第102話 一大夫、二将軍

天正四年 晩春 駿府 真田信尹


 「叔父上~!遠江の村長たちが揃ったので、お出で願いたいとのことです」

 「……おお!そうか、わざわざ伝言すまんな、源三郎」

 「えへへへ」


 子よりも甥姪の方が可愛いなどと言ったりもするが……本当だな。

 まぁ、私にはまだ子供も妻もいなかったりするのだが……。


 「虎殿がお呼びということは茶ですか?叔父上!」

 「そういうことだな。……お前たちにはまだ早いので、部屋の中には呼べぬが控えの間で静かにしていることが出来るなら、控えの間にいても良いぞ」

 「「ありがとうございます!」」


 ははは。源次郎は源三郎に比べて好奇心旺盛だな。

 まるで、兄上の子供の頃、そのままだな……。


 しかし、兄上の長男が源三郎か……。

 信綱兄、昌輝兄も名づけには同意したということはどういうことなのであろうな。


 ……いや、どういうことも何もないか。

 源三郎は真田家の惣領名。男子のいない信綱兄、昌輝兄のどちらかの娘を娶って上田を差配することとなるのであろうな……。


 父上は一昨年に上田城で静かに息を引き取った。

 お屋形様亡き後は、信濃・甲斐・飛騨の三国を父上が差配していたが、今では信濃の北と甲斐の一部しか実質支配していないようだ。

 北信濃を信綱兄、甲斐は昌輝兄が治める形にはなっているが……兄上たちから届く書状では、領内のことの費えは全て領内で賄うよう、他の地域の者達から言われてしまっているようだな。


 はぁ、……いっそのこと兄上たちも決心して伊藤家に仕えてしまえば良いと思うのだがな。

 しかし、そうなったら、上田は手放さねばならんのかな?

 ……甲斐武田と越後長尾を渡り、何とか村上や海野の本家から取り戻した上田平か。

 もとから、家督相続など頭に無かった私と兄上は全く気にしないが、長男・次男の兄上たちは、私たちとは別の感慨があるんであろうな。


 「……と言うことでごぜーます。へい、なんとか虎様のお力でどうにかならんもんでしょうか……」

 「そうでございます。儂ら御前崎の者達も……なんとか駿府の市への参加と西からの荷運びを認めて頂きたく……」

 「虎様も井伊谷の直盛様の御長女。拙僧ら東海の民の葛藤はご存知でしょう。なんとか、拙僧たちの葛藤をおくみいただき、なんとか駿府での活動をお許しいただきたく……」


 流石に、浜松や浜名湖の住民は来ていないが、天竜川の東の村長、商人座頭、寺社、で三十名ほどか。

 ふぅ。これでは、天竜川の東のほとんどになるんではないか?

 なんとも面倒だな。……虎殿も大変だ。


 「そうは言っても儂は井伊谷からは完全に縁を切った身だ。お主たちは遠江の民で、遠江は徳川殿が治める旨のやり取りを、当家と徳川家で確認しておる内容だ。……当家の市は自由市。どのようなものであれ、一定の税を納めれば商いに制限はないし、出入りだけならだれでも出来る。これは、今までも言うておろう……お主たちが話しを持ちかける相手は儂ではない。浜松城におられる徳川殿だろうて」


 まさに、虎殿の言う通りだな。

 徳川と伊藤は大井川で境を設けているのだがな……しかし、我らが設けた境など、生活のかかった民に取っては取るに足らぬ事か。

 より良い生活が出来るのならば、全力でそれに向かって行動するということであろうな。


 「へい、それは儂らも……のぉ?皆の衆」

 「はぁ、拙僧らもまずはご領主様へということで、掛川城の城主となられておる榊原康政さかきばらやすまさ殿へ家康様への取次ぎを願い出てはいるのですが……」

 「誰が、いつ康政様へ話を持っていてもなしのつぶて……はては、徳川家ではなく、直接に伊藤家に願い出よと言われる始末……」


 む??

