-第一部- -第四章- 狼旗流転

第61話 病は暗闇と共に

永禄四年 春 xxxx xxxx


 「おほほほほ。漸く上洛してくださりましたな。麻呂たちは首を長うして待っておじゃりましたぞ?」

 「……それは……申し訳ない」

 「なにを、なにを。今は其方が麻呂の義弟となり、帝からの官位を受けたことに対する祝いの席でおじゃる。ささ、一献。これ、お前からもお注ぎするのじゃぞ?」

 「左様ですわね。ではお館様、私からも一献」

 「おほほほほ。その酒は大和から取り寄せた清酒でしてな。ほれ、なんとも涼やかな風味でおじゃろう?」

 「……某は棚倉で飲んだ焼酎の方が……好みではござるな……」

 「なんと!義弟殿は野蛮なる奥州の酒を美味いと申すのでおじゃるか?!これはなんとも面妖なことよ……これ、お前よ。一日も早く義弟に真の都の味をお知らせするのじゃぞ?この調香もたっぷりと味わってもらうが良いでおじゃるな……それでは、後は夫婦の営みの時間でおじゃろう。麻呂は邪魔者にはなりたくない故、退散せねばな……おほほほほ」

 「お館様……ささ、この香を鼻から思いっきり……ともに桃源郷へと参りましょうぞえ?ささ、衣などは脱いで、夫婦の営みを……」

 「……くっ……」



1561年 永禄四年 春 羽黒山


 やっぱり寒いよね。阿武隈は。

 勿来が恋しいけれど、俺のお役目上、一年の半分は羽黒山にいなければならない。

 奇数月は勿来、偶数月は羽黒山。もちろん阿南も俺に合わせて……と言いたいところなんだけど、流石に出産からまだ半年も経っていないし、子育てもある。羽黒山にも赤子部屋を作り、そこで母上、お女中軍団と共に子育てに奮闘中である。


 夫として、俺も子育てに参加せねばならんと思ってはいるのだが、如何せんお女中軍団から邪魔者扱いされてしまうので、お父さんは頑張ってお仕事をしてみんなの生活費と安心・安全を稼いでいます。


 生まれたのは二人とも女の子。阿南との娘が千代。輝との娘が美月と名付けた……母親がね。

 俺が女の子の名づけをすると全て花の名前になりそうだからと却下されてしまった。

 ちょっと、悲しいお父さんです。


 「つうか、気分出してんじゃねーよ。太郎丸。お前のヘンテコな発明のせいで、こちとら千歯扱きか?そいつの作成ばっかでてんてこ舞いだっつうぅのよ!」

 「全くだぞ。儂のところにも「金銀よりも鉄を送ってくれ」とばかりに話が上がってくる。なんとも話がおかしなことになっておるぞ」


 ……久しぶりに羽黒山に拠点を戻すことになったので、このところはずっと景能お爺ちゃんと鶴岡斎お爺ちゃんに捕まってます。


 「金銀はな……そのまま銭として使う分には必要だが、今は交易で儲かる銭が莫大だからな。どうしても鉄の需要の方が大きくなっちゃうんだよね。厩橋からの輸送はどうなの?上野、下野から持ってくる分じゃ足りないかな?」

 「足りんな。関東では大々的に築城が行われておるだろ?築城に使われる土木の道具と千歯扱きに代表される農具の生産で鉄が全く足りん。どうにかならんか?」

 「と、言われてもなぁ……大叔父上、領内の山で何とかなりませんか?」

 「こちらもそう言われても困るわ!……まぁ、先年に景藤から聞いた秩父の磁鉄鉱か、あれが今回築かれた秩父城を拠点に採掘出来れば、ある程度は計算できる……しかし、他に良い山は知らんか?景藤よ。思い付きとかでも良いのだが?」


