第37話 次の産物を探して

天文二十四年 夏 勿来 伊藤阿南


 むむ。若殿に人払いをさせられてしまいました。

 ちょっと南は寂しいです。


 若殿は吉法師と真面目なお話しをなされるので、全員を外させるべく人払いを行ったのでしょうが……。

 南は若殿の奥さんです。一心同体の身なのです。


 ……寂しいです。


 「まぁまぁ、阿南様、そのようにお寂しそうな顔をなさらないでくださいな。奥方はその家の太陽。阿南様の笑顔こそが若殿をはじめ、勿来に住まう全ての人々の心の糧となるのですよ……さぁ、素敵な笑顔を私に見せてくださいな」


 蝶殿は、その天女のようなお姿にお似合いの、まさに天界の調べを奏でるがごとく心落ち着くお声で南を慰めてくださいます。

 本当のお姫様とは蝶殿のような方なのでしょうね。


 「お気遣い頂きまして……気を使わせてしまい申し訳ありませんね」


 やっぱり、南はこういう言葉遣いは苦手です。


 「うふふふ。さぁさぁ、涙をこれでお拭きになってくださいな」


 そっと懐紙……いや、違いますね。これは……絹?正絹ですか!正絹の小さな手拭いのようです。

 その手拭いで軽く私の目元を拭ってくださいます。


 「さぁ、これでよいですわね。私、今日は、阿南様が好物とされている品を持ってまいりましたの。こちらを一緒に食べて元気を出しましょう……藤吉郎、今回こちらに私たちとともに来た者で小一郎と申す者が控えの間にいるはずです。彼からかすてーらを貰ってきて、阿南様にお出しして頂戴」


 !!

 かすてーらですか!!


 南はかすてーらが大好きなのです。


 若殿にもかすてーらが勿来でも作れないものかと尋ねたのですが……今は作れないとのことでした。

 どうやら、砂糖というものの入手が難しいのが原因のようです。


 とにかく、今は未来のかすてーらよりも、今すぐ食べられるかすてーらが必要です。

 藤吉郎!早く持ってきて頂戴!


 藤吉郎は私の思いがわかったのでしょう。なんか、「まさか小一郎がのぉ」などとつぶやきながらも小走りで取りに行きました。


 「阿南様はかすてーらが大好きなのですね?」

 「はい!南はかすてーらが大好きです!あの甘さとしっとりとしながらももっちりとした味わいと風味!大大大好きです!」


 あら、いやだ。

 つい、昔の口調に戻ってしまいました。気を付けないと……。


 「ふふふ。お気になさらずに、阿南様。阿南様には元気いっぱいでいただいた方が若殿も喜びますよ」

 「そうでしょうか……南は若殿よりも幼く、年も若いです……此度、漸くややこを授かることは出来ましたが……大身となった伊藤家に伊達から嫁いできたこの身。いち早くおの子を産まねばと、若殿の妻として立派にならねばと……」


 ああ、どうしたのでしょう……別に悲しいわけでもないのに涙が止まりませぬ。

 南はいつから泣き虫さんになってしまったのでしょうか。


 ぎゅっ。


 優しく蝶殿が抱きしめてくださいます。

 いいにおい。

 文の義母上様の包まれるようなにおい、元義姉上のような輝かしい太陽のようなにおい、そのふたつとも違う、伊達の母様よりも一層優しくしたような心地です。


 自然と身体から力が抜けていきます。


 「阿南様はまだ十六と伺いました。伊藤家の方々は優しく、若殿は阿南様を心より愛しておいでなのでしょうが、やはり遠い異国暮らしは疲れてしまうのです。どうか、そう思いつめなされますな。阿南様は阿南様お一人。他の誰でもないのですから……力を抜き、自然体でお過ごしなされませ。これからは私もこちらに御厄介になるのですから……僭越ではありますが、私を姉だと思ってどうか頼ってくださいまし」

 「……はい。蝶姉上様」


 すんすん。


 あら、この匂いはかすてーら。

 藤吉郎が持ってきたのですね!


