第64話 東海の若タヌキ

永禄五年 秋 御厨 伊藤伊織


 「御厨城の落成、おめでとうございまする。この要衝を抑えることで、相模への西からの侵入は完全に抑えられることとなり申したな。誠、めでたいことでござる」


 完成したばかりの御厨城の本丸、その一室。


 俺の傍らには妻の祥子と蕪木、そして補佐を務める秀長、そしていま発言した男を俺に引き合わせた康成殿……いや、今は家名を戻し、名を変え福島藤成ふくしまふじしげと名乗っているのでしたね。

 その藤成殿に紹介されたこの男、名を風魔小太郎ふうまこたろうと言い、相州乱波の頭領だという。

 身の丈七尺近く、六尺を切れるあたりの俺では見上げるほどというのが正しいほどの大男ですね。


 「しかし、伊勢家に仕えていたはずのあなたたち風魔の一族が、伊藤家に仕えてくれるとは有り難い話ですが……その本意をお聞きできますかな?」

 「はっ。我ら風魔、相州乱波といえど、所詮は足柄と箱根を根城とする山の民に過ぎませぬ。鎌倉が滅びた後の足利勢力に追われ、やむなくまつろわぬ民となった一族。まつろわぬ民なればこそ、生きていくために里の地の利、関東と東海を結ぶこの地を通る情報と物を武器に伊勢家より糧を得ていただけのこと。特に幻庵様には良くしていただきましたが、幻庵様が大雄山最乗寺を出て伊豆は下田に追われて以降は伊勢家との交流はほぼ途絶えておりました故……簡単に言いますと、蓄えが心配になってきたので、新しい主を探していた、ということでござる」


 確かに、非常にわかりやすい説明ですね。

 ただ、今までは敵に与していた一族です。そう簡単に信用するのは難しいとしか言いようがありません。


 「そういったわけでして、何とか伊藤家との縁を結び新たな糧を得るための仕事を与えて頂けぬかと思い、藤成殿を頼って、相模を統括なされている伊織様をご紹介していただいたということでございます」

 「……あなたたちの境遇と狙いはわかりました。当家も相州の山の民とは縁がありませんでしたが、奥羽の山の民とは昵懇にしている家。小太郎殿が言わんとしていることは解ります。だからといって、すぐに重用できるものでも有りませんからね……一族の方々にはそのままの里で暮らしていただいて構いません。ただ、仕事の方は御厨、小田原で仕事をせず、関東より西の東海の様子と鎌倉・林の湊の警護をお願いします。もちろん、仕事に見合った分のお支払いはしますからご心配なく」

 「ははっ、ありがたく!……我らとしては、安中、柴田には顔見知りも多いことです。余分な諍いは一切せず、いただいた仕事に全力を尽くさせていただきます」

 「よろしくお願いしますよ。そして、藤成殿、ご苦労様でした。今後も深見、小野路の城は任せますので、北相模一帯の開発を任せましたよ」

 「ははっ!ありがたき幸せ!」


 なんでしょう、藤成殿は如何せん堅苦しいですね。

 伊勢家では一門なれど外様として扱われ、当主に諫言をしたために伊豆の下田に追いやられました。

 伊藤家に仕える家を変えてからは信を得るべく懸命なのでしょうが、その心意気が空回りしないことを期待したいですね。


 「おーそうでした。伊織様の配下となってからの最初の働きと言うわけではございませぬが、西の動き、松平に大規模な出兵の兆しがありますぞ?」


 ほう。大規模ですか……。

 私は一つ頷いて先を促します。


 「先年の遠江侵攻は領内の一向宗が騒いだため、引馬城と浜名湖の周辺を抑えるだけでしたが、どうやら長島の一向宗らと話がついた様でしてな。満を持して掛川城を主目標に、東遠江を攻めとる構え。また我らにとって嫌なことに、美濃の斎藤道三とも手を組んで、恵那郡を通って飯田城を攻めとる構えを見せておりますな。兵糧の集め具合から見ると、飯田城、信濃方面に一万、遠江方面に二万の大軍勢を編成しております」

