第133話 琉球との

天正十一年 夏 琉球 伊藤景基


 「で、琉球王国は島津歳久を承知しておらぬと?」

 「は、ハイッ!我々、琉球王国は明の皇帝陛下から賜印をイタダイテおり、その……島津の方とは……」

 「……と言っておるぞ?紹運殿、家久殿」


 参りましたね。

 流石の信長殿もあきれ顔です。


 ここは琉球王国の湊、とまり湊。

 河口と入り江に岩礁地帯を波除とした天然の良港です。

 湊の深さも十分にあるので、我らが南蛮船も問題なく停泊、着岸出来る造りとなっています。


 そして、今回はアルベルト卿を連行すべく、琉球王国の者と話を付けに来たのですが……。


 これでは話を付ける前に、二三発は砲弾を飛ばさないと駄目ですかね?


 「はぁ……儂は島津家久じゃ。その方等も儂の顔と名前は覚えておるのではいか?十五年程前に、初めて首里の城を訪れた時は鎧兜姿であったが、去年、一昨年と、歳久兄上と来た時には素顔を出しておるぞ?……今更に、面倒なことを申すな。思わず腰の物を抜きたくなってしまうではないか」


 かちゃっ。


 家久殿がこれ見よがしに鍔口を切って見せる。


 「あ!ええ、ええ!お、覚えておりますトモ!覚えてオリマストモ!私は、その折にも通事を務めさせていただきましたノデ……」

 「ならば良し!……繰り言を申すな!……で、兄上はどこにおるのじゃ?」

 「そ、それが……私どもにも……」

 「ん?やはり、お主の生首を首里に届けねば話は進まんのか?……それとも……極力、民には流血を強いることなく進めたいと思っておったが、伊藤家の方々やイスパニアの方々の船から砲弾を飛ばしてもらうしかないのかの?」


 ……今度はそれなりの殺気を飛ばしながら、もう一度、使節の方に話を聞く家久殿。

 ……話が進まぬようでしたら、信長殿にお願いして射撃練習でも開始してもらいましょうか。


 ちらりと、信長殿を眺めると、なにやら面白そうな表情でやり取りを眺めていますね。

 なんでしょう。本気で今の状況を楽しんでいる様子で、目を輝かせています。


 「では、俺は船に戻らせて頂いて射撃準備を進めてきた方が良いということですかな?……そうですな、統領殿から狼煙のしらせでも頂ければ、すぐに砲撃を始められるように算段を付けに行ってきましょうかね?」

 「狼煙ですか……狼煙の準備は特にしてきてはいないので、……そう。この屋敷に火でも付ければ良いですかね?」

 「くくく。流石は統領殿。話が早くて助かりますぞ。……では、そのような形で……」

 「アイヤ!お待ちを!しばらく、しばらく!」


 もう、これ以上の時間を使われるのにも飽きてきたのですが……。

 やはり、嵐の季節が始まる前に博多には戻っておきたいですからね。


 「……あまり我らを舐めないで頂きたい。貴方も琉球で大臣の地位にあるのでしょう?我ら日ノ本の武士は殊更流血を好みはしませんが、忌避することもしません。……港を見て貰えばわかるでしょうが、船を十五隻、兵も五千は連れてきています。……せっかく島津家に仕えることで、この島の安寧を保たれているのです。このような些事で、王家にも民にも流血を強いるのは愚策でありましょう?大臣殿」

 「……あ、イエ。私は大臣と言っても所詮……」

 「大臣殿?」


 父上から、こういう時には脅し役と宥め役に、役割を分けての交渉が良いと教わってきたのですが……どうやら、この部屋に来ている武士は全員が脅し役になってしまったようですね。

 それもしようがありませんか……琉球に到着してから五日が過ぎようとしているのですから。

 ここまでは宥め役をこなされてきた流石の紹運殿も業を煮やしたというものなのでしょう。


 しかし、五千とは盛り過ぎですね。


 「……は、はぁ……お恥ずかしながら……我らは歳久殿が琉球に入られたことを確認出来ておりません……」

 「「はぁ?!!!」」


 ここにきてそのような話ですか?

