第57話 廃嫡の準備

永禄三年 夏 古河 伊藤景元


 「父上、申し訳ありませんでした……」


 景虎は床に就きながらそう謝っておる。

 ふむ。顔色はいたって健康そうじゃな。一安心と言ってところか。


 「何を言うのだ。景虎よ……今のお主に必要なのは安静にすることだけじゃ。医師も命には別状は無いと言うておるしな。たまにはゆっくり休めばいいのじゃ」

 「そうですよ。兄上……たまにはゆっくりとなさってください」

 「くくく。伊織に「兄上」などと呼ばれるのはずいぶんと久しぶりだな……」


 まったく、焦らせてくれる。口の動きにおかしなところもないし、軽口も叩いておる……しっかし、忠宗が馬を飛ばして箕輪城まで来たときには肝を冷やしたわ。

 あやつめ、「信濃守様が!景虎様が!」としか言わんかったからな。

 最悪の事態を想定しながら古河まで馬と船を飛ばしたぞ!


 しかしのぅ、一体何が景虎をこうまでさせたのじゃ、こ奴は儂よりよほど冷静な男なのに……。


 「景虎よ、身体に触らぬ程度でよいので、何があったか教えてくれぬか?」

 「ええ。実は……」


 …………

 ……………………


 「なるほどな。儂が義氏殿から最初に聞かぬで助かったわ……」


 景虎の説明を聞いて納得した。

 儂が聞いても怒りで気を飛ばしてしまったかもしれぬわ。

 国の行く末を憂うべき立場の人間が、おのれの権勢の為に他人を巻き込むか……本末転倒も甚だしいわ!流石は公家、流石は足利じゃな。


 「それで、一つ考えたのですが。儂が倒れたこの件を上手く使えぬだろうか?伊織よ」

 「兄上!?それは……」

 「うむ。実際にはこの通り、しびれもなければ口もしっかりと動く。だが、こうして儂が倒れたことは事実だからな。この機会に弱気になった伊藤家の当主が、次代の流れを決め直す。いつの世にもありそうな筋書きではないか?」


 確かにそれはそうではあるが……。

 客観的に見て、太郎丸の発明や政策は伊藤家を純粋に強化しておる。

 一方で旧来の権力構造に組みする者達、旧領主や村長、豪農・庄屋、国人領主などと呼ばれる者達。敵対した勢力には一部の寺社勢力もおろうな。

 後は純粋に変化を毛嫌いする者達か……。


 ふむ。そう考えると味方も多いのだが、敵も多いの。


 ああ、後は反切支丹勢力もおるか。

 特に切支丹援助をしているわけではないのだが、南蛮貿易それ自体に反感・恐怖を抱くものはそれなりにおる。


 また、太郎丸は南蛮の言葉で南蛮人たちと話すことが多いとも聞く。

 あやつは背丈の大きい伊藤家にあってもさらに頭一つ大きいからな。純粋な恐怖を抱く者達もおるのか……。厄介じゃな。


 それにしても……。


 「景虎はそれで良いのか?太郎丸を見知っている我らには問題のない話じゃが、伊藤家の実情をよう知らん人間の中には、お主のことを悪し様にいう者も出てくるのではないか?」

 「それこそ覚悟のうえでございますよ、父上。ただ、身体を悪くして当主を退いた人間が隠居として力を持たない。まさに、太郎丸が今以上に力を振らざるを得ない形となりますからな」


 確かに、何の前触れもなく廃嫡など、どうにも話の信ぴょう性に欠けるが、当主が病に倒れ、病床で後継ぎに関する変更を行う……まま、あることでは……な。


 「兄上がそこまで御覚悟成されているのなら、私からは何も申しません。私と景竜で練った計画通りに進めさせていただきたいと思います……では、流れを如何にいたしましょうか?」


 念の為をと、景竜と伊織に考えさせてはいたが、まさか、念のための備えがこうも表に出てくる羽目になろうとはな。正直、想像の枠外じゃな。


 「そうじゃな。まずは儂がこのまま古河に滞在し、景虎が行っておる表向きの仕事を引き受けることとしよう。その後に、遠からず来るであろう佐竹・伊達・長尾・里見の見舞いの者達に景虎とともに面会しようぞ……」


 いや、待て待て。

 その前にやれねばいけないことがあろうが!


