた道場で着替え始める。男だから特に部室で着替える理由もないため男性陣は道場で着替えている。しかしなぜか郁は着替えない事に気づき声をかける。
「郁は着替えないのか?」
「ああ、一時間ほど筋トレして帰るよ」
「そっか。じゃ先に帰るな」
「ああ」
そう言って郁だけを残し全員が帰る。郁はもくもくとバーベルをしたり、体をいじめようと開始する。そんな郁に声がかかる。
「頑張るわね」
バーベルを持ち上げながら声が聞こえた方に顔を向けると百華がいた。
「山路先輩忘れ物ですか?」
「いえ。私も残ろうかと思って」
「戸締まりぐらいちゃんとしますので大丈夫ですよ」
「そうね」
「だから先に帰ってもらっていいですよ」
「戻ってきたのは郁と少し話したくってね。戻ってきたの。大丈夫かというのは戸締まりとかではないわ。あなたの心は大丈夫? と聞いてるのだけど」
「どういう意味ですか?」
何を言っているかわからず手を止め、起き上がり百華を見る郁。
「あの日から、あなたは、郁は余所余所しくなったわ。真帆も俊彦も気にしてる。あの日から、名前で呼ばなくなったあの日から」
「言ったじゃないですか。やっぱり急には名前で呼び合うとかは慣れないって」
「本当にそれだけ?」
そう言った百華は真っ直ぐ郁の目を見つめる。
その目は、顔は、心配しているというかのように儚げな表情だった。
百華を見た郁は見透かされてるような気がして目を逸してしまう。
「そうですよ」
そう答えると筋トレを開始する。
「あなたは何を悲しんでるの?」
「悲しむ? 突然何を言ってるんです?」
「貴方の目は私達家族がしていた目に似ているの。特に妹がしていた目に似ている。似てはいるけどどこか違う」
「似てる……?」
郁は言っている意味がわからず、再び手を止め百華と向きあい言葉を待つ。
「そう、私達家族が父親を亡くした日からしていた目に似ているの」
「それは……どういう意味です? 確かに俺は母親はいません。けど亡くしたのは幼い時です。悲しむにしてももう昔すぎるし、そもそも俺は母の顔なんて覚えてないから悲しむとかは既に無いですよ」
「だからよ。なのにあなたの目は悲しそう。そこに別の何かの感情も宿してる。何かを羨んでるような……そんな目」
「気のせいじゃないですか?」
「そうなら良いわ。でもここに来た時から私はそう感じたわ。会ったその日から、貴方がここに来た日から、私は、あなたが時々見せるその目が気になってるの」
そう言われた郁はなんと言っていいかわからず黙ってしまう。
「まぁいいわ。他の子と違って私はマネージャーだからシャワーを浴びなくていいし、付き合ってあげるから、好きなだけやりなさい」
「いや……そうですか……。ありがとうございます」
郁は何が言いたかったのかわからなかったが、話しを続けると何を言われるかわからない。何か自分にとって不都合なことが起きそうな予感になり、百華から話しを終わらせたのであれば終わらそうと決断し、筋トレに戻った。
しかしじっと百華に見られながらしている筋トレは居心地がずっと悪かった。
結局集中出来なかった郁は30分そこそこで終わらし道場を後にし二人は学校を後にする。
「良かったの? もう少ししたかったって顔に出てたわよ。気にせずにやってて良かったのに」
「あんなにじっと見られてたら集中できません」
「あら? 照れちゃう?」
「照れません!」
「ほんとに?」
「ほんとです」
「なら見ててもいいわよね? 今私の中で郁を見てるのがマイブームなのよ」
「なんですかそれ、見てて楽しいですか?」
「楽しいわよ? 見てたら可愛いし?」
「揶揄わないで下さい」
郁はどう反応していいか戸惑い百華を見ないようにするしか無かった。
真帆の可愛いからと撫でようとするのも困るが、ただ可愛いものが好きだからというある種、動物やぬいぐるみなどが好きだという行動と同じだとこの数日でわかり、それと同じ感覚で来るというのは郁は理解した。理解はしたが許容できるという訳でもないが、それでもあしらい方は出来るようになったが、百華は同じかと言われたら違う気がして未だに慣れずにいた。
