心の成り立ち

第80話

 早朝。静かな部屋にピーとヤカンのお湯が沸くような音が響き渡ると、固いベッドの上で何かが動いた。

「……」

 その何か、政府軍の技術者であるトキヤは寝ぼけ眼のまま、その音を発生させているデバイスに手を伸ばして、その音を止めてからデバイスに表示されている時間を眺め。

「……まあ、一時間は眠れたな」

 現在時刻を確認したトキヤはすぐに起き上がり、着替えを始めた。

「……早くバルに新しい武器の説明をしたいところだが、ブルーレースの性能分析がどのくらい進んだかをレタさんに聞きに行くのが先か……? 後、いつまでこの基地で待機していなくちゃいけないのか、グリージョに問い糾したくもあるな。それにブルーレースがカロンを一番警戒していた理由を考える時間をどこかで作らなければ……」

 そして、着替えながら今日の予定を立て始めたトキヤだったが……。

「……まあ、まずは食事にするか」

 コメディのようにタイミングよくお腹が鳴ることはなかったが、激しい空腹を感じたトキヤは食糧配給所に向かうために部屋の扉を開け。

「お」

「あ」

 部屋の前を横切ろうとしていた、一人のJDと目が合った。

 部屋から出てきたトキヤと顔を合わせたそのJD、ライズはくすんだ赤色の瞳をトキヤに向けながら、髪を掻き上げようとしたが。

「……ぁ」

 半ば無意識のうちに行おうとしていたその動作に何か思うところがあったのか、ライズは髪を掻き上げることはせず、顔の近くまで上げた手をそのまま横にずらし。

「や、おはよう、トキヤ氏」

 軽く手を振りながら、トキヤに朝の挨拶をした。

「おう。おはよう、ライズ」

 そして、トキヤがライズに挨拶を返した後、二人は自然と横に並んで歩き始めた。

「トキヤ氏はこれから朝食かな?」

「ああ、そういうお前はレタさんに食事を持っていくのか?」

「せいかーい。先程、ストレッタ氏に眠気覚ましになるようなカレーを持ってきてほしいと頼まれてね」

「……カレーって眠気覚ましに食べるものだったか……?」

 しかし、レタさんは本当にカレーが好きだな。と、トキヤは奪われた基地の食堂でいつもカレーを食べていたレタの顔を少し思い浮かべてから。

「それで、ライズ。さっき髪を掻き上げようとして、やめたのは何でだ?」

 腕が上がらないようなら、診るぞ。と、身体に不調があるかどうかをトキヤはライズに尋ねた。

「あー……何というか、凄いねトキヤ氏。君の前ではJDである我が身では隠し事が出来ないんじゃないかとちょっと思ってしまった。あ、それで腕に問題があるかどうかという話しだけど、この身体に何か問題があるってわけじゃないから、大丈夫だよ」

 そして、自分の不自然な動きがトキヤに見抜かれていたことに気づいたライズは、少しだけ気まずそうな顔をしながら、その心配は不要であると言い。

「ただ……髪を掻き上げるのがちょっと恥ずかしくなっただけだから」

 ライズは頬を掻きながら、髪を掻き上げなかった理由を語った。

「髪を掻き上げることが恥ずかしい……?」

「やー。……これはだいぶ前の話なんだけど、資産家の子供ばかりを狙う誘拐組織の殲滅作戦中に救助した子供がパニックを起こして困っていたとき、何となく髪を掻き上げたらその子供が落ち着いてくれたんだよね。後でその子供にその時のことを聞いたら、『髪を掻き上げた貴方が強そうに見えて、安心できた』……と言われてね」

「……その子供にはきっと髪を掻き上げたお前が堂々としているように見えたんだろうな」

「そのようだね。それから我が身には髪を掻き上げる動作が敵には畏怖を、味方には鼓舞するような効果を与えるように思えて、戦闘の際は意識的にするようにしていたんだけど……いつの間にか無意識のうちにやるようになってね。癖になってしまったんだ」

「そうなのか。だが、別に悪い癖ではないだろう? 髪を掻き上げるお前は凄く強そうに見えたし、自信に満ち溢れているようにも見えた。ほら、むしろ良いことばかりだ」

「ははっ、嫌味かな? ……今、君の前で髪を掻き上げるのをやめた理由がそれだよ。君に出会ってからの我が身は常に強そうな感じ全開だっただろう? だというのに、我が身は昨日、一体のJD相手に二十四の身体を失うという大失態をおかした。……流石に羞恥を覚えてしまうよ」 

 というか、これほど恥ずかしいと思うのは初めてだよ。と、語ったライズは口を横に引き、半目になって、羞恥に耐えるような表情を浮かべた。

「……」

 そんな恥ずかしくてたまらないといった表情をするライズを見たトキヤは、真剣な面持ちで。

「そうか、――――それは良いことだな」

 と、ライズが羞恥を感じることを良しとする発言をし。

「……?」

 そのトキヤの発言をライズは少し不思議に思った。

 ライズはトキヤと出会ってからまだ日が浅いが、こういう場面ではJDを慰めるような言葉を掛けてくるのがトキヤという人間であると考えていたため、逆に突き放すような発言をトキヤがしたことを疑問に思い。

