第10話

 国境を超える際、馬車のカーテンを開けて顔を見せただけですんなり通して貰えた。

 ヴィオラにとっては初めての国境越えだってので、それが正解なのか、まったく分からなかった。馬車の後ろにはトーマスたちの騎馬が着いてきていた。よく分からないけれど、御者が何かを見せていたのは確認できた。

 みな、検問の兵士と少し会話を交わしただけで、そのままヴィオラの馬車に続く。


(騎士の鎧が通行手形みたいなもんか)


 ヴィオラは後ろをしばらく後ろを眺めたあと、カーテンを閉めた。


「着いてきますのね」


 神に祈る気持ちで口にした。

 国外追放なのだから、ここでもう別れてくれてもいいのに、トーマスたちは着いてくる。


(しばらく森が続くじゃん、今度こそ殺されるよー)


 トーマス以外の騎士がまともなことを祈るしかない。ヴィオラは閂にしっかり紐を括りつけて、不安な森の中を早く通り過ぎる事を祈るのだった。



 隣国には入っているのだろうけれど、まったく実感はわかない。何しろ森だし。

 見える景色はひたすらに木、それしかない。なにか動物がいるとか、そんなこともない。馬車が音を立てているから、野生動物はその音を警戒して近づかないのだろう。木々が生い茂り、そのせいで昼間なのに暗い。十分に不安になることこの上ない景色ではある。


(こーゆーところこそ、賊も出やすいし襲うのに最適じゃん)


 ヴィオラの頭の中は、トーマスに殺される。って言うことで一杯になってきていた。

 しかし、トーマスはそんな素振りはみせないし、他の騎士たちも馬車からの一定の距離を保ち続けている。

 護衛としてそのような配置なのだろうけれど、ヴィオラにとっては気が気ではない。もしかしたら、ふとしたはずみで木々の中に消え、次に現れたら賊の姿で斬りかかってくる。なんてことがない。とは言いきれない。ヴィオラは落ち着かなくて、日記の読み返しも出来ないし、寝ることも出来なかった。

 扉の紐を再度確認し、前後の騎士の様子を伺う。

 けれども、困ったことにどれがトーマスなのかさっぱり分からなかった。


 森が終わりかけてきた頃、所々に石造りの壁らしきものが点在し始めた。戦の名残なのかもしれない。

 見張り台のようなものがあり、その屋根には紋章が施された旗がなびいていた。


(知らない紋章だなぁ)


 ヴィオラの、記憶にない紋章だった。王太子妃教育で覚えた隣国の国旗は直ぐに分かった。しかし、もうひとつの紋章がわからない。おそらくこの地を治める領主のものなのだろう。近隣諸国の有力貴族の紋章は一通り覚えたはずなのに、なぜこの紋章を記憶していないのだろう。


「国境付近だから、辺境伯?」


 実はヴィオラは地理に疎かった。隣国の首都に行くルートと、今回の国外追放のルートが違うことに気づいていなかったのだ。

 国の外れの地域を移動していたため、賊も出てこなかったわけなのだが、鬱蒼とした森を抜けたりしたので、気分的には国外追放という罰に相応しい道中と印象づいてしまった。隣国の首都に向かうルートなら、賊も荷物を狙うメリットがあるのだが、辺境伯の領地に向かうルートでは、賊も荷物を狙うメリットは何も無い。ただ、危険な行為をするだけで、見つかれば即兵士に斬られるという危険しかないのだ。


(町も村もなくて、砦なんだ)


 あちらとこちらの違いにたた感心するだけで、ヴィオラは目的地がまるでわかっていなかった。

 もちろん、あえてヴィオラに教えていないだけなのだが。

 そもそも、国外追放と言って、国境を超えたあたりで適当に放置とか、そんなことが出来るはずもない。然るべき場所に送り届けられるわけなのだが、ヴィオラが、罪状を読み上げられていた時、あまりのことにきちんと話を聞いていなかった事が、全て悪いのである。

 簡素な砦には、きちんと兵士が居た。

 そうして、ヴィオラは景色が変わったことにようやく気づいた。


(あれって、海?)


