第88話 子供たちの元服

元亀元年 冬 古河 伊藤景貞


 多少は言葉が荒くなるのは仕方なかろうな。

 景竜と元景のやつはそれほどでもないが、俺と兄上は口調が強い。


 今日は、放光寺の住職から齎された烏山城の元女中の不審死にまつわる話を聞くため、城主である寅清を古河に呼んで、話を聞いている最中だ。


 「つまり、お主は杏の動静は、その一切が解らんというのだな!」

 「は、はい。申し開きのしようもございませぬ……杏もはじめのうちは仁王丸を勿来で養育することになんの反論もせず、むしろ歓迎していたというのですが……その……信濃守様が家督を継ぐという段になってから急に人が変わったかのように……」

 「変わったかのように?」

 「変わったかのような言動をするようになりました……」

 「どのような?」


 杏は兄上が安中の里の娘との間に出来た子であるというが、なんぞおかしなところがあったかな?

 俺が覚えている限りでは、妙におどおどとした娘、ただそれだけの印象であったがな。


 兄上が里の娘に産ませた娘は三人。上から杏、霞、瞳。それぞれ、寅清、政繁、昌貞の三人に嫁いで幸せな家庭を築いているものだとばかりに思っていたのだが……。

 亭主はそれぞれに一角の城主として、そして一門衆の者として兵を率いる役目もこなしておる。

 特に、一連の伊勢攻めには武蔵の軍勢を率いて、数多くの戦に参戦しておる。

 ふむ。不満が出るというのが、今一つ俺には理解できん。


 「その……はばかりながら……杏は信濃守様より年長の娘である、と……ですので……本来であれば、伊藤家の……その」

 「なんじゃ、その煮え切らん言い方は!はっきりと申せ!」

 「はっ!つまり、先代様の長女であるのは自分であり、家督を継ぐ資格があるのは自分である、と」


 ……なんだ?

 本気でそんなことを口から漏らすほどにおかしくなっているのか?


 確か、杏は俺の五歳ほど下だったはずだよな。

 四十よりも五十が近くなっておるというのに、そんな夢みたいなことを言っておるのか?


 「……寅清よ……その、杏は如何したのじゃ。儂自身が、赤子の頃から養育したわけではないが、いうても儂の娘、そのような世迷言を言うような娘であったとは思えんのだが……あの娘の母親も到底そのような……」

 「はい。私も何が何やら……」

 「私としては四国連合十六国を纏める気概と覚悟さえあるのであれば、いつでも家督の座を譲っても構わないのですが……」

 「勘弁してくれ、元景。覚悟だけで当家を率いられては溜らぬぞ」


 少なくとも十年、二十年という城主としての経験と、数万の軍勢を率いるだけの器量を見せてもらわねば、当家の家督なぞ継げるものではないわ。

 ふん。


 「しかし、寅清よ。そのような世迷言以外では何かないのか?なんでも良い。誰ぞ、近づいてきたものだとかは?」

 「いえ……某も近衛のことは伝え聞いておりますれば、それに似たようなことは……確かに、ここ最近は京からの商人に調合香なる物を持ってこさせてはおりますが、別段おかしなものとも思えませぬ。某も嗅いだことが有りますが、杏の求めているあれは普通の香としか思えませぬ」


 ふむ。寅清自身も嗅いでおったのか……それで、おかしなところはないということは、近衛の香とは違う物なのであろうな……しかし、杏は部屋にこもりっきりで香を焚くという。


 「わからんな。俺にとっての香などというものは、何かしらの儀式時に衣服につけるものぐらいしか知らん。……ふん。では、香に囚われず、それ以外になにか気にしていることは無かったのか?」

 「左様ですね……そういえば、仁王丸が産まれてから久方ぶりに褥を共にした時の話なのですが……」

 「……気にしないで。私も四十の女ですから」


 そうか、元も気付けば四十か……いかんいかん、感慨にふけっておる場合ではない。

 寅清が何かを思い出したのだからな。


 「はぁ、その共に寝ておった時……明け方前のまだ暗い時刻ですかな。突然に杏が飛び起きまして、「巨人に食われる。巨人に食われる」と……その時はなにかしらの悪夢を見ただけかと思いましたが、それからも……そうです!杏が香に凝り出したのも悪夢から逃れるためだと申しておりました」

