第九話・臨界点(C)

 学校の襲撃から静町は一変した。朱塔の部下が数人、静町に常駐することになったのだ。

 影の七星に関する事件はすべて決着をみたが、静町は平和となったわけではない。むしろ緊迫していた。規制線がはられ、区政との対立にも拍車がかかった。

 ヨモギは、どことなく空気の重い町を、まっすぐな姿勢で歩いていた。

「志乃原、少しいいか?」

 道を歩くヨモギに話しかけてきたのは菊池だった。

 学校は襲撃の日から休みになっている。だが、町のものものしい雰囲気にのまれて、遊びまわる生徒は少ない。出歩いているヨモギの方が珍しいぐらいだ。

「おはよう。もう大丈夫?」

「俺はなんともないさ。でも……」

「中井さんと、あのー、天野くん、のことでしょ?」

「ああ」

 ヨモギは菊池が悩んでいることをわかっていた。

「仲間はずれにされた?」

「おい、そういう直接的な表現はやめてくれよ。耳が痛い」

「あ、ごめん」

「ふっ! まあ、別にいいんだけどよ。同級生売ろうとしたんだから……ああ、まず、それを謝らないとな。すまなかった、志乃原」

「いいよ。あれでよかったとわたしは思う。わたし達は、ああできなかった。本当は、ああすべきだったのに」

 ヨモギは考える。菊池は自分と同じだ。

 天野やシズと一緒にいながら、彼らにある言い知れぬ不安定さを菊池は感じていたのだろう。

 だからこそ、ヨモギは菊池を頭のいい人なんだな、と思っていた。

「あんな卑怯なので、合ってるのか?」

「どうかな。わからない。けど、わかってるんでしょ?」

「……俺はなんの力もないからな。ああする以外になかった。本当に、情けない話だよ」

「優しいね、菊池くん」

「なにがだよ?」

「自分だけじゃない。みんな無力なんだけど、人のせいにしない。自分が泥をかぶるのを覚悟して、汚いことした」

「…………」

 自分が、チホがわからなかったことを菊池は理解しているのだ。菊池の行動は誰かを思い出させる。

「ねえ、菊池くん」

「ん?」

「フォールのこと、どう思う?」

 菊池に聞いてみたくなった。

「うーん、本音で言っていいんだよな?」

「もちろん」

「あいつは、正義の味方だから戦ってるんじゃない」

「うん」

「信念。いいものか悪いものかはわからないけど……あれは、そう、信念だ」

 答えを聞いて顔が弛緩しかんする。やっぱり菊池に聞いてよかった。ヨモギはそう思った。

 疑問は残ったままだが、それでも、ここから先を菊池に望んでも仕方ないことだ。

「でも、そうだな……もとは、信念が、あったんだと思う。そういう言い方が正しいかもしれないな」

「……もとは、あった?」

「うん。たぶんな、今フォールが戦ってるのは、信念だけじゃない。執念なんだと思う」

 菊池の答えにヨモギは驚いた。

 そうだ。鉄ヶ山には、道義より、信念よりももっと深いものがある。だから、ああも虚無なのだ。

 自分を捻じ曲げることがどれほどのことなのかは、ヨモギもよく知っていることだ。

「なあ、志乃原」

「うん?」

「おまえってさ、フォールと知り合いなんだよな?」

「えっと……」

「いや、いいんだけどさ。なにがあったかなんて無理に聞きゃしない。たださ、フォールの執念って、もしかして、おまえに向いてるんじゃないか」

「そ、んな、わけ」

「だってよ、あのハンスとかいうのが言ってたじゃん。フォールをおびき出すために志乃原を呼べって」

「違う、それは、区長の事件のとき、あそこにいて、それで、わたしは狙われ、ん? あれ?」

「だからさ、七星がおまえを狙うってんならわかるよ。区長疑惑のときも、もしかしたらそうだったのかもしれないってのも聞いてる。でも、前のはそうじゃないだろ? おまえを狙ったらフォールが来るから狙われたんだ。おまえ狙ってるのって、むしろフォールの方だったってことじゃん」

 ヨモギはいてもたってもいられなくなった。

 赤くなっていく顔を菊池に見られたくなくて、誰にも見られたくなくて、ヨモギは走り出した。

「あいつバカだな。そういう意味じゃないのに」

 菊池が笑う。

「でも、その方がいい。これはこれで間違いじゃない」

 菊池はどこかすっきりした表情でヨモギを見送った。

「仕方がないことかもな」

 いつか話そう。わかってほしいから。どうせ、わかってもらえなくてもともとだ。

 友人を失ったことはそう考えなければならないことなのだろうな、と菊池は思えた。

 ヨモギを見ているとそう思えた。

「鉄ヶ山さんにも聞いてみたいね」

 鉄ヶ山の話題は、今ではヨモギのクラスでの一種のタブーとなっている。

 鉄ヶ山の正体がばれたわけではない。だが、その行動をいぶかしむ者がいて、もしかしたらという恐怖があったからにすぎない。

 そして、だからこそ菊池にはわかった。

 ヨモギは鉄ヶ山を探して歩いているのだ。どこかで偶然出会うことを期待している。

 それは、鉄ヶ山こそがフォールだからなのだ。


***


 今日もわたしはユリア先生のところへ向かう。あそこにはあの人がよく来るから。

 直接会うことはできないから、少しだけ遠回りしている。

 直接お礼を言うことはできないから、少しだけ遠回りしている。

(この遠回りの道が、赤い線であの人まで結ばれていればいいのに)

 今日も、明日も、遠回りだけど、歩いていく。

 いつからかな。こんなことを思うようになったのは。

「なーんてねっ! えへへっ!」

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