第111話 鉄板焼きの時代

天正七年 正月 古河 伊藤元景


 今年の正月はやらねばならないことが山程ある。


 この数年……いえ、伊藤家が古河を抑えて大きくなってからの正月ならこんな感じ。


 元日は、伊藤家一門で動ける者は皆古河に集まり、一門で新年の訪れを祝う。

 翌二日は、家臣の内から主だった者の挨拶を受ける。

 三日は、夕餉の宴席において古河に参集できる家臣すべてと宴を開く。たまに来る他家の家来衆からの挨拶も、この宴の中で済ます形となる。

 四日は、基本休み……というか、諸将の家長などが移動する日ね。

 五日は、他家の使節を招いての宴を昼と夜の二回。伊達家や佐竹家の挨拶なんかは、たいていがこの日ね。

 六日は、一門や家臣、要するに家中の人間の元服やら祝言やら。

 七日は、六日と同じ。暦上、吉日となる方を選んだり、朝に行う年だったり夕に行う年だったりなんだり。

 八日も大体は六日、七日と同じ予定で動くことになるわね。

 九日は、各人がそれぞれの持ち場へ帰還する日。

 十日は、城に携わる者総出で大掃除。……いつの間にか、城下も大掃除の日になっているから不思議よね。

 十一日と十二日は、寺社による儀式に駆り出される。

 十三日、休み……毎年この日は一日中寝てる場合が多いわね。寝て、起きて、木刀を振っての一日。

 十四日目から正月が終わったかな?と思う感じで日常に戻るってところかしら。


 今年は、例年に比べて六日、七日、八日の予定が立て込んでいる。一方で、四日、五日は時間があったわ。


 四日、五日に余裕があったのは、外からの来客、特に伊達家からの来客がほぼ無かったため。

 伊達家は昨秋に晴宗殿が亡くなり、喪中ということで、今年の挨拶は互いに控えることとなった。

 ……輝宗殿は、義尚殿と一緒になって当家を立ててくれている。太郎丸びいき、伊藤家びいきだった晴宗殿が亡くなられたとしても、そこまで大きな変化は起きないでしょう。

 ただ、その子。梵天丸殿と言ったかしらね?元服を控えるぐらいの年齢だという若君がどのように育つか、周りの守役達の考え方はどうなのか……そこはまだ見えてこない点なのが不安と言えば、不安ではあるぐらいね。


 六日から八日が忙しいのは、元服に祝言が立て込んだことと……諏訪殿が孫の勝頼殿への家督移譲を願い出たことに端を発し、甲斐武田旧臣・遺族と伊勢旧臣・遺族の取り扱い問題が一斉に沸き上がったことね。

 ……って、まぁ、そこまで問題というほどではないけれど、厄介は厄介よね。


 当家は、特に敵方の将を血祭りにあげて喜ぶような趣味は持ち合わせていないから、降伏するのを拒否して首を落としたことなどは無い。ただ……拒否はしないけれど、別に厚遇したりはしない……家臣に領地を持つことは禁じているしね。

 うん、そうして領地問題が難しくならなくても出て来るのが家の問題だ。

 家督云々は、土地や人が大してついてこないので大事にはならないけれど、やはり名跡をどう扱うかは色々と意見が出て来るところね。


 そこで出て来た今年の問題……。


 まぁ、甲斐武田の復活は当分無理よね。三国連合の最後の一家として我らに敵対していたわけだから……晴信の嫡男、義信よしのぶには富士吉田周辺の街道整備を任じているけれど、彼の代で再興を許すのは難しいわね……義信の子供の代になれば……というところかしら。

 今のところは、晴信の弟の信繁のぶしげが「預かり」という形で武田を名乗っている。

 信繁、信廉のぶかどの兄弟は、そこのところは良く分かっているようで、不満を示すことなく、真田家の下で甲斐周辺の街道整備と河川改修に勤しんでくれている。


 とりあえず、存命で当家に属している晴信の息子たちは、嫡男義信、四男勝頼、五男の盛信もりのぶの三人。

 義信は信繁預かりで問題は先送り。勝頼は諏訪殿の陳情で諏訪家を継ぐことになる。五男は……どうしようかしらね。信繁、信廉兄弟に相談したところでは、仁科家の名跡を継ぐことが出来ないかどうか、と聞かれたけど……確か、仁科家は安曇郡の北側よね。思いっきり長尾領じゃない。

