第158話 ちょっとは前向きに

天正十四年 春 諏訪 真田信幸


 「最終的に飛騨の被害はわかったのか?」

 「はぁ……なんとか……ですが、この報告が最終かどうかは某にも……」

 「な!そのようなことでどうするのだっ!それでは儂らを信じて東山三国をお任せ下さった伊織様に申し訳が立たぬではないかっ!」

 「「ひ、ひぃっ!」」


 飛騨管轄の事務方も大変だな。

 報告の度に勝頼殿の怒声を浴びねばいかんとは……。


 「落ち着いて下され、勝頼殿。彼らも土地勘が無いなりにも必至で調査を続けているのです。……ご苦労だったなお前たち……だが、正確な報告が出来ぬでは伊織様に対し面目が立たぬのも事実、今晩は諏訪でゆっくりした後、また飛騨に舞い戻って調査を続けてくれ、頼むぞ」

 「「は、ははっ!」」


 ぱたぱたぱたっ。


 飛騨に派遣された事務方たちはすごすごと大広間を去って行く。


 「信幸殿の申す通りですぞ?勝頼殿。今少し落ち着きなされよ……」

 「む?……俺としてはそんなに大声を出していたつもりは無いのだが……ふむ。信幸殿と直政殿がそのように申すのなら、ちと声が大きかったのだな、以後は気を付けよう」

 「「……」」


 私と直政殿は思わず顔を見合わせてしまう。

 これが勝頼殿への何度目の注意かは……正確な数は忘れてしまったが、だいぶ……いや、気にはすまい。

 こうして、若輩の我らが言うことにも素直に耳を傾ける器量をお持ちの御仁なのだ。うむ。


 「しかし……こうも毎回調査報告が新たに上がるたびに、被害の数と地域がうなぎ上りとなると……勝頼殿のように声を上げたくなってしまうわな」

 「幸いにしてと申すか、なんというか、儂のいる松倉城周辺の盆地では山沿いのがけ崩れとそれに巻き込まれた民家に田畑……被害者も数十名ほどで済んだのだが、飛騨でも越前よりの北側では山崩れが酷い。帰雲かえりぐも城などは埋まってしまったというし……」


 そう、此度の地震では飛騨の松倉城のある盆地を除いて、ほぼ全域で壊滅的なまでの被害が出た。

 吉城よしき郡の全域と大野おおの郡の西は、ほぼ全滅と言っても差し支えが無いほどだ。

 この二か月ほどで、道……街道と呼べるほどではない、獣道を多少広くした程度の道は拓いたが、その道を使って大まかな様子が届いてきた。


 帰雲城は山崩れをもろに受け、地上部分はほぼ埋没。

 周辺の村々も土砂に埋まるか、川筋が消え、行き場を失った山水に流された。

 帰雲城には、美濃の郡上ぐじょうや松倉城から西に延びる街道が走り、庄川しょうがわ沿いに長尾方の福光ふくみつ城まで繋がっていたが……どうにも付近一帯が土に埋まった模様だ。

 被害の総数は調査結果待ちだが、今の段階で二千から三千は死者が出ている……。

 土着豪族出身の内ケ島殿の一族や領地替えで一帯に移った神保殿の一族は……何とか生き残りが見つかってくれれば良いが、あれから二か月……望みは薄いであろうな。


 「しかし、被害は二千を超えるか……あの一帯は金銀が報告されておったからな……そうなると飛騨の開発が遅れていたことは不幸中の幸いなのかも知れん。鉱山開発が進んで山の中にまで多くの人が出入りしていたらと思うと、ぞっとせぬぞ?」

 「その通りではあるがな、正直まさなおよ、飛騨の開発は三木家に代わり、当家、保科ほしな家が請け負った仕事。その仕事が上手く行っておらぬとは本来恥ずべきことなのじゃぞ?」

 「その点は重々……されど、此度の被害はそのようなことをも思い付いてしまうということです」

 「「左様……」」


 伊織様が三河の築港の指揮を為されるために諏訪を一時的に離れられ、後のことは我が伯父、信綱と昌輝の両名に政の統括を委ねられ、武の統括は引き続き諏訪勝頼殿に託された。

