第136話 三枚の証書
1583年 天正十一年 冬 安房・館山
「……ということで!お父さん!私は太郎丸様の最初の妻になることに決めたからっ!」
「……ナニガ、とういうことでナノダ、サラ……」
黒姫様がスペインへ戻られてより、なんだか良く分からんうちに……。
うん。本当に全くもって覚えてないんだけど、気が付いたら、こうして館山城で結婚の了承を取りに獅子丸とマリアさんに沙良を妻に貰うべく、ご挨拶に来ているという……。
ドウシテコウナッタ?
「そもそも、サラは年が明ければ二十四!太郎丸様は未だ八歳ではないか?!」
「いやねお父さん。それって日ノ本の数え方でしょ?私は今年で二十二です!」
「そういうことではナイ!」
「「そういうことよ!!」」
何故かここでマリアさんが参戦である。
「……え?」
面食らう獅子丸。
「レオン……そう、サラは今年二十二。ワタシも四十二なったばかりです。越えてはいません!」
「……」
女性に年齢の話題は禁物です……。たぶん。
「サラ……でも、レオンの言い分にも一理ありますよ?ワタシ達も四つしか違わないとはいえ、妻が年上の夫婦です。幸いにして直ぐに貴方を身ごもりましたから、サンタクルスの家も、私の実家も口を出す暇がありませんでしたが、古来より妻が年上だと色々と言われるものです」
「大丈夫よ!お母様!だって、一丸様も中丸様も仁王丸様もみなさん年上の方を娶られてるじゃない!たかが十四違いなんて計算の内に入らない!」
「……いや、それは流石に入るであろうサラよ……」
まぁ、俺も獅子丸の意見に同意はするが……。
けど、結局の所、俺自身は沙良に絆されちゃったからな……。
「なぁに!大丈夫よ、お母様!旦那様は既に子種が作れるのだし、近いうちに子を宿すことが出来ると信じているわ!」
「「!!!!」」
なんとも直接的な宣言!!
というか、俺って既に精通済みだったっけ?
試したこと無いから知らなかったよ……。
「……そのどうしてそのことを知っておるのだ?まさかとは思うが既に……?」
ぶんっぶんっ!
命惜しさに全力での否定。
止めてください獅子丸さん。
あなた殺気がダダ漏れですよ?
「……ん?……ああ、止めてよね、お父さん。私は乙女よ。この話は勿来の阿南様からお聞きしたのよ」
……どうやら、阿南からのリークだった模様。
ってか、流石は阿南。本人すら気付かないことを知っているとは……恐るべし!
「そ、そうか……それなら……とはならんだろう……」
ここに来て疲労困憊の獅子丸さん。
急に十歳ぐらい老けた感があるな。
三十代イケメン……イケオジ?が勿体ないことになってるぞ?
「じゃぁ、これが最後の手段!はい!これ読んで!」
「……それは?」
「伯母様が勿来を発たれる前に渡してくれたの!お父さんが駄々を捏ねたらこれを渡せって!」
そう言って渡される一通の手紙。
おお、ご丁寧に蝋での封印がされている……映画とかで見ていた、ザ・貴族の手紙って感じだな。
「姉上からか……どれどれ……」
……
…………
「ふぅ……サラよ。この手紙の内容は……」
「もちろん知らないわよ?伯母上は最終手段と言ってたし」
「……で、あろうな。それでは俺から伝えるとしよう……要するに、これはサンタクルス……いや、我らがボルハ一族の族長の座を姉上がお前に譲ると記した誓約書だ」
「……ん?良く分からないけれど?」
うむ。俺も沙良と同じで良くわからん。
一族の長には絶対服従とかあるの?
「……そうですな。事がこうなった暁には太郎丸様にも他人事ではないのです。少々、当家の話をお聞き願いましょうか」
「……ああ」
獅子丸から当家の話?