 「いや違うな。伊織よ。見舞いの面々と儂らが面会する前に、お主が景藤と元に会って話をして参れ。景藤の配下の勿来、羽黒山は血の気が多いのが沢山いるのでな。景藤の制止が間に合わずに先走られても困る。あの二人にだけでも話を通しておけば、策が成るまでの時間は十分に稼げよう」

 「その通りですね、父上。では鎌倉城か三崎湊のあたりに二人を呼んで説明しておきますかな」

 「そうですな、父上……済まんが、頼むぞ伊織。儂はお主が二人に説明した頃合いを見計らって、諸将と話を付けて行こう」


 大体の流れは確認できてきたな。


 「では、儂は領内の締め付けを図るとともに、上野から古河に移って、上野の北を手薄にするか。やつらも監視の目が薄くなったとなれば警戒の度合いも変わろうというものだ」

 「それがよろしいかと。では二人を鎌倉に呼び出すのは早速……明日明後日にも二人は古河に来るでしょうからな。ちと、無理やりにでも、その後に鎌倉へと連れ出すことといたします」


 時間とともに周囲の耳目は古河へと集まることになろう。


 「今後の古河では誰の耳があるかわからんからな。今のこの時間に全て決めてしまうのが良かろう……この瞬間はどれほど厳重に締め出しをかけても不思議がられる状況にないし、諸将の草の者達が集まるまでは多少の時間があろう……まさに、稀有な機会じゃからな」

 「……それでは、景藤の廃嫡は秋口に発表し、収穫の時期に不満分子どもを一掃。新年を待って新体制のお披露目という形をとるということで?」

 「ええ、それでよろしいかと」

 「うむ。儂も依存なしじゃな」


1560年 永禄三年 盛夏 鎌倉


 「右手の島が江の島、左手の奥に丘を四つほど越えると三浦、林の湊ですね。ここの小田和おたわ湾に港を作っています。岩礁地帯を陸から繋げるだけで、良い湊が出来ましたよ。工事も思ったより早めに終わりましたからね。船の着岸自体は明日からでも出来ますよ」


 鎌倉城の本丸天守より伊織叔父が付きっ切りで説明をしてくれている。

 う~ん、良い風。


 正面の相模湾には大島がくっきりと見え、江の島の奥には富士山を眺めることも出来る。

 前世世界では何回も来たことがある鎌倉の八幡宮。本宮の裏山に建てられた本丸からの眺めは最高だね。林の湊自体は見えないけれど、船が行き来しているのは良く分かる。


 「海と言えば勿来しか知らなかった私だけれど、鎌倉の海も良いものね。心持ち、勿来よりも暖かい風が吹いているようね」


 姉上は風に髪をたなびかせ遠くを眺めている。

 「それはそうでしょう。だって南ですから」とかいらないツッコミを入れると鉄拳制裁が飛んできそうなので、ここは黙るに限る。

 まぁ、実際に勿来とはまた違った潮風が心地良いもんね。


 「気に入っていただけたようで何より、昔の御所は六浦に抜ける街道沿いの館だったそうで、こういった城は我々が初めて建てたようですからね。ある意味、頼朝公も眺めたことのない景色というやつですね。存分に楽しんでくださいよ」

 「ええ。叔父上。最高です!」


 父上が倒れたと聞いた時は、心臓が止まるかと思ったが、古河でお会いした時にはだいぶ回復されていたようだしね。

 どうにも足利義氏の話で怒りに震えて気を失ったと言ってたよな。


 倒れ方から、脳溢血とかそういう脳の血管に何らかの異変が起きたのかと焦ってしまったが、その時に傍にいた近侍の者や忠宗に聞いた限りでは、そこまでのことではなかったようだ。

