第60/α話 阿武隈の竜
享禄四年 夏 古殿
「かかっか!そのようなへっぴり腰ではとてもとても、いっぱしの武士などとは言えんぞ?小童」
「うるせぇ!俺は武士でもなんでもねぇ!」
今日こそこの天狗爺から、「参った」と言わせてやる!
右、左!突いて!
よし!下を向いた今だ!
俺は天狗爺の顔めがけて右足で砂を巻き上げる!
「かかっか!良いぞ、良いぞ!そのような勝ち汚さがお主の命を救うじゃろうてな!……だが、顔に出過ぎじゃ、ほれ!」
「う、ううわぁ~~!」
振り上げた右足を片手で持ちあげられ、俺は体勢を崩して転ばされる。
「イテテ……おい、爺!勝敗はついたんだから、俺の上から早くどけ!」
「なんじゃ、小童。相変わらず礼儀のレの字も知らんの。それでは人から好かれんし、意中のおなごからも愛想を尽かされるぞ?」
「俺におなごはいらん!……子などは絶対に作らん!!」
「なんじゃ、なんじゃ。そのようにイキりおってからに、小童が」
言うや、天狗爺は俺の脛を抑える。
「いてぇ!!!だから、そういう急所に力を入れるな!頭まで……あ、いや、俺の負けだ!許してくれ!」
「……許してくれ!ではなかろう」
「ご、ごめんなさい!許してください!!」
「かかっか!では許してやろう。……あと、何度も言うておるが、これは急所というか「ツボ」と言う場所じゃ。人体には神経が集まる場所が何か所もあってだな……」
「……こうやって、力の加減で痛みだけを与えることも出来るというのであろう?……耳にタコが出来たわ!お~イテテ」
頭もひげも真っ白のこの天狗爺は全くもって容赦がない。
……確かに、稽古をつけてくれと頭を下げたのは俺の方だが……。
「しっかし、小童もよう続くの。今日で足掛け三年か?そろそろ下界では小童に敵う者はおるまい?」
「……そんなことあるもんか。砦では忠平に子供扱いされ一太刀も浴びせることが出来た試しは無い」
「ほう。今の小童でも無理か……棚倉殿の配下はなんとも見事な腕前の方々がおるもんじゃのぉ」
「ふん。知るか!」
親父の配下、忠平をはじめとする安中の者達は誰もが腕自慢の猛者ばかりだ。
十四の俺では、身体の大きさも力も全く敵わない。だからこそ、三年前にこうやって天狗が住むと言われる鎌倉岳を登って来たんだ。
伝説だけだと思ってた天狗はちゃんといたし、こうやって俺に稽古も付けてくれる。
「小童の実力で一太刀も浴びせられん……ふむ?何やらの神仏の加護でもあるのかの?それとも……やはり、お主は殺気というか、予備動作の意思が出過ぎておるのじゃ。もそっと自然体というものを覚えるのだ!」
ちっ。思案に耽った天狗爺に一太刀浴びせようと後ろに回り込もうとしたんだが……先に見抜かれて小石を脛にぶつけられてしまったわ。
……痛い。
「ふぅ。まったく。……よし、ではお主に少々そのあたりのコツとでも言うのかの。ちょっとしたやり方を教えてやるわい。ほれ、立ち上がって儂の目の前に立て」
む?ようわからんが、今までの修業とは違うことをやるのか?
「ここで良いのか?天狗爺」
「おお良いぞ。そこで立っておれ……では行くぞ?……ほっ!」
うわっ!!
何をしやがる天狗爺!
急に手刀を首筋に打ち込んできやがった。
俺は間一髪、受けが間に合った。
「かかっか!そうじゃ、良いぞ良いぞ、その調子、その調子。ほれっ!ほれっ!ほれっ!」
びしっ!びしっ!びしっ!
天狗爺の目に見えぬ手刀を立て続けに防ぐ。
ふん!この程度など造作もないわ!
「かかっか!そうじゃ、防げるであろう?……ところじゃ、ほれ」
ぴたっ!
え?
俺は何の反応も出来ず、首筋には天狗爺の手刀が振れている……。
なぜだ?なぜ……?
「かかっか!わからぬか?ではもう少し教えてやろう……行くぞ?ほれっ!ほれっ!ほれっ!」
びしっ!びしっ!びしっ!
天狗爺の目に見えぬ手刀を立て続けに防ぐ。
やはり、簡単に……とまでは行かないが十分に防げる。
速度に変化を付けられても結果は同じだ。
「うんうん。そして、こうじゃ。ほれっ」
ぴたっ!
またまた、俺は何の反応も出来ず、首筋には天狗爺の手刀が振れている……。
「かかっか!次じゃ……行くぞ?ほれっ!ほれっ!ほれっ!そして、ほれ」
びしっ!びしっ!びしっ!ごすっ!!
げほっ!
く、くぅ……なんだよ、天狗爺……最後は水月に拳入れてきやがった。
「かかっか!これが、虚と実の使い分けじゃな。技の妙とは虚実の間にあり。小童もそろそろ身体に芯が通り始めた頃じゃ。そろそろ次の段階に進んでも良かろう」
「ごほっ、ごほ!なんだよ、今のは?」
「言うたであろう?虚実じゃよ。ほれ、あと五回ほどは身をもって感じるが良い」
びしっ!びしっ!びしっ!ごすっ!!