 日本で鉄鉱石……いやぁ、日本って鉄は輸入国だったからな……。


 「ぱっと思い付くのは、秩父に和賀、釜石ってところだな。あとは小川から四ツ倉の方にもあったかな?利家に言って探させるよ」

 「小川の方は早めに探させてくれ、儂からも人を小川城に送っておくわい」

 「了解です」

 「……すまんが、景藤よ。その和賀とか釜石ってどこだ?」

 「どっちも南部の勢力圏だな……和賀は平泉から西に行った奥羽山脈だし、釜石は北上の南東部……になるのかな?忠惟が北上の出身だったよな?今度どんな案配か聞いてみるよ」


 釜石も海上から場所を抑えるだけなら簡単だろうけど、拠点を維持するのはな~。

 伊達家が頑張って北上全域を抑えてくれれば、共同開発を提案できるのに。

 南部と伊達が激しくやりあっているこの状況じゃ、どうにも釜石の開発には乗り出せないよね……。


 「っと、鉄と言えば、大砲と鉄砲はどうなってるんだい?」


 早いところ武凛久に大砲を積んでみたい。

 今のところは数少ないライフルと絡繰り弓で武装しているが、やはりガレオン船相手を想定するならばいち早く大砲を装備させないとね。


 「この間ようやく実物が届いたばかりだからな。流石に大砲はまだまだ時間がかかるな。だが線条銃か。あいつは既に量産に入ってるから、今の勿来の信長から要求されている量はすぐに納められる筈だぞ?だが、そっちは火薬の方が大変そうだと思うが……な、お坊様よ」

 「そうだな。一般的に売られておる黒色火薬でなくて、褐色火薬なるものじゃろ?あの火薬の為だけに専用の炭を作らねばならんのと、言うても硝石がな。鉱山奉行所で人を集めて丘から掘らせてはいるが、領内の至る所に移動して、五年物の硝石丘を掘らねばならん。手間と人員が幾らあっても足りんわ。作り方を大っぴらにはせんようにしとる分、どうしても時間がかかる。確かに、南蛮から買うよりは安くて大量には手に入るのだろうがな……」


 硝石丘の作り方が広まってしまうのもな……あと二十年ぐらいたてば日本中に広まっても問題ないだろうけど、今のところはまだまだ内緒の技術としたい。


 「問題はどうしても出てきちゃうね。まぁ、来月に勿来に行くときにはアルベルト卿と合う予定もあるから、その時に、今以上の硝石を売ってくれって頼んでみるよ……望み薄だけど」


 硝石はスペインもポルトガルも欲しいんだよ。

 この時代は世界中で火薬が欲しがられているからな……これで、ヨーロッパで宗教戦争が過熱し出したら、さらに火薬の需要が高まるからな~。


 「とりあえずはそんなところかの。燃料の方は貝泊の炭に加え、今市でも炭が大々的に作られておるからな。蒸し焼き石炭は羽黒山での製鉄に使う分でちょうど良い感じではあるし……うむ。やはり、問題は鉄不足じゃな」

 「そうだな、鉄不足だ」

 「はい。わかりました。全力で対処いたします」


 羽黒山に今まで以上に顔を出すことで、これまで丸投げしていた部分に足を踏み入れることになってしまったよ……。

 おっかしいな?家督を継がなきゃ楽できると思ってたんだけど、なんか知らないけど前よりもずっと忙しくなってない?


 ふぅ。陳さんのご飯でも食べよ。


 「会議は終了!大叔父上も景能爺も陳さんのご飯を食べに行こうよ」

 「「おう!喜んでな!」」


 陳さんの料理の腕は、ここ羽黒山でもバッチリ評価されているようですね。


永禄四年 夏 古河 伊藤元景


 「あっつい!」


 ぱたぱたぱた。

 私はあまりの暑さに耐えかねて胸元に団扇で風を送り込む。


 「これ、元景よ。お前もいいとs……っと、良い立場なのじゃからな。もそっと恥じらいというか、慎みをだな……」

 「……父上。おっしゃりたいことは解りますが、古河のこの暑さは異常です。今までは、阿武隈の冷涼なる山城で生活していたので気づきませんでしたが、この辺りの暑気は堪りませんよ?」


 羽黒山なら、この梅雨も終わりを迎える季節でも、風が吹けば涼やかな気分にさせてくれるというのに……なんなのかしらね?こう、纏わりつくような熱気と重い空気。嫌な気分だわ。

 ……景藤は何て言ってたかしらね。夏の湿った高温と不潔な状況が続くと疫病が発生するとか……。


 疫病……?