厄介事が増えるのは勘弁いただきたいところだけど、沙良と結婚することになったわけだからな。
家柄云々で正室には据えられないであろうが、ここは獅子丸の話を神妙に聞くとしようか。
「まずもって、当家の家名、正式にはボルハと申します。サンタクルスと名乗っているのは、アルベルトと彼の兄アルバロの父親と私の父親が交わした誓約によります。血の誓約を互いに交わし、「それぞれの一族の危機には命を以て助け合う」という誓約を表すために互いの家名を捨て、任地・領地・爵位であったサンタクルスを名乗るようになったのです」
まぁ、血縁・地縁を新しくするために家名を新しくするのは日本だけの風習でもないよね。
身近な所だと、徳川さんちも大概な理由で家名を一新しているもんなぁ。
「そして、今では表に出さなくなったボルハですが、この家の歴史は古く、ピリネオスの山々、バスコの地を起源に持つと言われております。また、ここ百年程の間ではローマ教皇も二名ほど出しており、血縁者からは多くのカルデナル、オビスポを出している家でも有ります……」
ふぅん……教皇……ボルハ……?
ローマ教会に縁深い家ってことはイタリア半島に勢力を持つ家ということか……。
そのあたりの理由もあって、今回の件が黒姫様に回ってきたのかな?
「っと、済まんが、カルデナルとかオビスポというのは?」
ローマ教会の役職のなんかであろうが、流石に教会関係の単語は覚えてなかったからな……。
思わず獅子丸に質問しちゃったよ。
……今は空気な存在で居ようと決めてたのに。
「ええと、そうですね……日ノ本の言葉で何が当てはまるのが正しいのかはわかりませんが……カルデナルというのは事実上の教会の統治者を指す数名の事で、この中から当代の教皇を互選します。また、オビスポとは教会とその教区の責任者であり、一定の領主権限も併せ持つ存在です」
「……ああ、なんとなくわかったぞ。カルデナルとは枢機卿のことで、オビスポは司教の事か」
「枢機卿に司教ですか……日ノ本ではかように呼び表すのですね。覚えておきます」
なんとも勉強熱心なマリアさんである。
……そういえば、気付いたら十文字一族で一番語学が達者なのはマリアさんだよね。
彼女の流暢な日本語は、この熱心さから生まれているに違いない。
「……私の祖父はドゥケ・デ・ヴァレンティノとしてイタリア半島の統一を進めていたのですが、やり方が性急なために志半ばで倒れ、幼い庶子であった父は数名の側近と共に故郷のエスパーニャはアラゴンに逃亡をし……」
「ああ!わかった繋がった!チェーザレ・ボルジャか!!」
「よ、よくご存知で……!」
驚く獅子丸。
……ごめんね。いきなり大声出しちゃって。
でもね、ボルジア家と言えば前々世の日本では有名だったのよ?特にチェーザレとかさ。
「ボルジア家の毒」っていえば世界史的にも出て来る言い回しだもんね。
けど、そうか。ボルジア……スペイン語の発音だとボルハだもんね。
へぇ……けど、そうか。
獅子丸ってチェーザレの孫にあたるわけだ。
「って、待てよ?そういうことは、沙良ってボルハ家とハプスブルク……アブスブルゴの血を……しかも、ほぼほぼ直系の血が繋がっているってことになるのでは……」
「「……」」
お互いに気まずそうに顔を合わせる獅子丸とマリアさん。
「そうなります。沙良は女ですので教会権力からは遠ざかりますが、我ら二人の正式な結婚の下、今回姉上が持って来た証書にはローマ教会の結婚証明書が有りますので、そう、正式な結婚の下に出来た娘となるのです。そうなりますと、教会の領地から発生する領地や爵位への請求権はかなり上位になっていますし、アブスブルゴの治める土地や爵位への請求権も上位となります……」
何やら口惜しそうに言う獅子丸。
「ただ、これまでは私たちの婚姻は正式な物という物では無かったはずだったのですが……レオン?その手紙、封書、証書とは誰の何が?」
なるほど、なんとなく読めたな……黒姫様め、どういう考えが有ってそんなに物騒なもんを寄越してきたんだ?
「封書の中には姉上からの手紙、それと……この三通の証書さ」
「……読ませてもらうわね。……これって!!」
「ああ、そうだ。私が正式なボルハ家当主であることの証書、君が正式なアブスブルゴの直系、しかもエスパーニャアブスブルゴとアウストリアアブスブルゴの両方に請求権を持つ姫であるとの証書、そして私たち二人の正式な婚姻を認める証書だ……」
ちらっと、マリアさんが震える手で持っている証書を見させていただく。
うぅむ。正直なところ、こういった飾り文字で書かれた文書は読めん。
内容は獅子丸が今言ったこととして、さてさて署名はどなたかな……?
