第83話 伊藤家の惣領

永禄十三年 夏 勿来 伊藤景竜


 「子供たちの行く末を決めるというのならば、南もその場におらねばいけませんね。子供たちの母として、この子たちが不幸になるようなことには、絶対になって欲しくはありませんから」


 一丸、中丸、仁王丸を奥の丸より連れてくるため城を登った私に、気を取り戻した阿南様はそうおっしゃった。

 確かに、彼らの希望は最大限取り入れるつもりで話を聞きますが、彼らも武家の子です。家の方針に従うために、言いたいことを十分に言えず、自然と口を噤んでしまうかもしれません。

 最終的な家の決定には従って欲しいところですが、判断を下す前から口を噤んでしまっては、こちらも判断を誤ってしまうかもしれません。


 ただ、そう。その場に母親たる阿南殿がいれば彼らも多少は心が落ち着くかもしれませんね。


 ええ。阿南殿にも来ていただきましょう。


 「じゃ、南ちゃんが行くなら僕も行かなきゃだめだね。当主の妹として、可愛い甥っ子たちの将来を決める場には立ち会わねば……」

 「おお、清よここにおったな。お主と伊織と儂は今すぐに古河へ向かうぞ!今頃は船の用意も小名浜で出来ておる。今日中に武凛久で鹿島に入り、明日の昼までには古河に入るぞ!」

 「……え??」


 ふむ、どういうことでしょうか?

 ただ、伊織叔父上と清様ということは、何か土木に関わることでしょう……。


 がらがらがらがら!


 遠雷ですかね。


 「……元が嵐と大雨の到来を心配しておる。確かに、当家の意思決定を行えるものが、勿来に集中しすぎておるのも事実。まずは、儂ら三人が古河に戻り、関東での万が一に対応すべし、との元の判断じゃ」

 「姉上の直感ですか!それはまずいです!!僕も急いで準備します……って、準備はいらないか!南ちゃんごめんね、付いていてあげたいけど、僕には急ぎの仕事が出来ちゃったみたい!」

 「気にしないでください、清ちゃん!清ちゃんは清ちゃんにしか出来ないことを成してください!南も母親として、南にしか出来ないことをやりますから!」

 「わかったよ!南ちゃん」


 ぎゅっ。


 何やら、二人はあつい抱擁を交わして分かり合ったようですね……正直、抱擁の意味はわかりませんが、姉上の直感は危険ですからね。ここは先代様には急いで古河へと戻ってもらいましょう。


 「では、先代様。後のことは我らで……」

 「うむ。頼むぞ!竜丸!……では行くぞ、清!」

 「はい!!」


 先代様は一つ大きく頷くと、北門へと小走りに向かって行った。

 北門で馬に乗れば、小名浜まではすぐです。そこから武凛久に乗れば、明朝までには鹿島へと着くことが出来ます。そこから船を乗り換えて守谷へ、さらに馬で古河。明日の日中には問題なく古河に着く。


 さて……。


 「では、一丸、中丸、仁王丸。私たちは本丸まで行きますよ。そこで、我らの次代。あなたたちの行く末を話し合います」

 「「はいっ!」」


 三人とも良い返事です。

 どうやら、この短い間に色々と覚悟したことがあったのでしょう、なかなかに凛々しい顔つきになっています。


 私達は、奥の丸、城主の住居区画を出て、北側、尾根伝いの廊下を東南へと歩きます。

 この廊下は奥の丸などの、建物内の廊下とは違い、外が見えるような作りにはなっていません。

 整えられた床と階段に屋根と柱……外からは木の中にしか見えない造りになっているので、落ち葉が廊下に積もり、毎日の掃き掃除が大変だったと多恵がよく零していましたね。


 ……

 …………


 「三人ともそのまま中へ入って正面に座ってください。阿南様は壁側の最上段で……」


 阿南様を先頭に皆が中に入っていく。

 私は彼らの後ろから部屋に入り、ゆっくりとふすまを閉める。


 「急ぎ、こちらに来てもらって申し訳ないのぉ……だが、ことがことじゃ。今日、この場で決めたことがその方等、また、ひいては伊藤家の命運を定める。左様心掛けよ、良いな」

 「「はっ!」」


 言葉は軟らかいが、ご隠居様の鋭い視線に三人とも背筋を伸ばして返事をする。


 ふむ。委縮はしていないようですね。

 長いこと会っていませんでしたが、流石は兄上の教育が行き届いていますね。

 伊藤家の者として、最低限の心構えは出来ているようです。


 「聞いているとは思うが、……太郎丸、景藤は長尾輝虎の凶刃に倒れ、今や重体の身だ。戸隠の出浦殿と関白殿下のおかげをもってして、何とか命は留めたが、これまでのように伊藤家を切り盛りすることはもはや敵うまい。更には……それほどの余命を持てるとも思えん」


