独占・2

「袖、結構余っちゃうね」

 先輩からの熱烈な攻撃を躱しつつ、ようやく朝食を終えたので着替えてもらった。私の部屋着を貸したからサイズが少し大きく、ダボッとしたトレーナーが包み込む媛崎先輩は、さっきまでのイメージからガラりと変わりガーリー感増し増し。よし、この可愛さなら圧に負けることはないだろう。

 さっきまではね……お姫様であり王子様だったから……そりゃドキマギするわけで。

「……」

 しっかし……いいな。お部屋着媛崎先輩。これはちゃんとサイズが合ってる先輩専用のやつを買っちゃう案件だ。五着ぐらい買っておいて気分で決めてもらえるようにしておこう。

「えへへ……彼シャツならぬ、かのトレだね」

「!!!!」

 もーもーもーもー、さっきまであんな大人な視線で私をからかった癖にぃ~そんな可憐で純粋な笑顔を浮かべられたらギャップで脳内がすんごいことになっちゃうんですよ~? 計算ですか? 小悪魔なんですか??

 とりあえず訂正。先輩用部屋着はサイズちょっと大きめで十着買います。


×


「どうですか、気になるのありますか?」

 先輩と一緒に映画を観やすいよう購入した24インチのモニターを、持っていたノートパソコンに繋げて、さっきまで食事に使っていたテーブル(片付け済み)に置き、サブスク制の動画サイトを開いた。ずらりと並ぶは私がウォッチリストに入れていた映画やドラマなど。

 そんな画面を、丸めた布団を背もたれにしてソファ代わりにしたベッドに腰掛け眺める。

 いかにも貧乏学生カップルの様相だけど、その通りなので仕方ない。

「んー、有喜ちゃんはどれ?」

「私は全部……全部なんです。どれも一列に気になってるんです!」

「そっかぁ〜じゃあ、これかな」

 と、マウスを操作して媛崎先輩が選んだのは……まさかのホラー。三ヶ月前に日本中の話題をかっさらっていった、新たな名作ホラーと名高い作品。

「こういうの、得意なんですか?」

「苦手ではないかな。有喜ちゃんは?」

「苦手です! なんですが……とても面白いと話題でしたので、先輩と一緒なら観られるかもと思いまして……」

「よっし、じゃあこれにしよう!」

「うぅ……はい……」

 自分でリストアップしておいてなんだけど、まさかこれを見ることになるとは……。もっとなんか……明るく楽しいミュージカル系のやつとか、泣ける邦画とかもあったんだけど……。

「電気消して〜カーテン閉めて〜」

 何故かノリノリな先輩は、ホラー映画を見るに相応しいセッティングを進めていく。ホラー好きだったんだ……意外だ……。

「で、はい」

「は、はい」

 いよいよスイッチひとつで映画が始まる段階まで準備を済ませると、先輩が右手を差し出したので、隣り合っている私はそれを左手で握る。

「こうしてればきっと怖くないよ。ダメだったら私を盾にしていいから」

「盾って……大丈夫です。先輩が隣にいてくださるだけで百人力ですから!」


 ×


「……ちょっとあの……一回、一回止めませんか……」

 無理でした。

 結局手のみならず腕にまでがっしり抱きついて思いっきり盾にして、時折片目で視認するだけでも十分怖い。というか聞こえてくる物々しい声とか環境音が怖い。

「えー今いいところだからやだよー」

 そんな私を受け止めてくれている先輩はといえば、浮かべているのはホラー映画を観ている表情ではなく、堪えきれない笑みを隠そうともせず緩んだ頬で恐怖映像と向き合っていた。

 ……うぅ……隣にこんな怖がってる人間がいたらそりゃ面白いだろうけど……。


 ×


「ふわ~。楽しかったねぇ」

 エンドロールが流れ終え、画面が完全に暗転すると媛崎先輩は大きく背伸びをした。

「そ、そうですね……」

 先輩を盾にして見てない場面結構あったから、あんまり話わかんなかった……でもあれですね、本格ホラーと思いきやまさかの感動系というのはわかりました!