三通共に署名は三名分か……一つは……ふぇりぺ?
おお!フェリペ二世か!
……って、スペイン国王やん……。
「署名が全て叔父様達と教皇様!!」
ふぅん。
マリアさんの叔父さんと教皇なのか……。
って……何?
スペイン国王と神聖ローマ皇帝にローマ教皇ってことかい???!!!
キリスト教世界のBIG3揃い踏みじゃないですか……。
天正十二年 正月 古河 伊藤元景
「で、どういうことなの?良く分かるように説明して頂戴!」
まったく、太郎丸のしでかすことというのは、いつも、いつも理解が難しいことばかりなのだけれど、今回は特別に大きなものね。
「色々あって沙良を妻に迎えることになった訳なんだけど、実は沙良の血っていうのは色々と凄いことになってて、血脈上の権利だけなら、俺と正式な婚姻をして、その間に出来た子供には最大でヨーロッパのほぼすべての地域の領主となるだけの権利が与えられるということに……」
「まったく、私は旦那様と勿来でぬくぬくと暮らしたいだけなのに……面倒なことこの上ない話!」
……当事者の二人はこれよ……。
「……兄上、お言葉を挟むようですが、先だって、ポルトガル王の庶子であったアントニオ卿の存在でさえ、先ごろのような事件に発展したのですよ?……説明を聞いている限りですと、沙良と兄上の男子にはアントニオ卿など足元にも及ばぬ力が……」
「またまた、竜丸。俺はまだ沙良と子は儲けていないぞ?そもそも八歳の……と、年が明けたか、九歳の俺が子供を作れるはずがないだろう?」
「そういう話ではないでしょう父上!!」
お願い。
私は頭痛がしてきたから、二人への説教は任せたわよ。一丸、竜丸。
……私は心を落ち着かせるために孫さんのご飯でも食べているわ……。
「まったく……どうして、獅子丸とマリア殿はそのような面倒なことを受け入れたのでしょうか?」
「さぁな?俺にもそれはわからん!」
「兄上!!何をそのように呑気な!」
「……まぁまぁ、叔父上も兄上も落ち着きなされ。折角の飯が冷えてしまいますぞ?ここはゆるりと飯でも食いながら二人の門出を祝そうではありませぬか?」
あらあら、中丸は好意的な反応なのね?
「……中丸の言うことも一理ありますか。説教はいつでもできますが、飯は冷えたら終わりですからね……今は正月、有難いことに時間はたっぷりとありますからな。ここはじっくりと話し合いをさせて頂きますぞ?父上?沙良?」
「「は~い」」
なんとも仲が良い二人ね。
今日の孫さんの料理はこうだ。
魚のすり身団子が入った香辛料たっぷりの汁物。
明から取り寄せ、那須の高原で育てている葉物の炒め物。
鯛の香草蒸し物。
豚の甘辛煮つけ。
鳥の香辛料香る丸揚げ焼き。
具だくさんの焼麺。
どれも筆舌に尽くしがたい美味しさよね。
流石は陳さんの一番弟子の孫さんのお店。
「……で、お主がそこまで今回の事に好意的なのはなぜなのだ?中丸よ?」
「……もぉや?……んぐっ。俺に矛先ですか?兄上?」
双子とは言え、片や優雅に箸を進める一丸と少々乱雑に食を進める中丸。
本当に好対照な二人ね。
「……と、そうですな。これは妻のマリアを見ていて思ったのですが、どうやらカトリコの者達にとって、神に祝福された正式な結婚とそうでない結婚というのは、俺達が考えている以上に大きなものらしいですな。マリアとフアン殿に話を聞くまでは、精々が正室、側室の違いのようなものかとも思ったのですが、どうやらそれ以上のもののようです。……父上の話と獅子丸の対応を考えますと、どうにもこれまでは獅子丸とマリア・ルイーサ殿は正式な婚姻をされていなかったのでは?それが此度のエストレージャ卿の持ち寄った書類によってそれが、正式に認められる運びとなった。……それは獅子丸も嬉しいでしょうが、彼としてはそれ以上に正式な立場となったマリア・ルイーサ殿、正式な子となった沙良に対して面目が立ったことが嬉しかったのではないでしょうか?」
「んん?それは良く分からないわね!だって、マリア殿は現に獅子丸の妻だし、沙良はこうして立派に育っているじゃないの!?」
私はカトリコというわけではないので、彼らの思うところは良くわからないけれど、なんだか人の営みを否定しているようで、その考え方は気に食わないわよ?