 私は上田城において北信濃の統括を、同年代の井伊直政殿は甲斐の統括を、そして飛騨の統括を保科殿のご一家が任されている。

 伊那地方を含む南信濃は伯父上たちが統括を兼任し、ここ諏訪より見ている形だ。


 「しかし、一応は東山三国の領内におる土木奉行の者達や、予備扱いにしておった兵共を集めて主だった街道の復旧には従事しているが……これでは以前の状態に戻るまでにどれぐらいかかるかわからんな」

 「斎藤家の明智殿からの要請もあり、東海におられる伊織様との連絡を付けるため、東山道の方を優先的に復旧させる方針を取ったので、何とか信濃から美濃、尾張への街道は戻ったが……」

 「能登、七尾の信忠殿との連絡が遠のいたのがな……言うても、吉城郡や帰雲城の辺りは能登からの物資の流れが必須であったからな。今では七尾への連絡手段は大きく北回りとなってしまい、どうにも本領より切り離された感が強い……長尾家の直江殿はじめとする者達は当家に友好的だが、西の者どもの本心は計り知れんところがある。いざことが起こった暁に、東山の精鋭を信忠殿の元に送り届けられん、では伊藤家の皆様方に顔向けできんぞ!」

 「「うむぅ……」」


 元は長尾家に恭順していた真田家の面々以外は、どうにも長尾家を敵視する傾向があるようだ。

 私などは幼い頃から伊藤家に仕えていたので、あまり詳しくは知らないが……叔父上たちが言うには、長尾家にそのような気概、己よりも圧倒的強者に喧嘩を売るような気概を持った武将はもう残っていないらしいが……はてさて。


 「ともあれ、今は長尾家のことを考えていてもしようが有るまい?聞けば若狭湾の辺りは津波の被害で酷いものだという。彼らもその対応で大わらわであろう。まずは、我らに出来る範囲のことから為して行こうぞ」

 「そうだな、昌輝の申す通りだぞ諸将。とりあえずは西の街道復旧が終わったので、人員物資を飛騨に向ける。木曽から松倉城までは繋がっているので、その北に向け、高原諏訪たかはらすわ城を越える街道と、帰雲城を越える街道の復旧に手を尽くそうぞ!」

 「「おうぅ!!」」


 そう、出来ることを出来る範囲でこなさねばな。


 ふむ……そういえば皆様は伊織様への報告ばかり考えているが、古河への報告はどうなのであろうか?

 確かに、今は上様、大御所様ともに古河にはおられるぬが、信長殿初め才ある者達も残っていよう。

 よし、ここは私の出来る範囲で報告を行っておくか……。

 古河の土木奉行を訪ねた折にいろいろと骨を折ってくださった景竜様宛にしたためれば良いだろうな。


1586年 天正十四年 春 古河


 ぱさっ。

 ぱさっ。

 ぱさっ。

 ふぃ~っ。


 竜丸が持ってきてくれた信幸からの報告書。

 なんともまぁ、気が滅入るばかりの被害状況である。


 「吉法師はもう読んだの?これ?」

 「おう、読ませてもらったぞ?しかし飛騨から越中、越前への道は全て閉ざされておるか……」

 「しっかし、今回の大地震。いったいどこが震源なのやら……被害が起きたところを上げるだけでも、三河湾、伊勢湾に大津波。美濃で地割れ、山崩れ。北飛騨で山崩れ、洪水。若狭湾で大津波。近江で地割れ。京や飯盛山含める畿内で建物倒壊……これって一ヶ所での地震じゃないよな?」

 「なんだ?その震源とやらは??というか、地震の被害に何ぞ法則でもあるのか?俺は初耳だが?」


 ああ、そういや地震学って結構新しい学問だったんだっけ?

 まぁ、地球物理学自体、毎年のように新説が出てくる物だったもんな。

 前々世のブラブラチャチャチャは大好きな番組だったんだがな……ってそうじゃないか。


 「まぁ、地震ってやつは火山が噴火したり、地面がずれたりして起こるもんで、なんだかんだと、その原因となる場所の近くでしか被害は出てこないもんなんだよ……だいたいは」