 ……嫌な予感がするわね。


 「父上!やはり、この暑さと嫌な空気は良くありません!原因を探り、対処をしましょう。なんといっても古河は領内で一番人が集まっている城下。もしここで病などが流行したら一大事ですから!」

 「ん!疫病と申すか!!」

 「実際に疫病がどうこうとは申しませんが、じめじめとした暑さと不潔さが合わされば、いつ疫病が発生してもおかしなことではありません……だって、私がこちらに来るまでは、厠にちり紙も満足に備えられてはいませんでした。まずは医師達と話をしませんと、後は排泄物の管理がきちんとなされているのかどうかの確認。後は……そうですね。温泉があれば良いのですが、大衆浴場の設置が急務ですね」


 そうよ、今話してて思い出したけど。私も古河では湯あみが満足に出来ていないじゃない。羽黒山では毎日温泉風呂を使えていたというのに、書類の署名やら何やらに追われていて忘れていたわ。


 「温泉か……たしかに、清を産んだ後に身体を壊した文も景藤の考案した温泉風呂と石鹸で治療しておったな……しかし、この辺りで温泉など聞いたことは……」


 あら?父上はその時のことはあまり思い出したくないと思ってたわ。 

 なんといっても、母上との仲が疎遠になった契機だったものね。

 まぁ、そのことは棚の上にでも置いておきましょう。今は、疫病を未然に防ぐための快適な生活を確保しなくては駄目ね!


 「鶴岡斎の大叔父上と景藤が話していたのを聞いたことがあります。なにやら、大地が真っすぐに裂けた溝、断層と呼んでいましたか、その溝の脇には温泉が湧き出る可能性が高いのだとか。至急、あの二人を呼んで古河に温泉を引きましょう。棚倉の館に引かれている温泉路は一里近くにもなります。古河の町はずれまでと範囲を広げれば、かなりの広範囲に渡って源泉を探すことも可能でしょう。後は付近の村々にも人をやって、温泉に関する情報を集めましょう。有益な情報を与えたものには褒章を与えるとすれば、多くの助言が得られるに違いありません!」


 それに景藤は言ってたわね。

 日ノ本は掘る場所さえ間違えなければ、何処の地域からでも水が出るし、条件が重なれば温泉も出てくると……。

 関八州ではどこの国でも温泉はあるとも言ってたわね。

 上手く、古河の城下に引ける範囲で見つかれば良いのだけど……。


 「……なるほどな。流石に元は太郎丸の影響を一番に受けておるのだったな。考え方がよう似とる……よし、早速使いを二人に出すと同時に、事務方を集めて情報を集めるとするか」

 「父上、あとは医師を集めてください。その場で湯あみの効能を説明して、人々に話を広めてもらいます。城下の者達も私たちが立札を建ててどうこう言うよりも、医師からの言葉の方が心に響きましょう」

 「うむ。その通りじゃな、合わせて下総や武蔵の他の城にもこの方針を徹底させよう」


 やれやれね。

 夏のこの異常な暑さを経験して初めて、私は景藤が言う温泉の必要性がわかったわ。

 棚倉では私が生まれる前から、裏山には温泉風呂があったし……駄目ね。人間当たり前のものには注意を払わなくなってしまうのかしら。


 とりあえず、気付いたからには行動をしないとね!

 「景藤が継がなかったから」なんて言われてしまっては、あの子が窮屈な思いをする羽目になってしまうものね。

 弟の負担を軽くするのが姉の役割というものだもの。


1561 永禄四年 盛夏 古河


 「あっつい!」


 夏の古河は何回も来てるはずだし、それこそ関宿で伊勢軍と戦ったのも夏だった……よね?

 けど、こんなに暑かったっけ?この辺り?


 「よく来たわね!と言いたいけど、何よ第一声が「暑い」って!こっちまで暑くなるじゃないの?」


 わかる。わかるよ、姉上!