天文二十四年 夏 勿来


 「いや、なんかすまんな。俺の身の上話をしたらどうにも湿っぽくなってしまった!仕事の話をしようではないか!」

 「照れるでないぞ、吉法師。で……今回はどのような案配だった?」


 今回頼んでいたのは、鉄砲と造船の為の人材と陶石にコルクだ。


 「そうだな……まずは鉄砲だが、こいつは人を引き抜くのが難しい。戦で使いこなす奴は未だに日ノ本では出てきていないが、弓隊に代わる運用ができないかと、各殿様連中は頭を悩ませているな。今のところは大将の周りに数十の鉄砲衆を置いて、防衛時の逆撃手段としているぐらいだが……要するに判断が付きかねる代物だけに、こいつを作れる連中を領外に出すことには相当慎重になっておるな。大量に作っとる里としては堺と近江は国友が有名だが、松平家でも森と白須賀……と言ってもわからんか、遠江との国境の村だが、そこで国友から人を引き抜いて作り始めておる」

 「ほぅ。吉法師が吝嗇と呼ぶ清康殿がそこまで力を入れておるのか?」


 松平が鉄砲隊とはちょっと驚いたけど、清康の治世が長く続いた場合なんか俺の知識にはないからなぁ、どうとでも転ぶか……。

 部隊運用された鉄砲隊は人類史の転換点になるほどの威力、天下の器と称された清康が目をつけない筈もないのかな。


 「そういうわけで、人はまだ引っ張って来れないが、それでは俺の面目が立たんからな。一応は現物を持ってきた。これが堺の鉄砲と、そっちが国友の鉄砲だ」

 「ほほぅ。これが火縄銃の現物か……結構重いな……そして、ライフリングはやはりないか……弾も丸いな……」

 「何やら聞きなれない言葉も出てきておるが……太郎丸よ。これらの鉄砲もこちらで作る気なのか?」

 「ああ、工房は羽黒山に作ることになると思うが、この銃を進化させた物を作りたいと思っているぞ」


 銃身にライフリングを刻み、弾も進化させる。

 ライフル銃の大量生産は難しかろうが、技術自体は種子島に伝来するよりも前にヨーロッパでは既に開発されていたはずだ。弾の方は……百年以上は先取りするかもだが、技術自体がどうこうというものでもないから、まぁ良いだろう。


 複合弓と同じ扱いで少数配備ならかまわないだろうさ。


 ……あとは、大砲が沢山ほしいよなぁ。

 ガレオン船級の軍船に百門は積まないと、ヨーロッパの艦隊やら大海賊艦隊が日ノ本にやって来たら、到底戦って勝てるものではないからな。


 そうだ、ガレオン船だ!


 「で、船大工の方は?」

 「そちらは目途が付いた。この春先に中国の毛利家と大内家がやりあってな、毛利家の下剋上なわけだ。その一連の最中で、瀬戸内の村上家を味方に付けるために毛利家が血なまぐさい方法を使った。結果として、村上家は毛利家に完全降伏したのだが、身内を殺された一部の者達が九州は博多の湊に逃げ込んだ。その一族に渡りをつけておる。太郎丸の了承が得られれば、この秋にでも博多に向かい、話をつけてくるぞ」


 流石は信長様だな。素晴らしい。


 「しかし、尾張屋も博多にまで根を張るか!流石だな!」

 「茶化すな太郎丸!」


 プチ照れな吉法師。


 「昔に俺が呂栄るそんに行った時があったろう。その時にイスパニア船を紹介してくれた男がおってな。博多屋玄六と日ノ本では名乗っておるが、本名は阮小六げんしょうろくという明の海賊だ……ああ、賊と言っても押し込みやら何やらを働くのではない。明では皇帝が認めた部署でしか貿易を許してないそうでな、その許しを持たずに貿易をするものは押しなべて「海賊」と呼ぶのだと。……実際のところは知らんがな」


 中国の古典作品とかだと、すぐに山に逃げ込んで山賊になる英雄とかもゴロゴロ出てくるし、まつろわぬ人間のことは「賊」とすぐに呼んじゃうんだろう……ということにしておこう……。


 「で、依頼の品の陶石をこの玄六に依頼してみたのさ。銭は大層ふんだくられたが、明では名の知れた陶工二十名と材料諸々、勿来に持ってきておる……日ノ本の言葉をきちんと話すことが出来る者が二名と、片言に話す者が三名、あとは話せんが何とかなるであろう。たしか、伊奈の者で明の言葉を話せる者がおったはずだしな」

 「ははは。陶石だけでなく陶工もか……これは有難い!」


 材料だけではいかに常滑の陶芸一門と言えど、磁器を作り上げるのは難しかっただろうが、本場の技術者がそこに加われば、万事問題クリア!

