第80話 松平混乱 ~後編~

永禄十三年 春 富山 伊藤元景


 「越中が落ちれば、後は長尾家に任せて我々は撤兵かしらね?」

 「そうですね。加賀は切り取り次第に惹かれた者達が居るだけですから、纏まりに欠け、最終的には長尾に降るか、一揆勢に飲み込まれるかの二択でしょう。ここは部外者の我々は引くのが懸命だと考えます」

 「では、他家の動向を見ながらではありますが、撤兵の準備を!」

 「「はっ!」」


 やはり越中は遠い、軍を戻すとなると移動だけで一月は優に掛かるでしょう。

 海路を使えば早まるでしょうが、五万を海路で……というのは無理な相談ね。

 高岡城、倶利伽羅峠の守備を交代する事を考えると、全軍の撤収は夏まで掛かるかしら。


 「では俺が残って撤収の面倒を見よう。元景と景竜は先に関東へ戻るが良い。二人に比べれば、今の下野で火急の用件は起きにくいだろうからな。特に元景と景藤は武凛久で一足先に戻るのが良かろう」

 「そうですね。では、景貞叔父上のお言葉に甘えさせて頂きます」

 「うむ。それが良かろうさ」


 古河を出て来て一年近い、早く関東に戻らないとね。

 太郎丸の船、黒狼丸だっけ?アレに同乗させてもらいましょう。

 父上に面倒ばかりを掛けるのもなんですものね。


 「信濃守様!失礼致します!今、城で後見様が!」

 「後見様がどうしたのです?!」


 伝令兵の格好をした者が天幕に駆け込んできたわ。

 ん?


 「竜丸!離れなさい!」


 私は駆け込み、抜きしな女の手を切り飛ばし、反動を利用して裏で肩を砕く。

 姿勢を崩した女の足を掛け、転ばした後は頭に一振り、動けなくなったのを確認することと入り口から増援が無いことを確認して膝で相手の身体を抑える。

 念の為にうずくまった女の、まだ体にくっついている方の腕関節を外し、動けないように取り押さえる。


 「布を持ってこい!」


 大声で指示を出し、貰った布で轡を作り、腕を縛って簡単な血止めをする。

 ふむ。初動は遅れてもさすがは当家の兵ね。

 太郎丸印の移動天幕に控える精鋭達は、きちんと敵の増援に備え入り口を固めている。


 「姉上!その者は?!」

 「さぁ、知らないわよ。けど竜丸は油断しすぎよ。ここは敵地ということを忘れては駄目でしょう」


 女は身を捩って逃げようとするが、私は膝で背中から重心を押さえているのだ、逃げられるはずがない。


 「元よ……こやつの短刀……毒が塗ってあるぞ」


 女の飛ばされた右腕。その手に握られた短刀を検分した叔父上が言う。

 確かに、遠目でも刀が何やら黒い液体で濡れているのがわかるわ。

 ここにいる人間を一人、二人暗殺したところで状況は何も変わらないと思うのだけれども……この女の主は何を考えてこんなことを……?


 「どこぞの草の者ですか……」

 「でしょうね。先ずはこの者の顔を知っている者がいないか聞き込みましょう。真田殿の配下を連れてこなくてはね」

 「わかった。俺が連れてこよう!」

 「信濃守様!急ぎ城中へお越しを!後見様が!」


 叔父上が天幕を出ようとしたところで、今度は本物の伝令が飛び込んできたわ。

 名前は知らないけれど、この顔は羽黒山で見たことがあるわ。


 「太郎丸がどうした?!」

 「こ、後見様が刺されました!」

 「何?」「誰によ?」

 「上杉政虎様です!」


 城からここまで走ってきたのかしらね。肩で息をした真田殿が部下を引き連れて来て、そう返事をしたわ。


 「……容態は?」


 自分でも吃驚するぐらいの低い声が出たわね。

 太郎丸が輝虎に刺された……ここまで頭に来たのは生まれて初めてよ。


 「……正直、危険です。傷は浅かったのですが……懐刀に毒が塗ってありました……」

 「「毒だと(ですって)?!」」


 私達は思わず叔父上が掴んでいる女の腕を見る。


 「……信濃守様が取り押さえているおなご……景貞殿の手にある腕は……やや!そのおなごは近衛の方様!」


 話が繋がったわね。


 これで京の町を燃やし尽くす良い理由が出来たわ。

 山城は国毎まとめて焼却しなきゃ駄目なようね。

 腐ったものは火で浄化しない限り、腐敗を周囲にまき散らすわ。


 「多分、輝虎の懐刀に塗られた毒は、こっちの短刀と同じ物でしょうね……真田殿、どなたか毒に詳しいものは?」

 「某の配下に戸隠の出浦と申すものがおります……出浦!」

 「はっ!ここに!」


 真田殿の後ろ、配下の方々の中から一人の男が出てきた。

 特徴も何もない男だけれど……真田殿が声を掛ける迄は完全に気配を消していたわね。

 この目で認識すれば私が負けることは、絶対にない程度の腕だけれど、気配を消す能力は……ちょっと桁違いね。


 「今の話を聞いていたな?景貞殿がお持ちの刀の毒を検分せよ!」


 真田殿に命じられ、出浦殿が叔父上から腕を預かり、明かりに当てたり、匂いを嗅いだりしている。


 「……この辺りの者や近江者が使う系統では有りませぬな。推測ではありますが、近衛家秘伝の物でしょうか……強いて言えば丹波系統に近そうな気配ですな」


 ん?

