第157話 巨椋池改修計画

天正十四年 春 飯盛山 伊藤瑠璃


 なんなんだろうね、この虚無感。

 わかってたよ?私が畿内に行けば忙しい日々が待ってるってさ。

 だからこそ、放光寺では会議の話が嫌な方向に流れそうになった時に、父上に見つからないよう外に出ようとしたのにさ……。


 「はぁ~っ……」

 「ん?どうしたの?瑠璃ちゃん?そんなに深いため息なんかして~?」


 こてんっ。

 私のため息が、さも不思議だと言わんばかりに首を傾げて話しかけて来る伏ちゃん。


 「そそ、父上も言ってたじゃない。ため息一つで幸せ一つが行っちゃうってさ!」


 こてんっ。

 双子の姉と同じ顔と仕草ながら、なんか双子の伏ちゃんとは方向性が違う話をする杏姉。


 「やるせない気持ちは解るけどさっ!ここは前を向いて頑張って行こう!」


 お~!と勢いよく声を上げて拳を突き上げる清ちゃん。


 ……ちなみに、清ちゃんは私たち姉妹の叔母に当たる人で母上と同年代なんだけど、「清ちゃん」って呼ばないと怒る。

 「叔母上」なんて呼んだら、それはそれは阿修羅の如き形相で睨んでくる。


 ……いい加減、清ちゃんも四十を過ぎてるし、息子も産んでいるんだから、姪たちにちゃん付けを強要しなくても良いと思う。

 素直に自分の年齢を考えて、「叔母上」と呼ばれるのを受け入れて欲しいよね。


 「……!瑠璃?なんか変なこと考えてない?!」


 ぷるるるっ。

 私は全力で否定を示す。

 滅相も御座いません!!


 「そんなことないよ!清ちゃん!!単に、清ちゃんっていつまでも若いよな~って思ってただけ!」

 「……なんか引っかかるけど、いいでしょう。若いと言われて喜ばない女性はいないもんね!ありがと。……これも兄上が作り出した肌薬のお陰だよ?」

 「そう!その肌薬だけど、清ちゃんって新作使ってるの~?今までに香ったことのない感じだよ?!」

 「ふっふっふ。よくぞ見抜いたね伏!これは僕の旦那様が蝦夷地から持ち寄った花を使った新作肌薬なのさ!」

 「おお!蝦夷地から?!」

 「そうそうそう!つまりね……」


 ふぅっ。

 ありがとう伏ちゃん。

 上手いこと清ちゃんからの追及の手を躱してくれた。


 この時々怖くなる清ちゃんが、私たちの助っ人として奥州からやってきたのは三日ほど前。

 景貞大叔父上と一丸兄上から巨椋池の畔に城を建てると聞いた時……「そんな大工事の指揮は私には無理!築城経験ある人呼んで来て!」と私は自分の悲痛な思いを即座に文にしたためた。もちろん、宛先は私をここに連れて来た張本人の父上だ。

 そして、私からの早手紙を受け取った古河の父上が、清ちゃんの畿内出張を手配してくれたというわけ。


 なんだろうね。

 兄上たちの私に対する信頼って、もはや過信に近い程度にまで進んじゃってるよね。


 いや、無理だからね。私にそんな築城なんて……って、普通の築城なら出来るかも知れないけど、今回は無理。

 だって巨椋池の畔の……どう考えても、この先数百年は畿内流通の要となり、事によっては堺を凌ぐほどの町になるかも知れない場所に造る城だもん。私の知識では物足りない。

 伊藤家の城なんだから、中途半端な物をそんな要所には建てられませんってば。


 とまぁ、そんな泣き言を父上に文に書いたら、即座に清ちゃんを飯盛山に送ってくれた。

 ありがとう父上!!これで何とかなるよ!

 だって、清ちゃんは伊藤家の土木奉行の次席だもんね。実績、知識共に申し分なし!


 「清ちゃんがお土産でくれる新作肌薬は良いとして、ちょっと新しい城の話をしても良い?」

 「……さらっと僕の肌薬を持って行く気だね?まぁ、良いけどさ」


 そりゃ、私も乙女ですから、新作の肌薬は欲しいに決まっています。


 「あははは。……で、この築城はどう考えるの?清ちゃん」

 「そうだね~」


 私の問いに対して、下唇を右手でつまみながら屏風板に張り出した地図に目を向ける清ちゃん。


 「当家の築城大原則として、城は高台に建てる。これに当てはまる地形は、淀川の北の天王山てんのうざん、南の石清水八幡がある男山おとこやま、山科からの川と合流した宇治川うじがわの北の伏見の丘陵地ってところね。そこからこの城の存在意義を考えると……場所は一ヶ所になる」

 「商人町が発展する場所として唯一挙げられる伏見の一角ですか~?」

 「そういうことだね伏。……これがただの軍事拠点だったり、京の市中を防衛するためのって意味なら天王山に築くのが一番だろうけど、僕たちにそんな考えは無いもんね。あくまでも新しく造られる町を管理・管轄するための城。そうなると広い土地を確保できる伏見一択だね」