 「そうすると、兄上は此度の地震は一つでは無かったとお考えで?」

 「そうだな……ここまで広範囲の被害だとそう言うことになるかな……でもまぁ、今はそんなことを言っててもしょうがないか。全力で被害を受けた地域の復旧に努めないとな」

 「左様でございますな」


 ここ最近の古河での評定メンバーにより開催される円卓会議である。

 参加者は俺を筆頭に……って、惣領息子とはいえ十一の俺が筆頭でいいのかな?とも思わんではないが……。


 俺、竜丸、吉法師、忠宗、忠清……は今は東海方面に出張中、後は業平。

 一応は護衛役の輝と美月も参加しているんだが、二人そろって広間に面した庭で剣客談義をしている。

 お茶の用意をしてくれた杜若と千代、数少ない既婚者の娘たちは子育て論と夫の操縦論を縁側で熱く語っている。

 なんとも自由な方々である。


 「で、今日は地震の対応ともう一つ、実は相談したいことが有るんだ」

 「ふむ。さては太郎丸と沙良の祝言の日取りか?確かに、凶事の年はこういったことを順送りにする場合も多いが、沙良も良い年だからなぁ。あまりに遅らすのも男の甲斐性が疑われるぞ?」

 「いや……ちがう……」

 「では、うちの笙に手を出したことですかな?」

 「な、なんと!!それは真か?!業平殿!!……くぅっ。柴田に先を越されるとは!……梢も何をしておる。早う太郎丸様を押し倒さぬか?!」

 「いや……ちがう……というか、俺は笙に手を出してはいないぞ……」


 うん。

 なんとなくキスはしましたけどね。

 うん、なんとなくですよ?なんとなく。

 十一の幼なじみがお互いに、軽くちゅっとしただけで、特に深い意味は御座いませんから。


 「くっくっく。左様なこととしておきましょうぞ。……く~っくっくっく、あ~ははっはは!」

 「くっ……これは今晩にでも梢に発破を掛けねば!」


 止めなさい、お爺ちゃんが二人で大人げない。


 「信長と忠宗と業平の冗談は置いといて……まぁ、祝言と言えば佐竹徳寿丸殿……元服されて義宣よしのぶ殿ですかな?彼と鈴音のものでしょうか?」

 「おおっと、それもあったな。本来であれば、仁王丸か姉上が古河に戻られてから行うのが正しいとは思うが、二人の気持ちが固まっているのに、周りのことで日延べするのも可哀想だよな。……だが、それでもない」

 「そうよな、気持ちが固まった二人というのであれば、お主と沙良が先よな?」


 くどいな、吉法師よ。

 さっきから連続して俺を揶揄ってくるスタイルの親友がウザいです。


 「……そうではなく、この一丸からの文のことだ」

 「おや?私はてっきり、その件はありえぬ事案だとばかり思っておりましたが……」

 「ふむ。……俺も景竜殿と同意見であまり深く考える物でもないと思っておったが……」

 「左様……某共もご両名のように……」


 なんだよ、皆反対なのか、大友家への技術供与。


 「一顧だにしないまでの反対なのか?みんなして……う~ん、正直なところ俺は条件付きなら承諾しても構わないのではないかと思っていたんだが?」

 「ほう?……理由を聞いても良いか?太郎丸よ」

 「勿論だとも」


 ぐびっ。


 まずは冷やした凍頂茶で喉を湿らす。

 造幣技術向上のために日々研鑽を続けている厩橋の村正一門が、またもや方向性を誤った逸品を作り上げた。

 薄く叩き伸ばされた銅製の壺にコルク栓。

 これを深い井戸に沈めると、あら不思議、夏でも冷え冷えの飲み物が頂けるというのです!


 この城ってどれぐらい掘れば水が出てくるのかな?という素朴な疑問から生まれた古河城は奥の丸の井戸。深さは七十尺以上はあるよな、鹿島運河の建設現場で活躍しているウインチの試作機と共に天然の個人用冷蔵庫として活躍中である。……俺の部屋の前で。


 まぁ、良いよね、この一年、満足に勿来や羽黒山に帰れないストレスのはけ口として井戸を掘るぐらい。……言うても実作業は僕じゃないけどね。


 「……確かに、海運力、水軍力は伊藤家が日ノ本で一番の勢力になった原動力の一つだ。四国連合はそれぞれが南蛮船を建造できるようにはなっているが、保有している数、規模、性能共に当家が随一だ。連合に組みさない他家ではそもそも南蛮船が建造出来ていない。……この技術を一部でも教えてしまっては、伊藤家の、ひいては今の日ノ本の秩序が壊れかねないと懸念しているのだろう?」