 「なんとも厄介ではありますが、信濃は長尾殿の治める地、飯田では距離もありますし、当家には関わり合いが薄いと思いますが?」


 正直、俺は納得がいっていないのです。

 景藤が家督を継げなかったことの大部分は長尾の率いる草の者がいらないことをしていたからです。

 あいつらが同盟国に余計なちょっかいを掛けなければ、もう少し当家も政に集中できたというものです。


 「そうも言ってはおられますまい。一向宗勢力と手を組んだ松平とは違い、長尾家は一向宗とは激しく争っております。特に近年、北陸の一向宗は越中、能登で畠山と肩を組んで長尾と戦ってまいりました。畠山は長尾に降伏しましたが、一向宗は本領の加賀を守るべく、高岡城、福光ふくみつ城に攻めかかっております。このような情勢、長尾家は満足な兵数を信濃に送り込めますまい。間違いなく当家に援軍を求めてきますぞ……それにここからが某の集めた情報の肝なのですが……」


 なんでしょうね。小太郎がさりげなく当家・・とか言うと、何やらもやもやした気分が湧いてきます。

 まぁ、先が気になるので、このまま黙って話を聞きますが……。


 「どうやら、武田と伊勢は盟主に今川を担ぐことを止め、盟主に松平を担ぐ可能性を見せておりますな。此度の松平の侵攻に関しても伊勢は数千の援兵を送りましたが、武田は一兵も送っておりませぬ」


 ……なんとも。

 ある意味、今川も哀れですね。


 「進軍の時期は?」

 「秋の収穫を全て終えてからということのようです」


 秋の収穫を全て待ってからですか……。

 意外と、松平も瀬戸際の状況での出兵を選んだようにも思えますね。

 兵糧の蓄えに心配がある中での大規模出兵、しかも二方面に……。


 ……なにやら、外からの圧力を感じますね。

 一向宗との和戦の違いも出てきますし……。しかし、まだそのあたりを判断するには材料が不足していますかね……。


 「小太郎、追加で調べてください……」

 「一向宗が誰の意向で動いているか?……ですな?」

 「ええ。その通りです」


 どうやら、小太郎、風魔の一族は噂通りの腕利きのようですね。

 彼らが、当家についてくれるのは有難いことですが、今後は心からの出仕を求めていきたいものです。


永禄五年 晩秋 古河 伊藤元景


 先だって伊織叔父上から話を聞いていたように、長尾家から飯田城救援の援軍要請が届いてきたわ。


 どうにも、越中方面が劣勢で長尾家としては本軍を越中に動員しなければいけない様子。

 こちらも高遠家と長尾家の間を取り持った経緯があるから、流石に知らんぷりは出来ないわよね。ってことで、上野から二万の軍が飯田城救援に向かっている。


 飯田城救援軍の指揮はお爺様。業篤と顕景を補佐に西上野から出陣していったわ。

 初めは、景竜にお願いしようと思ったのだけれども、「座り仕事ばかりでは腰が固まって痛くなるばかりじゃ、儂にも働かせるが良い!」と言って、半ば強引に出陣していったのよね。

 ……本当に。まぁ、年をとっても元気なのは有難いことだけれど、元気すぎるのも何なのよね。


 一方、松平の信濃侵攻軍。大将は当主清康の孫の家康。

 二十そこそこながらも、武勇の評価が高い男らしいわね。

 ……けど、家康が成年になってから松平はそれほどの大戦は経験してないと思うのだけれど、どこで武勇の評判がどう立ったのかしらね?不思議だわ。


 万が一ということもないでしょうけれど、景竜には後方の支援といざという時の出兵も任せてある。

 物心ついた時から、太郎丸の補佐ばっかりしていたせいか、あの子はこういう補佐が得意なのよね。

 全幅の信頼を寄せているので、諸々任せたわよ。景竜。


 「して、此度は家督を……とのことでございましたかな?義里殿」


 佐竹義里殿が古河に来られるということで、私と父上の二人でお相手をしている。


 「ええ。主、義昭は此度、佐竹家の当主の座を嫡男の義重に譲ることになりました。正式には年が改まった時期を以てとなりましょうが、此度は一足早く伊藤家にお知らせに参った次第。若殿、義重は若年ながら武勇に優れ、家臣一同、さらなる佐竹家の発展を確信しております」


 そう、この文言よ。

 佐竹家もいつ大戦をしたのかしらね?