 「ほぅ。確かに香などというものは本来が気持ちを静めるものであったりするからな……しかし、巨人??なんじゃ、それは?背の高い景藤をでも暗示しておるというのか?」

 「いえ、杏が言うにはもっと大きな巨人なのだとか……身の丈は数百尺から千尺を超える身体で、いつも自分を食べる瞬間に……そう、それこそ後見様が現れてその巨人から救ってくださるのだとか。それゆえ、杏は仁王丸が勿来の地にいることに賛成しておったのです」


 話を聞けば、聞くほどにわけがわからんな。


 「景竜よ。お前は何かしら考え付いたことは無いのか?」


 困った時の息子頼りだな。

 わけがわからん、こういったこんがらがったものを解くのは、昔から得意だったこやつだ。

 何かしら良い思案が浮かんでおるのかもしれん。


 「悪夢と香は繋がりました。けど、結局のところ問題は女中の不審死です。寅清には不審死と杏様の接点で思いついたこと。再度調べ直して見つかったことなどは?」

 「は、はい。古河からの報告を受けまして、あれから城で色々と調べ直したのですが、件の女中、稲という者は上野は沼田の奥、名胡桃への道中の村出身ということでした……ただ、その夫というのが……」

 「夫というのが?」

 「はい。どうやら、先の岩櫃の柴田……篤延に連なる者で、里で討ち取られた者であるように御座います」


 ……長尾の草……飛び加藤に唆された一門出身か……。


 「確かに、あの頃は家督を仁王丸に繋げて、外戚一族としてお主を担ぎ上げる勢力が加藤に唆されておったな」

 「はっ。あの頃はそういった者達から、杏と仁王丸を遠ざけるために某も手いっぱいで……結局は勿来の後見様のお力に縋るよりほか御座いませんでした」

 「で、あったな……しかしこうなるとどうなのじゃ?稲が急に身の危険を感じた理由がさっぱりわからん。夫の関連であったのならば、儂が元景に家督を譲った辺りの出来事でなら理解ができるが……」

 「ですね。姉上が信濃守として立たれて、早十年。ここにきて稲が身の危険を感じたというのは……」

 「話を聞いていると、最終的には杏姉上に話を聞かなければ真相はわからないのでは?問題は、稲が誰に身を狙われたのか?姉上がどうして心変わりをしたのか?この二点でしょう。こうなったら、直接杏姉上に話を聞きましょう。寅清、何とかして姉上を古河まで連れてきてくれないかしら。方法は一切を任せます。もし、考えが浮かばぬ時は竜丸に相談しなさい。いいわね」

 「「はっ!」」


 景竜と寅清が共に頭を下げる。

 では次の議題か……では忠宗たちを呼びに行かなくてはな。


1571 元亀二年 正月 勿来


 「へ~、これらがアイヌの地で作られた作物か!」

 「はい!彼らも言葉が通じぬだけで、その身も心も某たちとは変わらぬのでしてな。周辺の部族の者達も室蘭で働いて銭を稼ぐことを覚えてからは、買い物にしょっちゅう出向いてくるようになっております。そのついでにと、色々と畑の作り方の助言やら、信長様が異国より持ち寄ったと言うけったいな種やら芋やらを植えてもらったところ、驚くほどにそれらの畑が彼らの中で広がっておりまする。彼らも食い物が増え、部族同士で争うことが減り、逆に複数の部族共同で開拓に勤しんでおります。そのおかげで、伊達家は室蘭の北にある湖のほとりに伊達の町を作るのだと……支倉様達は忙しそうに働いておりますな!」


 目の前に並べられた作物の数々。

 ジャガイモ、カボチャ、甜菜、タマネギ、アスパラガス、豆、そして小麦粉。

 量はそれほどでもないということだが、これらの農作物が自分たちで育てた畑で作れると知って、アイヌの人たちは室蘭の倭人に親しみを覚えているのだという。


 このまま仲良くしていって、シャクシャインの蜂起等が起きないようになって欲しいものです。

 北海道はでかいからな……知床、稚内まで勢力を伸ばすためにはアイヌとの友好が何より必要です。うむ。


 「へへへ~。僕の旦那様もやるでしょ?南ちゃん」

 「確かに、小一郎ちゃんは大したものなのです。けどけど、南の旦那様の方がもっと、もっとすごいですよ!?」


 相変わらずの清と阿南のガールズトークである。

 これからも二人仲良く過ごしていってもらいたいものだ。


 「しかし、太郎丸よ。お主は勿来で暇なのではないのか?今頃、古河では正月の祝いに加え、信濃守様と寅清殿の祝言と仁王丸の惣領就任と元服、合わせて一丸と中丸の元服も行われているのだろう?」

