第18話

 トーマスたちは、医師が何を言うか予想していた。

 なぜなら、自分たちはあの王子と違いそれなりに分かりあっている。


「人払い感謝致します」


 医師は丁寧に頭を下げた。

 学園に通うような年頃とはいえ、上位貴族の子弟である王子付きの医師である身であれば、当然かもしれないけれど。


「怪我の具合は?」


 その場にいあわせたダニエルが食い気味に聞いてくる。まぁ、あの勢いで殴られたのを見れば心配にもなるだろう。


「左のまぶた切っていますが、皮膚の上の辺りだけなので直ぐに治るでしょう。殴られたあたりも骨に異常は見当たりませんでした」


 淡々と言われて安心すると同時に、トーマスは時間のかかりすぎた処置に疑問をいだいた。自分の予感が当たっていれば、医師の口から聞かされるはずだ。


「非常に申し上げにくいのですが…」


 医師が言葉を濁すような言い方をしてきた。


「知っている、言ってくれ」


 トーマスは、続きを促した。


「はぁ、左様でございましたか。では、あくまでも、可能性ということでお伝えします」

「ああ、そうだね。まだ確定ではないのだね?」


 トーマスがそう言うと、残りの二人の肩がピクリと動いた。


「はぁ、そうなのですが、可能性としては非常に高いので」


 医師はそう言うと覚悟を決めて言葉を発した。


「ベンジャミン嬢は、おそらく妊娠しております」




 医師はアンジェリカ本人には伝えていなかった。

 怪我をした上に、そのようなことを伝えては心の動揺が強くなるだろう。それに、未婚の女性である。しかも貴族の。どうしたらいいのか分からなくて、医師は王子の側近候補たちに助けを求めたのだ。

 意外にも、彼らは落ち着いた様子で話を聞いてくれた。その後取り乱す様子もなく内密の話として頷いてくれた。

 医師が安心して退出をすると、廊下に近衛騎士が立っていた。驚きのあまり硬直していると、


「ベンジャミン嬢を診断したのだな?」

「はい」

「ご同行願いたい」


 断れるわけが無い。

 医師は心のどこかで分かっていた。王子がとんでもない地雷を踏んだことを。そして、それは、自分の目の前に飛んできたのだ。

 扉の向こうにいる彼らに気づかれないように、医師は近衛騎士の後を静かについて行った。逃げることが出来ない以上、何としても自分の地位を無くさないように尽力するしかない。つまりは、自分の仕える相手に包み隠さず話すことだ。

 医師はひとつの決断をして開けられた扉の中に入っていった。


(私はまだ死にたくないのだ)


 医師の心のつぶやきは誰にも届くことはなく、重い扉が静かにしまった。



 ​───────



 そうして、アンジェリカの知らない物語が動き始めたのである。覚醒していなかったヴィオラは、無意識にゲームとは違う行動を少しづつ行っていた。そのほんの少しづつの積み重ねが、小さな綻びを作り、そうして、ついにはゲーム補正も及ばないほどの大きな綻びを作り出してしまったのだ。

 だから、こうして騎士たちが攻略対象者たちを迎えに来るなんてイベントはゲームにはなかった。まぁ、そもそも既に現段階がエンディング後になるわけだから、もはや誰も知らないことなのだ。

 だからこそ、寝たフリをしているアンジェリカは何も対処できないでいたし、扉の外に騎士たちがいて、トーマスたちは対応に困惑したのだ。

 上位貴族の子弟である彼らは、不遜にも不機嫌な顔になった。が、扉を開けたのが近衛騎士であったため、驚愕の顔をするしか無かった。


(どういうことだ?)


 ヴィオラを捕えるために騎士に連絡をしたはずだが、なぜここに近衛騎士がやってきたのか。報告をしに来たのなら、ノックぐらいするだろう。ダニエルは訝しんで近衛騎士を見た。

 ところが、やってきた近衛騎士は一人ではなかった。四人はやってきて、威圧的な態度をとった。

 近衛騎士の中にはそれなりの爵位を持つ家庭の子弟もいるはずだが、公爵家のトーマスがいるのにこの態度とは?

 ダニエルはチラリとトーマスを見たが、トーマスは無表情で何を考えているか分からなかった。


「ご同行願いたい」


 先程の医師と同じように三人は案内されるがままに廊下を歩く。だがしかし、彼らはあの医師が自分たちより先にこのような扱いを受けていたことを知らない。そうして、違うところと言えば、一人づつ違う部屋に通された事だろう。しかも、通された部屋が離れている。


(どういうことだ?)


 通された部屋を見て、トーマスは疑問しか無かった。どう見ても客間ではない。調度品が簡素で、花瓶や蝋燭が置かれていなかった。窓も開けられないようにはめ殺しの窓になっていた。


「暫くはこちらの部屋に滞在していただくことになります」


 近衛騎士にそう言われ、トーマスは無言で頷いた。質問をするだけ無駄なことが雰囲気で分かった。


「分かりました」


 そう答えつつ、トーマスは若干絶望していた。アンジェリカを城に運び込まなければこんなことにはならなかっただろう。計画が破綻しそうなのは、脳内お花畑のアルフレッドのせいだ。王子のくせに深く考えずに行動をするから。女に溺れるようでは、王の位は上手くいかないだろう。

 アルフレッドがコケれば自分もコケる。それは、側近候補とされた時から分かっていた。


「分かっていたはずなのにな」


 トーマスは、半ば諦めていた。他の二人がどこまでわかっているかは知らないが、アンジェリカはやらかしてくれたのだ。


「個別にされたのは、口裏をあわせさせないためか?」


 トーマスは分かっていた。一応、王子であるからアルフレッドに遠慮してアンジェリカにはあまり触れないようにしていたが、アルフレッドのいない所ではスキンシップが過剰だった。

 何しろアンジェリカは転生者である。この世界の常識を持ち合わせていなかったのである。



 城内が静かな騒ぎになっているとは知らずに、残されたアルフレッドは眠っているアンジェリカの髪を優しく撫でていた。


「父上の公務が終わったら、アンジェの部屋を用意してくれるようお願いするよ」


 アルフレッドはこれからはじまる二人の未来に、なんの疑いも抱いてはいなかった。

 こんなことをしたヴィオラとは、当然結婚なんてできる訳もなく、アンジェリカを虐げた凶悪な女である。罰を与えて修道院にでも放り込みたい思いがある。


「私に婚約破棄を言い渡されて時点で傷物だがな」


 王子の婚約者であった身分が無くなれば、ヴィオラはただの侯爵令嬢だ。婚約破棄をされるような令嬢は傷物だと下げずまれるような貴族社会において、頂点に立つ王族からの婚約破棄をされたヴィオラを娶りたいと思う者がいるだろうか?


「下衆な下級貴族か好色爺が関の山だな」


 アルフレッドはヴィオラの行く末を想像して愉快な気分になった。愛するアンジェリカを、傷つけたのだから明るい未来などあってはならない。

 それを考えて微笑み、アンジェリカの髪をまた撫でる。

 その時、控えめに扉が叩かれた。

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