 現場に任せるだけで仕事は出来上がります!現場を尊重する上司だからね!俺は!


 「気にするな。どうやらその二十名、そのまま明にいたら殺されそうだったと言っておった。いち早く仲間たちで逃げ出したかったようだな……大陸の腐敗も酷いらしい。高官たちは統治能力の有無に関わりなく、皇帝に気に入れられるか、より高位の者に銭を貢ぐかの二種類の方法でしか任官出来ぬらしいぞ」


 明は成立から滅亡まで、中々につらい時代だからな……だが……。


 「ん?確かに腐敗ではあるが、京の公家と何ら変わるまい?血筋と銭と権力者の寵愛で官位を得る。明も日ノ本も変わりはなかろう」

 「く。ハハハハ!言われてみればその通りだな」

 「そうさ、この国は腐っているのさ。だからこそ日ノ本ではその腐った匂いを一掃することが出来る力。武家がここまで力を持つことを民が認めているのさ……ただ、力そのものに酔いしれて自らを腐らせている武家も多いがな」

 「違いない。京も鎌倉も足利周辺は酷いものだからな……」


 切実な口調の吉法師さん。

 室町周りでいろいろと見てきたのかね?

 当家も腐臭を漂わせないようにしなければな。


 「いや、話を戻そう!残りの木の皮というヤツだな。たまたま博多に入って来てた南蛮船のカピタンを飲み屋で捕まえてな、ついでに船のことも聞こうと村上家の若い衆を連れて一緒に飲み明かしたのよ。その会話の中で、船の素材集めの家の坊主が思いついたらしくてな。どうやらそのアベマキ、瀬戸内には沢山あるようで気候さえ合えばどこでも植えられそうだと言っておったぞ」

 「おお、それは有難い。勿来で根が付くか心配だがやってみるとしよう!」


 おお!これで、当面は大丈夫かな?

 松平で家を挙げて、二つも鉄砲生産ができる里を作っているというのは驚きだったが……今川、武田、伊勢の三国連合がいい塩梅に防波堤となってくれることに期待をしよう。


 「おお、そういえば大内家とか博多で思い出したが、太郎丸には伝えておかねばな。九州だが、豊前と筑前の大内領を残し、大友家が九州を制圧しそうな勢いだな」

 「大友家か……当主は誰だったかな?」


 宗麟そうりん……にはまだ改名してないよな?

 改名前の名前の方は、流石に覚えとらんよ……俺、九州人じゃなかったし。


 「ああ、名を義鎮よししげと言ったかな?年は俺の少し上といったあたりのはずだ。玄六の話だと、当主の力量も配下の力量も悪くはないらしい。だが、そのままでここまで伸長するとは、九州中の誰も想像しなかったようだな。実際に、敵対勢力が勝手に内部崩壊して、その片割れを吸収する形で勢力を大きくしていったらしい。強運の持ち主との評判だ……あとは、そうだな。城攻めに大砲を使ったらしいぞ、南蛮船から伴天連坊主の紹介で貸し出してもらったようだな。いつぞや、太郎丸が言っておった使い方だな」


