第9話

 宿屋の廊下を歩くライオネスを追いかけて、トーマスが小走りになる。

 階段の踊り場で、ようやく追いついた時、ライオネスはしっかりとトーマスを、見据えた。


「もちろん、ヴィオラ嬢の事情は知っているよ」


 いきなりそんなことを言われて、トーマスは言葉に詰まった。


「トーマスくん、


 ライオネスは笑って言った。

 だが、言われたトーマスの顔は青ざめた。


「ど、どういう…」


 立場的に、はずのライオネスとトーマスであったが、どうにも完全にトーマスの方が分が悪いのは確定だった。


「君たちが、ちゃんと知っているよ」


 言われてトーマスの、顔はますます青くなった。いや、白くなったのかもしれない。


「心配しなくてもいいよ。僕はもうじきこの地を治めることになる。ヴィオラ嬢には不都合はないと思うんだ」


 トーマスには、何とも答えにくいことだった。


「だから、伝えておいてくれよ」


 そう言って、ライオネスはトーマスの肩を叩くと、そのまま宿屋を後にした。

 残されたトーマスは、今のことを伝えるべきか大いに悩んだ。



 ライオネスが宿屋をあとにするのを、ヴィオラは窓から眺めていた。

 王太子妃教育を受けていたから、大体のことは知っている。ライオネスは次期ウィンダー公爵だ。世代交代のために、色々とやっていることは知っているし、二十代半ばであるのに婚約者がいないことも知っている。

 アレが大人の余裕でなく、ヴィオラの事情を知っての発言だとしたら、だいぶ困る。


(あちこちに色んな意味で恩を売ることになるわよね)


 誰かに聞かれたら困るので、口には出さない。

 けれど、ヴィオラは誰かに救ってもらうわけにはいかないのだ。罪人として、ちゃんと国外追放されなくてはならない。

 でないと、トーマスに何をされるか…

 その日、ヴィオラは溜息をつきながら一人で晩餐を食べた。給仕をする女将は、色々頭の中で想像はするものの、何も話せないまま部屋を後にするのだった。



 ライオネスは、邸の書斎で改めて手紙を読んでいた。

 封筒には蜜蝋が施されていた。信書という形で届けられたが、内容は驚くと同時に呆れる内容だった。

 若さゆえの過ち。と、片付けるにはとんでもないことになっているらしく、1ヶ月もかかったのは納得した。そして、その1ヶ月かかったおかげで、更なる問題が発生し、トーマスがあのようにヴィオラの後を着いて回ることになったのだが、その事実をヴィオラは知らない。

 憑き物が落ちたかのように、可憐な少女は愛らしく微笑んでいた。自分と対面した時は必死で仮面を被ろうとしていたけれど。


「なかなかに面白い」


 手紙をしまい込み、ライオネスはカレンダーで日付を確認した。

 ヴィオラの移動は随分とゆっくりとしている。

 あえて、時間をかけているのがよく分かった。トーマスたちを王都から遠ざけたい。そんな大人の思惑が見て取れる。

 可憐な少女は自分の価値を知らないのだろう。

 旅の目的地で真実を知らされた時、何を思うのだろうか?


「禁止はされていないのだから、構わないのだろうな」


 ライオネスは、小さく笑った。

 自分の置かれている状況に悲観するわけでもなく、強い意志を持ったあの瞳。

 欲しいと思ったのは嘘ではない。

 手に入れれば、王都でかなりの戦力になるだろう。侯爵に恩を売ることだってできる。いや、王家に、だ。


「都合をつけるとしよう」


 ライオネスは執事を呼んで、予定の変更をするのであった。



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