第134話 黒姫帰還

天正十一年 秋 諏訪 伊藤伊織


 「それでは小太郎、風魔からの報告は個別に上がってはいますが、今一度、西の動きを纏めて報告して貰えますか?」


 東山三国での評定、今日はその日だ。

 東山三国での評定参加者は、俺と祥子と蕪木の妻二人、真田の信綱と昌輝の両家老、軍統括の諏訪勝頼、の六名に加えて、数名の城主達を輪番にて参加させている。

 今回は伊那吉岡いなよしおか城城主の保科正光ほしなまさみつ飛騨松倉ひだまつくら城城主の三木頼綱みきよりつなが輪番に当たっている。


 「はっ!まずは徳川家ですが、南伊勢・志摩の北畠を完全に屈服させた模様で、大和の筒井家、河内の畠山家に続いて、これで畿内の南を完全に制圧した形となります。家康殿は、志摩の鳥羽城を中心に伊勢湾から紀伊半島の海路を抑えて東海から畿内の南に続く一帯を徳川家の道とすべく開発に乗り出す模様との話です」

 「……伊勢路、伊賀路を通らずに南となりますと、北畠家の居城であった霧山きりやま御所を通じて吉野ですか……我ら信濃の者達も人のことは言えませぬが、相当に山深き道となりましょうな」

 「京の三好、近江の六角を避ければ、必然、そのような道筋を通らざるを得ないとは思いますが、中々に難儀な工事となりそうですな」

 「保科殿、三木殿の仰ることももっともなれど、問題は伊勢湾ではありますまいか?」


 そうですね、俺の懸念も信綱と一緒です。


 「信綱様はそうおっしゃりますが、伊勢湾はもとより徳川家の内海といっても良かった状況だったではありませぬか。遠州灘から三河・遠江・尾張に伊勢長島までが徳川の領地。かろうじて桑名は当家とゆかりが深い斎藤家と長野家によって運営されておりますが、如何にも小さな湊」

 「然り、更には百年その昔までは栄えておった安濃津あのうつの湊が残っているのならいざ知らず、伊勢の南は鳥羽に着くまでは栄えた港町というのは……」

 「左様、無いからこそ、儂らの力で造れたかも知れなかったということであったのだ。……兄上が申していることはな」


 やはり、真田の二人が考えることは俺の考えに近いですね。

 ないのならば造れば良いのです。

 太郎丸の無茶な要望に応え続けてきたおかげで、城やら、湊やらを作ることは伊藤家の得意とするところなのですから。

 斎藤家と長野家に、伊藤家なりの統治が行き届き、十分な発展がなされた暁には、北伊勢に立派な港を造ることを思い抱いていたものですが……鳥羽を徳川家に抑えられ、伊勢湾の入り口を封じられる様相となった今の形では、それほどに旨い手とは思えませんからね。


 ふぅむ。

 やはり、安濃津、桑名の築港は棚上げですかね。


 「湊を一から造る……でございますか……」


 頼綱はだいぶ驚いているようですね。

 飛騨という山国で生まれ育ってきた彼には、湊を一から造るという工事は頭の端にも無かった考えなのでしょうね。

 ……まだまだ、彼らは伊藤家の思考に慣れていませんね。今しばらくの時は必要ですかね。

 けど、結局は慣れなのです。俺も太郎丸によってだいぶ……いや、物思いは止めておきましょう。今は評定の最中です。


 「続いて、その徳川の動きに焦りを感じたのか、動きの鈍かった三好が動き出しまして、これまでに阿波の奪還と播磨攻めを成功させております。特に播磨攻めに関しては、長尾家と共同でことに当たり、東を三好、西を長尾で分割する形での制圧がなされました」

 「小太郎よ。風魔からの知らせを受けた時にも疑問に思ったのだが、長尾が播磨に出て来るには丹波を抜けてこなくてはいけないのではないか?丹波の者達は纏まった勢力というわけではないようだが、対三好に関しては波多野を旗印に結束していると聞く。その三好に合力する形の長尾が通れたのか?」

 「勝頼様の仰るように、丹波はそれぞれの領主、村長、族長などの小勢力が割拠している状況です。彼らは対三好では結束出来ましたが、対長尾、対山名では結束出来ておりません。長尾軍もいたずらに丹波を通るのではなく、大回りをしつつも但馬や西の丹波を越えたために、彼らも抵抗はしませんでした。これは、某の推測となりますが、丹波衆は長尾に恩を売る形で三好に牽制しているのではないかと……」