 遠くの陣から、鉄球がボンボン飛んでくるとか恐怖映像だよね。

 あー、やだやだ。


 ともあれ、吉法師の話を聞いてると、大友家の九州制覇は大内家の決定的な衰退、厳島合戦の前の時期に周辺諸将と決戦する形になったのが良かったんだろうな。

 少弐家も島津家も纏まる前の内紛時代に大友家がそのまま飲み込んだと……こうなると、キリスト教勢力がどう九州に食い込んでくるかが懸念材料だね。


 ヨーロッパから極東にまで艦隊なんぞを送れるものではないけれど、数隻の派遣艦隊規模、そこの誰かが野心を抱いて、極東で軍閥化……とかが悪夢のシナリオだな。

 巻き込まれても跳ね返すことが出来る程度の力をつけなくちゃな。


 と、あれ?九州がそうなると……。


 「なるほどな。そこで一つ思いついたのだが、大友家が九州の人々が予想もしない形で全土を制圧しそうなら、大友家に対して面白くない感情を抱いた鍛冶村とかないのか?なんといっても火縄銃は九州が本場だ。東国よりも生産拠点は多いのではないか?中には大友家の手垢が付かない村とかありそうだと思うんだが?」

 「ん?言われてみれば可能性はありそうだな。どうやら、堺や国友などの形でしか思い描いていなかったが、その通り、九州は本場だ。小規模な工房や反大友色の鉄砲鍛冶がいても不思議ではないな……よし、博多に行った時には、その線で探してみよう」


 どうやら、次回の吉法師の博多からの帰還、大勢の人々が積荷となっていそうな雰囲気だな。


 「と、いかんいかん!大事なことを依頼し損ねておった。阿南がどうしても勿来で自由にかすてーらが食べたいと珍しくお願いしてきてな……ついては砂糖を領内で作れぬかと考えた」

 「なに?砂糖だと!!あのような高価なものが勿来で作れるようになるのか?!」


 おやおや、吉法師君が商人モードに変身したね……。

 いいよ、その食いつき。実に新産物チャンスを感じる。


 「ただ、原料の入手が難しそうでな……いつになく今回は難問だが、是非にとも吉法師にはこの作戦に成功し、勿来に砂糖の種を持ち帰って欲しい!」

 「ふん。挑発してくれるわ。よかろう。砂糖は相当な高値で売れるからな、そこまでの大商いの可能性がある産物、まずは材料を持ってくることから始めてやろうではないか!」


 うむ。ありがたい!


 先ほど吉法師がなぜ銭を儲けなければいけないのか、その理由を教えてもらったところで、家庭内の欲望そのままのお願いをするのも心苦しいが……止むえない。

 阿南の笑顔の為なら、俺はどんなことでもして見せよう!


 「砂糖の材料になる作物に甜菜というのがある。ポルトガル語で「ベテハバ」、スペイン語で「レモラチャ」、イングランド語で「ビート」だ。ただ、こいつが砂糖になることは未だに広く知られていないのだ。ゆえに、世界中のどこを探してまず売ってはいない。ただの家畜用の餌だからな」

 「家畜か……大陸や南蛮では肉を食べるために牛などを育てていると、伴天連坊主も言っておったな……その餌か。しかし、そうなると日ノ本の俺が探し求めるにはいかにも不自然だぞ」


 その通り。


 「そこで、一計を案じた。先ほどの大陸からの陶工集団の中に料理人を混ぜることは出来ないか?筋書きとしては、その料理人が肉を食いたがる。だが、日ノ本では肉食の家畜はいない。だから、大陸から持ってくる。次に、家畜を持ってきたは良いが餌が無い。ゆえに甜菜を持ってくる。という構えだ」

 「なるほどな。なんで必要かと問われれば、家畜を育てたい大陸人が持ってこいと言っていた、とでも言ってしまえば良いな」

 「ああ、次いで本当に家畜の飼育も進めたいぞ?日ノ本で肉食は珍しいが、獣肉は食ったりするだろう?その延長線上で食用の家畜を育てる里を作りたいのだ。なんといっても獣肉は体に良い。蝶殿の病を治すためにも必要だと思うぞ」


 帰蝶の治療のため、これは嘘ではない。

 ただ、それ以上に俺が肉をもっと食いたくなった!

 小さいときはそうでもなかったが、大きくなればなるほどに肉が食いたくなって来たんだよ。


 「お蝶のことを出されると断りにくいではないか……まぁ、良い。五年後の俺の自由の為にも、太郎丸には大きく儲けられる産物を生み出し続けてもらわねばならんからな」


 ともあれ、吉法師の了解がとれてよかったよ。

 これで、肉と砂糖が近づいたね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る