 「それは、重畳。私も隣国に頼もしい当主が立つこと、同盟国としてこれほど心強いこと他ありません」

 「これは元景様にそこまでおっしゃっていただけるとは、当家としても誉の極み。今後とも是非ともに善き付き合いを続けさせて頂きたいと存じます……さて」


 さて?

 まぁ、普通に考えて挨拶だけが主題じゃないわよね。


 「当家と伊藤家の昨今の付き合いは、先先代義舜様の頃よりのもの。はや五十年でございます」

 「長のご支援。当家も深く感謝しております」

 「いえいえ、当家としても南奥州の状況を良くしたいがために景元様に打診した話。こうして、両家が共に繁栄出来たことは喜ばしいことです。棚倉に館を作った理念が結実したものと考えます」


 ……なにやら、恩着せがましいわね。

 実際に、当家は佐竹家に大恩があるのは確かだけれども、こうした強調をされると、何やら引っ掛かりがあるわね。

 無理難題を吹っ掛けられないことを祈りたいけれども。


 「ええ。両家が関東を治め、平穏が訪れたこの地は今まででは考えられない規模での商いが行われております。伊藤家の鎌倉や勿来の繁栄を見るまでもなく、当家も鹿島や水戸の湊には堺や南蛮の船がひっきりなしに入ってきております……彼らの船が入って来て大きな商いをしていくことは確かに有難いのですが……残念ながら、当家の商いは彼らを待つことしかできないのが現状。何とかこちらから商いを仕掛けていきたいのです」

 「……まぁ、左様でしょうな。当家では倅の景藤がそのあたりは全て差配しておりますので、儂らからはなんとも言い難いことですがな」


 父上も防衛線を張ってるわ。

 なにやら、面倒なことを要請してきそうな雰囲気よね。

 後、水戸と鹿島に南蛮船なんか来ているのかしら?


 「ええ、存じ上げております。なんと言いましょうか、お願いしたいのは直接の商いのことではなく……船のことでございます」

 「「船??」」

 「どうか、当家にも南蛮船を造る技術をお教えいただきたいと存じます。むろん、最大限の物はお支払いいたしますし、材料・資金・人員は当家で工面させていただきたいと思っております!厚かましいお願いではありますが、何卒!何卒!お聞き届けいただきたく!」


 ……義里殿、本当は口に出したくないのでしょう。

 顔を真っ赤にしてひたすら頭を下げているわね……。


 しかし、南蛮船の作り方を教えろ、か。


 「義里殿、佐竹の次代の考え方は解りました。当家も当主と先代とはいえ、私と父の二人でこのような大事を決めるわけにはまいりません。返事には多少お時間を頂きますがよろしいですかな?」

 「もちろんでございます。景元様も信濃方面に遠征中だとか、建てたばかりの御厨城のこともございましょう。もちろんの事、伊藤家の皆様での話し合いが終わってからで結構でございます。何卒、条件などがありましたら合わせて教えて頂ければと思いまする」


 ふん。義重殿は十六七と聞いたわ。

 人のものが欲しくてたまらない性分なのかしらね!


