第50話

 カフェでメイドさんをするのは楽しい。何しろ色んな人がやってくる。ご令嬢であるからヴィオラは基本オーダーをとるだけだ。ヴィオラの細腕で食事を運ぶなんて難しいし、何より熱いものを運んでうっかり火傷なんてしては一大事だからだ。

 ただ、たまにワゴンを押して注文された食事を運ぶことはある。大抵はアルベルトのためだけれど。

 今日のアルベルトはなかなか忙しいようで、ひっきりなしに書類を手にした商人らしき人たちがやってきていた。だから、ヴィオラは邪魔にならないようにそっとハーブティーを置いてきた。頭がスッキリするように、ヴィオラが選んだのだ。


(たしか、お義兄様が忙しくしている時にイベントが発生したはずなんだけどなぁ)


 ぼんやりとした記憶ではあるが、仕事に忙しいアルベルトが見ていない隙に、誰かが突然やってきて、ヴィオラのことを連れ出してしまうのだ。困ったことに、その誰かを思い出せない。


(カフェだから有り得るのはイヴァンなんだけどなぁ)


 カフェで遭遇したことがあるのはイヴァンだけだ。ほかの人たちはカフェに来たことがない。だから、こうしてヴィオラがメイドさんの格好をしているなんて知るわけが無いのだ。

 ヴィオラはぼんやりと通りを歩く人たちを眺めていた。光の関係で、外を歩く人たちは店内の奥にいるヴィオラの姿を見ることが出来ない。だから、ヴィオラ目当てで入ってくる客はいないのだ。大抵、入ってきてからヴィオラを見て驚いて、注文を取りに来たヴィオラを食い入るように見つめてくるのだ。

 そんなことをする客は、もれなくアルベルトからの鋭い視線に撃沈する。もっとも、注文した料理を運んできた他のメイドが、料理をテーブルに置きながらか耳打ちするのだ。「名前はヴィオラ・セレネルですよ。それでも親しくなりたいと?」その後客は静かに食事をして帰っていくのだ。味なんて分からないものが大半だろう。

 この日もヴィオラがほかのメイドたちと茶葉について話をしていると、随分と元気よく入ってきた客がいた。


「いらっしゃいませ」


 従業員たちが一斉に出迎えの声をかけ、メイドの一人が席を案内した。そうしてメニューを開いて立ち去ったのに、直ぐにコールをしてきたのだ。


「メニュー見てないよ、絶対」


 皆が小声で言うけれど、呼ばれたからには行かなくてはいけない。コールの仕方がカフェのそれではなく、居酒屋か大衆食堂のそれに近いのが嫌な予感に拍車をかける。


「ご注文はお決まりですか?」


 ヴィオラがにっこりとか笑いながら声をかけると、客はヴィオラを見るなりニヤリと笑って口を開いた。


「酒に決まってんだろ」

「お客様、あいにくこちらではお酒の提供はしておりません」


 ヴィオラは即答した。ないものは無い。この雰囲気の中で酒が出てくると思っている方がおかしいと言うものだ。客の半分以上は女性で、男性客はもれなく同伴者だ。男だけで着座しているのは、今ヴィオラが相手をしているこの客たちだけだ。


「釣れねぇこと言うなよ。チップは弾むからよ」


 客はそう言うとポケットからコインを出てきたけれど、ヴィオラはすかさず口を開いた。


「伯爵様より十分に良くしていただいておりますのでお断り致します」


 ヴィオラがあまりにもハッキリキッパリと言い切ったものだから、客は口を半開きにしたまま声がでてこない。だから、ヴィオラはゆっくりと待った。もちろんヴィオラがただ立っているだけで威厳があった。

 大抵の客はその立ち姿を見ただけで、ヴィオラのことを何となく察するものだ。

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