 徳川自身が伊藤家に繋ぎを付けることを勧めるのか?

 わからんな。それでは、天竜川から東の民は軒並み伊藤家に靡いてしまうだろうに……。


 「いや、あのな。伊藤家の儂らとしては、皆に頼ってもらうのは有難いことではあるが……」


 ふふふ。虎殿も困りっきりだな。

 美人の困り顔というのも、これはこれで見ものだな。


 「おい、信尹殿!笑ってばかりおらぬで、儂の手助けをせぬか!お主は駿府城の城代であろうが!」


 しまったな、どうにも傍観者となっていたのがばれてしまったようだ。

 小声でお説教を頂いてしまったな。


 「皆の意見はわかった。……だが、私にはお主たちがどうして困っているのかが、皆目理解できんのだが?」

 「「え?」」

 「……いやな。困ってる内容がわからんと言うておるのだ」

 「「……」」


 お?虎殿までぽかんとしておるな。

 呆けた顔まで美しいというのは、もはや罪だな。


 「あの……城代様は、儂らの困窮をご理解でねぇだか?」

 「拙僧たちは困っているのですが……?」

 「だから、どこがかと聞いておる。……先ほど、茶奉行であられる虎殿が言うておったであろう?伊藤家の市は税を納めれば自由に参加できる。物を運び込むのには、市の参加権と内容を市の事務方に提出すれば良いし、買い付けに関しては全く問題ない。天竜川の当家の関では、市で商った物に関しての税は一切取らぬこととなっておる。これは奥州から関東、東海のすべての領内で共通だぞ?それで、何が困っておるというのだ?」


 まぁ、彼らが本当に望んでいる内容はわかるが、それは徳川家の問題で当家は関係ない話だからな。


 「いや、しかし……それでは、拙僧らの扱ってる茶は……」

 「好きに駿府で売れば良かろう?市の事務方に参加申請をして、所定の書類と税を支払えば良い」

 「いや……あの……それでは拙僧らの茶を運び込むことは……」

 「何を言うておるのだ?好きにすれば良かろう。関を通るときには運び込んだ量に応じての税を支払うこととなるが、市で参加するのならば、その税は戻って来るぞ?どこに問題があるのだ?」


 当家の領内では問題が無い。


 「いえ……私たちの荷船を出すのも……」

 「当家の帆別料は船単位だぞ?何の問題がある?好きなだけ積んで、市に運び込めば良いであろう。私としてはきちんと湊の使用料を規定通りに払ってもらえば問題は無い。……もちろん領内で不埒な真似をしたら、それなりの処罰はさせてもらうがな?」

 「あ、いえ、そういうことでは……」


 結局、彼らが望んでいるのは徳川の政の変革なのだ。

 当家の者がとやかく言うことではないし、まともに取り合っては要らぬ名分や厄介事を抱えることとなろう。

 虎殿はその容姿と同じく、心までお美しい方だからな。どうしても力なき民からの願いには弱いのであろう。


 「これで、その方等の疑問は解けたかな?当家では今まで通り、領内の市では所定の税さえ納めれば、自由に参加できる。荷も申告通りの内容なら何の問題も発生せん。駿河の城下市は五日、十五日、二十五日の各三回、それぞれが前後合わせて三日開かれる。これからは振るってご参加いただきたいものだな」


 なにやら領民たちは納得いかぬ顔だが、元より彼らに納得できる答えを当家では用意できぬのだ。

 心優しい虎殿の困り顔も今日は十分に堪能したからな、そろそろお帰り頂くとせねばな。


 「では、今度は市でお会いできるよう祈っておるぞ?……この中には天竜川にほど近いものや山側の者達もおろう、日が暮れる前に帰られるが良かろう。ご苦労であったな」

 「「はぁ……」」


 彼らも追い出されるのがわかったのであろうな。

 渋々ではあるが、席を立ちだす。


 ふむ。虎殿はこのままに彼らを返してよいものかどうか迷っておられるか……。

 仕方ないな。


 「きゃっ!」


 まだ、上座に座っていた虎殿の手を引いて無理やり立たせる。

 困惑した虎殿をそのまま控えの間に連れ出し、近侍の者達に目線で遠江の彼らを追い出すよう命じる。


 「信尹殿!信尹殿!」


 今日は良き日だな。

 まさに春の小川のごとき清流のせせらぎが耳元から聞こえてくる。


 「信尹殿……手を、手を放しては貰えぬであろうか……?」


 おや?