 こちらから提案したのは、高遠家はどうでしょう?ということ。


 じつは年末に高遠頼継殿は急死した。……急死と言ってもかなりの高齢だったからどうかしらね。

 子は娘の香殿しかいないのだけれど……香殿に子はいない。更に付け加えるならば、娘といえど、私よりも年長の方だ。

 ……かたちだけ、香殿と祝言を挙げ、高遠家を継ぐのはどうだろうかとも提案してみた。

 高遠は諏訪の分家筋だから、四男の勝頼が諏訪を継ぎ、五男の盛信が高遠を継ぐ……一応は形になるとは思ったのだけれど、信繁、信廉兄弟は難色を示したわ。


 やれやれ……。


 彼らは高遠には信繁の息子の信豊のぶとよでどうだろうか?とも言ってきたわね。

 まぁ、預かりとは言え、武田を名乗る信繁の息子を外に出すことは、当家に対するやましい気持ちは欠片もない、と表明するにはうってつけの手法ではあるけれど……。


 正直な所、甲斐武田は長尾勢により攻め滅ぼされ、真田の家臣・与力として過ごした期間もそれなりにあるわけだから、幾ら名門とは言え、それほどの脅威には感じない。

 むしろ、長尾と要らぬ諍いを起こす火種になりそうな、仁科家相続の方がご勘弁願いたい案件よ。


 はぁ……。


 太郎丸じゃないけれど、わからないことは棚上げね。

 今年は、盛信に関しては現状維持で行きましょう。預かりの信繁の甥、という扱いからの変更は無しで行こうかしらね。


 あ!そういえば、頼重殿の従兄筋だか従甥だかの筋があったはずよね。

 高遠も諏訪の分家筋というのなら、彼らが継いでもおかしなことは無いかしらね……うん、今度関係者に打診をしてみましょう。


 あとは、伊勢家の方が……。


 「大御所様、母上。少々よろしいでしょうか?」

 「ん?元清?どうぞ、息子相手に閉じるような戸などは持ち合わせていないわよ」

 「では、失礼いたします……」


 すぅっ。


 元清は静かに衾を開け、室内に入って来る。

 他人行儀というか……どうにも、伊藤家には珍しく礼節を弁えるというか、静かな感じの子よね。

 子……っていっても三児の父ではあるのだけれど……。


 「元清も烏帽子親、ご苦労様」

 「いえ、苦労などというほどのことは……清丸と真田の源三郎と源次郎の三名だけですから……それよりも、明日の杜若と北畠顕光殿の祝言、千代と井伊直政殿の祝言、真田信尹殿と井伊虎殿の祝言、織田信忠殿とお船殿の祝言の四組の方がよっぽど……それに」

 「それに、源三郎……真田信幸と本多稲殿の婚約ですか。……まったく、元清と自分の娘を引っ込めたと思ったら、今度は真田の惣領名を持つ男と自分の一の家臣の娘を婚約させたいと来るとは……あの狸もとっとと絞めないと駄目かしらね?」

 「まぁ、一応は当家に頭を垂れ、毎年の挨拶をした上で友好をうたっての申し入れなので、無下に断ることも難しいとは……」


 本当に、何なのかしらね!

 今回の申し入れも、本当に良く舌の根が乾かないものだと感心する位の口上だったわね!


 「はぁ……とりあえず、今は婚約という形だけで、その後はまた後日。ということではあるけれど、わざわざ衆目がある正月の席で、確認をこれ見よがしにやらなくても良いと思わない?!まったく、あの狸め!」

 「そこが、家康殿の家康殿であるということなのでしょう。とりあえずは、信幸には岩櫃城の城主を任せ、上野の北の街道整備をさせることといたします。上野ならば景竜様の目も光っていますし、東海からも遠いので、家康殿もおかしなことを仕掛けてはこないと思います」

 「そうね。信幸には竜丸の下で政を学んでもらいましょう。古河の大泉屋での一件以来、長尾とは微妙な距離感だけれども、……どちらにしろ、沼田周辺から、名胡桃峠、三國峠や岩櫃から長野原、上田平に抜ける街道も整備しなければいけないわけだしね。長尾方の武将とも折衝しなければいけない地域の開発、信幸も色々と学ぶことでしょう」