 そう、この話を聞いた私たちもまずは伏見に目を付けた。

 もちろん一丸兄上も伏見を第一に検討された。


 「ただ、問題はやはり巨椋池だよね。大きな川だけでも、賀茂川かもがわ桂川かつらがわ山科川やましながわ宇治川うじがわ木津川きづがわ……それらが合流して海に流れる淀川よどがわ。これらの河川の遊水地として機能する巨椋池。これは非常に難儀な仕事だと思うよ。言ってしまえば、巨椋池の管理が山城の治水の大部分を占めていると言っても過言ではないと思うんだ。正直なところ、この工事は山城に、畿内に住まう人々が行うべき工事であって伊藤家で行うものではない、と僕は思う」


 本音はその通り。

 事務方の皆が思っています。


 「ただ、そうは言っても淀川の流通路としての整備は上様、大御所様初め、皆様の総意で決めたことですし~」

 「……私たちの不肖の妹達が暴走した結果でも……ある」

 「一度手を付けたことを道半ばで放り出すのも、なんか癪に障る……」

 「「はぁ~っ」」


 どうやら私のため息が三人にもうつったようね。


 「町と城の区割りは絵図面で済ませ、先ずは巨椋池の整備に関しての案を練ろうか。……人員と費用は頭に入れなくて良いんだよね?瑠璃?」

 「ええ、そのぐらいは一丸兄上に任せましょう。なんといってもこの話を持って来たのは兄上なんですから、責任もってやり遂げてもらいましょう!」


 そう、一丸兄上はこの工事の費用・人員の工面に忙しくて、この場にはいない。

 今頃は堺に諸将を集めて、そのあたりの会議をしていることだろう。

 この工事の金と人、兄上はそのほぼすべてを徳川家、長尾家、大友家、長曾我部家、尼子家に最近当家に臣従をしてきた浦上家に任せることとしたようだ。


 これもすべては父上の悪癖が招いたこと。

 なんだっけ?

 地域の活性と住民の仲直りには大規模土木が一番!だっけ?

 わからなくはないけど準備と指揮する方は大変なのよね。


 うん。せめて交渉事は発起人の兄上に丸投げさせてもらいましょう。


天正十四年 春 名古屋城 伊藤景貞


 「伊織よ、此度はなんとも残念であったな……」

 「兄上……」


 ふむ、年を取ってから授かった樹丸を亡くして……そう、もっと伊織の目に力がないことも覚悟していたが……これならおかしなことにはなるまいな。


 「ご心配お掛け致しました。……なに、息子から最期まで伊藤家のために働けと発破を掛けられてしまいましたからな。そう易々と老け込んでしまうわけには行きませんよ」


 そう言って伊織は涼やかな笑みを浮かべた。


 うむ、前髪がかなり白くなってはいるが、まだまだ活力に満ちているようだな。結構、結構。

 まぁ、白髪に関しては俺も伊織のことは揶揄えんな。俺のこの髪は既に真っ白になってしまっているからな。伊藤家の男は須らく白髪になるようだ。……父上もそうだった。


 そう思うと、俺は思わず自分の髪をかき上げていた。


 「さて、本題に入ろうか。周りには特に発表してはいないが、俺は六波羅を去り、ここ名古屋城に居を構えようと思う。……これだけの被害だ。一年、二年では復旧は出来まい。名古屋から尾張、三河、遠江をみることとなる」

 「それが良いでしょう。……此度の地震、その大元は美濃の山中と思われます。そのお陰で北尾張、美濃の辺りはどうにもきな臭くなりそうです。ここまで美濃の斎藤家は竹中殿の後を継いだ明智殿がよく治めてきましたが、この大地震を契機に明智殿の反対派が蠢いているようです。……これは小太郎からの報告なのですが、この反対派は畿内の三好残党の足軽や近隣の野武士どもを銭で雇い、領内の治安を悪化させているとのこと」

 「自らの手でか?!」


 これは呆れてものも言えんな。

 奴等の目的は治安悪化による混乱を作り出し、明智殿を始めとする今の斎藤家の中枢に打撃を与えることなのであろうが……。

 そんな事をしては国は荒れるし、領民の心は離れるぞ。

 更に隣領は我が国。


 ……これは伊織の言うように、流民で混乱が起きそうな気配だな。


 「既に流民の第一波と思しき集団が熱田の辺りに集まり出しているようです」

 「熱田にか……しかし、熱田は栄えた町とはいえ、食糧がふんだんに集まるわけでもあるまい。寧ろ、熱田の町では食い物を外から買ってきているはずだぞ」

 「はい。既にその問題は発生しているようでして、これまで名古屋を中心に復旧の指揮を取ってきた行長ゆきながの元には、熱田の顔役から追加の食糧援助の願い出が頻繁に来ているようです」