 丹波という単語で女が反応したわね。


 「丹波で正解のようですね。この女が反応しました」

 「ならば可能性は残っているかと……」

 「教えてちょうだい!」


 太郎丸を救える手段があるのなら、どのようなことであれ、何でもしなくては!

 このままでは母上にも阿南にも顔向け出来ないわ。


 「その前にそこな草の者は我らで……」

 「ええ。頼むわね」


 いつまでも膝で押さえておくのもなんだしね。

 専門家に引き渡しましょう。


 出浦殿は、私の代わりに背中を抑えたと思ったら、首筋に手を当て首を軽く絞めて、意識を刈り取ってしまったわ。

 流石は専門家ね。素晴らしい手際だわ。


 「では、改めて可能性を教えて下さい」


 私の問いを受けて、出浦殿は真田殿を見やる。

 真田殿が大きく頷かれたのを見て語りだした。


 「丹波には幾つか、代々京の権力者達に仕えてきた草の者の里が有ります。彼らは我らと違って権力闘争を専門にしているので、得意な業は洗脳と暗殺。これらに使う薬は我らでは把握できないものです」

 「それでは!」

 「そう、それでは後見様を救うのは難しいのですが、一つ光明が……」


 ……話を聞きましょう。


 「毒薬には解毒が必須です。症状を消し去ることは出来ぬまでも、弱めることは出来る物が必ずあり申す。そして近衛の毒に対抗する薬を持つ者は、近衛の政敵……」

 「九条の流れ……二条殿も?」

 「応急処置が出来るものはお持ちかと……」


 光が見えたわね!


 「竜丸!今すぐ京に向かい二条殿より薬を貰って参れ!」

 「はっ!父上!直ぐにも!」

 「あいやしばらく!関白殿下は越前の朝倉殿の元に今はおられるかと」


 竜丸は頷きを一つ、外に向かって駆け出した。


 「後見様は毒にやられておられますので、処置は殿に仰せつかって我が一族が診ております。毒の出所もわかったので最悪の事態は避けられるかと思います……後は薬が届く迄の時間かと……」

 「ふぅ」


 誰ともなく天を仰いだわ。


 竜丸、頼んだわよ!


永禄十三年 春 一乗谷 伊藤景竜


 「ふむ。話は分かるがのぉ。左様でおじゃるか、近衛の姫として輝虎殿に嫁した娘が丹波ののぉ……いやいや、怖いことを考えるお人じゃ。流石は近衛、麻呂には理解出来ぬ非道な行いをするものよのぉ」


 参りましたね。時間がないというのに、どうしても公家流の迂遠なやり方は変わりませぬか。


 「はい。ですので、どうしても関白殿下の助けを頂けないものかと……」

 「ふむぅ。助けがのぉ。麻呂ののぉ」


 駄目だ。どうにもこの手の話し合いは苦手ですね。


 関白に後見様を助ける気はあるはずです。無ければ私に会おうとも思わない筈ですから。


 すると、条件闘争ということでしょうか。流石に韜晦な会話を楽しみたいだけとは思えませんし。

 そうなると、私の手持ちの札で戦ってみるしかありませんか。


 まずはなぜ関白がここ越前にいるのか……将軍義昭はここ越前で関白の見届けによって元服しましたが……今回は関係ないでしょう。

 すると、越前と加賀の諍い?一向宗ですか?


 「そういえば、越中から越前に来るまでの小耳にはさみましたが、越前と加賀の国境にある大聖寺城。本願寺法主の顕如殿が入られて、今までの敵である朝倉殿と手を結び金沢衆に対抗しているとか……」

 「ふぅ……そうなのでおじゃる。本来本願寺は一向宗とは一線を画すものであるはずなのじゃが、どうにもこの百年少々の間に、この北陸で近づきすぎておってのぉ。畿内でも騒がしくして困っているのでおじゃる」


 関白も時間が無いことは理解しておられるようですね。

 だいぶ端折った展開で会話をしてくれるようです……しかし、この公家をして急かせるとは、後見様の容態はかなり危険なのでは……。


 「幸い、当家の者達は倶利伽羅峠に布陣しております。もし、我らで関白殿下の悩みを和らげることが出来るのならば……」

 「ほう。左様言うてくれるでおじゃるか?そうしてくれるというのなら、麻呂が富山に向かうのも吝かではないのぉ。富山で相談しつつ、麻呂が持参しておる物を使って景藤殿の容体を見舞うことも可能でおじゃろう」