 ただ、血圧が上がり過ぎて気を失うとか、何があってもおかしくないんだよね……本当に何事もなくて良かったよ。

 ゆっくり休んで、復帰してもらいたいものです。


 「さて、まずは二人に見てもらいたかったものは道中の風景と、この城からの眺めでしたので……中に戻って二三話をしましょうか」

 「解ったわ、喜んでお相手させていただくわ」


 伊織叔父に促され天守内に戻る僕たち。


 ……そりゃそうだよね。

 いくら相模の開発を一度も確認してない僕らとはいえ、風景を見せるだけの為に、伊織叔父がここまで強引に連れてくるはずもない。


 鎌倉城、二層天守の室内には伊藤家恒例の円卓が設えてある。

 もちろん中央部分はターンテーブルになっており、お茶がたっぷりと入った急須も完備してある。


 「さて、何処から話を始めましょうか……そうですね、まずは現状をお話ししましょう……伊藤家はその領内を基本的に、勿来を含む奥州、下野、上野、武蔵・西下総、相模の五つの地域に分けて統治しています。それぞれの地域は元、景貞兄上、ご隠居様、信濃守様、そして私の五人が一門衆として率い、その下で安中の者、柴田の者が監督を、その下に土地の者が実務を担当する形ですね」


 どうやら、簡単伊藤家の領地経営復習講座のお時間のようだ。


 伊織叔父の言葉に頷く、姉上と俺。


 「そして、この中、土地の者を監督する立場である柴田の者の内、最も近年に越後山脈の里より出てきた者達が不満を抱え……さらに抱えるだけでなく、ある種の行動に出てきています」

 「「!!??」」


 俺も姉上もびっくりである。


 ……確かに、奥州に残っている柴田の者は、伊藤家の次席家老を父親の業篤から引き継いだ業棟の三男の業道だけだ。

 しかも、業道は元服直後から土木奉行所に努め、今では阿武隈川一帯の土木奉行所を管轄する立場だ。

 近年に業篤、業棟の養子となった者、篤信、篤延、棟寅の三人とは接点がほぼない。

 彼らが、どんな思いで里から出てきて、どんな思いで仕事に励んでいるのかは伺いようもない。


 「この動きは業篤殿と寅清が忠平殿に報告したところから、発覚しました。忠平殿は即座にご隠居様に伝え、ご隠居様はことを大きくすることを控え、内々に景竜に柴田の者への調査をお命じになられました。柴田の本拠は上野からが一番近いですからね。そこでわかってきたのが篤延の一族に長尾家の草の者が接触している形跡です」

 「!!草の者?忍びですか?!」


 ちょっと、忍者と聞いては気分が盛り上がっちゃうよ?


 「忍び……とはよくわかりませんが、他家の情報を集めたり、調略を行う者達のことですね」


 そりゃそうか。忍者は江戸の大衆ものの中で生まれた言葉だっけか?


 「……うちでは安中の者達が山の民を使って行っているような事よね?叔父上?」

 「そうです。奥州では安中の者が主に担っていましたが、上野周辺では柴田者が担っていますね」

 「それはそうよね。誰だって土地勘がある者の方が情報は集めやすいものよね」


 ……あんまり気にしていなかったけど、確かに山の者ってそういう役目も担っていたね……。

 勿来だと、どちらかと言えば商人情報の方が話題に上がっていたから、失念していたよ。


 「長尾家の草にそそのかされた篤延の一族は、いくら伊藤家で働いても自分たちが土地持ち領主となれないのは景藤の政策のせいだ、と言い出し、元の領主や豪農の者達に仲間を増やすべく、上野を中心に活動を始めているのです」

 「私のせいですか?!」


 まぁ、確かにそういう趣旨の政策は何回も挙げたけど、根本的に棚倉にいた時の爺様の政策からして、いわゆる国人領主の存在は認めていないぞ?


 「景藤は目立つからね。そういう輩にはやっかみの対象が必要なんでしょうよ」

 「そういうことだと思います。そして、ここからが本題です」


 本題……なにやら面倒事が舞い降りる予感。

 面倒事はご勘弁願いたいよ?


 「ご隠居様も信濃守様もこの知らせを受け、篤延の里とそれに繋がる者達を徹底的に潰すことを決心されました……」

 「当然よね。当家のやり方に不満なら出て行けば良いだけなのに、内部をかき乱すなんて……とっとといなくなってもらいましょう。そいつらを集めてもらえれば、私が全員切り伏せてやるわよ」


 わぉ。なんて物騒な姉上様。

 ……まぁ、実力的にそれらの者達を切り伏せるのは、姉上にとっては朝飯前なのでしょうが……。


 「元が今問題点を言ってくれましたね。そう、集めるのが厄介なのです。元から柴田の山の者達は、それぞれが山中の里でひっそりと暮らしています。また、彼らの主張に同調した元領主たちもどのあたりにいるか、その全ては把握できません……しかし、元領主の方は全てを把握しなくても主たる者達さえ討てれば、それで十分な効果があるのですがね」