 「こうして、秀長も室蘭から戻って来ているので、暇ではないが……確かに息子たちの元服に立ち会えぬのは寂しいな……娘たちもこの機会に、正式に各地の鹿島神宮に行ってしまった……」


 そう、娘’ズの年長組、杜若、千代、美月はそれぞれ棚倉、古河、鎌倉の鹿島神宮に神官見習いとして赴任していった。

 これまでは三人とも神官見習いはただの肩書で、ひたすら鹿島神宮で剣の修行をしていただけだというのに……。

 卜伝の爺さんめ、「そろそろ儂も体の言うことが本格的に効かなくなってきました。ついては、姫様たちには儂の下を離れた修行を開始していただこうかと考えております」だと?!

 娘たちも「剣の修行の次段階」と聞いて、一にも二もなく出かけてしまった……。

 三人のうち年下の千代と美月なんて、この正月で十二だぞ?しかも数えだぞ?


 どうして、伊藤家の女子ってバーサーカーが揃っているんだろうか?


 一丸も中丸もそれなりには剣術を習ってはいたが、言うてもそこそこ。

 もちろん、塚原卜伝直々に教えを賜っていたわけだから、この時代の平均以上の使い手ではあるのだろうが……。

 うちの娘ちゃんたちは、そんな一線を越えちゃってるんだよね……。


 まぁ、その下の椿、桐、杏、伏の同い年四人組は仲良く勿来の女中塾で、姉上と母上に対する忠誠を叩きこまれている最中だ……卒業後は古河の事務方塾に移って更に勉強を続けたいそうで、その旨を知った伊織叔父は文字通りに小躍りをしたとかしなかったとか……。


 ……毒を食らった俺が、あとどれだけ生きられるのかはわからないが、今生の家族は皆平穏無事に人生を全うして貰いたいものだ……。


 ぎゅっ。


 ん?

 なにやら阿南には伝わってしまったのかな?

 寂しそうな顔をして俺を見上げている。


 俺も今年で三十五、阿南も三十……まだまだだな、毒なぞには負けていられん。


 ぐりぐり。


 俺は阿南の頭を愛情込めて、ちょっとだけ強めに撫でた。


 「信忠よ、よう覚えておけ。伊藤家では主が夫婦の情を部下に見せつけるのは、別段悪いことではないのだ。お主も妻を迎えたら、かように覚えておくが良いぞ」

 「信長様!信忠に変なことを吹き込むものではありませぬ!」

 「い、いたいぞ。お蝶よ。お主が健康になったというのはわかったから、あまりそう、力任せに俺をつねるな!」

 「なるほど、父上。伊藤家ではかようなことに気を取られてはいかぬ、ということなのですな」

 「……犬千代。独り身の儂らには何とも寂しいことじゃな……」

 「……一緒にするな。藤吉郎。俺は先年に妻を迎えたぞ?小川の村長の娘で陸という」

 「!!なんじゃ!!!お主は儂に一言も言ってはおらんではなかったか!!」

 「当たり前だ。お前に言ったら、揶揄われる。だから、今まで黙っていた」

 「……なんじゃい。この薄情もんが……」

 「お~、よしよし。藤吉郎も可哀想だね」

 「……沙良か。儂を慰めてくれるのはお前だけじゃ……そうじゃ、もしお前が大きくなって……」

 「や!!」

 「そんな、殺生な……」

 「「わははは!!」」


 これからも、こうやって笑いが絶えない勿来であって欲しいものだな。


 「では、すまないが。少々席を移させてもらって、二三話をしたいことがある。書斎の方に来てくれ」


 楽しい宴席はいつまでも続けていたいが、昼の席も一段落。

 夜の席までの時間に、話し合わなければいけないことが数件ある。


 本丸の広間から奥の丸の書斎へ、冬の寒くも清々しい廊下と階段を歩いて行く。

 付いてくるのは、信長、秀吉、利家の信長一門、忠清と護衛の輝、そして獅子丸の六名。つまり、俺を加えての七名である。


 あらかじめ火箭暖炉には火をつけておいてくれたのだろう、暖かい部屋に入って円卓を囲む。


 「まずは、これよりの伊藤家の体制の説明と確認をしよう。当主の座は姉上が引き続き執られる。俺は名目上は後見のままではあるが、実際の後見役は父上が行われることとなる。そして、次代、惣領は仁王丸が元服し伊藤太郎丸元清と名乗り、就くこととなる」