 「忝いお言葉……されど、関白様は馬には……?」

 「ほーほほほ。このご時世に方々の大名にせびりに行く必要がある公家が、馬に乗れません、などとはいえないのでおじゃるよ。おーほほほ!」

 「では、早速!」

 「良いでおじゃるよ。朝倉も使えんとわかったばかりでおじゃる。近衛も三条も面倒事ばかり増やして、なんら宮中に益がないことしかしでかさん……使えない藤原ばかりで、麻呂も心労が絶えぬ」


 後半は小声の独り言でしたので良く聞こえませんでしたが、いつの世も京は魑魅魍魎、跳梁跋扈といった案配なのでしょう。

 ご隠居様たちのおっしゃる通り、当家は京とは距離を置きたいものです……。



永禄十三年 晩春 飯田 伊藤寅清


 「ご家老様、やはり広忠は動きますか?!」

 「そのようだな。飯田に我らが到着したというのに、長篠での構えを解かず、北上を始めるとのことだ」

 「……兵力も増やさずですか」


 ご家老様が率いるこの軍は総勢で一万五千、飯田城に合力する伊那衆を含めれば二万に達するというのに、広忠が集めた兵は一万。

 戦う前から劣勢が見えているのに、なぜやみくもに進んでくるのだろうか?


 また、長篠から飯田は街道があるとはいえ、道中は山深き山中。そこを行軍してくるには、どうしても体力を多く使うことになろう。そのように疲弊した軍で準備万端の二倍の兵に向かうというのは……どうにも理解に苦しむな。


 「……可能性としては、飯田の守将が調略済みということぐらいでしょうが……」

 「左様。越中での戦は終わり、高遠家の本軍が戻ってきている最中。いたずらに飯田を占領したとしても、本来の城主、秋山殿が戻ってきたら調略に応じたものは揃って腹を切る次第となろう……油断はせぬ事だが、まず考えられぬな」

 「そうなると……先年の息子家康が率いた兵が一万でしたから、本人も同数で?……もしくは、戦う前から配下の心が離れておるのですかな?」


 まともな徴兵に応じていない……これはありそうだな。

 なんといっても当家が機先を制することが出来たのは、広忠配下の井伊家の離反からの報告だ。

 同じことが広忠配下の他の将に置いても進んでいるとも考えられる。


 「分散合撃を図った息子と違い、父親の方は一万そのままで狭い山道を進軍しておる。ならば、高所から弓と岩を馳走してやるとしようではないか」

 「はっ!松平にはそのまま領国に帰ってもらいましょうぞ!」

 「「おうぅ!」」


 作戦は決まったな。

 さすが、ご家老様は勝利が固い戦い方を選ばれた。

 無理せずに、兵を損なうことなく地の利を取る。儂も迷うことなく、かように堅実な戦を選び取れる名将となりたいものだ。


永禄十三年 夏 xxxx xxxx


 「どうなっておる!どうなっておるのだ!私は其方の言の通りに京を出、西に向かったというのに何の改善もなされておらぬではないか!」

 「……麻呂に言われても困るでおじゃる」

 「言われて困る、ではない!どうして私はここにいるのか!其方の言うことさえ聞けば、京から全国の武家に指図が出来るといったのは其方ではないか!」

 「……出来ていたではないか!全国になんの脈絡もなく、思い付きの文を送りつけまくっていたではないでおじゃるか!」

 「……思い付きだと!」

 「お止め為され、ここで繰り言を述べていても始まりますまい……で、拙僧の嫁の実家はいつ復興できるのですかな?」

 「……準備は出来ておる。後はしかるべき公卿が帝の御裁可を得るという形式だけでおじゃる」

 「……しかるべきとはどなたが?そうですな、少なくとも京におはす公卿でしょうな。このような西国ではなく」

 「!!麻呂の計画は完璧だったのじゃ!上杉は麻呂の意のままに動き、関東の偉そうな落ち武者は麻呂の刃に倒れた!後は、最後の策が発動すれば関東は我らの物だったのでおじゃる!」

 「結果、上杉は倒れ、関東の落ち武者は死なずなのでは?ついでに拙僧の配下の者達は越前より北から駆逐されましたぞ?」

 「ぬぐぐぐぐ!」

 「まぁまぁ、言い合いはそれまでになされましょうぞ。それよりもまずは、我らの力を取り戻す策を練らねばなりませぬぞ?」

 「……取り戻す策とは?」

 「某が以前にも申した通り、この国を某が獲り申す。そして東西の国を飲み込めば十分に京までの道を確保し、その後は畿内に号令をかけることも叶いましょう」

 「おお!そうでおじゃるな。そこもとが畿内に号令をかける立場になれば麻呂が宮中に返り咲くことも……」

 「ええ、ええ。現実のものとなりましょう」

 「……ふん。号令するのは私の役務だ!」

 「ええ、ええ。某はただ補佐するだけでございます。号令を下すのは某ではございませぬ」

 「……そこもとが国主となって拙僧にどのような利点が……」

 「ええ、ええ。某が畿内を制すれば、無理なく、円滑に奥方様のご実家は復興されることでしょう」


 猿回しが猿になり、また新たな猿回しが現れる。

 まさに世は無常。戦国の世に春が来るのはいつなのか。その答えは誰も知らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る