びしっ!びしっ!びしっ!ぴたっ!
びしっ!びしっ!びしっ!ぴたっ!
びしっ!びしっ!びしっ!ごすっ!!
びしっ!びしっ!びしっ!ごすっ!!
く……いてぇ。
「今日の修練はここまでじゃな。……今度山に登ってくるまでに、今のことを繰り返し思い出してみるが良い。さすれば、今少し人とは何かを感じることが出来るであろうぞ?」
「あ、ありがとうございました」
「うむ。良し。では小川で身体を清めた後は、麓で文から飯を馳走して貰ってから帰るが良い。儂は今しばらく山頂で瞑想しておくからな。そう伝えておいてくれ」
「わかった……」
この天狗爺、普段は俺がどんな言葉遣いをしようとも気にしないのだが、修行終わりの挨拶だけは「ありがとうございました」と言わせる。
天狗爺曰く、その一言さえあれば天狗爺が俺に何を教えても許されるのだとか。……良く分からないけど、きっと何かしらの掟が天狗にはあるのだろう。
再度、天狗爺に一礼をすると、俺は荷物を小脇に鎌倉岳を下る。
この鎌倉岳は俺が住んでいる棚倉から東北にある古殿の里の裏山だ。
関口の砦から山道を六里ほどか?馬に乗っても二刻近く掛かる。つまりは往復で、移動だけでも三刻以上かかるということだ。
明け方前に砦を出ても、帰ってくるのは日が落ちる頃。
嫡男でもない、次男の俺でも、理由なく一日も砦や館を空けるわけにも行かない……らしい。
俺としては、兄上さえおれば何の問題もないと思うのだがな。それに、兄上の補佐をするには俺などよりも弟の伊織の方がはるかに優秀だ。
俺では兄上の足は引っ張ることは出来ても、十分な手助けが出来るとは思えん。
ふん!
そんな、伊藤家のはみ出し次男でも、丸一日も家を空けるためには理由がいる。
その理由作りに協力してくれたのが、天狗爺の子か?孫か?鎌倉岳の麓にある神社の娘の文だ。
世間的には、俺はこの文に惚れこんで、日を置かずに古殿を訪ねていることになっている。
別に文とどうこうなっているというわけではないのだが、……正直な所、俺はこの娘を憎からず思っている。
「景貞様。おかわりはどうです?」
「いや、もう充分だ……それよりもお前が食え!そのような貧相な体では男が寄ってこないであろう。もっとふくよかにならねば、苦労するのはお前だぞ!」
「ふふふ。そうですか?景貞様は私のように痩せた娘はお好みではないのですね?文は悲しいです」
「……そう揶揄うな!お前はお前のままでいい!ただ、米などは貴重であろう。それをこんなに俺にだけ食わせるものではないぞ!」
そう、米は貴重なのだ。
棚倉の館でも、炊いた米だけで腹いっぱいには食えない。
湯でふやかし、茸や木の実、木の根、芋、野菜、野草などと一緒に味噌を入れ食う。
後は山で捕れた獣や鳥、潰れた牛馬なども食う。
京や鎌倉などでは、肉を食うことは殺生として禁じられているそうだが、そんなのは知らん。
俺たちは腹を満たすためにはなんでも食って行かねばならんのだからな。
「何度もいうてはおるでないですか。この神社は霊験あらたかな社。有難いことに近隣の村々から届けられる食料で満たされておりますれば……景貞様は何の気負いもなく腹いっぱいに食べてくださればよいのですよ?」
「……ふん!そうは言っても食えば食料は減る。ある程度食えれば、それ以上は要らん!……それに、文よ、そんなに姉面をするな!俺とお前では五つも年は離れておるまい?」
「ふふふ。なんども言うておるでしょう?私は何千年も生きた天狗の娘。景貞様は私の可愛い弟なのですよ」
むぅ。
その態度が唯一、文の気に入らんところだ。
「また、その話か!……もういい!お前が何百、何千、何万歳であろうと俺の気持ちは変わらん!早く俺の妻となってくれ!」
そう、いつからか、方便として使っていた文への思いは、いつしか本当の物となってしまっていた。
俺は文が好きだ。妻にしたいと心から思っておる。
「こちらこそ、またその話、……ですよ?私は天狗の娘。棚倉のお武家様の妻にはなれませぬ。それは里の者も言っているのではないですか?」
「……それはそれ!俺は文を愛しておるのだ!」
そう、それはそれだ。
確かに、古殿の里。阿武隈に数多あるこの安中の里では、この社の娘と仲良くするなと言われておる。なにやら、村の長老たちが童の頃から文はおったと話しておるからな。
しかし、俺はそんなことは知らん!
俺は好きなのだ!