 こくり。


 深く頷くみんな。


 「だが、その考えは日ノ本の中で互いに敵対し、相争った場合の思考だ。ここで発想を変えてみよう、日ノ本を一つの国と捉え、周りを他国とする……」

 「……む?日ノ本を伊藤家、明国を伊勢家とでも置き換えるというのか?」

 「そうそうそう、そうすると今度は大友家は当家の一地方と考えることが出来る」

 「言われることはわかりますが……大友家、そこまで信用できますか?」

 「どうだろうな?忠宗の言うような信用はそもそも要らないと考えるんだよ、俺は。大友家はそもそも伊藤家よりも長い期間南蛮人、この場合はポルトガル人だな、彼らと付き合いがあるし、明とも独自の交易を行なってきた。感覚としては、俺達が思っている以上に、日ノ本と周りの他国との違いを意識しているのだと思う。その証拠が、朝鮮への交易を開始したいと言ってきたことだと思うし、島津家に琉球交易を許可したことなんだと思う」


 俺の発言に皆がそれぞれの思考に沈む。


 「しかし、兄上。そうは言っても他国は海の外。地続きや内海を越えた隣国の方が利を取りやすい相手なのではないでしょうか?」


 議論を活性化するための刺激を投下してくれる竜丸。

 相変わらず切れる男は違う、助かるぞ。


 「そう、その通りさ。「今の」状態なら地続きの他国に嗾けた方が利が大きい……というよりも楽だということだな。だが、どうだろうか、そんな彼らが気軽に海を渡る手段を手に入れたら……」

 「自分たちよりもはるかに強大な我ら伊藤家が控える日ノ本での争いよりも、海の外に目を向けるということか……ふむ、なるほどな」

 「大陸は日ノ本に比べると、考えるのが嫌になるほど大きい。人の数も何十倍、何百倍というものだ」


 う~ん、何百倍は流石に嘘か。

 今の日ノ本で二千万人ぐらい?

 一方大陸の国々、明への朝献国が女真、朝鮮から東南アジアまでと考えると三億ぐらいは行きそうだよな軽く……ヨーロッパ人による虐殺やら奴隷狩りも前々世よりも緩やかなようだし。


 ともあれ、これからは世界に目を向けるのも大事だと思うんだよ。

 前々世の世界で行われた秀吉の朝鮮出兵はどうかと思うけど……。


 「あと、製鉄技術は絶対に渡さない。必要な部品は売りつけるだけ。もちろん、時間が経てばどんどん模倣されるだろうとは思うけど、当家の技術を越えるには百年では足りないだろうからね。それまで、いままでのようにしっかりと職人たちに報いていれば問題ないと思うしさ」

 「なるほど……売りつけるというのは面白い。そもそもが一から船を造れるような船渠を造らせる必要もないわけだしな。当家の船の修理と改修ぐらいが当面は出来れば問題なかろう」

 「ほほう。さすれば、今はだいぶ生産数を調整してきた横浜などの職人たちにもやる気が戻ってきますな!これは景広様を通じて、彼らの気持ちを引き締め直させませんとな!」

 「大友からの贖い……銀になりますな。うまく行けば彼らに銀子程度は作らせるということも可能になるのでは……」


 おおっと、竜丸君が大友の職人たちをこき使おうとしている……。

 そこまで銀貨加工は難航しているのか……。


 「うむ。これまでは議論することすらばかばかしいと思っていたが、これは俺たちの考えが浅かったな。また、一つ太郎丸には教えられたわ」

 「左様ですな……まずは儂と業平殿で、条件の叩き台を作ってみますかな?」

 「では、私は船とそれぞれの部品の代金を計算してみましょう」

 「俺は……そうだな、安房にでも行って獅子丸と相談してくるか。公開しても差し支えない技術部分と秘匿すべき部分。十文字の知恵を借りてこよう……はっはっは!こいつは面白くなってきたな!どうにも気乗りしない畿内遠征からこの方、肩が凝って心が重くてしょうがなかったが、久方ぶりに心躍る仕事に出会えそうだぞ!」

 「では、そういうことで頼むぞ、みんな!俺は一丸に、前向きに検討してみるとだけ返事を書いておこう!」

 「「ははっ!」」

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