第99話 椿の木は残った
天正元年 晩秋 古河 伊藤景虎
「で?その方はどなたかな?」
「ま、麻呂は関白二条晴良の息にて権大納言を拝命しております
なんじゃ、ビビってばかりの若造じゃの?
あの関白殿下の息子なら、もうちょっとしゃきっとしていてもおかしくはあるまいに。
「で?どのような御用で?」
言い方がきつくなるのは勘弁願いたいな。
犯人が関白殿下でないことはわかるが、どうにも息子が二度も毒にやられるなど、……父親として冷静ではいられぬのじゃ。
「こ、此度の後見様への薬。当方で確認しましたところ、……も、申し訳ございませぬ!」
「……で?」
「父晴良が信濃守様にお渡しする前に、丹波乱波の手によって毒物とすり替えられており……」
「……むざむざ毒を京よりお持ちいただいたというわけで?」
ふむ。
宮中の人選は正解だったのかも知れぬな。
このように怯えた小鹿が如き若者を出されては、……如何に怒りに染まっていようとも首を刎ねる気にはならんわ。
「そ、そのような!!……い、いえ、結果としては正に先代様がおっしゃられた通りの……まことに申し訳ございませぬ!!」
「……謝罪は受け入れましょう。……で?その首桶は?」
「は、はっ!此度の仕儀、計画したのは前関白、近衛前久でおじゃりますが、実行犯はこの男、丹波豪族の
「……よい」
「はっ?」
「もう良いと言うておる!!」
いかんな……別に怒鳴るつもりは無かったのだが。
どうにも感情を抑えるのが難しくなってきておるわい。
「も、申し訳ございませぬ!!!」
「……もう、良いのだ。権大納言殿……二条家を初めとする宮中の謝罪は承った。実際の手筈を整えた罪人の首も検分させて頂いた……二条と近衛の関係を考えるに、前関白はもう京に戻ることは出来ず、二条殿の手筈の元、いずれは命を落とすのであろう……少なくとも、伊勢の関や伊吹の東に足を踏み入れたら、儂らの下に身柄か首が届く手配となっておる」
「……」
「ゆえに、もういいのじゃ。もうお主ら、京の公家どもとは一切の関わりを持ちたくないのじゃ……権大納言殿も公卿、五摂家の方なら存じているであろう?平氏伊藤家は直接、間接含め、そのほとんどが京に関わらされて命を落としてきたのじゃ……もう沢山……もう沢山だ!!公家と名乗る者は二度と東国に近寄るな!金が欲しければこちらから送ってやる!もう二度と関東に姿を現すな!!わかったか!!お主の父親にもよう言うておけ!!!」
「ひっ、ひぃぃい!わ、わかり申した。か、必ず先代様のお言葉を、お、おつ、伝えさせていただきまする!!!」
「ならば去ね!とくと去ね!!!」
「ひひっ、ひぃぃい!」
どたったたっどた!
すまんな。
二条の若君よ……どうにも儂自身、感情の抑えが効かん……。
「……先代様。我ら安中、その全てが後見様の弔い合戦にて……京の町のことごとくを焼き尽くす覚悟、すべての兵が出来ておりますぞ」
「柴田も同様にございまする」
……。
そう、誘惑するな、忠宗よ、業棟よ……。
「某にとって後見様は娘の夫……息子を殺された悔しさは先代様と同じでございます。一言、たった一言の御命令を頂ければ、関東八万騎を率いて日ノ本の全て、草の根を分けてでも近衛に連なるすべての者を見つけ出し、滅する覚悟」
「……止めておけ、忠清。……太郎丸は心優しき子じゃった。……戦場での殺生以外は固く戒めるような子じゃった……ここで、残された儂らが無用な因縁を作ることはあるまい……」
そうじゃ、あの子は言うておったではないか。
「無用な因縁を作るなど暴君の為すこと」だと……。
「万に一つとはわかっておる……今は勿来でその時を待っておるあの子の回復を……一心に祈ろうではないか……」
そう、そうだな。太郎丸。
「忠宗!」
「はっ!」
「今後如何なる者!如何なる理由であろうと、「弔い戦」などと口走った者は厳重に処罰せよ!この命令に例外は無いっ!よいなっ!!」
「はっ!!」
太郎丸よ……お主は運の強い子じゃ。
一度は毒を食らっても戻って来たではないか。
なんとしても、もう一度、今一度戻ってくるのじゃ……。
1574年 天正二年 正月 勿来
参ったな……一度の生で二度の服毒とかやってないんだけどな……。
って、一回目は服毒とは違うか。ははは。
「わ、笑いましたよ!旦那様が笑いましたよ!!義姉上!!」
「太郎丸!笑ったわよね。もう一度目を覚ましてくれるわよね!」
なんだ?姉上?