「伯母上。俺もカトリコではないので、そう深いところで理解しているわけではありませぬが、彼らにとって神に祝福された婚姻というのは別格なのでは?フアン殿曰く、ある程度の家格の者達の間では祝福された結婚を通した子でなければ、家督や資産の相続、及び名誉が継げぬとか……一方、一度婚姻関係を結んだ後は一切の離縁が出来ぬようでもありますが……まぁ、例外は勿論あるでしょうが」
「そういう物かしら?……やっぱりワタシにはわからないわ」
これが正直な私の感想ね。
「後は、穿った見方になりますが……」
「……続けて」
「はい。此度の件、関わった者の皆にとって良いことがあるとも考えられます。獅子丸殿とマリア・ルイーサ殿には正式な婚姻とそれぞれの正当な地位が回復できた。エストレージャ卿にとっては不当に奪われた弟の存在を回復できた。スペイン王、ローマ皇帝には遠いジパングの地で影響力、請求権を行使できる領地が出来た」
「……よそ者に口は出させないわよ」
「それは勿論です。ただ、これは彼らにとっての利点ということです。……最後にローマ教会にとってもジパングで直接の影響力が発揮できる。……このようなところでしょうか」
皆、自分の都合ばかりじゃない……エストレージャ卿と獅子丸、マリア殿の家族への思い以外は……。
「兄上はどのようにお考えで?」
「ぬ?俺か?」
まったく、太郎丸!
一番の当事者の癖に、他人事のように料理に集中して……手が届く範囲なら頭を引っぱたいてやるところね。
「そうだな……スペイン王とローマ皇帝の思惑は見え見えの欲望。日ノ本に対する何かしらの欲望が出発点であろうけれど、それを纏めたのがエストレージャ卿ってのが気になるな」
「父上、それはどういう?」
一丸が優雅に、それでいて凄まじい速度で進めていた箸の動きを止めて問う。
……凄いわね。一丸の膳の料理はほぼ空になっているじゃないの。
初めに持ってこられた時には、少なく見積もっても私の膳に盛り付けられた料理の倍以上は装ってあったわよ?
「彼女の弟夫婦と沙良に向けられた愛情は本物だ……だが、それ以上に彼女には一族を率いるものとしての強い覚悟が感じられるからな。そんな彼女が、単に二人を祝福するためにだけ、このような根回しをするはずがない……なんといってもスペイン国王にローマ皇帝とローマ教皇の署名だ。幾ら掛かったか知れたもんじゃない」
「それは……そうでしょうね。少なからぬ銭が動いていることでしょう」
「で、そこで考えるとだ……ああ、沙良。これはお前の両親にも内緒な?」
「はい!旦那様!」
あらあら、早速の睦まじさぶりね。
これって私たちが反対するとかっていう段階を既に超えているわね。
「獅子丸が正式にボルハの家督を継ぐってことはだ。エストレージャ卿もスペイン貴族としてカディス公爵の地位とは別に、ボルハ家当主の実姉となるわけだ……」
「……左様ですな、父上」
「つまり……これは利益がヌエバエスパーニャから帰って報告してきたことに通ずると思うんだよ」
……?
「言っていたろ?エストレージャ卿の、サンタクルス家の息が掛かったところではスペイン軍とは別系統の補給体制が敷かれていたって」
「……まさか!?」
「そう、これまでは可能性の話だったけれど、俺の中では今回の件で確信に変わった。ヌエバエスパーニャのどこかか、ルソンあたりになるのかは知らないけれど。近々、エストレージャ卿かアルベルト卿を頭に据えた新王国が誕生するんじゃないか?形としては、スペイン副王国とかにして」
そういうこと。
スペイン国王にとっては面倒なことでしょうけれど、彼らにとっても支配が十分に行えない遠隔地なら、精々が高値で売り払いところでしょうからね。
しかも、影響力が法的に残されるのなら、それほどに反対するいわれもないってことね。
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