第九話・臨界点(B)

 灰色の幻と墨色の影が町を駆ける。

 彼らの像は伸びて、町の中に縄を巻きつけていくかのようであった。

「消えろ! フォール!」

 巨大な砲をハンスが放つが、鉄ヶ山には当たらない。

「そういう使い方をするものじゃないと気づけないか」

 ハンスが持つのは巨大で歪な砲だ。円錐が途中でずれたような形で砲門が見えている。

 学校から遠く離れながら、廃墟に近い無人地帯に鉄ヶ山はハンスを誘い込む。

 ハンスの飛行ユニットであるオーバウェイは、エンドローダーを超える速度を出せるものであったが、その能力を発揮するには状況が悪かった。

 彼女の持つ武器が大きすぎたことと、彼女自身のフィジカルからくる問題である。

 勝利したいのならば、ハンスは武器を捨てるべきだったのだ。

 ハンスのこの苦戦は、自分の有利を見落としていることから来ているのである。

「……勝った」

 小さな雑居ビルの中にエンドローダーごとつっこむと、エンドローダーを飛び降りて鉄ヶ山は呟いた。

 そして、ひと跳びで階段を駆け上がっていくと、窓に向かって体を投げた。

「そ、こ……!」

 外に飛び出た鉄ヶ山を目では追えているものの、ハンスは対応できなかった。

 ゴーグルの奥に光る鉄ヶ山の瞳を意識して、ハンスは恐怖した。

 鉄ヶ山はもう型に入っている。勝利の型を取った者の雰囲気を放っているのだ。

 鉄ヶ山はそのまま別の建物の窓に飛び込む。

 僅かに残っていたガラスの破片が鉄ヶ山の体について宙を舞う。

「あ! うっ!」

 鉄ヶ山が建物の合間を飛び交う。

 鉄ヶ山の姿を追って、ハンスはようやく周囲を小さなビルで囲まれていることに気がついた。

(巣だ……!)

 ハンスが連想したのは蜘蛛の巣だった。

 どこから鉄ヶ山が飛び出してくるかわからない。ここは巣なのだ。

 ビル間隠れに見える鉄ヶ山を警戒して、思わず高く飛び上がるハンスだったが、まったくの悪手であった。

 大きな駆動音がしたかと思うと、ハンスよりも高い位置にエンドローダーが現れる。そして、通り過ぎたエンドローダーの向こうに、ハンスは人影を見た。

「きゃあっ!」

 エンドローダーを盾にして、鉄ヶ山がハンスに飛び降りてきたのである。

「ふはっ!」

 バランスを崩し、落ちながら鉄ヶ山が笑った。その笑い声は冷血な怪物を思わせるもので、ハンスは怯えた。

 大きな激突音がして、地面に激突したハンスが悶える。

「悲鳴」

 落下のダメージからか奇妙な動きをしながら、鉄ヶ山が起き上がる。

「今おまえがあげた悲鳴は、おまえらがあげさせた悲鳴の何千分の一だ?」

 故障したらしいオーバウェイと、オーバウェイに接続された武器を捨て、ハンスは起き上がる。

 すぐさま二丁の巨大な銃を腰の後ろから引き抜いて鉄ヶ山に向き直ったハンスだが、戦いはそこまでだった。

 鉄ヶ山はハンスのすぐ横にいた。

 鉄ヶ山は、ハンスが捨てた武器を地面に落ちる前に拾い、砲門を閉じて、その切っ先をハンスの首に押し付けていたのだ。

 その武器は砲ではなかった。槍なのだ。

「待ってください!」

 後ろから聞こえる朱塔の声を無視して鉄ヶ山が腕に力をこめる。

「おまえの番が――」

「鉄さん!」

 朱塔の蹴りが鉄ヶ山の背中を打った。

 鉄ヶ山はなんとか朱塔の蹴りを防いだが、大きく飛ばされていた。


 体勢を立て直した鉄ヶ山が首を鳴らす。

 朱塔はアーマーと仮面を装着していた。臨戦態勢である。

 仮面を通して二人の目が合った。

「……なんのつもりだ」

「彼女は私が預かります」

「なんの意図で」

「まだ可能性があります」

「更正の余地という意味か? おまえ、正気か?」

「正気です」

「無理だ。カンパニーに擦り寄った結果なんだぞ。こいつらはゲスだ」

「カンパニーの正体を知らなかったはずです。可能性はあります」

「いい悪い両方のな。ならば芽のうちに摘むべきだ……そして、おまえもやはりカンパニーのことを知っていたか」

「彼女はただ生きるために――」

「どんな理由があれ、世間知を得て悪用していることに変わりはない」

「生きるためにはそれ以外なかったと言っているのです!」

「だからといって容認できない」

 ハンスは自分の前に立つ朱塔の背中に、言い知れない安心感を抱いていた。それが不安だった。

 ハンスは自分が守られた経験などほとんどないのである。もっと言えば、自分の味方をしてくれる他人に初めて会ったと言っても過言ではない。

「澤本の教育の結果です。悪意の被害者です。不憫ふびんには思わないのですか?」

「思わん。そう育てられ、そう生きるということは、そういう人間だということだ。だから害をなす。しかも、自分達の領分で細々とやっていればまだよかったものを、こいつらはその領分さえも越えたんだ」