 その可能性が高いでしょうね。

 三好と丹波衆はそれこそ二十年以上も争っています。

 丹波衆としては三好を退けることが出来るならば、他の誰とでも手を組む気概があるのでしょう。


 「……三好の動きを続けますと、阿波・播磨を制圧した三好軍は、軍勢をそのままに紀伊の諸将を平定すべく軍を南に向けております。……今は秋に入ったところ、そろそろ、雑賀城周辺で戦火が交わらせられている頃合いでしょう。……また、興味深いところでは、この紀伊遠征軍が摂津を南下、石山のあたりを差し掛かった時に、本願寺から鉄砲が撃ちかけられたようでございます」

 「「……」」


 一向宗は相変わらず面倒なことばかりをしでかしますね……。


 「本願寺も加賀、伊勢などの配下勢力が消滅した今、どうにも焦っているのでしょうかね?その焦りが無用な戦に繋がらないことを祈るところですが、まぁ、所詮は畿内の出来事ということで、当家は静観しましょう」


 一向宗には、どうにも面倒な記憶しかありません。

 積極的に関わるのは愚策ということで、ここはそ知らぬふりとしましょうか。


 「それが宜しいかと……また、こちらは不確定情報ではありますが、足利家の義昭公は播磨滞在中に三好家の襲撃を受け捕らえられたと……また、助命の条件として将軍位の退位を受け入れた由」

 「ほう。これで名実ともに足利の終焉か……関東に遅れること十五年というところですかな」

 「目出度いというべきか……しかし、これで少なくとも義昭公からのわけのわからん書状に悩まされる武士がいなくなるのは結構なことだな」


 勝頼の意見には賛成ですね。

 当家にも……古河にも諏訪にも、わけのわからない文は届いていましたし、それこそ、当家の家臣へも無分別に送り届けていたようですからね。

 ……無用な弁明とそれの対処がなくなるだけでも、俺の心労が減るという物です。


 「西の関連としましては、美濃で稲葉殿が追放されました。理由は徳川家に対する内応ということです。……表面上は円満に美濃を去ったようになっておりますが、親類縁者の悉くが美濃を去っておりますので、非常に厳しい沙汰であるかと……」

 「そうですか……斎藤家は当家に臣従している家。その斎藤家での決定事です。当家においても稲葉殿の縁者を雇うことは一切を禁じます。良いですね?!」

 「「ははっ!!」」


 明智光秀、中々に機を見るに敏な男であり、徹底さを兼ねた男のようですね。

 以後は、彼の活躍と美濃の発展を祈ることとしましょう。


 ……もしかしたら、伊勢の築港、明智殿から願い出て来るかも知れませんね。


1583年 天正十一年 秋 勿来


 ぜっは、ぜっは……。


 春先にエストレージャ卿が勿来に来てからというもの、俺は羽黒山に戻らず、ずっと勿来に滞在しっぱなしだ。

 ……夏は涼しい羽黒山でも良かったのだが……。


 「ほっほっほ。若様も鹿島神宮に修行に来れませんでしたからな。ちと、なまっていたのではありませんかな?」


 ぜっは、ぜっは。


 確かになまっていたかも知れんが……勿来に機嫌伺に来ただけと言いながら、何で俺にこんな走り込みをさせるんだ!


 「ほい!これで九往復、最後の一往復ですぞ!金毘羅山の階段上り、気張りなさいませ!」

 「……ちっ!この……xxxめ」

 「何ぞ言いましたかな?追加で五往復ぐらいしたいのですかな?」

 「なんでもないぞ!!ホレ最後の一往復だぁ!!!!」


 気合を入れて階段を上る。

 十往復ともなると、もう走ることなぞ出来ないが、何とか体に力を入れて足を持ち上げる。

 ああ、きつい……。


 幼子でも年寄りでも参詣できるようにと、母上の号令の下、一段の高さを抑えた作りの勿来金毘羅寺の大階段、しめて百二十段……。


 戦国最強鬼婆の輝子婆さんに連れられ十往復の最中です。


 よ い し ょ


 十往復最後の上りを終えて、後は降るだけか!