 家久殿などは椅子から立ち上がり、完全に刀に手を掛けていますね。


 「か、確認は出来ておりませんが、居所とイイましょうか、おられる場所はわかっております!」

 「それは?」


 対応する紹運殿の声も底冷えがするほどに冷たくなってしまっています。


 「その……この事をお知らせすると引き換えに……我らを助けては頂けませぬか?」

 「なんだ?!今度は我らと取引をしようかと言うのか?!……よほどその首がいらんと思えるな!」

 「……まぁ、まぁ、家久殿。大臣殿の首を刎ねるのはいつでもできます。……ここは一応、話を聞いてみてから考えても良いのではないでしょうか?」


 はぁ……五日目にして、漸く話が進みますか。

 まったく、時間だけは無駄に流れるのですね。


 私たちが揃って頷くと、紹運殿は大臣殿に話の先を促した。


 「その……ことは王家の世継ぎに関わる話となります。……マズ、明皇帝からの冊封を受けながらも島津様に仕えることを決めたのは前王、亡き尚元しょうげん王でございます。して、現王のえい様は父王の方針を引き継ぎ、島津様との縁を大事にすることで琉球の繁栄を目指しておられます。……されど、今年で二十四となられる永様は生来、身体がお強いわけではなく、未だお子には恵まれておりませぬ」


 おや?

 いつの時代、何処の地域でも、後継ぎ問題というのは発生するのですね。


 「現在、王太子とも言うべき地位は空位。一応は、永様の一つ違いの弟殿下のきゅう様が後を継がれるのではないかと言われてはおりますが、永様と久様は母違い。また、久様は幼少に薩摩でお過ごしになられ、名の久は島津家の通字を頂いております……」

 「……反島津とまでは言わなくても、行き過ぎた島津びいきを避けたいという者達がおるということですか?」

 「左様です、高橋様。……彼らの中では、永様の姉君の子。思徳金おみとくがね様……いえ、今はねい様でしたな……寧様を次代に推す声が強くなっております……」


 父系ではなく、母系ですか。

 日ノ本とは違い、琉球では儒教の影響が強いと聞いていますので、朝鮮や明と同じく父系信仰が強いと思っていましたが……。

 まぁ、王の娘が嫁ぐのですから、父系から見てもそれなりの家ということなのでしょうね。


 「久、久、久……おお!思い出したぞ!寝小便垂れの真三郎しんさぶろうか!ほじゃ、ほじゃ、のっぱら連れまわして、えのころ飯を食わせちゃったわ!」

 「「えのころ飯??」」


 なんでしょう?島津家伝来の食事なんでしょうかね?

 しかし、野原とか言っていましたか?……何かしらの野戦飯なのでしょうか?気になりますね。


 「ああ、一丸様……「えのころ」は「いぬころ」、「犬」ですので、我らになじみは無いかと……」


 小声で信長殿が教えてくれます。

 ……確かに「犬」は食べたくありませんね。


 阿武隈では狼が里に下りてきたりしたときに始末はしますが、基本的に、狼は神聖なものですし、犬は人間の善き仲間です……。

 どうしても飢えた時には、彼らに祈りを捧げて肉を頂くことも昔にはあったようですが、私が産まれてからの時代にはそのようなことも聞かなくなりましたね。


 ええ、「えのころ飯」のことは忘れましょう。


 「ん?あ、ああ。済みませぬな、脱線させてしもうたか。ささ、話を戻して下され。大臣殿」

 「……は、はぁ……左様なわけでして、久様は歳久様とは大変仲が良く……歳久様も琉球では久様を頼りにされています……」

 「つまり、歳久殿は久殿の下にいるということですな。……では、その久殿の居場所を教えて貰いましょう。また、それに合わせて首里からも出頭要請を出してもらいますぞ?もしも、彼らが居所を隠した際は……」