 鉄ヶ山の物言いは、圧倒的に強者のそれであった。

 鉄ヶ山は弱きを助け強きをくじくのではない。もっと別の基準を持っている。だが、それさえも、ヨモギの感じたとおりどうやら虚無だ。

「それは排斥です! 忌むべき排他です! 進退窮まる環境であったことを考慮すべきです!」

 朱塔のそれも、一見すると正論に見える。だが、危険性を軽視しているともとれる。

 朱塔の目的は秩序の厳守。だが、朱塔自身が倫理にもとる行動をとっている。

「してどうする? 誰もがそうだぞ。辛い中で生きている。真面目に生きている者が馬鹿を見ていいのか? そんなことは断固許容できない。守るための排他は肯定されるべきなんだ」

 鉄ヶ山が手にした武器を朱塔に向ける。

「アームランサー……!?」

 朱塔が腰から刀を抜く、柄の先に銃のついた妙な刀だ。

「旧式だがな。こいつらはこんなものまで用意する。利用しているつもりが利用されて、それが毒になるとも知らないで、のうのうと欲望のままに生きているんだ」

 朱塔は逆手に持った刀を後ろにまわすと、低く体勢をとった。

 鉄ヶ山は槍を腰だめに構える。

 二人は対照的すぎた。切っ掛けさえあれば、いつ対立してもおかしくなかったのだ。

 ハンスはなにが起きたのかと思った。自分を巡ってフォールとガーダーが戦おうとしている。

(逃げては、いけない?)

 初めて感じた責任感は、悲しいことに、ハンス自身の命を、他者に委ねることになった。


 二人はほぼ同時に迷いなく踏み込んだ。

 一見するとなだれ込むような戦いの起こりだが、これは、二人が共に命のやりとりをわきまえているからである。

 鉄ヶ山と朱塔は互角とは言いがたかった。

 朱塔が上回っている。朱塔の方が明らかに動けている。

(強い!)

 だが、焦っているのは朱塔の方だ。

 鉄ヶ山は、刺突に特化しているアームランサーを剣のように横なぎに払う。あまりの速さにとっさに刀で受け止めるが、朱塔には恐怖があった。鉄ヶ山の切っ先は的確で変則的なのだ。

 止められたアームランサーは即座に引き戻され、突きに変わる。正確に行われるこれでさえただの準備運動だった。

 朱塔の防御が崩せないことがわかると、鉄ヶ山はすぐさま戦法を変えた。

 防がれて当たり前の横の動きから、引き戻したままそれを後ろから回して、逆の手で突く。アームランサーを体を周回させての攻撃に変更してきたのだ。

 本来は距離が重要な突くという行動だが、近接で行う方法を鉄ヶ山は心得ていた。そして、朱塔が前に出てくるであろうことを見越して、もう戦術に加えている。

 その分体はがら空きになるが、ようやく繰り出す朱塔の刃はすべてかわされた。

(これほどのものか!)

 朱塔は勝てないと悟った。

 経験なのか、センスなのか。ともかく、朱塔はこのままでは勝てない。朱塔の望む勝利は得られない。

 この場合の朱塔の勝利とは、つまり、鉄ヶ山を殺さないように捕えることである。

 鎮圧は力量差があってこそ可能なのだ。

「澤本がゼ号にいたこと、ご存知ですか?」

 朱塔の言葉が鉄ヶ山を止める。

 朱塔もまた戦い方を場に合わせて変える技術がある。

「なんだと」

鉄ヶ山が反応する。

 まだ言葉を聴く耳はあるらしい。

 なら、これは好機だ。

「彼もまた、あなたの犠牲者なのかもしれませんよ」

「……関係ない」

「あるでしょう。あなたは償いのためにここにいる」

「違う!」

 朱塔は鉄ヶ山を揺さぶり、鉄ヶ山は朱塔を脅かす。

「七星と区長の裏にいるのはガーディアン。ですが、ガーディアンのさらに裏がいます。無論、ご存知でしょう」

「すべてカンパニーが悪いと言いたいか」

「はい。私の、私達の目的は、共通してカンパニーの打倒にあると言ってもいいでしょう」

 鉄ヶ山のアームランサーが止まる。

「共通だと? オレはそんなこと考えていない。いや、そんなことができるものか」

「やってみなければわからない。一矢報いることぐらいはできるかもしれません」

「……本気か?」

「はい。ですから、納得できなくても、私の話を聞き入れてほしい。そうすれば、あの子を守ることができますよ。サンプルなどと呼ばれなくていいようになります」

「知ったことじゃ……」

「鉄さん、後で詳細を話します。それを聞いてからでも遅くはありません。重要なことでしょう」

 朱塔が前に出していた刀を引く。

「私達は協力できるはずなのです」

 鉄ヶ山が考えるそぶりを見せる。朱塔の提案は実に魅力的だったのである。

(百戦鬼がこうも迷う。あの子は、やはり使えますね)

