金曜日・3

「じゃ、じゃあ、有喜ちゃん、明日は有喜ちゃんからキス、してくれる?」

「も、もちろん。本当は昨日だってしたかったんですよ、たまたま岡島さんからの電話で邪魔されちゃっただけで……」

 どうせ先輩の顔を見たらヘタレが発動するんだ。今のうちにイキって逃げ道を塞いでおけ……!

「絶対だからね? 約束だよ?」

「はい! お任せあれ!」

 普段の自分ではありえない程快活に、難易度レベルSSSミッションを受諾してみせた私。電話すげぇ。

「それで?」

「はい?」

「写真は?」

「…………………………あ」

『写真、撮ってもらってきて! ねっいいでしょ!』

 フラッシュバックするバイト前の会話。ふっつーに忘れてた……し、覚えていたとしても見せられるわけがない……。

「ふふ、どうせ忘れてるなーって思ってましたよーっだ」

 ……あれ、もうちょっと怒ると思ったんだけどな、意外と可愛らしい返しを頂いてしまった。

「あ、あの、すみません、私今あんなに格好つけたばっかりなのに……」

「ううん、いいのいいの。きっとバイト中って忙しいんだろうし。終わった後も疲れてて覚えてないもんね」

 うう……今日は本当にそのとおりだったんですけど、先輩が優しすぎてつらい……。

「機会があったらでいいから。お願いね、私が知らない有喜ちゃんの姿を、他の人が堪能してるのって……とっても……つらいから……」

 っ。そうだ、私はこの考えに賛同したんじゃないか! 私だってつらい。なんとかしなくちゃ。先輩を安心させるために……できることをしなくちゃ!

「不安にさせてごめんなさい。必ず写真は送りますから」

 職場の写真をそのままお見せすることはできなくとも、通販でそれっぽい給仕服を見繕ったりなんだり、方法はいくらでもあるはずだ。

「うん、ありがとう、有喜ちゃん」

 その後、家に着いたと伝えても、それじゃあそろそろ……と言っても、先輩は「そっか」とか「うん、そうだね」とか判然としない返事ばかりで、電話を切ろうとはしてくれなかった。

「先輩、また明日、部活で会いましょう」

「……やだ」

「やだって……どうしたんですか?」

「電話、切りたくない」

 か、可愛い。し、そりゃあ私だって激しく同意だけど、メイク落としてご飯やらお風呂やらを済ませなくてはならない。

 先輩の彼女として、身だしなみもコンディションも保てる限り良い状態を保ちたい。

「だって有喜ちゃん、電話だと好きっていっぱい言ってくれるし、楽しそうだし、なんか……格好いいし……」

 すみません、それはただ、先輩を前にした自分がへたれなだけなんです……。

「先輩、私……ですね、いろいろあって自分に自信がないんです」

 ここはちょっと正直に話そう。これも電話だからこそできる曝け出しだ。

「どうして? こんなに可愛くて、頭良くて、みんなの為にいろいろやってくれて、一人暮らしして部活とバイト掛け持ちして頑張ってるのに……?」

 めちゃめちゃ褒めてもらってしまった。そんな風に思ってくれてたんだ……嬉しすぎるな……じゃなくて!

「あはは、ありがとうございます。でもそれって、自信のなさが原動力だったりするんですよ。そんな私に先輩みたいな素敵な人が付き合ってくれて……本当に幸せなんですけど、たまーに不安になるときもあるです。面と向かって先輩を見ちゃうと、こんなに素敵な人と、私なんかが!? って思っちゃうこともあるんです。いやね、それは私を選んでくれた先輩に失礼って重々承知しているんですが、本能というかなんというか……ってあの、何が言いたいのかというと!」