文の透き通るほど白い肌と、秋の稲穂のような黄金色の髪、すらりと通った鼻筋に、太陽を溶かしこんだような強烈な瞳の色と輝き。
まったく、好いたおなごを嫁に欲しいと思って何が悪いんだかわからん。
しかも、俺は次男で家は継がん。兄上のように、どこぞの武家の娘を娶る必要もないであろうからな!
「まぁまぁまぁ。そのように熱烈な求愛など、なん百年ぶりでございましょうな。嬉しいこと。ほほほ」
「ちっ、またそうやってはぐらかす……だが、良い。俺はまだ十四だ。元服して二年と経っておらん。時間はまだまだあるからな!きっとお主を振り向かせてやるぞ?良いな!」
「はい、はい。お待ち申し上げておりますよ?景貞様」
「ふん!」
いつものように揶揄われてしまったが、これはこれで良い。
今日は何度も「愛している」と告げられたしな。いつかは俺の思いも伝わってくれよう。
「では、次に鎌倉岳に来るのは五日後になると思う。天狗爺にもそう伝えておいてくれ」
「わかりました。父上にはそのように」
次の稽古の日程を伝えて、俺は社から出て、麓の里に向かう。
砦から乗ってきた愛馬の竜丸を里で預ってもらっておるからな、引き取りに行かねばならん。
ただ、気が重いのは馬の預け先が村長の家だということだ……今日もあの小娘に会わねばならんのか……。気が滅入るな。
「あ~!武芸馬鹿の若様み~つけた!」
……噂をすればなんとやらだ。
厄介なのにみつかった。
「……その呼び方はやめろ。俺には景貞という名がある」
「だって、里のみんながそう呼んでるよ?誰も住んでいない山で修行をしてるって寝ぼけたことを言ってる若様って」
「……山には天狗の爺がいて、俺に修行をつけてくれるのだ。里の者達が天狗を見られんのは心が澱んでおるからだと言うておろう」
「え~!藍わかんないよ?里のみんなは良い人たちばっかりだよ?」
「けど、お前は見えるのであろう?天狗爺と文が」
「うん!藍は文姉ちゃんが大好き!だって、お社に行くといつも蜂蜜を舐めさせてくれるから!」
うむ。やはり小娘は甘いものさえ与えておけば良いのだな。
どたっどどた。
「こ、これ!藍!若様にそのようになれなれしくするな!」
「あ~、いい、いい!気にするな。俺は十やそこいらの童に何を言われても気にはせん」
俺が、藍に見つかるのを厭うのは、こういう大人たちの反応を見るのが嫌だからなのだ。
藍は古殿の村長の娘。
古殿は安中の里ではあるが、伊藤家に仕えておる忠平の里とは仲があまり良くないらしい。
それ故に、俺のことは敬遠しておるし、本音のところでは、大事な政略の道具である村長の娘を傷物にでもされたら困る、とでも思っておるのだろう。
誰が、十かそこいらの娘を手籠めにするのだ。馬鹿らしいわ。
「さて、俺は棚倉に戻らねばならんからな、すまんが預けていた馬を引き取りに来た」
「へ、へい。それではすぐに連れてきやすので、若様はここでお待ちを」
「ああ、そうか、手間を掛けさせてすまんな!」
「いえいえ、へいへい」
男はぺこぺこしながら里へと引き返す。
「なによ、五郎吉のやつったら感じ悪い。今日も若様を里に入れるなって父様に言われてるのかしら?……私にも若様と仲よくするなとか言うし」
「……ふん。娘のことが心配なのであろうさ。心配してくれる親は良い親だと思うがな、俺は」
「そうかな?心配とかじゃない気もするんだけど……」
藍もやっぱり子供よ。
実際に放り出された子供の心はわからんのであろう。
俺などは、何をしても、「元気にしてるか?それならば結構」としか言われんからな。
父上も吹けば飛ぶような身代で、阿武隈川の諸将から身を守る算段をしなければならないからな、その忙しさはわかるが、次男の事を眼中に入れなさすぎるのはどうかと思う。
「……」
「ん?どうした?藍よ」
「若様は愛されてるよ?そうじゃなきゃ、こんなに立派に生きていないからね?」
「……それを言うのならば、「育っていない」だ。……なにやら殺された気がして、あまり有難い言葉に聞こえんぞ?そのままでは」
「ありゃりゃ。失敗、失敗」
ぱからっ、ぱからっ。
お、竜丸を連れてきてくれたか。
相変わらず見事な黒鹿毛よ。
……里の者達もなんだかんだと言いながらも、竜丸の世話はしてくれる。
やはり、山の民にとって馬は大事な相棒であるからな。
「助かる。……ではな!」
「は~い!若殿、またね~!」
「ああ、またな」
俺は竜丸の手綱を左手で受け取り、右手で五郎吉に銭を渡す。
銭を受け取った五郎吉はぺこぺこ頭を下げて俺を見送る。
一方の藍は満面の笑みだな。可愛らしい童ではあるのだが、古殿の者達に余計な思いを持たれるのは困ったものだな。
ふん。まぁいいさ。
それよりも、俺には天狗爺からの宿題がある。
虚と実の間の妙か……一人で考えてわからなかったら、いっそのこと忠平にでも聞いた方が早いかもしれん。
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