 この至極の感触を私の方から手放せと?


 「まぁ、良いではありませぬか。虎殿は心根がお優しすぎる。彼らの行動は榊原の仕掛けてきた陽動ですぞ?あのようなものは、正論だけを一方的に述べて、相手にしなければ良いのです。そもそも、本当に徳川からの離反や逃亡を計画しておるのならば、あれほど大勢でここまで押しかけてくるなどできませぬからな」

 「は、はぁ……そのようなものでしょうか?」

 「そのようなものです。そもそもが徳川の関の管理体制の話ですからな。適当に民が満足できる程度の税にしておけば、徳川も収入が上がり目出度い話で終わるところを、こうして面倒事にまでして見せているのですからな。そのような策にむざむざと乗ってやることもありますまい」


 まったく……数年前の私が古河に来た頃の徳川……あの頃は松平か、彼らはこうも面倒な仕掛けをしてくるような家ではなかったはずなのだがな。

 当主が代わるとこうも家の特色も変わるか。


 ふん。これも先代、先先代に妻子と外戚を一斉に粛清したおかげということかな?


 「おや?叔父上、話はあれで終わりでしょうか?」

 「ああ、あれ以上に話を聞いても時間の無駄だからな。それに小太郎殿の配下も目を付けるべき人物の策定は終えていた事であろうしな」

 「ははは。あの茶の座を見ておるとか言う坊主ですな」

 「そうだ。ちと、坊主と言うには振る舞いが武士臭過ぎたからな……これ以後は徳川家の半蔵殿と当家の小太郎殿との化かし合いというものよ」

 「なるほど……で?叔父上はいつまで虎殿の手を握っておいでなのですかな?ひょっとして、叔父上の求婚が実りましたかな?」


 なんだ、源次郎よ。そう、大人を揶揄うものでは……と、虎殿は顔を赤くしておられるな。

 もしかしたら、これは脈ありかも知れんな。


天正四年 夏 古河 伊藤元景


 「上様、お久しゅうございます」

 「……直江殿。あなたまで上様呼びなど……私は征夷大将軍ではありませんよ」

 「なにをおっしゃいますか。私は将軍様を上様と呼んだだけのこと。先代様も景藤様も正式に朝廷から将軍職を贈られた身なのです。頼朝公が鎌倉に幕府を開いた時の将軍職が征夷大将軍であっただけで、それ以後、朝廷が武家支配の形式を征夷大将軍に求めた故、武家の棟梁を征夷大将軍としておっただけ。それに、今代の征夷大将軍は丹波に入り、朝廷の勅にて丹波攻めをしておる三好家に敵対しておりますからな。流石に、足利将軍体制、征夷大将軍体制は限界を疾うに過ぎたということでありましょうし、……当家に参った二条殿と一条殿もその旨を確かに言っておられましたからなぁ。これからは、新設した三つの官職で日ノ本の安寧を図るとのことです」

 「何だったかしら。二条殿から送られた文になにか新しい官職が書いてあったような……」


 父上と太郎丸に関しては、死後の贈位だから受けたけれど、存命中の私は官位を受ける気は欠片もないわよ?まぁ、特に敵対する気もさらさらないけれどもね。


 「古河府将軍こがふしょうぐん太宰府将軍だざいふしょうぐん内国大夫ないこくのだいふ。たしか、そう言うておられました。古河府将軍は東国、足利鎌倉将軍の職権そのままの地域。太宰府将軍は九国二島に長門・周防。京職きょうしきは洛中だけを治める機関であり、内国職ないこくしきは畿内全域を治める機関との説明でしたな」