永禄五年 晩秋 飯田 伊藤景元


 「いや、ご隠居様。松平家康、噂通り中々の戦巧者でござるな」

 「そうであったな。年のころで言えば、孫の清と同じぐらいであろうが……中々に老練な用兵よ」


 家康は飯田に三方から攻め寄せてきた。東、南、西の三方からな。

 しかも、西からの道はけもの道を拡充しながらじゃ。

 いやいや、中々の構想力じゃな。

 確かに中山道と伊那谷を結ぶことは多くの求めがあることじゃろう。

 制圧後の伊那の利便性を考えれば是非ともに通しておきたい道筋じゃ。


 だが、もとより少ない兵を分けて進軍させるのは少々危険じゃったな。

 まぁ、ここまで素早い援軍の到着を予想しての計画では無かったのであろうがな。


 儂らは城の備えに二千ばかりを残して、全軍でまずは南から来る本多忠高ほんだただたかの軍を突き破った。

 阿智といったかの、谷の出口で待ち構え、騎馬により両の山手より襲い掛かった。伊藤家の必勝の形じゃな。

 多分に漏れず、忠高の軍も潰走したものよ。


 一軍を滅して、次は家康の本隊よ、と天竜川を上がって進軍してくる本隊を山上より急襲したのじゃが……。

 当初は、大軍に急襲され大いに混乱したのだが、家康め、即座に混乱を治めると一目散に逃げに掛かったわ。

 少しでも踏みとどまる仕草をしておれば、短い生涯を伊那で終えていたのであろうが……いや、実に見事な逃げっぷりよ。


 まぁ、儂らがただの援軍で、松平を追い打ちにする理由がないのも理解した上での退却じゃったのかのぅ。何度も言うが、実に見事な逃げっぷりじゃったわ。


 「今少し家康が粘れば、二度と信濃に兵を向ける気が起きぬまでに、松平軍を殲滅出来たでしょうが……少々残念ですな」

 「まぁ、そう言うな、顕景よ。所詮儂らは只の援兵よ。上野から伊那まではるばる来たのじゃ。当方としても兵の損耗がなく目的を達せたことを誇りに思おうぞ。ですな、ご隠居様?」

 「業篤の申す通りじゃ。それに儂らは爺じゃからな。これ以上の山道での戦は体に応えるわい。とっとと上野に帰って、草津の湯にでも入りたいところじゃ……」

 「「はははは」」


 こうして、軽口を叩けるのも勝利したからというもの。

 頼継よりつぐ殿に挨拶をして、とっとと帰還せねばな。

 冬が訪れる前に上野には着いておきたいものじゃ。


 「これはこれは、ご隠居様。此度は援軍ありがとうございました。おかげで伊那を無事松平の手から守ることが出来申した。まこと、心よりの感謝をいたしまする」

 「なに、お気になされるな。高遠家は儂らが長尾殿に仲介した縁。これしきの事などあたり前のことでござるよ」

 「そう言っていただけるとは……この頼継、感謝の念に堪えませぬ。それに比べ、長尾家は何とも頼りがいの無い……一軍すらも送ってくれぬとは……」


 おいおい。勘弁するのじゃ。

 当家では伊那は遠すぎるので長尾殿に任せたのじゃ。

 ここで、当家に鞍替えしたいなどと言われたらたまらんわ。


 「長尾殿は越中で、一向宗相手にしておるとのこと。援軍を送れないのも致し方あるまいよ」

 「……左様ですな。確かに、一向宗は厄介でありますれば……そうそう、ご隠居様。方や松平ですが、どうやら長島の一向宗が援兵として長篠城に入っておった様子。松平がここまでの陣立てを他国に向けることが出来たのも、ひとえに一向宗の協力のおかげであったようですな。全く七面倒なことです……ああ!そうでした。儂がこちらに来たのは上野の伊藤家御家中からの文がご隠居様宛てに届きましてな」


 おお、それは忝い。

 儂は頼継殿から文を受け取った。


 ふむ。景竜からか。

 どれどれ。


 …………。


 「なるほど……おお、頼継殿。申し訳ないがこれより我らは帰国の途に就き申す。城外のこのような陣中で申し訳ないが、これにて失礼いたす」

 「そうですか……せめて一晩でもと思い、多少の用意をさせてはおいたのですが……」

 「おお、それは有難う存じます。ただ、気遣いは無用に。その用意は奮闘なされた御家中の者達と堪能してくだされ」

 「……そうですな。あまり伊藤家の皆様をお引き留めするのも悪いですからな。それでは皆様、此度の援軍、誠に有難うございました。この御恩、頼継は忘れませぬぞ!……それではこれにて」


 頼継殿は大感激であったな。

 それはそうか。高遠家では、松平に一万もの兵を向けられたら対抗は出来なかったであろうしな。


 「して、ご隠居様。文にはなにが?」


 業篤が頼継殿がいなくなったのを確認して問いかけてくる。


 「……どうやら、佐竹家から無理難題を吹っ掛けられたようでな。その対応を至急行いたいらしい」

 「……佐竹からですか……」

 「詳しいことは箕輪に戻り次第説明すると景竜は言うておるな」


 ふむ。ともあれ、ここは急いで上野まで戻らねばな。

 同盟国であれ、ここは異国じゃ。早々に軍は引かねば要らぬことを引き起こし兼ねぬわな。

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