 「はい。それが宜しいかと……あとは、直政は会津と甲斐、どちらに回しましょうか?」


 今年の祝言で一門に新たに数えられることになる、顕光と直政。

 顕光は彼の祖父、父の跡を継いで、ゆくゆくは両毛の軍事を見てもらうので、特に異動を考えることは無いけれど、問題は直政よね。

 遠江は浜松の北、井伊谷の領主一族の男。

 義理の母たる虎殿に付き従って、当家の門を叩いたわけだけれど……。


 「正直な所、私はどちらも同じくらいに長所があると思っているので、決めかねているわ。……元清、あなたの意見は?」

 「はっ、私の意見としては、直政は甲府に送るがよろしいかと……」

 「その理由は?」

 「はい。会津はやはり一丸兄上が見られるべき土地だと考えます。そこに直政を送ったとしても、ただただ、兄上と安中の使いっぱしりとして、伊藤と蘆名の旧臣や村長たちの間を走るだけで終わってしまいましょう。……それよりも直政には甲府に入ってもらい、甲斐武田に思いを馳せる武田旧臣達や村長達を取り込むこと。そして、河川の管理に活躍してもらうのが良いと思います」


 あら?甲斐の困難さを考えた上で、直政に任せるというのね。


 「元清はずいぶんと直政を買ってるわね」

 「はい!私の考えでは、直政をゆくゆくは東山三国の頭の一つとしたいと思っています」

 「ほぅ……ひとつ……では、他は?」

 「真田の信幸と信繁……今は伊織様が諏訪に新しく城を建て、そこを中心に三国を見る形となりましょうが、十年、二十年後は、甲斐を直政に、信濃を信幸に、飛騨を信繁に任せたいと考えております」

 「なるほどね……十年と言わず……いえ、十年ぐらいかしらね。そのぐらいには私は完全に引退しますから、そこから先は貴方の思う通りにやりなさい。十年も経てば太郎丸も大きくなり、諸々の動きが出来るでしょうからね」

 「……はい。仰せの通りに……それまでは、この元清、母上の背を見て勉強させていただきます」


 ……。


 やぁね。……太郎丸は今回も父親と和解するまでに一波乱ありそうな感じじゃないの。


1579年 天正七年 春 勿来


 数え四歳。

 そろそろ動き回れるお年頃の太郎丸君である。


 前世ではどうだったかなぁ?

 そろそろ、姉上に連れまわされてキノコやら山菜やらを採っていたかな?

 原木栽培のアイデアは忠平に伝えて形になっていた頃だったかも知れない。

 あの椎茸栽培もな……ほとんど出来上がるだけの基礎的な実験?試行錯誤は相当に、安中の里では行われていたようだな。

 ただ、俺からの一言が、最後にひらめきに繋がったようで、こうして伊藤家の食卓に椎茸が存分に乗ることとなった。


 「ほら、沙良ちゃんもいい年なんだから、いつまでも好き嫌いしちゃダメでしょ?」

 「いや……だって、おばさま。椎茸って……なんか臭くない?私は苦手なんだけど」

 「……伊藤家の極厚椎茸を臭いとか贅沢!なら、沙良は味もへったくれもなくて匂いだけは良い松茸でも食べてれば良い!」

 「輝様!それは私にとってはご褒美ですよ?……う~ん、やっぱり松茸はこうして浜焼きで食べるのが最高!!」


 はい。前世では城の皆総出で、しょっちゅう行っていた浜焼き大会。

 今生では初参加となる太郎丸四歳です。


 「では、ヌエバ・エスパーニャでは銀貨が主流であるというのか?」

 「左様です、信長様。メヒコには大きな銀山があるようで、そこで取れた銀を本国に送ると同時に、太平洋貿易の買い付け、支払いで大いに使っております。呂栄には帰りにちらっと寄った程度でしたので、そこまで詳しくは調べておりませぬが、ポルトガル商人どもが集めた金と香辛料がメヒコから齎される銀と取引されておりますな」

 「現地の商人どもは、勿来をスペイン人が航路に組みこむ前までは茶と磁器を大量に買ってくれたのだが、最近は全く見向きもしなくなったので、商売が上がったりだ……などと言っておりました。なぁ?慶次郎よ?」