 はぁーやっぱ慣れないことはするもんじゃないな……。次は私の好きなジャンルを一緒に観よう。

「よい、しょ」

 パソコンを操作するためにベッドから立ち上がろうとしたとき、繋いだ手を引かれて体勢が崩れる。

「へ?」

 仰向けで寝っ転がった私の上に、息をつかせるまもなく覆いかぶさった媛崎先輩。

「うーきちゃん」

「なん、でしょう?」

 先輩は私を温かい瞳で見下しながら、とろけた声で続けた。

「次は私が、抱きついてもいいよね?」

「あ、あの、それは、もちろん……」

 映画楽しんでたのに……鬱陶しかったかな。これで贖罪になるというなら喜んでこの身を差し出そう。

「もー、有喜ちゃんったらあんなに強く抱きしめてくれるんだもん……正直、気が気じゃなかったよ」

 えっ、あれ、ニヤニヤしてたのって映画の内容でも怖がってる私が面白かったわけじゃなくて……そっち?

「す、すみません……想像以上の恐怖で……」

「んーん、嬉しかったよ。でもね――」

 私の洋服を押しのけ腹部を晒すと、先輩は両手の指を器用に蠢かせて焦らすように優しく撫で回す。

「――スイッチは……入っちゃったかなぁ」

「あっ……」

「お昼まで待てなかった。でもいいよね、有喜ちゃん」

 先輩の香りと、体温と、声は、私から全ての決定権を奪ってしまう。

「これでも結構我慢した方なんだよ?」

 先輩の顔が、あらわになった私の胸部へと下りていき、耳元から離れた。それでようやく甘美な支配から若干の自我を取り戻した私は――

「だ、だめです」

 両手で、舌を伸ばして愛撫を開始せんとする先輩の頭を包んで制止した。

「有喜ちゃんも……期待してるみたいだけど」

 そりゃあ好きな人からこういうことをしてもらって……嬉しくならないほど鈍感じゃない。だけど、だけど今日は……。

「私だって……それは、シたいですよ。でも、今日は、今はダメです」

「どうして?」

 言いながら、部屋着と下着の間へと手を滑り込ませる先輩。その微かな快楽と期待だけで体が跳ねてしまう。

「だって……し始めたら……今日はずっとその日になっちゃうじゃないですか!」

「……ずっと、その日?」

「たぶん今始めちゃったらずっとしますよね? 日が暮れて先輩が帰っちゃうまで!」

「……うん、そうだね、そうかも」

「私だっていつやめられるかわかりません。きっと、『もっと』ってなっちゃうと思います。でもそれはやなんです。今日は先輩と映画を観て、作ったご飯を食べてもらって、部活の話とか聞かせてもらって、マッサージして……そんな日曜日にしたいんです!」

 私だって先輩に触れたい。触れて欲しい。心だけじゃなくて、体でも繋がりたい。

 だけど、それだけで一日が終わるのは……嫌だ。稚拙な願望かもしれないけど……ずっと憧れていた、恋人らしいことがしたい。

「それもそっか……」

 小さく呟いた先輩は私から離れ、はだけた服を甲斐甲斐しく直してくれると、

「ごめんね、私の気持ちばっかり押し付けちゃった」

 頬に優しい口づけをしてくれた後、

「ちょっと落ち着いて……スイッチをオフります」

 そう言って私に背を向け寝転がった。

「先輩、お腹空いてませんか? 流石にまだですか?」

 嫌な沈黙が生まれるのが怖くて、朝食を食べてから二時間しか経っていないのにこんな提案をしてしまう。

「そうだなぁ、ちょっと空いたかな」

「じゃ、じゃあお昼作ってきちゃいますね!」

「うん、ありがとう。とっても楽しみ」

 壁から反射して聞こえてくる声は、寂しさやもどかしさをたっぷり蓄えていて。

 私の選択は、提案は、願望は、全て間違いだったのではと今更後悔が湧いてくる。

 おとなしく支配されて、されるがままになっておけば……こんな空気には、ならなかったのに。

 ――大丈夫。

 まだ正午を回って少しなんだから、十分取り返しはつく。まずは集中して美味しいお昼ごはんを作って、先輩に喜んでもらおう。それで明るい映画とか観て……雰囲気も一新して……。絶対、楽しい日曜日にするんだ。

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