 先の先の景色が何も無く、地平線と捉えていたが、そのあまりにも開けた景色は、前世で覚えのえる海の景色だった。


(防砂林は松が定番だったけど)


 ずっと通って来た森が、防砂林の代わりだったのでは?と考える。


(う、海、見たいっ)


 多分、砦の見張り台に登れば、海の景色が一望できるだろう。けれど、ヴィオラは国外追放の最中で、そんなことが言える立場ではなかった。

 馬車はゆっくりと、砦の中を移動していた。

 ヴィオラは、カーテンを少しだけ開けて様子を伺う。帯剣した兵士が行き交う中、馬車は狭い通路をゆっくりと進む。

 そうして開けた場所に出た時、そこは居住区になっていた。


(ま、町だぁ箱庭みたい)


 ぐるりと城壁に囲まれた居住区は、箱庭のように一つ一つが区切られていた。店は1箇所に集中し、住宅街があり、その先に牧場が見えた。


(動物園みたい)


 ゲートの先に見える牧場は、ちょっと動物園のような趣だった。石造りの砦の中に、木材で作られた牧場。ヴィオラの乗った馬車は、その牧場に入っていった。

 一瞬、なんで?と思ったが、馬を休ませるためなのだと直ぐに理解した。トーマスたちの馬も繋がれて、草をはみ水を飲んでいる。トーマスたち騎士は近くの建物に入ってしまったが、ヴィオラはまだ馬車の中にいた。

 御者が声をかけて来たので、ヴィオラは返事をして、ゆっくりと扉を開けた。


「昼食なのですが」


 御者がそう言ったので、ヴィオラはバスケットに目をやった。


「座って食べられるかしら?」

「あ、ああ、そうでした」


 宿屋の女将が昼食の用意をしてくれていたことを、御者はすっかり忘れていたらしい。


「ごめんなさい。あの建物には入りたくないの」


 ヴィオラがすまなそうにそう言うと、御者は理解してくれたらしく、さくの外にあるガゼボにヴィオラを案内してくれた。


「こちらは?」


 ヴィオラは、勝手に施設を使うのは大丈夫なのだろうか?と少し心配した。何しろ、他国に来ているのだ。粗相をする訳には行かない。


「こちらの砦にある休憩の場所です。テーブルもあるのでちょうどいいのですよ」


 御者は、勝手知ったるなんやらの体で、バスケットをテーブルに置き、昼食をさらに盛り付けてくれた。今回は、キッシュにローストビーフ、野菜の酢漬けが入っていた。とりわけまで御者にやらせてしまい、ヴィオラは申し訳なくなった。


「ごめんなさい。私がやるべきでした」


 ヴィオラがそう言うと、御者は、滅相もない。と大袈裟に首を振った。

 なぜか御者は、自分の分をもつとガゼボから出ていってしまった。

 一人残されて、ヴィオラは仕方がなく小さな声で食事の挨拶をし、食べ始めた。

 公爵領の宿屋だったからだろうか?とても上品な味わいで、ヴィオラはあっという間に食べてしまった。


(いささか、はしたないかも知れないわね)


 水筒のハーブティーを飲み干すと、爽やかな満足感が溢れてきた。


「ここが国外追放の目的地、とか?」


 ふと、自分の処遇について考える。

 国外追放で、ここは最初の町のようなものだ。一応、人々が暮らしているので、生活は成り立つ。ヴィオラにも仕事がありそうだった。

 騎士たちが建物に入っていったのは、手続きのためなんじゃないか。と、考え始めた時、ふいに小さな子どもがヴィオラの前に走ってきた。


「おねーちゃん、だーれー?」


 子どもは無邪気に聞いてくる。

 一応、王太子妃教育で、こちらの国の言葉を習っていたヴィオラは、直ぐに子どもの言うことが理解出来た。


「名前を聞いてくれているのかしら?」


 小首を傾げてそう言うと、子どもは満面の笑みを浮かべた。


「僕はねー、アルトだよ」

「僕はケイン」

「ありがとう。初めまして私はヴィオラよ」


 どこから走ってきたかは知らないが、ヴィオラの馬車を追いかけてきたのだろう。


「あの、黒い馬車に、乗ってきたの?」


 子どもは無邪気に停められている馬車を指さした。

 おそらく、あの手の箱馬車は珍しいのだろう。

 砦に物資を運ぶなら幌馬車あたりだろう。1つ年下の弟はいたけれど、小さな子どもと接し慣れて居ないヴィオラは、どうしたらいいのか分からず、「そうよ」とだけ答えた。

 子どもは決してヴィオラに触れようとせず、それでいて、物珍しげに不躾に眺めてくる。長い髪を縛らず、裾の長いドレスを着た年頃の女性は、おそらく砦には居ないのだろう。ヴィオラぐらいの歳の女性がいるとしたら、砦の兵士の世話をする侍女や、牧場で、動物の世話をしていたり、店で働いているだろう。そんな人たちはヴィオラのような格好はしていない。または、学校に行っているとしても、やはりこんな服装はしていない。

 ヴィオラが困り果てていた頃に、ようやく御者が戻ってきた。


「これは、これは」


 御者が何かを言おうとすると、その前に子どもは走って逃げてしまった。


「おやおや」

「叱られると思ったのかしら?」


 ヴィオラがそう言っても、御者は返事をしてくれなかった。食器をバスケットに片付けると、出発の支度をヴィオラに促すだけだった。

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