第8話

 国境に近づいたのだろうか?

 街道の石畳の作りが変わった気がする。

 馬車の揺れが小刻みになった。

 窓から見える範囲に兵士の姿が見て取れる。

 国境前の最後の街になるのだろう。

 チラチラと城が見えた。

 そこにはためく紋章をみて、ここが誰の領地かすぐに分かった。さすがは王太子の婚約者として教育を受けてきただけはある。国内の貴族の紋章を全て記憶しているのだ。それだけではない、ヴィオラの記憶の中には、国外の主要貴族と王族の紋章も記憶されていた。王太子妃になるための教育の賜物なのだが、前世のオタク根性も一役買っている気がしてならない。


 国境付近にある公爵領だ。万が一に備えて、街は高い塀に囲まれ、騎馬が通れるように道幅は広い。

 国境に近いからか、街中の活気は王都に引けを取らなかった。街中に並べられる品物は、隣国のものも沢山ある。王都では見られない布地のドレスを見て、ヴィオラの心は踊っていた。


(国境を越えられれば、もうトーマスはいなくなるはず。公爵領で私を殺すとかないわよね)


 馬車の後ろには、相変わらず騎士が着いてきていた。街中のせいで、馬車もゆっくりと進んでいる。

 紋章の入っていない見た目は質素な箱馬車は、別段気に求められないが、後ろから着いてくる騎馬のせいで、街を行き交う人々からの視線が来ている気がしてならなかった。


(ここにも噂は流れているのかな?)


 学園で起こったこととはいえ、騒動に王太子も絡んでいる。平民の耳には届かなくても、この地を治める公爵の耳には届いていることだろう。なにしろ罪人が通過するのだ。ヴィオラが正しく国外追放されたことを見届ける事だろう。


(大丈夫、私は平民)


 曲がり間違っても公爵に見つかりたくはない。その夫人や娘なんかがいたら、いい笑い者だ。なにしろヴィオラには大したドレスかないのが現状だ。黙ってヴィオラが出ていくのを見てくれればそれでいいのだ。

 王太子の婚約者から転落した侯爵令嬢なんて、鼻で笑われるに決まっている。しかも、殺人未遂をおかして断罪されたなんて、恥ずかしいったらありゃしない。

 街中の景色を眺めたいけれど、ヴィオラは我慢してカーテンを閉めた。


 国境最後の街にして、公爵領だけに今夜の宿は立派だった。


(一泊いくらするんだろう?)


 ヴィオラはふと考えたが、相場が全く分からない。

 なにせ、今まで泊まった宿代は、全部御者が払ってくれたのだ。

 本当に、ヴィオラは罪人なのか?改めて疑問に思うのである。

 お風呂に入るには早いし、昼寝をするには遅くて、ヴィオラは手持ちぶたさに困っていた。

 今までの宿屋もいい部屋だったけれど、さすがに公爵領の街である。宿屋の格が違った。

 客間とダイニングと寝室に別れていたのである。


(いわゆるスイートルームってやつ?)


 ヴィオラは退屈はしていたけれど、豪華な部屋に興奮して、とりあえず気持ち的には暇ではなくなった。

 それに、夕焼けに染る街の風景は美しかった。王都と違い、街の外に広がる自然の美しいこと。自然と調和した美しい景色にヴィオラはしばし見とれていた。

 そんな時、ドアが来客を告げる音をたてた。


(お風呂にしては早くない?)


 晩餐の時間から逆算しても、お風呂には早すぎる。


「お客様がお見えでございます」


 女将がそう告げた。


(えーーー!!聞いてないよって、か、誰よ?)


 ヴィオラは、大いに慌てた。


「聞いてないわ」


 ヴィオラは自分の予想以上に冷たい声が出て、驚いた。侯爵令嬢として培ってきたものが出たのだろうか?


「窓からあなたの姿が見えたので、少しお近ずきになりたいのです」


 聞いたことがない男の声だった。

 明らかに高層階の、お高い部屋に泊まるヴィオラの姿を見て、お近ずきになりたいなど、まぁ、要するにナンパだ。

 正面切ってお断りしたい所だけれど、女将が直々に連れてきたとあっては断りにくい。この街で、それなりの、有力者である可能性が高そうだ。


「どちら様?」


 ヴィオラをヴィオラと知ってのことなのか、そうでないのかで対応が違ってくる。


「ウィンダー公爵家のライオネスと申します」


 ある意味当たりだった。


 仕方が無いので、本当に仕方が無いので、ヴィオラはライオネスを部屋に通した。

 それで、本当に仕方がないので、トーマスを呼んだ。一応、騎士の格好をしているし、ヴィオラの事情を知っている唯一の人物だ。

 ヴィオラのことがどこまで知れ渡っているのか分からないので、事情の分かるトーマスを傍において、監視をしてもらうことにしたのた。罪人かもしれないけれど、ヴィオラが淑女であるという証は必要だ。平民落ちしたかもしれないけれど、父である侯爵の名に恥じぬ行動をしなくてはならない。それがヴィオラの矜持でもあった。


 トーマスは、学園で見ていたのとは違い、だいぶ無表情だった。

 口を真一文字に引き結んで、手を後ろに組んで仁王立ちをしている。肩書きだけなら、ライオネスと互角になるのではないだろうか?確か、トーマスも公爵の令息で、王太子の側近候補だったはずだ。

 ライオネスの方が歳上なのがよく分かる。

 落ち着いた物腰、こういったことに場馴れしているのだろう。街で一番の宿屋に泊まる客をチェックしていると思われた。

 格の高い宿屋に、小娘が一人で泊まるなんて、興味を引かないわけがない。まして、見た目は質素な箱馬車でやってきたのだ。


「ヴィオラ嬢はおひとりで?」


 分かりきったことを聞かれて、ヴィオラは答えに詰まった。扇を持っていないから、口元を隠すことも出来ない。困ったものだ。


「ええ、見ての通りですわ」


 視線を合わせるのは得策ではない。ヴィオラはあえて視線を逸らして会話をした。


「よろしかったらご一緒に晩餐などいかがです?」


(着いてそうそう、そんなことできるかぁ!)


 涼しい顔で無茶を言うライオネスに、ヴィオラは心の中で盛大に突っ込んだ。

 それに、傍らに立つトーマスの顔が若干引きつったのが分かった。


「申し訳ございません。一人旅なもので、ドレスの用意がございませんの」


 今度も、思いのほか冷たい言い方が出来たと、ヴィオラは内心ほっとした。


「そうですか、ではまた近いうちに晩餐に招待させてください」

「左様ですか」


 ヴィオラは、とにかく目線を合わせないように必死だった。ヴィオラをヴィオラと知っているとしたら、王太子の婚約者であることぐらい…いや、破棄されたのだけれど、知っているのだろうか?

 もし、全てを知っていてこんなことを言っているのだとしたら?

 トーマスをちらりと見たが、目線があっても何も言ってはくれなかった。

 味方がいないというのは、こんなにも心許ないものだとヴィオラは改めて実感した。


「近いうちに、またお会いしましょう」


 ライオネスは笑顔でそう言うと、素直に退出してくれた。

 女将がドアを閉めてくれるのと同時に、ヴィオラはヘナヘナと力が抜けていった。


(なんなの?どーしろって言うの?)


 ヴィオラの、立場を知っていたら、あんなことは言わないはずだ。それとも、ヴィオラの父である侯爵に恩を売りたいとか、そう言う思惑があるのだろうか?

 自分のことがどのように広まっているのか全く分からないヴィオラは、ただただ防戦するしか無かった。

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