また、俺の昼寝を邪魔して裏山のキノコ狩りにでも連れて行く気ですか?
俺はまだ眠いんですよ?
「あ、兄上!太郎丸様!!あなたがいなくなってしまったのでは、竜丸は何を見てこの世を生きて行けば良いのですか!?」
なんだよ。竜丸。
そんな「ウホッ!」な人たちが喜びそうなことを言うんじゃないよ……お前が大事にするのはお市であり息子たちだろう?
「……は、ははっ。うるさいよ?みんな……」
あ!声が出たね。
「「太郎丸(旦那様)!!」」
ああ、なんだか、今日は身体が動かせそうだね。
「姉上、竜丸。今日は良く寝た……身体が重いよ……済まないが、縁側まで連れていってくれないか?」
「そ、そんなっ!」
「……わかったわ。起きれる?」
「自分一人じゃ辛いかな?」
はは。いいんだ。わかってるよ竜丸。
阿南、そんなに泣かないでくれよ。
俺は出来るだけ身体がおかしなことにならないよう、ゆっくりと起き上がる。
こういう介護的な動きも一流の剣術家は心得ているのかな?
輝と姉上が両脇から俺を支えてくれる。
ああ、楽に動けるね。
早くこうして二人に動かしてもらえば良かった。
「もう年は明けたのかい?阿南?」
「……はい。旦那様。今日は天正二年の一月二日……年が明けて二日目ですよ」
「そうか……年が明けたか……王者以民為天」
ふむ。俺にとっては中華料理屋の掛け軸の文言の方がなじみ深いよね。
「一丸、中丸、仁王丸……いるか?」
「「はっ!ここに!」」
そうか、いるか……。
「一丸。お前には俺の狼の旗印をやろう。……確かにこの旗印は常勝無敗ではあるが、気負わず使え。俺の後も奥州軍はこの旗の後ろに続く……」
「……はっ!」
現物は……どっかにあるだろう。ここには伊藤家の色んな人がいるんだ。俺の言葉を聞いて探し出し、一丸に旗印を渡してくれるだろうさ。
「中丸。お前には俺の愛用の上着だな。狼の上着は羽毛入りなだけあって暖かいぞ?鎌倉はここよりはだいぶ温かいが、船の上では風が冷たくなる日もあろう。身体は冷やすなよ?」
「父上のご厚意、ありがたく!」
なんだ。これは涙かな?
視界がぼやけて良く見えないや……。
「仁王丸。お前には俺の太刀をやろう。あの景能爺、藤原朝臣村正が「生涯の最高傑作」とまで言った逸品だ。幸いにして戦場で敵兵の血を吸ったことは無いからな……変なご因縁を作ってはいない筈……大事にしてくれよ?親父」
「??……はっ、ありがたく」
ああ、そうだな。娘が十人もいるんだよ。俺には……。
「娘たちには……なんだ、俺は良い父親では無かったな。どうしても武ばったものしか手元にない……一の太刀は仁王丸に渡したが、景能爺の業物は多く貰って来た……太刀、脇差、槍、偃月刀、鉄砲、小刀、西洋刀に西洋鎧……戟なんかも作ってもらったか……そうだな、椿たちは書物の方が好きだったかな?俺の書棚から好きなのを持って行くとよい。大叔父上と一緒になって、金に糸目をつけずに集めた書物ばかりだ……大事にしてくれよ?」
ああ、そうだな。
このままでは、俺は父上よりも先に……というよりも大叔父上より先に逝くのか。
こりゃ、とんだ不孝者だな……。
「だ、だんなざま……蘭と彩芽はしょもつよ、よりも船をほ、ほしがるかと……」
「ん?その声は?」
初めて聞く声だな?