 「旦那様頑張ってくださいね。井戸水でよぉく冷やした「柑橘さいだぁ」が有りますからね!」

 「おお、がんばるよ~」


 息も絶え絶えに阿南の声援にこたえる。


 柑橘サイダー……。


 今年商品化が成功した逸品である。

 太郎丸モンドセレクション金賞受賞間違いなしの一品。

 会津は軽井沢の裏手にて湧き出る天然炭酸水に、那須で作られた砂糖と安房から取り寄せた柑橘で味付けした逸品。

 もう、記憶の彼方に消え去って久しいが、前々世の清涼飲料水もびっくりの旨さである。


 ああ!

 味を思い出したら喉が渇いた!!!

 飲む!絶対に飲む!!腰に手を当てて飲んでやるぞ!!!!


 ……

 …………


 ぐびっ、ぐびっ、ぐびっ、げっふぅっ~。


 「若様、汚いよ?」

 「そうそう、もう少し上品に味わおうよ!」

 「「ね~!!」」


 くっ!

 俺よりも七往復も少ない距離で終わらしていた沙良の忠実な配下、甲斐、笙、梢の三人組がいちゃもんを付けて来る……。


 確かに、俺は麺を啜る音と咀嚼音が何よりも嫌いな、テーブルマナーがしっかりした戦国武将ではある。

 だが、良いじゃないか。いやさ、良いじゃないでしょうか?

 階段十往復を終えて気持ちよくなったサイダーの炭酸ぐらいはげっぷで出させてくれよぉ。


 「まぁ、三人ともいいじゃないの。若様もこうして頑張ったわけだしね」


 ありがとう沙良。

 これからも三人娘の手綱を握っていてくれることを期待するぞ。


 「おお、勿来の城からの景色も良いが、ここ、金毘羅寺からの景色も格別だな」

 「おや?吉法師?どうしてこっちに?用事があるのなら城で待っててもらえればすぐに戻ったのに……」

 「いや、今用事があるのは俺ではなくな……」

 「太郎丸殿。此度は私の滞在を快く許してくれて助かったぞ。サラやレオンと別れるのは辛いけど、やはり嵐の季節が本格化する前にアカプルコへは着いておきたいからね。信長殿のご助力のお陰でアントニオ卿を連行する事も出来るし……本当にありがとう。……それにヴァリニャーノ殿が引率する使節団もエスパーニャやローマに連れていけることだしね」


 おっと、黒姫様はお帰りですか……。


 何やら、沙良は状況を察して寂しそうな顔をしてエストレージャ卿に甘えている。


 「サラも次に私が来るときまでには、少しぐらいカステリャーノが喋れるようになっておきなさい。いいわね!」

 「ええ~、そんなの無理よ……そうね、だけれどウンポコなら」

 「何が少しよ!しっかりと話せるようになっておきなさい!」


 やる気の掛けれも感じられない姪の返事にご立腹の黒姫様。

 荒々しく沙良のはちみつ色の髪をくしゃくしゃしている。


 「もう、止めてよ!伯母様!」


 まったくもって微笑ましい伯母姪のじゃれ合い(言葉は通じていない)である。

 思わずにっこりしちゃうよね。


 ぐびっ。


 うむ。やっぱり炭酸は弱いのか?既に気抜け……。

 今の炭酸水井戸の近くを探れば強炭酸の水が見つかるかな?


 「ふふふ。私が次回、勿来を訪れるのは二年後というところかしら。今回は伊藤家のお世話になってばっかりだったからね。次にジパングに来るときには、ご依頼のあった鉱山技師やジパングでは珍しい技術を持ってきましょう。アルマダの提督は借りっぱなしは嫌いというものだからね。……それと、次に来るときには太郎丸様も直接に私と話をしてくれると嬉しいわね」


 とびっきり魅力的なウインクをなされる黒姫様。


 ……どうにも、俺がスペイン語を喋れることは、やっぱり見透かされていたようで。

 ただ、今ここでしゃべれる暴露もなんだなと思ったので、右手をお腹の前に持ってきて軽く腰をかがめるヨーロッパ式のお辞儀で返礼。


 「やっぱり太郎丸殿は面白いわね……サラ!レオンが何を言おうともカディス候の私が許すわ!あなたは太郎丸殿の子を宿しなさい!十五ぐらいの年齢差が何よ!サンタクルスの家の女に遠慮はいらないわよ!」

 「本当!伯母様!!やったっ~!!」

 「……本当にこの子って言葉がわからないのかしら?」


 言葉に寄らない謎のコミュニケーションが成立するサラとエストレージャ卿……謎の一族過ぎるだろ、君たち……。


 「おお、やったな。太郎丸よ。お主に立派な妻が出来たではないか?果報者よの?」

 「……やかましい」


 にやにや顔を止めない第六天魔王様である。


 ぎゅむっ!