 ご隠居様は思わず言葉に詰まってしまったが、手元の湯飲みから茶を一口、言葉を続けた。


 「そこで、お主たちに集まってもらったのは、景藤亡き後の伊藤家の方針を定めるため。つまりはお主たちの行く末を定めるためじゃ。こちらでの考えもあるが、お主たちの希望をまずは聞かせて欲しい。遠慮はいらぬので、存分に腹の底に溜めている物をぶちまけよ。良いな!」

 「「はっ!」」

 「では、まずは一丸から聞きましょう。あなたは何になりたいの?」


 先ほどまでの厳しい目線ではなく、慈愛に満ちた目をもって姉上は語りかけた。


 「私は三人の中で長子という扱いをもって育てられました……されど、この中では最も意気に欠け大略を成す才が自分にあるとは思えませぬ……故に、家督を継ぐのは中丸か仁王丸こそが相応しいと考えます」


 ふむ。その言には納得させるものがあり、自分を良く分析しているともいえるでしょう。


 腹の底をぶちまけろ、と言われ、このような席では、ある意味自分を卑下するようなこの言は中々言えるものではありませんね。

 ただ、兄上の背中を見てきた割りには、「家督」というものへの考え方がありきたりで、そこいらの領主と同じ感覚でいるのが困るところなのですが……。


 「私は、正直な所、家督を継ぎたいとは思いません!それよりも私は勿来か鎌倉のような湊に近いところを治め、南蛮人をはじめとするさまざまな者達と商いがしてみとうございます!許されるのならば、海の外にも行ってみたい!呂栄やアカプルコなど、是非とも行ってみたいのです!」


 なるほど、確かに噂通りに中丸には「うつけ」が継がれているのですね。

 ただ、その「うつけ」も兄上や信長のように、その存在から自然とあふれ出てくるようなものではなく、「うつけ」に憧れた「うつけ」に見えますね。

 そのままに「うつけ」を負わせては身を亡ぼすだけでしょうか。


 「私は、特にこれと言って望みは御座いません。ただ、この身をもって伊藤家、父上や母上、兄上たちを守ることが出来れば良いと考えております」


 仁王丸の言は一種、控えめな発言とも思えますが……ふむ。確かに、兄上が一番自分に心根が近いというだけはありますね。どのようなことであれ、家を守るために己が出来ることを成す。その気概にあふれていますね。

 ええ、姉上を始め、皆の顔がわずかに、そう、いい意味で険しくなっています。


 「阿南は何か言いたいことはありますか?」

 「はい、私はこの子たちが自分の気持ちを抑え込んで、思いをしゃべれなくなることが無いよう、ここに来ました……だけれど、この子たちはどうであれ、自分の思いは喋れたようです。私は安心しました」

 「なるほどね。わかりました……私も三人の話を聞いて考えを決めました。お爺様や竜丸もどうやら、同じ考えのようですしここで伝えましょう」


 私もお爺様も大きく頷く。

 三人の言葉を聞けば答えは自ずと出るでしょう。


 「一丸、あなたは羅漢山城城主として奥州を統括しなさい。安中の者達の支えを貰って、奥州の安寧と発展、景藤が作ってきた産物を守り通しなさい」

 「は、はいっ!わかりました!」


 勿来城でもなく、羽黒山城でもなく羅漢山城ですか、流石は姉上です。

 この竜丸、まさに頭が上がりません。


 「中丸、あなたは鎌倉城城主として林の湊、横浜の湊を忠嘉の力を借りて動かしなさい。東相模の湊が関東を動かすとまで言われるよう全力を尽くしなさい。いいわね、鎌倉を関東一の地域としなければ許しませんよ?!」

 「はっ!必ずや、鎌倉城が伊藤家の中心となるよう身命を賭します!」


 中丸に対しては、希望を聞き入れた形を取りながらも、その方向性のすべてを姉上が決めました。

 これで、中丸は安心して、姉上からの命令を一心に守ることとなるでしょう。


 「最後に仁王丸……あなたは形の上とはいえ私の養子となっていますが、これからは私の実子扱いとなります。苦労を掛けますがよろしくお願いしますよ。また、近々吉日を選んで元服させます。元服後は伊藤太郎丸元清いとうたろうまるもときよと名乗りなさい。杏姉上には申し訳ありませんが、以後、私以外を母と呼ぶことは一切禁じます。良いですね」

