第159話 誓い再び

天正十四年 初夏 鹿島 伊藤景広


 「計画から五年、工事に入って三年半か……長かったがついに完成したな。直英なおひで、これまでの働き、誠ご苦労であった」

 「はっ!忝いお言葉です太郎丸様」

 「はははっは。本当に、この難工事をよくぞ無事に成し遂げたな!直英よ!俺もちち……太郎丸と同じように鼻が高いわ!」

 「……ありがたき幸せ!この大道寺直英、これからもこの非才の身を以て伊藤家に全力で仕えて行く所存」

 「そんなに謙遜するな。お主が非才であったとしたら、日ノ本にはまともに仕事が出来る事務方など存在せぬわ!は~っはっはっは!」


 どうしてであろうな?

 人前では父上のことを父上呼びせぬように気を付けているのだが、どうしても……まぁ、今回も上手く誤魔化せたので、この件は次回以降の課題とするかな!うむ。


 「太郎丸殿、コンスル景広。工事の竣工おめでとう。……これほど立派な運河は中々に、エスパーニャでもパイセス・バホスでもお目に掛かることは難しい。我らも陛下よりパナマでの運河建設の調査を下命しているが、果たして果たして、……これは大道寺殿を我らもお借りするしかないかな?はっはっは!」

 「お褒めに預り恐縮だが、エストレージャ卿。大道寺をお貸しするとなると高いですぞ?」

 「おお、それは怖い!は~はっはっは!」


 世辞込みだとはいえ、当家の者をそこまで評価していただけるのは嬉しいことだな。

 直英もこれを誉として、更なる仕事っぷりをこなしてくれると期待しよう。


 「某からも工事の完成を祝わせて下され」

 「おお!義尚殿!……これはわざわざご足労を頂きました」

 「何を仰る。この運河は当家一二を争う湊であるところの鹿島での工事。佐竹家当主として、某が席を外すことはできませんぞ」

 「左様でございましたか、いや、この直英からも報告を受けております。此度の大工事、和田昭為わだあきため殿がいらっしゃらなかったら一向に終わりが見えなかったと聞いております」


 うむ。

 工事の計画段階では、当家が行うのは技術と道具類の援助だけであったのだが、初めに派遣された佐竹家家臣の車斯忠くるまつなただ殿はどうにも当家に対して攻撃的だったというからな。

 古河に両家が集まって作った絵図面も工程表も無視して、己の一存で事を進めようとしたらしいからな。


 木製の工具だけで何をするつもりであったのだろうな。

 石を割る、削る、土砂を運ぶ、水の流れを塞き止める……どれも鉄製の専用工具が無ければ厳しかろうにな。

 案の定、車殿が指揮した数ヵ月は、旧来の霞ヶ浦出口に小舟を並べ、竹竿で底をつつくだけだったらしい。

 ……河口でそんなことやって何がどうなるのやら。

 石が竹竿で砕け、除去できるなど聞いたこともないわ。


 「和田は大町から棚倉に抜ける一帯に縁があってな。どうにも仕事ぶりの良くなかった車に替えて、伊藤家とも話が出来そうな和田に奉行を替えて成功しましたわ。いやぁ、絵図面の時点では工事の成功が見えたとの報告が、いざ着工したら工事は不可能であると言われたときにはどうなるかと……」


 うむぅ。

 義尚殿は家臣団を上手く把握しているかと思っておったが、やはり大身の大事業、変な利権漁りが沸いて出るのか……。


 「いやいや、殿。事は古河での数ヶ月に渡る検証で答えは見えていたのです。残りはどのように計画通りに工事を進めるかだけというものでした……」

 「かっかっか!わかった、わかった。和田よ。お主の言うとおりに、きちんと事は成った。誠に見事なことじゃな!」


 義尚殿も四十近く、一回り以上も年嵩の普代の臣は扱いづらかったということか?

 佐竹家当主となった経緯にも何かが有るであろうしな……その辺りは他家の者が口を挟むことは止めておこう。


 「してイスパニアのお客人よ、如何かなこの運河の出来映えと使い心地の予測などは?!」


 やはり、義尚殿はイスパニア語が使えぬ……。

 佐竹家に通事は……流石におるか。


 …………


 ぬ??