なので揶揄われるたびどう返していいかわからず、毎回目線をあわせないようする。
それに先程の質問の事もあり視界にいれないよう前を見続ける。
しかしそれをすると……。
「ほんと、可愛いわね」
そう言って百華は頭を撫でる。
「だから撫でないで下さい!」
郁はそう言って百華の手を取る。
「私と手を繋ぎたいの?」
「ち、違います!」
慌てて郁は手を離す。
「あら、私は手を繋ぎたかったのに……残念」
「はぁ……山路先輩、そんなこと言ってたら彼氏に誤解されますよ?」
「彼氏いないわよ?」
「いないんですか? なら好きな人はいるでしょ? その人に誤解されますよ?」
「いるか気になるのかしら? もしかして……私の事好きになった?」
「なってません! もう揶揄うのも大概にして下さい!」
「あら……残念。それでも良かったし、私は手を繋いでも良かったのに」
「え?」
意味深な百華の返答に驚き、立ち止まって百華を目を見開き見る。
「弟みたいだから」
そう言ってイタズラが成功したと百華はクスっと微笑む。
また揶揄われた事を理解した郁は、大きくため息をついた。そんな郁に百華が言葉を続ける。
「揶揄われるのがいやなら早く呼び方を戻す事。そうしたら考えなくもないです」
「それ戻しても揶揄うって言ってるじゃないですか……」
「察しのいい子は嫌われるわよ?」
「なるほど……なら良いかもしれませんね」
「そんな事を言うのね。泣きそうだわ」
両手で目元を隠し泣くポーズをする百華。
「思ってもないくせに……」
「そんなこと無いわよ。嫌われたらすごく悲しいと思う程には貴方の事は好きよ。もちろん真帆や俊彦、柔道部全員そう思ってるわよ」
泣き真似をやめ郁の言葉に答えた百華は優しい笑みを浮かべる。
郁はその言葉を聞き、その笑みを見て何も答えず黙って歩きだした。百華もまた何も言わず横を歩く。お互いに何かを考えているのか考えていないのか、分かれ道まで静かに歩いた。
「それじゃ、あとでお店でね」
「はい、お待ちしてます」
そう言って歩きだそうとした郁に百華が呼び止める。
「郁」
呼ばれた郁は振り向く。
百華の背を後ろに、夕日になりかけた太陽が二人を照らす。
郁が見た百華の表情は、いつもの笑顔ではなく、心配しているような、慈しむような……眉を下げ真っ直ぐ郁を見つめていた。
「貴方が何を思っているか、何を考えているかはわからない。けどね、私達はいつでもあなたの心の叫びを聞く準備はしているわ」
郁はじっと百華を見つめ聞く。
「貴方が私達に何を思い、何を見てるのかわからない。幼馴染だから特別に見えてるのかも知れない。けどね、心を開いてくれれば貴方もこの輪に入れる。私達の過ごした時間の長さなんて関係ないのよ? だから怖がらないで? 少なくとも私は拒絶したりしないわ」
「怖がってなんて……」
郁が話し出すのを遮り言葉を続ける百華。
「あの二人と何があったのか知らない。何があったかなんて無理に聞かないわ。言いたくない事情は誰にでもあるのだから。でもね、一つだけ言いたい事、聞きたい事があるわ」
郁は、その言葉に言いかけた言葉を飲み込み百華を見る事しかできないでいた。
「貴方の心は何を求めてるの?」
百華の問に郁は答えられず少しの沈黙が二人を包む。
その時強い風が吹き、散った桜の葉が桜吹雪となる。
「じゃ後でお店でね。料理楽しみだわ」
百華は微笑みながらそう言い残し、振り返って歩き出した。
その笑顔は、話しだした顔とは違っていた。それは桜吹雪が偶然舞ったせいなのか、夕日のせいなのか、とても絵になるような慈しむような顔をしていた。
郁はその場で佇んでいた。
そしてその顔は百華の最後の顔とは対象的で酷く歪んでいた。
顔は赤くなっている。それが夕日のせいなのか、照れたせいなのか、怒りなのか、悲しみをこらえているのか、光景に目を奪われたせいのか。
理由は郁自身もわからない。
郁はその後ろ姿をしばらく力なく見つめて立ち尽くしていた。
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