 朱塔は眉ひとつ動かさずにそんなことを考えていた。朱塔もまた、どこか濁っている。

「……わかった。ここはおまえに預ける」

「どうも」

「ただし、嘘だったら……わかってるな?」

「ええ。では――」


 朱塔が目をやると、ふとハンスが朱塔の目の前までやってきた。

 鉄ヶ山は警戒しているようだったが、朱塔はリラックスしている。

 朱塔は、ハンスの性格がその見た目の印象よりもよほど正々堂々としていることを見抜いていたのだ。

「ハンス、あなたは私と来なさい」

「助けてくれと頼んだつもりはない、断る」

「もう七星は見切りをつけられています」

「そんなことはない!」

「澤本虎蔵が帰ってこないのが証拠です」

「違う!」

「そうでなくても私が彼を殺します」

「ふざけるな!」

「ふざけてなどいません。あなたの目的を邪魔するつもりもありません。拠り所を変えなさい、と言っているのです。これからは、私が支援しましょう」

「おまえ、なにを言って――」

「あなたの主張は一部もっともです。ですから、それを継続してもらって結構。ですがね、あなたが、いえ、黒い鷲が潜り込んでいる派閥は、隔離地域の全てを貪るつもりでいるのです。つまり、澤本虎蔵は自分のことしか考えていません。これは駄目です。絶対に排除します」

「そんな、ことは……」

「黒い鷲がそういう人間であることは、誰よりもあなたが存じておられるはず」

「兄さん……」

「私と来なさい。あなたがしがみついているその場所にチャンスなどありはしない。チャンスを与えられるのは私だけだ」

 ハンスは妙に殊勝しゆしようだった。

 鉄ヶ山が首をかしげながら距離をとる。

 鉄ヶ山は気づいていた。ハンスが言葉や態度とは裏腹に、その体が力んでいくのを。

「朱塔、待て」

 鉄ヶ山は辺りを伺う。

「いる」

 朱塔はハンスの血走った目の奥に、別の人間の意志を見た。

「めいれい?」 

 ハンスの目の焦点がぶれた。

「命令」

 誰にでもなく、ハンスの口から言葉が漏れる。

(これは命令だ!)

「あ、ああ……!」

 ハンスが急変した。

 ハンスの体が硬直する。筋肉が強縮しているのだ。

「鉄さん、これは」

 朱塔が下がる。

 ハンスの弛緩しない筋肉が、より強い力で伸びていく。刺激と興奮が更なる力で上書きされているのだ。

「澤本の感応剤だ。やはり意思の支配を伴っている……」

「支配? 例の血ですか!」

「七星のメンバーや阿納と同じなんだ。どうやら、澤本の血液を受けた者は、澤本のマインド能力下に置かれるらしい」

「マインド能力の外部出力……開門計画はそこまで進んでいたのか」

「幻の『第二世代』の完成度はかなりのものだったと聞いている。あれは単なる噂じゃない。ガーディアンとは別の場所で行われている開発が漏れ聞こえていたんだ」

「なら、澤本虎蔵はやはり開門計画第二世代。そして、完全能力者ラジアンテクスの検討試作」

「おそらく。だから、ゼ号にいたんだ」

 朱塔の、刀を引き抜こうとした手を鉄ヶ山が制する。

「これを」

「これ、は」

「もともとおまえのものだ」

「効果のほどもわからないんですよ!」

 朱塔が刀に手をかける。ハンスを捨てるつもりなのだ。

「よせ、朱塔」

「放しなさい! 危険を冒してまで拾いたいものではない!」

 鉄ヶ山が朱塔の頬をはたいた。力んだものではない、落ち着かせるためのものだった。

「賭けは賭けだ。やれ、朱塔」

「う……しかし。あなたはどうしてこんな」

「おまえは助けたいんだろう? 急げ。阿納の二の舞になる。あのときの……」

 鉄ヶ山が朱塔に手渡したのは中和剤だった。

 鉄ヶ山はエンドローダーに向かう。朱塔は急いでハンスに駆け寄りながらも、その背中を見ていた。

「……ヨモギさん、あなたが百戦鬼をああ変えたのか」

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