 いや……なんだ?この通事は??

 その様な物言いでは……エストレージャ卿はスペイン王国の重臣。

 スペイン本国にも広大な領地を持ち、メヒコでの影響力をも考えれば佐竹家よりもだいぶ……。


 「……ふむ?コンスル景広。あの御仁の表情から察するに、特に私を軽んじているわけではなさそうではあるが……この通訳の物言いに対しては怒っても良いのか?私は権力を笠に着るタイプの人間ではないが、この言いようには怒りを表現しても良いのだろうか?……見れば、この通訳はエスパーニャを見下しているようだしな」

 「あ、いや、しばらく。無礼の段は私の方から謝ります。この者には私の方から注意しておきます故!」


 ……そうなるよな。

 「直言を許す」とか、ここにいるのはどこの誰だというのだろうか……。


 あ~、父上も開いた口が塞がらぬようだな。

 佐竹家の通事を見上げてぽかんとなされておる。

 文字通りに開いた口が開けっぱなしだ。


 「……義尚殿。申し訳ないが、そこな通事は今後利用しない方が宜しいですぞ?難しい言い回しを存じてはいるようだが、如何にも無礼千万な語り口でエストレージャ卿に……そう、侮辱と受け取られても致し方ないような口ぶりで御座ったぞ」

 「な!!そのようなことは!私は水戸にいる伴天連から確とイスパニアの言葉を習い申した!佐竹家の威厳という物を……!」

 「黙らぬか!通事!……俺は佐竹家当主の義尚殿と話をしておる!伊藤家の統領が佐竹家の当主と話をしておるのだ!弁えよ!!」

 「な!な!なんという……!」


 ふんっ。

 どうせ佐竹家の重臣の縁者の誰それであろうが、俺はこの男の顔も名前も知らんわ。

 俺が知らん以上、この場ではエストレージャ卿を大事に扱うのが俺の筋というものよ。


 「と、殿……!」

 「良い、お主は下がっておれ……景広殿、エストレージャ卿。なにやら、我が方の通事が失礼な物言いをしてしまったようだな。申し訳ない。この通りだ」

 「「と、殿……!!」」


 義尚殿はそう言って頭を俺とエストレージャ卿に下げた。


 「改めて、景広殿にこの場の通事をお願いしたい。この運河の感想、改めてお伺いできるかな?」


 どうにも芝居がかったような気もするが、そうまで言われては俺としても吝かではない。

 喜んで通事を務めさせていただこう。


 ……

 …………


 「なるほどな。エウロパでもメヒコでもこのような運河は珍しいか。いやはや、エストレージャ卿のお褒めに預れて恐悦至極だ。この運河を使えば大型船のまま、内海に面した湊まで行くことが出来よう。我が領内にもそちらに多くの町が有る。この先はそのような場所でも互いに大きな商いが出来れば幸いだ」

 「……こちらこそ、喜んで」

 「はははっは。そう言ってもらえれば何より。それでは、これにて失礼をさせて頂く。もし卿にお時間が有ればこのまま鹿島の城で開かれる宴にも参加して欲しいところではあるが……」

 「……残念ですが、義尚殿のお気持ちだけを有難く頂戴します、とのことです」

 「左様か、実に残念だが、遠路はるばる日ノ本にお出でなのだ。後の予定も詰まっているのでしょう。……それでは、いずれまた」

 「……こちらこそ、時間があるときには鹿島だけではなく水戸にもお邪魔させていただきます」


 そう、型通りの挨拶を最後に、義尚殿と佐竹家の方々は現場から鹿島の城の方へと去って行った。


 この後は直英と共に俺も鹿島の城に向かうことになっているのだが……なんだか居心地が悪そうな宴になりそうだな。


 「中丸……」

 「ん?なんでしょうか?父上」


 我らも撤収の準備取り掛かっている中、父上が隣に来られ小声で話しかけてきた。


 「あまり考えたくはないが、宴は早めに切り上げて来い。……この時刻での宴だと、城で一泊と誘われるであろうが、無理をしてでもお前と直英、大将格の人間は速やかに古河なり鎌倉なりに移動できるよう万全の備えをせよ」