しかもだいぶ絞り出した感じの声……。
「義!!声が!声が戻ったのですか?!」
おお!義に声が戻ったのか。
それは良かった……。声を失って十数年だからな。
そりゃ、初めのうちは出し辛かろう……。
「ははは。そうか、蘭と彩芽は船が欲しいのか!しかし俺個人では船を持ってはおらんからな……そうだ、中丸よ」
「はいっ!」
「黒狼丸は武凛久だからな。お前は少名で乗艦を新たに作るが良いだろう。妹たちが大きくなったら、黒狼丸を譲ってやれ、良いな?」
「はいっ!必ず、黒狼丸は二人に渡します!」
ははは。
それでは、獅子丸の娘の沙良と一緒に海の三人娘か……中々良いではないかな。
「姉上……母上は?」
「母はここですよ」
俺の右手が優しく握られる。
ああ、母上の手だ。
……記憶にある手よりも小さくなられたかな?
「母上……私は縁側に座っているのですよね?」
「ええ、元と輝がお前を連れてくれましたよ?」
「そうですか、正月も二日だというのに今日は暖かいのでしょうか?何やら心地よい風が感じられます」
「左様ですね。今日は暖かい日差しが心地よい日和ですね」
「「くっ!……後見様」」
あれ?
周りの反応からすると、あんまりいい天気じゃないのかな?
けど、いっか。俺には心地よい風が感じられる。
「母上。太郎丸は残念ながらあまり良く見えませぬが、庭の椿は咲いていますか?「白鷺姫城の寒椿」と称される羽黒山城程でなくとも、勿来も沢山の椿を植えたはずですからね……寒椿などは如何でしょうか?」
「ううっ。……み、見事、見事に咲いていますよ?太郎丸。あなたが山から取ってきた挿し木が見事に育って大輪を……それはもう見事な大輪を咲かせていますよ!」
「そうですか、それは良かった……母上の症状を少しでも和らげるために開発した石鹸の元、椿油を取るための木ですからね。これからも伊藤家では椿を大事にしてもらいたいものです」
「「ううっ……」」「くっ、後見様……」「か、必ずや……」
なんだよ、皆泣くなよ?
そんなに泣かれたら……。
「なぁ、吉法師……」
「……何だ?」
「お前は毒にやられるなよ?」
「……それはいつもお前が言う旗というやつではないのか?」
「ああ、フラグは立てちゃだめだな……それはそうとして……お前はお蝶殿より先には逝くなよ……」
「……ああ」
「この後のことはグダグダ言わんからな」
「わかっておる。任せておけ」
「なぁ……」
「なんだ?」
「俺は、お前と国の外を沢山見てみたかったよ?」
「……回復すれば幾らでも行けるさ」
「そうだな……獅子丸やアルベルト卿の案内でメキシコも行きたかった……ローマでお前と一緒に洗礼を受けるというのも一興だったかも知れんな」
「……」
「なぁ……最後にちょっとだけ本音を良いか?」
「あぁ……なんだ?」
「皆はちょっとだけ耳を塞いでいてくれ……俺は……俺は死にたくないなぁ……」
「……」
「俺は死にたくないんだよ。……公家の糞野郎は俺のこの手で、特に近衛はぶち殺してやりたい。だけど、残していく皆には決して復讐はさせないでくれ」
「……わかった。伊藤家に復讐はさせん。この信長が請け負った!」
「ありがとう……死ぬのは辛くない……怖くはないんだけどな……死にたくないんだよ……不思議だな」
「不思議ではないさ。それが人間というものだ」
「そうか、人間か……敦盛なら五十年なんだけど、俺って四十前なんだよな……死にたくはなかったよ……けど、矛盾してるかな?満足できる人生だったよ」
「……そうか、満足できたか」