 確かに旧勢力の中からすべての虫を見つけ出すのは物理的に不可能だ。

 心胆寒からしめて、黙らすのが一番効率的だよね。


 「叔父上がそういう言い方をするということは、もう既に何らかの方策が考えられているということなのでしょう?私と太郎丸は何をすればいいのかしら?」


 うん。そうだよね。

 こうして、鎌倉まで二人を連れ出したということは、何らかの役目が俺達に降られるということなのだろう……なんとなくわかっちゃうけど。


 「彼らの油断が誘えれば、我らの目的が達成されるところまでの準備は全て整いました。後は……彼らの油断を誘う一手を打つだけです……」

 「お!よっしゃ!やっぱり当主にならなくても良くなったということですね!!」


 ごいんっ。


 あふ。

 久々の姉上からの一撃。


 「廃嫡されるっていうのに喜ぶな!馬鹿太郎丸!」

 「……そうです。あらかじめ予想はしていましたけど、そこまで自分の廃嫡を喜ぶ嫡男は日ノ本広しと言えど太郎丸だけですよ……」

 「いや……だって、父上の仕事内容を見ていると、少しも面白くない癖に妙に時間ばかり取られることばかりやらされていて……」

 「「黙りなさい!嫡男!」」

 「……はい」


 いや、少しぐらいは心からの喜びを表現させてよ。

 だって、当主の仕事って、書状書いたり、わけわからん付き合いしたり、わけわからん紛争の調停したり、わけわからんおべっか使ったりで、まったく楽しそうじゃないんだもん。

 そんな事に貴重な時間を吸われたら、やりたいことの一割も進められないじゃない?

 開発したいことは、まだまだ山盛りよ?


 「つまり、油断をさせるには、彼らが要求することが達成される、その瞬間を作り出すのが一番です。景藤の廃嫡をのみます。そこで態度が明らかになった者を処断します。里の方は、それに合わせて収穫の祭りを企画させていますので、その場で処置を行います。幾通りも検証しましたが、間違いなく根こそぎ絶つことが出来るでしょう。長尾の草の者も含めてね」

 「処置の方は叔父上を信頼しているわ。そこまでの仕掛けを考えているのなら万全は期しているのでしょう……でも、叔父上。そこまで大々的に廃嫡を宣言したら太郎丸は嫡男には戻れないわよね……一体、誰が太郎丸の代わりに伊藤家を継ぐというの?計画の発案者が継ぐというのなら、いくら敬愛する叔父上や、可愛い竜丸でも、この刀で首を刎ねるわよ?」


 ……うわ……達人の殺気とか止めていただきたいのですが……無関係の僕でも下半身がもぞもぞしちゃうよ。廃嫡される当人は合意しているんですよ?


 「ふふふ。私も景竜もそんな命知らずではありませんよ。それに、本人を目の前にして口に出すのは恥ずかしいのですが、私たちは景藤が見せる世界に随分と惚れ込んでいるのですよ。父上も兄上たちも、安中の者達も、多くの柴田の者達も……景藤には如何なる不利益をも与えないことだけは、私がこの首をかけて誓いましょう」

 「そう、叔父上がそこまで言うのなら安心したわ」


 カチンッ!


 ん??今の鍔音??!!

 もしかして姉上ってば鍔口を切ってたの?!

 ……いや、本気で怖いんですけど……。


 「……けど、他だとすると?景貞叔父上?それとも一丸??」


 そうだよね。

 伊織叔父でも景竜でもないとするとその二人?


 「はははは。これは二人に対して一本取れたかな?……簡単ですよ。景藤が私たちに丸投げするように、すべてを景藤に丸投げする人です……あなたですよ、元。来年からは貴方が伊藤家の当主として信濃守を名乗りなさい。そして、後から一丸なり、中丸なりを養子とすれば良いのです」


 おお?

 姉上か……。


 「それは名案ね、叔父上。そうなれば伊藤家は景藤が全てを差配することになるものね」


 あ、丸投げ宣言されるのね……。

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