 「……父上もそう感じられましたか?」

 「ああ、あの通事のことだが……どうにもねちっこい空気を出していた。流石にお前の首を狙うとは思わんだろうが……万が一にも義尚殿と褥の仲にでもあったら色々と面倒だからな……」

 「わかりました。仰せのように手筈を整えておきましょう」

 「では、俺はエストレージャ卿と共に勿来の方に行っている。何かあったらお前も来い」


 なにもないに越したことはないが、こういう場面での勘働きは大事にした方が長生きできる、と安中や柴田の年長者は良く言うからな。


1586年 天正十四年 初夏 湯本湊


 「なんだと?佐竹の当主は今そんな状態なのか?」

 「ああ……義尚殿も兄の義重殿から佐竹家当主の座を引き継いで二十年程か?家中の統制や当家との付き合い方にも意見の変更が出てきているように見受けられた」

 「まぁな……何年も形ばかり、佐竹家の主導では大嵐後の江戸は復旧できず。厄介者よと手放したと思ったら、ほんの数年で景広殿の手によって江戸は生まれ変わりつつある。また、鹿島の運河にしても自分が据えた奉行を変えたとたんに難工事が前進する。家中に燻ぶる何かがあるとしたら、火がついても仕方がない状況ではあるな」

 「だよな~」


 先代の義重が佐竹家の家督を継いだ時には、当家とは一瞬だけ微妙な関係になりかけたが、義尚殿の登場でその不安も一掃され、なんとも幸せな関東の到来だと思っていたんだが……。

 四十も間近になって野心でも芽生えたのか?

 面倒なことだけど……。


 「同じ東国に居する家とはいえ、所詮は他家のことよ。疑いがある、というだけで介入するわけにも行くまい。……そうよな、一層のこと義宜殿と鈴音殿の祝言を急いでしまってはどうだ?」

 「……古河で祝言を挙げてしまえというのか?」

 「そうよ。事の初めは何年も前から義尚殿を通じて受けた話なのであろう?当主の了解も得ているのならば、本人たちの想いを尊重して式を当家の方で挙げても、こちらの言い分は通るだろう。聞いた限りでは、古河に詰める佐竹屋敷の人間は二人の祝言に大層乗り気なようではないか?話の持って行き方によっては一にも二にもなく、事を進められるであろうよ」

 「……本国が反対を示して来たら?」

 「その時は義宜殿が佐竹家当主となるだけであろうさ」


 吉法師さん。

 人の悪い笑みは止めてください。

 第六天魔王様になってるぞ?


 「吉法師の考えはわかる。おかしな血も流れぬであろう考えだということもわかる。だが、鈴音は俺の実の姉だぞ?……そのような謀に使うようなことはなぁ……」

 「何を言うのだ。鈴音殿も武家の娘であろう?それに、この時代で恋する男の元へと嫁げるのだ。有難がられることはあっても恨まれるようなことにはなるまい。……それにだ。俺が思うに機会は今のこの時を除いて存在せぬぞ?鹿島の運河建設と鈴音殿の祝言、この二つのことで少なからぬ佐竹家の家臣たちは当家に親近感を抱いておる。佐竹家を乗っ取れとまでは言わんが、家の中身を覗ける程度までには支配下に置いた方が良いと思う。……ここに来て、急速に大友と徳川が当家に近づいてきた。長尾も当家を立てている。このままでは当家を中心とした四国連合の枠組みは変わってくるぞ?」

 「佐竹、伊達が外れて大友、徳川が加わると……?」

 「うむ。少なくとも、尾張から西の商人界隈ではそういうことになっておるな。イスパニアの商人は良い意味でも悪い意味でも軍人上がりだから無関心を装っておるが、ポルトガル商人に明の商人は、伊藤家の重臣には、佐竹と伊達ではなく、大友と徳川について欲しいようだ」


 ……冗談じゃないぞ?

 なんだって、他国の商人にそんなことを言われなきゃならんのだ?