 ……痛いぞ、阿南。


 「旦那様?妻とは??……少々、後でお話しをしても?」

 「……八歳児をつねるな。阿南さんや……」


 今の俺はお前とは夫婦では無かろう……と思いつつも、決して口には出さない俺。

 流石に人生トータル百年近く。そのような地雷踏みなんかは致しませんよ?


 ……

 …………


 「さて、これでスペインから齎された問題は一応の解決を見たわけだが……」


 スペイン艦隊の出港を見送り、その足で浜焼き、アット夕日を背に感じる勿来浜、をやっていた。

 秋とはいえ、まだそこまで気温が冷えてきていない勿来、手伝い兼食事係りの水夫連中は焼酎片手に高鼾である。


 「……面倒事が片付いたのは事実だが、色々と新たな問題も出て来たのではないか?」

 「そうだな。思った以上に宮中が役立たないのが、予想外だったかな……二条晴良殿は有能だったのな」

 「あの方は武家勢力に近いところで、公家勢力の生き残りを模索していたお方だ。……正直、稀有な存在であった。他の公家どもは、公家としての宮中、畿内、日ノ本を構築することしか見えておらん。今にして思えば、あのお方は日ごろ太郎丸が言うておった「民の為の政」とは何かを考えておられたお方だったかも知れぬな……」

 「……他の連中には「民」が無いか」

 「無いな。今の宮中におる連中は、当たり前のように王家、公家が存在しているこの状況のことを謎にも思っておらん。……己がどうして己としていられるのか、そこに何の疑問も抱いておらぬわ!」


 「Cogito, ergo sum」かな?自身の存在を疑問視して、思考を続けることに存在の意義を見出す。


 「そうだな……清康殿によって尾張織田が分断、各個撃破をされ、松平家の下に吸収されたような事態に陥らず、俺が尾張の弾正忠家を率いる未来があったとしたら……ふむ。今の俺のように、宮中の連中のおかしさを感じることもなく、武家として尾張の統一でも軽くこなし、畿内に号令でも下して天狗になっていたかも知れんな。「民」などは力を量る物にしか見えず、「石高」がどれぐらいだからあいつにやろう、こいつにやろう、軍はいつ興せる……などと、絵空事のような形を思い浮かべ、思い通りにならなければ家臣に八つ当たりする。そんな五十も生き延びられぬような阿呆になっていたかも知れん」

 「……」

 「それが、幸か不幸か、俺は家を吸収され、家族の命の為に銭を稼ぐ商人になった。そのおかげで、こうして「民」とは何かを実感し、「政」を求める者とは何なのか、「統治」とは何なのかの一端を知ることが出来た。結果、「民」が何なのかはわからん、ということがわかったし、それゆえ「統治」に触れることが出来たのだな……いや、これでは何が何だかだな……そう、俺がこの世で覚えたことは「わからんことはわからん」という物があるということだな」


 「無知の知」かい?吉法師が第六天魔王から四聖に到達しちゃった?


 「まるで、二千年前のギリシャの哲学者だな」

 「哲学……なんとも面白そうな名前だな。くくく、しかし、俺も太郎丸のように時を渡る存在から賢人扱いを受けたか、織田三郎信長、なかなかどうして、捨てたものではないな!」

 「ん?時を渡るって……そんなこと伝えたこと有ったっけ?」


 はっきりとした形で前世の記憶云々を話したのは、姉上と仁王丸、三人での会話以外ではしてこなかったような……?


 「……お前は阿呆か?お前を見ていれば、普通の人間なら容易に気付くわ!……それに実際に、天正元年に葬儀を終えたはずの男が、俺の目の前にこうしておるしな。身体は小さくなったが」

 「それは、そうなのか……?」

 「そうであろう。お主は我らとは大分違う。……俺もうつけよ、なんだと、周りからは異端児扱いされてきたものだが、太郎丸ほどではないからな。……太郎丸には神仏のなんたらという物は感じんが、面白い人間だというのはわかる。俺にとってはそれで十分だ。……我が親友よ」

 「そういうもんか……親友よ」


 ぱちぱちぱち。


 たき火の音だけが妙に耳に残る海岸。

 なんとも素晴らしい日であることだろうね。

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