「……やー。そういえばトキヤ氏はこの国とはだいぶJDの取り扱い方が違う極東の島国出身だったね。……JD相手の羞恥プレイとかがお好きだったりするのかな?」

 トキヤがそういう趣味の持ち主なら納得できるとライズが一人で頷いていると、そんなライズをトキヤは冷めた目で見つめた。 

「……何というか、バルにしろお前にしろ、あの国の住人に偏見を持ちすぎじゃないか?」

「え? 別にこれは偏見じゃない筈だけどな。JD発祥の国である、あの島国の住人のJDに対する嗜好は他国の追随を許さず、JDと激しいプレイを愉しむ者が多くいる。……っていう情報が統合知能ライリス内だけでなく、一般常識としてこの国には伝わってるからね。それとも、この情報が嘘だっていうのかな?」

「……そういうことを趣味にしているやつがいないとは言わないが、全員が全員、そんな特殊な趣味を持っているとは思わないでやってくれ。あの国にはまともな人間も大勢居る」

「……トキヤ氏の価値観を基準にした、まともな人間というものに興味が湧いたけど、少し話しを戻そうかな。トキヤ氏、君が羞恥プレイに興味が無いのなら、君は何故、我が身が羞恥を感じることを良いことであるかのように語ったのかな?」

 そして、会話をすればするほどに自分の抱いた疑問の答えが遠ざかっていることに気づいたライズが疑問を素直に言葉にすると。

「そんなの良いことだからに決まっているだろう。なにせ、――――お前がまだまだ成長できる証拠だからな」

 トキヤは間を置くことなくその答えを語った。

「……我が身が成長できる証拠……?」

「ああ。心が成長するためには、どういう形であれ、心が大きく揺さぶられる必要がある。お前は昨日、羞恥という形で心が揺れたんだ。格好悪いところを見られて、恥ずかしいと感じるのはもちろんつらいだろう。だが、それを感じられないことが一番ダメなんだ。どんな刺激を受けても、何とも思わなくなったら終わりだからな。JDも人も」

「……」

「お前の例で言うならば、格好悪いところを見られて、恥ずかしい。だから、もうこんな恥ずかしい姿を見せないためにも強くなる。……と、心を揺さぶられたことが向上心に繋がる。まあ、中にはその刺激がマイナスに働いてケアが必要になる場合もあるが……、お前の場合は大丈夫そうだな。お前のことだ、たぶん昨日から今までレタさんと一緒にブルーレースに勝つ方法を模索してたんだろ?」

「……や、やー」

「なら、何の問題もない。ライズ、――――お前はまだまだ強くなれるぞ」

「――――」

 お前はまだまだ強くなれる。そうトキヤに言われた時、ライズの胸の中に得体の知れない感情が広がった。

「……」

 ライズはその感情が何なのかを確かめるために話すことをやめて黙ってしまったが、そんなライズの様子の変化をトキヤは特に気にすることなく、歩き続けた。

 そして、二人が無言のまま暫く歩いていると、遠くに見える食料配給所から大きな声が響いてきた。

「……サンとアイリスか?」

 その声に聞き覚えがあったトキヤはサンとアイリスが配給所の飲食スペースで喋っているのだろうと思いながら配給所へと近づき。

「――――出身の人って、それで疲れが吹き飛ぶんだって! だから、トキヤも……!」

「それ、本当なの、サンちゃん……? 何かおかしい気がするんだけど……」

 食料配給所に入ったトキヤは二人の元気な姿を視界に捉え。

「あ、トキヤ! ほら、行こうよアイリス!」

「え、えー?」

 同じようにトキヤの姿を見つけたサンとアイリスが席を立ってトキヤに近づいてきた。

「……ん? 二人ともどうした?」

 そして、二人が急に近づいてきたことを疑問に思ったトキヤが声を出したが、サンとアイリスはトキヤの疑問に答えることなく。

「やあ!」

「え、えーい」 

 ぎゅっとトキヤの腕に抱きついた。

「……は?」

 腕に柔らかい感触を感じながらトキヤが二人のその唐突かつ意味不明な行動に困惑していると、サンとアイリスはトキヤを上目遣いで見ながら。

 

「ぱぱー、まいにちお疲れさま! JDりふれ? で、一緒にやすもー?」

 

「えーっと、パパ……? 疲れてるみたいだけど、よく眠れてないのかな? 今日は耳元で大好きって囁きながら、添い寝してあげるね……?」


「……頭大丈夫かお前達」

 二人は頭大丈夫かお前達とトキヤが思わず言ってしまうような特殊な発言をしてきた。

「……」

 ……さて、バルを探すとするか。

 そして、アイリスは兎も角、サンのこういった行動に慣れていたトキヤは心乱すことなく、どこかにいるであろうバルの姿を探そうとしたのだが……。

「……!」

 背後から一歩後ずさるような足音が聞こえ、こういったことにまだ慣れていないJDがここにいることを思い出したトキヤは慌てて振り返り。

「……ライズ……」 

 トキヤは髪を掻き上げながら自分に絶対零度の視線を向けているJDの姿を確認した。

「……やー、やー、そういうことかー。トキヤ氏は羞恥プレイじゃなく、女性型JDや血の繋がっていない女の子にお父さんって呼ばれるのが好きな人かー。いやー、極東出身の人間は、ほんと、業が深いんだねー。うん、勉強になったよ」

「……待て、ライズ。お前は今、凄まじい誤解をしている。いいか、間違っても統合知能ライリス内にその情報をばら撒くなよ。詳しい説明をすぐにでもしたいところだが、この話は少し長くなるから、レタさんに食事を届けたらまたここに来てくれ」

「そんな話、聞かなくていいんだけど?」

「聞け――――聞いてくれ」

 ――――頼む……! と、予期せぬ出来事を前に、心が揺れに揺れたトキヤは、珍しく大声を出すのであった。

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