 「ははっ。信濃守様、母上の申す通りに致します。以後は、伊藤家惣領として東国の安寧と発展のために身命を尽くします!」


 受け答えから判断できる能力もですが、心持が他の二人とは違います……。


 残念です。一丸と中丸のどちらかに伊藤家の当主として立てる程度に才があれば……、仁王丸ほどの人物には兄上と同じだけの役割を担ってもらえたのでしょうが……。


 結局のところ、この二人には今の世の常識がありすぎます。

 それでは兄上のような自由な発想は出てこないでしょう。


 「では、仁王丸は私の隣に来なさい。一丸、中丸。あなたたちはもう結構ですよ。二人一緒に部屋へと下がっていなさい」

 「「……はっ」」


 二人は自分から希望を述べ、本心からの望みを言ったのでしょうが、この場から退席を命じられ悔しそうな表情を一瞬ですが見せています。


 ……まだ、十六ですから許しますが、あと五年ほどの間に心の整理がつかぬ場合は、諸々の対処をせねばならないでしょうか……。


永禄十三年 夏 勿来 伊藤元景


 可愛い甥っ子たちとはいえ、少し言葉が強かったのかしら?

 なにやら、退席時には悔しそうな顔をしていたわね……しかし、その悔しさがどうしてなのかを理解できないのならば、これからの当家に席は無いわよ?


 もしもの時には、伊藤の家名からは外れてもらうしかないでしょうね。


 「元よ。そこまで厳しく考えんでも大丈夫じゃよ。一丸も中丸も太郎丸と阿南の子なのじゃ。時間が立てば己で答えに辿り着こう。それまでは儂も頑張って長生きするわいな」


 お爺様には敵わないわね。八十を超えたというのにどうしても頼ってしまうわ……。


 「あの二人のことも心配ですが、まずはこれからのことを詰めましょう……嵐のことは、先代様達が古河に戻られたので、ひとまずは置いておいて……これからやらねばならぬことを順番に考えていきますと、まずは寅清殿と姉上の祝言、そして仁王丸様の元服となりましょうか」

 「あいや、その前にどうしても必要なことが……」


 ん?仁王丸から?


 「なに?あなたは既に伊藤家の惣領です。遠慮せずに評定でも発言をしなさい。お爺様も私もそれを認めたうえで、あなたを惣領として扱うというのですから」

 「はい、では……私が考えますのは、勿来水軍に関してです。信長殿は良いも悪いも後見様との友情に基づいて、その才を発揮しておられます。……後見様亡き後の伊藤家に残られるかどうかは未だ決めておられぬのでは?また、浪江殿や前田殿も信長殿の下で、当家で働いているという意識があるはずです。獅子丸殿も後見様がおられるから安心して当家におります……伊藤家の水軍と交易、これらを維持するには欠かせない人物たちですので、如何にしても彼らを繋ぎ留めなくてはならないのではないかと考えます」

 「「……」」


 まいったわね。

 太郎丸のことで頭がいっぱいで、そこに気が回っていなかったのは失策ね。

 そうよ、信長は太郎丸と「うつけ」同志で気が合うからこそ勿来にいるのよ。


 「……まいったわね。信長並みの「うつけ」は太郎丸しか、この伊藤家には……いや、東国にはいないわ」

 「確かにの。あやつの心は大空を飛ぶ鷹のようなものじゃ。必要なのは籠ではなく、世の悉くを見渡せる大樹の枝じゃ」

 「……ならばどうでしょう。「うつけ」がおらぬなら「まじめ」で対抗するとしましょう。仁王丸、あなたに最初のお願いですね。どうか、姉上と一緒に今から小名浜に向かって信長と話をしてもらえませんか?私が思うに、彼を動かすのは飾られた言葉でも、偽りのうつけでもなく、真摯なる思いです。兄上の病状から将来の不安、あなたが思うところを余すことなく伝えてみてください。信長殿ならばきっとあなたの思いに答えてくれますよ」


 そうね。

 信長を説得できるのは仁王丸だけかも知れない。

 わたしでは、せめて太郎丸の喪に服している間だけね。信長を引き留められるのは……。


 「わかりました。一晩では語りつくせないかもしれませんが、何日でも、何晩でもかけて信長殿と話をしてきます!」

 「良い覚悟ね。信長との話し合いで決まったことは……すぐには出来ないこともあるでしょうが、私が責任を持って当たるということを伝えてきましょう。さぁ、行くわよ!……阿南、悪いけど、子供たちをお願いね。私は意地悪な叔母ちゃんだけど、みんなを愛していることだけは伝えてほしいわ」

 「大丈夫ですよ、義姉上。義姉上の思いは絶対に伝わっていますから!安心してください!南が保証します!」


 南ちゃんに言われると自信がつくわね!

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