「ああ、素晴らしい家族に巡り合えて、素晴らしい仲間に巡り合えて、素晴らしい妻と子に巡り合えて……何より、お前のような親友を得られて……東国の安寧には遠いけれど、道筋をつけることは出来たと思うしな……なんだ、結構良い人生を過ごしたのだな俺は」
「……当たり前ではないか!この俺の親友なのだぞ?!それほどの男の生がつまらないものであるはずがなかろう!」
「そうだな……そうだよな……ああ、今日は本当に暖かいな……暖かいひかりが……」
……
…………
天正二年 一月十日 鎌倉 建長寺 伊藤元景
今日は父と弟と大叔父の葬儀。
太郎丸は一月二日、勿来城奥の丸の自室で短い生涯を閉じたわ。享年三十八。
父上は太郎丸の訃報を聞いた翌日、一月四日の朝、自室で腹を召されたわ。享年六十八。
大叔父上は太郎丸の三日前、十二月の末日に眠るようにして亡くなったわ。享年八十四。
父上の下には一通の文。
曰く、これ以後の如何なる追い腹、無念腹を禁ずる。また、如何なる報復手段を取ることも禁ずる。
……と。
はぁ。
……止めてよね、三人とも。
父と弟と大叔父を一片に失う娘の気持ちも考えてよ。
忠宗と忠清が全力で止めなければ、単騎駆けで京に上り、宮中の生けとし生けるもの全てを殺しに行こうとしちゃったじゃないの。
「信濃守様……」
「……」
……今、一番見たくない類いの人種ね。
「信濃守様の御腹立ちはわかります。されど、そのような時にでもいらぬ頭を下げ、武家の機嫌を取らねば生きていくことが叶わぬこの身をどうぞお笑い下され……」
「……ご用件は」
「表向きの要件と内々の物が一つずつ……」
「表から聞きましょう」
このような状況でも逃げずに鎌倉まで来た、その勇気に免じてお話しは伺いましょう。
「表向きは朝廷からの贈位を……まず、先代様、景虎様には贈従三位、贈信濃守、贈古河府大将軍を……後見様、景藤様には贈従三位、贈陸奥守、贈鎮守府大将軍を……」
「……純粋なご厚意でしょうからね。有難くいただいておきましょう……で?」
気になるのは内向きね……。
「内向きの方ですが……こちらは多少言い難い事なれど、此度の真犯人は残念ながら当家、二条……九条の流れの中にいることでしょう……」
「でしょうね……」
なにやら、宮中としては全ての責任を近衛家と波多野家に擦り付けて幕引きをしたいのでしょうけれど、それでは……。
「以後に、我ら公家が関東に顔を出せるのは此度の真犯人の首を持参した時だと理解しております。……多少の時間は頂いてしまうかも知れませぬが、この晴良の皺首に掛けて……必ずや、その者に罪を償わせまする」
二人で話をするところを見られても……と思って建物の影に入ったのだけれど。……正解だったわね。
関白殿下は砂利の上に胡坐をかき、深々と頭を下げたわ。
公家とは思えぬ、立派な振る舞いね。
「わかりました。関白殿下のお顔を立て、機会を差し上げましょう。下手人の首を持ってきてくだされば、それ以後、宮中との遺恨を当家には一切残さないようにしましょう。伊藤家の当主としてお約束致します」
「忝い……話はこの二点でございます。……それでは、これにて……」
「ええ。遠路はるばるご苦労でした」
ふぅ。関白殿下のお約束を伝えれば、暴発間近だった者達も少しは落ち着くでしょう。
……私を含めてね。
君以下為基、民以食為天、正其末者端其本、善其後者慎其先。
領民あっての領主だものね。
肉親への情だけで領民に苦しみを与えるのは王たる資格なしという事よね。
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