 確かに暑いときに「暑い」って言葉を聞くと余計に暑さを感じちゃうよね!

 けど、これも解って欲しい!本当に暑いよ!古河!


 「まぁ、そうなんだけどね……久しぶり姉上!けど、確かに手紙で書いてあった通り、何やら異常な暑さだね。嫌な予感がしたから、奥州から大量に人を連れてきたよ。班分けをして、すぐにも快適な古河生活を手に入れるために取り掛かろうよ!」

 「……その、心意気はまぁ、解らんでもないのじゃが。良いのか?どう少なく見積もっても百人は連れてきておるじゃろ?」

 「あはははは!」

 「あはは、ではないわ。全く……しかし、有難いぞ景藤よ。古河と河越の医師達を集めて話を聞いたのじゃが、どうやら、元景が怪しんでいるように病が流行しそうな兆しがあるというておる……有難いことに疱瘡では無いようじゃがな……」


 疱瘡ではない……か。

 この時代に疱瘡と言えば、天然痘が一番に挙げられるが、水疱瘡とかも含まれるよね……あとは、恐怖の梅毒か……。


 今回は違うようだけど、確か日本には十六世紀の初頭には持ち込まれているんだよな。関東には南蛮船も頻繁に来るようになっているし、色々と怖いな。

 うん。あとで売春に関しての話もしないと駄目か。


 「疱瘡でないと聞いて安心しました、ただ労咳の可能性は……」

 「薄いとは申しておったがな……」

 「そうですか……どちらにせよ、医師が兆候を感じているのならば時間は無いのかも知れませぬ。何よりも、早急に銭湯を建設しましょう。それから温泉の泉脈を探していきましょう」


 ただの夏風邪の流行であれば有難いけれど、疫病の可能性に気付いたのが姉上ってのが怖いんだよな。

 姉上の勘って的中率百パーセントだから……。


 「忠教!清が松山城で一帯の治水工事と築城の指揮を執っているはずだから、十日、いや、二十日抜ける最大の人員を借りてきてくれ。奥州で作っている銭湯の温泉を引かない形のものを古河と河越の城下の四方に急いで作れ!」

 「御意!」

 「鶴岡斎大叔父上は温泉が出そうなところを俺と一緒に地図の上からあたりを付けよう。忠清は俺たちがあたりを付けた場所に班を送ってくれ、まずは付近の聞き込みから水脈を、そして古い話が聞ける人物から泉脈の噂を集めて欲しい」

 「わっかたぞ」「承知致しました」


 初動はこの辺りか?

 正直、金は使いきれないほどあるんだ。赤字覚悟の銭湯建設で、まずは住民の衛生状態を改善しよう!


 「後見様。儂はどうしたらええんじゃろうか?」


 ああ!そうだった。

 今回の計画の目玉、一番汗をかく仕事を秀吉にはやってもらわなきゃな。


 「秀吉には勿来から連れてきた兵士たちと共に、付近の村々を訪れて、硝s……おほん、おほん……排泄物の管理がきちんとなされているかの確認と指導だ。川や沼への垂れ流しや田畑への垂れ流しをしていないか、そのあたりを厳しく見てきて欲しい。もしも、指導に従わない場合は、多少は兵の力を見せて脅しても構わん。そのあたりのさじ加減は全て秀吉に一任する!」

 「承知しました。ことの重要性をきっちりと教え込んでおきましょうぞ!」


 うん。太閤殿下のブラック面は怖いことになるからほどほどにね。


 「皆、わかったわね。足りないものは人でも兵でも何でも言いなさい!まずはこの内容で動く、良いわね!伊藤家の領内で疫病なんか流行らせないわよ!」

 「「はっ!!」」


 うん。檄は姉上の方が何倍も上手だよね……。

 父上も姉上の檄を初めて間近に見てびっくりしてるな。

 人を動かすカリスマってこういうやつなんだよね。当家では一に姉上、二に信長なんだよな。

 あ~、俺もカリスマが欲しい。

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