 皆が一様に頷く。


 「そして、仁王丸には景貞叔父上と佐竹の珠姫との娘、真由美が嫁ぐ」

 「形はどうであれ、養子として継がれる元清様にとっては伊藤家の血を補完するためには必要な相手でしょうな。伊藤と佐竹の娘ならば、四国連合の他の家や諸将にも文句の付けようがあるまい」

 「そういうことだな。次は各地域の編成。これは軍団統治とでも言えばいいような形かな。ある意味、今まで通りの仕組みではある。北から、奥州は一丸が元服し景基と名乗り羅漢山で統括する。忠清には景基が羅漢山に入るのに合わせて羅漢山に入ってもらい、補佐と共に奥州軍の総指揮を頼む」

 「はっ。しかと!……忠孝、忠統叔父上たち、忠文、忠豪の弟たちと共に奥州を引き締めまする!」

 「頼んだぞ。奥州は伊藤家の心臓。忠清に託す」


 忠清が率いる安中が目を光らせるのであれば、いかな者達が来ようとも、奥州を踏み荒らすことは決して出来ないだろう。


 「下野は景貞叔父上が引き続き見られ、上野も景竜が見る。爺様も年で身体が弱くなっているとは言え、まだまだ元気だからな。両毛に死角はないな……。続いて、下総と武蔵は姉上の直轄、父上や忠宗、業棟が補佐をする。最後に相模・伊豆・東駿河は小田原より伊織叔父上が差配する。……まぁ、奥州以外はそれほど大きくは変わっていない点がここまでかな。これより先が姉上から俺が任命を一任されている案件だ」

 「ふむ。湊と水軍、交易関係と言うわけだな」

 「ああ、俺も毒にやられているとは言え、そうそうに死ぬつもりは無い。……だが、これまでとは違って動き回ることが出来なくなったのは事実。諸々、現地統括を決めねばいけないということだ」


 ……そんなに、みんな暗くならないでよ。

 悪いのは凶刃を避けられなかった俺で……って、悪いのは輝虎とそれを手駒として使った近衛か……。


 「まぁ、勿来については俺が残って面倒を見る形だ。ただ、実働部隊の管理と運用は信長に一任する。……これは変わらない部分か。そして林と横浜は中丸、元服して景広を鎌倉城城主とし監督させる。補佐には忠嘉、更には忠嘉の娘マリアか……洗礼を受けたようでな、名を変えたらしい、彼女を景広の妻とする。……問題はこの先、伊豆と安房の処遇だ。正直な所、伊豆は伊勢攻めの経緯もあるので清水殿を伊織叔父の配下として置き、相模湾の航行安全を見てもらうことにしている。特に南蛮船を配備する気はそんなにはない。だが、安房。こちらは少々様子が違う」

 「ふむ。大体は水夫連中からの話で聞いてはおったが、……岡本は佐竹に付いて行くか」


 そう、その通り。これまで安房水軍を纏めてきた岡本家は結局のところ佐竹に付き、水戸の那珂湊を中心に佐竹水軍を新規に編成する役目に就いたようだ。


 「そういうことで、安房の領主と水軍提督が空いてしまっているのだ。そこで……獅子丸。其方がやってはくれないだろうか?」

 「え!?私がですか?……私は南蛮人で、コトバも……」

 「それだけ話せるのだったら問題ないのではないか?儂らとも長年付き合うて来ておるのじゃ、どうとでもなろう。後見様、儂はその案に賛成ですじゃ」

 「……俺も賛成だ。獅子丸は船の扱い、腕っぷし、政の知識。どれも一線級だからな。心配ない」

 「補佐には忠法を付ける。あいつは年若いが、幼少より勿来で実父に鍛えられてきているからな。性格的にも補佐をすることに向いているだろう」

 「そうですな。父親の私から見ても、あいつは補佐役が向いていましょう。能力は……親の目からみると少々心配な所はありますが、なにかありましたら、私が奥州より叱り飛ばしに参りましょう」


 忠清はそういうが、あいつは奥州の安中一族総出で鍛えられてきた男だからな。

 普通なら腐ったり、曲がったりするところが多少ならずとも出て来る筈が、そういったところを一切見せずに育った。

 かなりの大物だと俺は思うんだよね。……精神的に。


 「……一介の異国人をここまで……」

 「何を言うか!十文字獅子丸は伊藤家の、この景藤の信頼厚き男ぞ!自信を持てぃ!」

 「!!喜んで安房水軍の指揮を執らせていただきます!」

 「うむ。頼むぞ!」


 説得時の必殺話。それは勢い。

 説得の決まり手って、理詰めよりも勢いだったりするよね。大抵。

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