 「ああ。おかげで、ポルトガル人たちは明との交易を減らし、今はもっぱら本国で高値で売れる香辛料などの農作物を南のサラセンの国々で作らせておるようです」


 ほう……明も少数の商人による大型の取引はなくなってきているのか……。

 そうなると、役人連中は袖の下を重くすることが出来ず、上の腐敗は前々世よりも緩やかになるかも知れないな。……何もしなくても転がり込んでくる権力者たちへの財、これがあるからこそ上層部の腐敗は進むもんだからな。


 しかし、ポルトガルが本国への速度を重視するアジア貿易戦略。……そうなると、今世では帆船の進化、高速化が思った以上に早まるかも知れないな。

 利益たちもクリッパーで新大陸を荒らしまわったし……四貫砲やら線条砲などの存在がスペインに知られる流れならば、意外と戦列艦への移行をすっ飛ばして、欧州海軍は高速艦時代が来るのかも知れない。


 ……っと、まてよ。たしか、ミニエー弾も補給出来たとか言っていたな……。

 こりゃ、相当な軍事技術革命が起きて、旧体制の崩壊も早まるかも知れない?

 流石に、俺が生きている間に市民革命やらは起きないだろうが……。


 う~ん。

 いっそうのこと、新教徒たちも東日本に取り込んで、いち早く信教の自由を取り入れて、ヨーロッパ技術の流出口にしとくのも言いかも知れないな。


 「太郎丸?ちゃんと食べてる?食べないと大きくなれないよ?」

 「……おお。食ってるぞ。美味しく食べているから心配するな」


 むぎゅ。


 赤子のつやつやもちもち肌がお好みなのか、沙良はボディタッチ多めに接してくる。

 ……小づきながらの会話がデフォだった姉上に比べると、なんとも心休まる関係を構築してくれる年上のお嬢さんである。


 「そう?なら、良いけど……そうだ、そろそろ、ロサが鉄板焼きを始めるから、太郎丸も行かない?」


 ぬ!

 ロサの鉄板焼き!!


 イベリア式パリジャーダから出発したロサの鉄板焼きは、気が付いたら大蒜をふんだんに使う神戸ビーフの某鉄板焼きスタイルに進化している。

 味の方も二十一世紀の東京の星付きレストランも真っ青なんではないだろうか?

 四歳児の俺も大満足のお料理である。


 「行く!」


 俺の二つ返事を聞き、にんまりと笑顔を浮かべた沙良は俺を抱っこして、ロサの特別ステージへと誘う。……やけどをしないよう、十分に配慮されたお子ちゃま席に固定される。

 ……う~む。素晴らしい。


 伊藤家では椿油が食用においても主流ではあるが、最近では安房で作られる菜種油も城には入ってきている。……更には、那須の牧場で作られるバターも使って、ロサが鉄板で芸術の業を存分に奏でる。


 じゅ~っ!


 ああ、幸せの音や……。


 「旦那ざまはほんどに鉄板焼き好きですね」


 最近はだいぶ口も滑らかに回るようになった義に揶揄われてしまった。

 ……いや、しかたないんや。鉄板焼きが嫌いな日本人なんておらんのや。鉄板焼きは晴れ中の晴れの日の御馳走なんや……。


 似非関西弁が飛び出ても不思議はない。


 「この体は、まだまだ赤子だから、思いっきり食べることが出来ないのが残念だけど、この鉄板焼きだけはなぁ……特別なんだよ」

 「そうですね。旦那様が一度御隠れになってから、ロサさんが進化させた料理ですし……南も大好物ですよ?」

 「……そう、お方様の食い気によりロサもここまでの進化を見せた……」

 「……輝?」


 いや、ならば、阿南よ。グッジョブだぞ!ウェルダンだ!


 「那須の牧場にはワタシの旦那が働いている。だから、こうして最近は仔牛の良い部位もテニ入るようにナッタ。……まずは太郎丸様、脂身は子供にはキツイので、ヒレのステーキでドウゾ」


 じゅ~っ。


 いや、だからたまらんて!!


 いやぁ、俺ってばまだ四歳児だから、姉上や信長も面倒事はまだ回してきてないからな……。

 今のうちにこうした贅沢を楽しませてもらおうとするかね!!


 ひゃっは~!!

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