 「ふむぅ」


 今のところは太郎丸が、関東の食糧を送ってきているから回っているのだろうな。

 また、季節もなんとか冬が終わりを迎え、未だ肌寒い日もあるが、一日中火箭暖炉に薪をくべなくてもよい日和にはなっているのも助かっている一つの要因だな。


 「しかし、このような状況で流民とは厄介だな。常の者達とは違い、今回の彼等にはその日をやり過ごすための手持ちをも奪われての移動なのであろうからな……そのような者達を「国に帰れ!」と刀で追いたてても効果は薄かろう。ある程度の目処が立つ土地を与えるか、食うに困らぬ、家族を養えるような仕事を世話せねば、今度は当家の領内が荒れるか……」

 「ええ、ですがその点については、私の方で対策に心当たりがありますので、ご心配なく。それよりも問題なのは今年の秋以降の美濃の動きです」

 「おお、そうか。お前に自信があるのならば流民対策は任せよう!……して、問題とはどのようなことを想定しておる?」


 家中の他の者に言われるよりも、伊織の口から問題、と言われると非常に嫌な気がする。


 「この流民の動き、報告はここ尾張と伊那で受けていますが、まず間違いなく越前、近江、伊勢にも向かっていることでしょう。つまりは多くの民が土地を捨てる。今年の斎藤家では満足な年貢は集まりますまい。……切れ者と名高い明智殿のならば、もしもの時の備えをしているのでしょうが、斎藤家に仕える全ての将がそうとは限りますまい。……間違いなく何ヵ所かでは、無理な徴税による一揆や民の野盗化が起こります」

 「その結果、美濃では家臣同士の戦や、血迷った豪族が他国に兵を差し向けることになる……か」


 戦の時代には一区切りが付いたかと思ったが、そう簡単には行かんか。


 「戦などはやらぬに限るし、人が一時的に去っても土地は残るのだ。子が成長するにも時が掛かる。ここは無駄な争いで起こる人死にを減らすことが肝要だな」

 「左様です、兄上。そこで兄上には騎馬隊を使った巡撫を組織して欲しいのです」

 「ふむ……騎馬隊を使った巡撫などは、それこそ下野や上野で散々っぱら行ってきたことなので「任せておけ!」と言いたいことではあるが……それで十分な対処になるのか?」


 伊藤家の奥州馬で編成された騎馬隊を見せ付ければ、たしかに中途半端な野盗などは恐れて不埒な考えなどは抱かぬだろうし、多少は頭が働く者ならば他所の国へと逃げ出すであろう……。


 だが、問題の多くは美濃で起きているのであろう?

 斎藤家の領地を、幾ら相手先が我らに臣従しているとはいえ、むやみに騎馬隊を走らせたりしては後にしこりが残ると思うのだが?


 「美濃は他国であろう?良いのか?」


 俺は疑問を素直にぶつけることとした。


 「確かに、ただ単に伊藤家の騎馬隊が領内を走るのであれば、斎藤家の者達は面白くありますまい。そこで、先ほどの流民を使う策を使います」

 「ほう?……で、どういう?」

 「此度の大地震、私は森の築港を指揮していて被災しました。その所為でと言いましょうか、人足に不足が出ているのです。私はこのところに此度の流民を充てたいと考えています」

 「なるほどな……だが被災して動けぬ者達にも当初の日当は渡しているのであろう?そこに多くの者を新規で雇い入れては銭が足らなくはならんか?」


 森の築港は勢いで決めてしまったからなぁ。

 後から予算を竜丸に送ったら、盛大に怒られてしもうたわ。

 「日払いの銅貨をどこから持って来ればいいのか、自分に変わって考えてくれ!」とえらい剣幕であったな……。


 「ええ、残念ながら日払いの銅銭にはそこまでの余裕は有りません。ですので、今回は現物支給、長屋での住まいと日々の食事を提供することで銭払いの代わりとしようと考えています」

 「……ふむぅ。良い案だとは思うが、それで民が納得するか?」

 「日常生活が無事に送れている状況ならば人は集まりますまい。だが、今は状況が違いますからね。流民の多くは落ち着いた寝床と日々の食事が何よりも欲しいでしょうし、我らは銅貨を渡さずに人足を集めたい。無論、しっかりとした報酬としての食事は提供していきます」


 うぅむ。

 なんとも困った境遇の民を安く買いたたくような気がして、どうにも気が進まんが……かといって代案は無いしな。

 流民が流民として居座るのは治安の悪化を招くし、そのような無策では領内の寺社商人達も当家に税を納める気は無くなろうからな。


 「わかった。その線で事を進めることにしよう!……と、それは領内の流民対策であろう?さっきまでの話とは少々違うものではないのか?」

 「ははは、いえいえ、同じことなのです。この計画は森の築港だけでなく東海道の復旧と名古屋から稲葉山城下、中山道に至る街道でも行おうと考えております」

 「……なるほどな。斎藤家の領内でも工事を行い、その警護や周辺の治安維持のための巡撫隊ならば筋は通るか。……ということは斎藤家には話が通っているのか?」

 「はい。大まかなところは明智殿と文にて、細かいところは現在、行長が稲葉山に赴いて明智殿と詰めております」

 「そうか、わかった!」


 相変わらず伊織は仕事が早い。


 ……樹丸のことは返す返すも残念なことではあるが、少なくとも弟の心が弱っていないとわかったのは良かったというものだ。

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