 「も、勿論です。彼らにはしっかりと責任を取ってもらいます!我らが王もこれ以上、島津様初め、日ノ本の皆さまにゴメイワクを掛ける気は毛頭御座いません!」

 「ならば良し!……と言いたいところですが……どうなのです?南蛮人。ポルトガルの者達を匿っているとかそのような話は聞いていますかな?」

 「ハ、ハイッ!久様の下に伴天連達が集まっていると聞いております!」


 ……そのような話があるのなら、初めから教えて貰いたかったですね。


 はぁ~っ。

 思わずため息が出てしまいます。


天正十一年 晩夏 博多 伊藤元景


 それにしても、こうして古河の外に来るのは久しぶりね。

 最近は古河の町から出ることは無くなってしまったもの。

 古河は城を北に、東西四里、南北四里ほどの広さにも至り、町の人口も二十万を軽く超える。

 古河公方が居を構えていた時は、最大でも五万程度と聞いているから、大した発展具合ね。

 頼朝公からの鎌倉でも十万もいた時が最大と聞いているから、古河の大きさたるや……と言ったところ。


 「で、如何でしょうかな?古河府将軍殿。この我が城から見える博多の街も中々のものでしょう?」


 立花山城の御殿から見下ろす博多の街、確かに大したものだと思うわ。

 ポルトガルの商船も明の商船も行き交い、私に勿来の町を思い出させてくれる。


 「流石の湊と思います。大友殿。当家の湊も博多に負けぬよう、発展させていきたいものだと思います」

 「はっはっは。左様ですか、それは嬉しい」


 確かに大したものだとは思うけれど、多分、この規模では勿来や林の湊、佐竹家の水戸や鹿島の湊より小さいわよね……。

 景貞叔父上からの報告で見る駿河の湊と同程度の規模じゃないかしら……あまり、大友殿の気分を害しても良くないでしょうから言わないけれど。


 「いやいや、殿。古河府将軍様は謙遜なされているかと……私が見ました勿来の湊は、博多以上の規模でございましたぞ?」

 「ん?そうなのか?紹運よ……其方がそういうのならば、そうなのであろうが……」

 「いえいえ、勿来は我が弟、景藤が拓いてより数十年。博多の長い歴史と比べられるものではありません……それよりも、そちらのお方が……」

 「ああ、そうであったな。古河府将軍殿もお忙しい身で博多まで来ていただいたのだ。用件を先に済ませてしまおう!……左様、こちらがイエズス会のヴァリニャーノ殿だ」


 大友殿はもう少し、お国自慢をしたかったのでしょうが、こちらとしても用件は先に済ませてから、ゆっくりと博多見物をしたいもの。


 「先年は勿来の教会、鎌倉の教会に寄りながらも将軍様にご挨拶が出来ず申し訳ありませんでした」


 私は太郎丸や信長と違ってスペイン語がわからないので、全て通事を通しての会話となる。

 博多での通事は、地元の切支丹が務めるようね。

 ……多少は、内容の忖度がなされるでしょうから、後で信長に内容を確認するとしましょうか。


 「気にしないで下さい。私に代わって、景広が会ったのでしょう。……鎌倉の教会を気に入ってくれたと報告を受けています」

 「ええ……それはもう」


 本心から気に入ってくれたのでしょう。

 二心の無い、満面の笑みで頷いてくれているわね。


 「うむ。儂もヴァリニャーノ殿からは何回も鎌倉の教会のすばらしさを聞いたぞ。……ついては、此度の使節団には、当家の普請に従事する家の者も含まれておるのでな。どうか、ヴァリニャーノ殿には彼らが大いに南蛮の技術を学べるよう、手配をして欲しいものだ」

 「ドン・フランシスコノ仰せの通りに……此度、私がローマへと戻る際に率いる使節団。彼らにはしっかりとエウロパの技術を見聞きし、学べるよう取り図らせていただきます」

 「頼んだぞ!……祐益すけますよ。その方は儂の血縁。儂の名代として、率いる少年らに南蛮の技術をしっかりと学ばせること、確と務めて来るが良い!」

 「はっ!大叔父様の仰せの通り、この祐益、身命を賭しまする!」

 「うむ!」


 今回の一連の騒動。

 当家とエストレージャ卿の船、合わせて十五隻が琉球に乗り込んだことで解決を見た。


 島津家の始末に関しては大友殿に一任する形となったので、詳しい動機や経緯は解らないけれど、結果として、歳久殿が島津家の家督継承を狙って興した騒動として、その全ての責を取ることで解決とした。

 歳久殿は明日、私たち立ち合いの下で切腹。

 歳久殿に手を貸した罪として、琉球の尚久殿も同じく切腹。


 ただ、この二名の切腹により、そのほかの島津家、琉球王家の者達には御咎めなしとなった。


 当家としては、そのあたりには関与する気は端から無いから、大友殿にお任せというもの。

 アントニオ卿の身柄を無事にエストレージャ卿に引き渡せたことで十分よ。

 伊藤家の利としては、安房、勿来でのポルトガル商人、ヘノヴァ商人、ヴェニス商人との取引開始と、七尾城下においての明商人との取引開始と博多-七尾間の交易路の開通が成ったこと。