 「……お主には未だ見せておらなんだが……ほれ、これが東のイエズス会と西のイエズス会のローマに送った報告書だ」

 「……なんで、そんなもんを吉法師が持ってるんだよ?」

 「ふっ!何事も「念のため」だぞ?太郎丸よ」


 親友の深慮遠謀に恐れを抱きつつ、俺はその報告書を受け取った。


 ……むぅ。筆記体が達筆過ぎて読みにくいな。


 「ああ、時間が無いから詳しくは読まんでも良いと思うぞ。内容的にはそれほどでもないからな、俺が読んだ方が良いと思うのはその表題だな」

 「ん?表題だと……え~と、なになに?ウナ・エストラテヒア・デル・レイ・デ・ハポン・モトキヨ……仁王丸が日本国王か……まぁ、そうなるよな。っと、なるほど……仁王丸もだいぶ宣教師たちを使ってヨーロッパの各国に連絡を取っているか……」

 「うむ。上様も伊藤家の為にとヨーロッパの各勢力と繋がりを持っているのであろう。自らも日本国王として話をしておるな。目的は自由交易と友好的な不可侵同盟か?その枠組みをヨーロッパの各国と結びたがっていると記されておる」

 「なるほどな~。まぁ、別に悪いことじゃないから、存分に進めればいいんじゃないか?多少は事前に話をこっちにも振ってもらいたいところだけどさ」


 現状の日ノ本だと、外から見れば仁王丸が日本国王なのは間違いないもんな。

 そうなりゃ、ポルトガル商人達は大友家には博多大公にでもなって欲しいと思うよね。

 徳川家はさしずめ紀伊大公かね?


 「ほう。太郎丸は上様が「勝手に」ことを進めることには反対するかとも思ったが……良いのだな?」

 「ああ、もちろんさ。仁王丸が悪事に手を染めるというのなら全力で阻止をするが、日本国王としてヨーロッパの各国と友好条約を結ぼうと、イエズス会を通して打診をしているのなら問題なしさ。寧ろ、そのあたりのややこしい「外交」って部分は進んでお任せしたいよ。……結局なんだろうな。俺がしたいことってのは……」


 ……うーんと、なんだ?

 昔にそんな事を考えていたような?


 お!そうか!


 「「世界相手に大喧嘩をしないか?」」


 あら、被っちゃったね。


 「くくっく」

 「はっはっは!」

 「「あ~はっはっは!」」


 そうか、吉法師も覚えていたか。

 もう、何十年も前の勿来の裏磯での誓いを。


 「太郎丸よ。お主が死んで、生き返って……何度か不安に思ったこともあったが、やはりお主はお主のままか」

 「当たり前だろう?俺の方こそ、吉法師だけ年を食って、人格が丸くなっちゃったかと思ってたぞ?」

 「ぬかせ!……そうか、ならば良い。ならば良いわ!」


 なんだか、うっすらと目を潤ませている吉法師。

 いやぁ、どうにも心配を掛けていたんだね……。

 って言っても、前々世の信長さんなら数年前にサクッと本能寺で死んでるんだぞ?心配したのはこっちだわ!


 「あら、信長様と太郎丸様。お二人仲良く楽しそうですね?」

 「あはは、まぁな。沙良も久しぶりのエストレージャ卿とのひと時は楽しめたか?」

 「勿論!二人でゆっくりと湯本の温泉を頂きました」

 「そうか、それは何よりだな」


 今日は鹿島より戻って来たら日もだいぶ陰っていたので、勿来城までは戻らずに湯本の水軍基地にある迎賓館にお泊りである。

 女性陣が施設内の温泉に浸かってる間に、男二人で会話をしていたという流れ……。


 「おや?太郎丸殿は何やら愉快そうな表情だな。うむ、その方が年相応に見えて好ましいと思うぞ?」

 「あはは、それは有難うエストレージャ卿。もしよろしければ、あなたが滞在中に沙良と結婚式を挙げようと思っているのだが、ここは是非とも式で彼女を祝福してはくれないだろうか?」

 「「!!!!」」


 ぬ?なぜに驚く?


 「やはり太郎丸殿はカステリャーノを話されるのか?!」

 「何か大事そうな話なのにスペイン語で喋ったぁ~!!!」


 伯母と姪、違う原因で驚いたのね。

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