「うん」

 私の拙い、聞きづらい話も真剣に聞いてくれている。はぁ、好き。

「先輩の前だと緊張しちゃいます。たぶん、思ってることを上手く伝えられないです。だけど、先輩のことを本気で想っています。それは……知っていて、欲しいです」

「うん……わかった」

「たどたどしくて、不安にさせてしまってすみません」

「ううん、私の方こそわがままたくさん言ってごめんね。……有喜ちゃんが緊張しいなのもわかってる。今バイトで疲れてるのもわかってる。これからご飯を食べたりお風呂に入らなくちゃいけないこともわかってる。なのに……私……まだ電話切りたくないって思ってるの。ごめんね有喜ちゃん、でも……嫌いに……ならないで」

 その声が、少しだけ揺れて、なんとなく涙を帯びそうな予感がして、急いで言葉を紡いだ。

「なるわけないじゃないですか。そんなに思ってくれて、嬉しいですよ。嫌だったらとっくに切ってます。ほら、岡島さんのときなんてすぐプッツンって切ったじゃないですか」

「……うん、そうだね。ありがとう。でもこれ以上は迷惑かけられないや。有喜ちゃん、通話切ってくれる?」

「えぇ! 私からですか! 無理ですよそんなの!」

 私が先輩の通話を切るとかおこがましいにも程がある! というか切りたくないのは私も同じなんだって。

「私だって無理だよぅ。あっじゃあこうしよう。いっせーのーせっで切るの」

「いいですね、そうしましょう」

 折衷案で最善案を出してくれた媛崎先輩に従い、切電ボタンに指を掛ける。

「じゃあね有喜ちゃん、また明日」

 穏やかに、朗らかにそう言ってくれたので、私としても安心して通話を終えることができる。

「はい。また明日」

「いっせーのーせっ」

「「……」」

「ぷっ」

「あははっ」

 どこか予想していたことではあったけど、結局私達は同じやり取りを十回いくかいかないかくらい行なって、遂に――不自然なタイミングで――通話が切れた。

『いきなり切れちゃってすみません! まさか充電が切れるとは……』

 私のスマホが、私達のやりとりに辟易したかのように撃沈してしまったのだ。

 急いで充電をして電源を付けメッセージを送ると、

『むしろ有喜ちゃんのスマホが気を遣ってくれたのかもね!』

 なんて気の利いた返信と可愛らしい絵文字やスタンプを頂戴して、幸せな気持ちに包まれて、ごはんはいつもより美味しくて、お風呂もいつもより気持ちよくて、いつもよりふかふかに感じる布団で微睡んだ。


 ×


 先輩とのお付き合いが始まって怒涛の五日間が流れ去り、遂に明日からは休日。

「休日って言っても……部活とバイトがあるしなぁ」

 何か特別なことができないか模索してみるも、睡魔には勝てずに夢が始まる。

 それはすぐに夢とわかるほど、幻想的で清々しく、色鮮いろあざやかで満ち足りた空間だった。

「有喜ちゃん」

「なんですか? 先輩」

 二人しかいない世界で、先輩は何かを言いかけてやめる。

「……」

「……先輩?」

 聞き返してみても、待ってみても、その続きは紡がれない。

 それでも私達は、手を繋いでどこまでも歩いていた。風が吹く草原を、凪いだ海辺を、見知らぬ石畳を、どこまでも、ゆっくり。

 しかし歩けば歩くほど先輩の横顔には影ができてよく見えなくて、聞こえる声も小さくなっていって。

「ごめんね。……でもね、有喜ちゃんのせいなんだよ」

「何がですか? ちゃんと教えてください、媛崎先輩」

 やがて繋いでいたはずの右手から先輩がいなくなっていて。でも微かな笑い声だけは聞こえていて。

 先輩との関係が決定的に歪んでしまうことを心のどこかで恐怖して、姿の見えない恋人を探しながら泣き叫ぶ自分の声で、目を覚ました。

「……なんか……怖い夢を見ていたような……」

 冷や汗に震えながらなんとか布団を剥ぎ取った私は、思い出せない夢の内容にしばらく頭を抱えていたけれど、スマホに溜まっていた媛崎先輩からのメッセージ四十八件に目を通して返信に悩むことで、その恐怖を有耶無耶にした。

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