 ああ、そういえば、当家から島津家に対して余計な口を出さなかったお礼として、薩摩の交易湊、坊津ぼうのつでの交易が認められることになったのも大きいわね。

 一応は大友殿が黙認する形式を取っているので、博多との商いよりも大きくは出来ないけれど、直接に薩摩・琉球との繋がりを持てたのは大きい。


 「では、私はこれで……」


 そう言って、ヴァリニャーノ殿と使節団の方々は下がられて行った。


 ローマへの使節団。

 今回は大友領からの出発だったけれど、今度は東国から仕立てても面白いかも知れないわね。

 ……仁王丸と相談してみようかしら。


 「さて……此度は思いがけぬところから、伊藤家と付き合いを始めることとなったものだが、何卒、これからは両家の絆を大切にしていきたいものですな。……なんといっても、儂は太宰府大将軍、元景殿は古河府大将軍。共に日ノ本の将軍として、東西の武家を束ねて行く立場ですからな!」

 「そうですね。天下泰平の為、「天正」に込められた意思を実現するために邁進してまいりましょう」

 「おう、おう!まさにその通り!……その通りなのだが、そのためには一つ、古河府将軍殿とは意思の疎通をせねばならないことが有りましてな……道雪!」

 「はっ!」


 なんだか、面倒そうな話の持って行き方ね。

 まぁ、なんとなくは言いたいことはわかるけれど……。


 「では、失礼ながら、私の方からお話をさせて頂きますと……当家は、安芸にて尼子家、長曾我部家と争っております。ただ、ここに来て、両家共に畿内からと言いましょうか、東の方からの圧力を感じているようで、当家と和を結びたがっている様子……」


 あら、戦が終わるなら有難い話じゃない。


 「すんなりと両家が当家の軍門に降ってくれるのであれば話は簡単なのですが、流石にそうはならず、両家との話は停滞しております。……そのような状況下、どうにも……」

 「長尾家と三好家が西に食指を伸ばして困るということですか」

 「……左様でございます。……正直なところ、どうにかなりませぬか?」


 どうにか……と言われてもねぇ……。

 長尾家は西の顕景あきかげ殿の勢力とはそれほど繋がってはいないし、三好家に対しては大友家に対して以上のつながりなど持ってはいない。


 長尾領に対しては、直江殿を通しての対話が一番太いけれど、直江殿は古河でやらかして以来、顕景殿からは距離を置かれている様子。直江殿本人もその意識が強く、今では越後・越中の支配を強め、ひと昔前の真田家、直江家のような立ち位置を取っている。

 竜丸に言わせると、今の顕景殿とは幼少からの絆があるから長尾の紋を外すことは無いであろうけれども、顕景殿に何かがあれば、直江殿の、越後・越中で掲げる紋は九曜巴から亀甲花菱に代わるであろうとのこと。

 ……せっかくの東国の平穏、北陸の方から崩れないで欲しいところよね。


 「……長尾家は当家とも四国連合を組む家。されど、四国連合は東国を治める上での形態ですので、西国に関しては……まぁ、そうですね。大友殿からのお話しですので、私としても長尾殿に対し、働きかけをするのは吝かではありません……されど三好家の方はなんとも……当家とは付き合いが無いですし……いっそのこと、大友殿から朝廷の伝手を使って話を進められた方が早いのでは?なんといっても三好家は内国大夫。朝廷の意向には表立って逆らうことは出来ないと思いますが」

 「左様ですな。当家は一条家とは昵懇の間柄。……なれど、此度の三好家はどうにも頑固のようで」


 あらあら。

 だけれども、当家に言われても、正直困ってしまう……。


 「今回、三好家が懸命に西への影響力を欲しているのは、東の徳川家からの圧力のようです。大和、河内を制圧した徳川に対し、国力を優位に保つにはどうしても西への領土拡張が必要と、阿波・讃岐だけでなく、伊予と播磨に手を伸ばしております」


 徳川……家康殿は本当に人に苦労ばかり掛ける御仁ね。

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