 「内国職……」


 謂れは有るし、意味も分かるけれど……なんとも新しい形ね。

 ただ、個人的には無理に一つの将軍家に統治させない方法には賛成。良いわよね。太郎丸もよく「お互いに敬意を表して遠くで幸せになればいいんじゃないの?」なんて言ってたものね。


 「洛中のみならず、畿内を一つの大きな国と見立て、そこの国々、山城、大和、河内、和泉、摂津に丹波と近江を加えて畿内国とする。そして、その長には三好義興殿を充てるということだそうで……」

 「あら、丹波と近江も……それでは丹波と近江の領主たちは、さぞ納得いかないことでしょうね」


 最後の将軍、義昭は数か月しか京都にいられなかったわけだし、逃亡先も西国を転々と……なにやら吉備国きびのくにに居を構えたとか聞いていたけれど、いつの間にか丹波にいるのね。……そうね、実情として、足利幕府は消滅していると考えて良いでしょう。

 話に聞く限りは、室町の幕府は全てが三好義興みよしよしおき殿に掌握され、運営されているということでもあるし。


 それにしても大きく分けた三国体制?それが、朝廷の描いている新しい統治構図なのかしらね。


 ふぅ。

 しかし、実際の所、その体制の実現のために現場で戦うのは私たち武士なのよねぇ。

 ……実際に丹波ではもう戦が始まっている。

 これは近々、近江でも戦が始まるのかしら?近江は北を浅井、南を六角が抑えている形だったかしらね?


 「ええ、その関係で当家にも援軍要請……と言うよりは越前攻めのお墨付きを与える。……といった形式での話でしたな」

 「お墨付き。……ならば、軍を興すか否かは長尾家に委ねられているのでは?」

 「はい。委ねられてはおりますな……まぁ、上様に隠し立てするのもおかしなことでしょうな。実はお屋形様、顕景様が大層乗り気なのです。側近の樋口兼続ひぐちかねつぐと一緒になって、二つ返事で二条殿と一条殿に了解する旨の返事をされてしまわれましたわ……はぁ」

 「……それはなんとも……ご苦労なことです」


 そんなに、公家の言うことに飛びついては……対価はそれなりに払わなければいけないのでしょうね。


 「兼続は私の妹の息子……わたしに取っても可愛い甥っ子ではあるのですが、どうにも血気にはやる性格でして……慎重が過ぎるお屋形様とは良い組み合わせとは思っておりますが。……いやはや、なんとも。まったく、こんな時に真田殿がご存命ならば……いえ、これは繰り言ですな」


 真田殿か……そういえば、叔父上からそのあたりの情報が入って来てたわね。


 「その真田殿亡き後ですが、どうにも東山道がぎこちなく感じられるようですけれど?」

 「ぎこちなくですと……?」


 あら?直江殿も目つきが変わったわね。

 多分に芝居がかっているけどね。


 「ええ、東山道をそのまま西に行く分には問題が無いようですが、千曲川、信濃川を北上する街道は寂れていて使う気がしないと、当家にも出入りする商人たちが噂しておりますよ?」

 「左様ですか、関東の商人達に不便をさせるとは、何とも申し訳ないことですな。……しかしながら、上様。これよりは私が富山より春日山に入り、今一度、越後を統括して参りますので、これ以後はそのようなことにならぬよう万全に目を光らせてまいります」

 「そうですか、直江殿がそうして下さるのならば、本当に心強き限りです」


 ええ、本当よ。

 越前を征服すれば、長尾家は越後・越中・越前・信濃・甲斐・佐渡の五国一島太守。

 抑えている国府の数の上では当家の下総・上野・下野・武蔵・相模・安房・伊豆・駿河の八国に近くなるのだからね。余計な面倒事は増やさないでいて欲しいところだわ。

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