第120話 知らぬは本人ばかりなり

「サ、サミュエル落ち着いて!」


 しまった、自ら火に油を注いでしまったようだ。このままではサミュエルの腕が危ない。なんとか止めないと!


 私は奪うようにサミュエルの右手に抱きつき、細い銀色のブレスレットを自分の体に密着させた。そして両手で胸に押しつけたまま、必死に訴える。


「私を想ってくれるのは嬉しいけど、今までずっと一人で辛い思いをしてきたサミュエルに、もうこれ以上傷ついてほしくない! 私、生命の樹で勝手に見ちゃったんだ。サミュエルの昔の記憶。だから……」

「シエラ……」


 私の名前を呟いたサミュエルの力が抜けていく。

 言う必要が無かったし、言えばサミュエルが嫌な思いをすると思って今まで触れてこなかった事実。しかし、他に気持ちを伝える方法が思い浮かばず、思い切って打ち明ける決心をした。

 私はサミュエルの腕を胸に抱えたまま顔を上げ、弁解を始める。


「勝手にごめんなさい。あの時はそうするしかなくて、八咫やたに言われるまま……」

「知ってる」


 サミュエルが言葉を遮った。

 そして、愛おしそうに細めた淡い緑色の右目を私に向ける。その下にある形の良い唇が緩やかに弧を描いた。

 見つめられた私の胸にキュッと痛みが走り、再び顔が熱を帯びていく。


「あの時俺は、わざとお前に嫌われようとしていたんだ。いつか、お前も言ってただろう。自分が必要ないって思う方が簡単だって。期待して苦しむくらいなら、『やっぱり希望は叶わない』とはっきりさせて楽になりたかった。だから、自分の全てを知ってもらった上で否定されるのを待っていた。……結果は、俺の予想とは逆だったが」


 サミュエルは、あいている左手を私の頬に添え、そっと親指で輪郭をなぞった。


「大変な思いをさせてしまって、謝るのは俺の方なんだ。申し訳なかった。頼むから、もうそんな困った顔をしないでくれ」

「じゃあ……もう、自分を傷つけないって約束してくれる? 私、サミュエルが自分を傷つけようとすると、すごく悲しいしすごく困るの」

「……それが、」


 言葉を切ったサミュエルが、わずかに瞳を揺らして動揺を見せる。そしてちょっとだけ泣きそうな顔をして微笑んだ。


「お前の望みなら」

「うん。私の望みだよ、心からの」


 




 からになったおぼんを持った私は、満たされた気持ちでサミュエルがいる部屋を出た。


 ……食べてくれてよかった。それに、自分のことを大事にするって約束もしてくれたし、本当に嬉しい。

 あとは私が頑張らなきゃ!


 私はつい今しがた「危ない時はためらわずに魔法を使うこと」を条件に、無理やり聞き出したサミュエルの作戦を思い出す。

 できれば私に行動してほしくなかったようだが、私がしつこくお願いしたらしぶしぶ教えてくれたのだ。


 ————正面突破は厳しいから、ユーリたちが来るとしたら前の潜入と同じルートだろう。しかし、龍人が警戒していないはずがない。あいつは治療を通して下働きたちと信頼関係を築いているだろうし、このままでは前回のようにうまく潜入するのは難しい。そこで、お前がくさびを打つんだ。シルビアの娘の、お前が。


 龍人がエルディグタール城に来る前、十三年間下働きの怪我や病気を一人で治していた母のシルビア。いくら龍人が巧妙にみんなの心をつかんでいても、シルビアに敵うはずがない。

 それを利用して、ユーリたちが潜入しやすいような環境を作る。それが今できる私の戦いだ。


 目標が定まった私は、しっかりした足取りで前を向いた。

 すると、前室にいるはずの龍人のかわりに、たいくつそうなイーヴォが膝を抱えて椅子に座っていた。私が出てきたのを見て、人懐っこそうにニッコリ笑う。


「サミュエル、ごはん食べてくれたみたいで良かったね」

「うん、本当に良かった! イーヴォ、龍人はどうしたの?」

「ジュダムーアの……おぉっとぉ、間違ったぁ。ジュダムーアの健康チェックだって。一日三回、毎日やってるんだ……って、どうしたの? 楽しそうに笑って。もしかして、サミュエルと良いことでもあったんじゃないの~?」


 わざとジュダムーアを呼び間違えておどけて見せるイーヴォが、椅子からピョンッと立ち上がった。そして、クスクス笑う私をちゃかすように、いたずらっぽくおどけながら歩み寄ってくる。


「ふふふっ。イーヴォが元気そうで良かったなって思ったら、なんだか嬉しくなっちゃって。ずっと心配してたから」


 サミュエルの命が助かったのと、なんだかんだ憎み切れないイーヴォが前のように元気なことが嬉しくて、一日中張り詰めていた私の緊張の糸が途切れた。


 安心して気を抜いてるところに、さらに気持ちが落ち着くような、香ばしい薬草の良い匂いがふんわりと香ってきた。

 警戒心が緩んだところで、私の顎に手が添えられ、顔が少しだけ上に向けられる。一瞬のことでなにが起きたか分からないでいると、おでこに柔らかい感触を感じた。


「……え?」


 私からゆっくり離れていくイーヴォの妖艶な微笑みに、なにをされたのか自然と察する。


「それにしても、随分きれいになったね」

「今……」


 私はおでこに手を当てて呆然と立ち尽くす。


「あれ? いつもしてるでしょ、挨拶のキスくらい。口にしたほうが良かった?」

「キスなんて、お母さんにしかされたことないよ! 私の……初めてのキスだったのに」


 同意なくキスをされてしまった。

 ショックを受けていると、イーヴォがきょとんとして首を傾げる。


「え、そうなの? もうてっきり、ユーリ君かサミュエルか龍人と経験済だと思ってた。でも、おでこだからセーフだよね。あまりにもシエラちゃんがきれいだったからつい……」


 申し訳なさそうに頭をポリポリかいて肩を竦めるイーヴォが、チロッと舌をだした。


 イーヴォの言う通り、おでこだったら……良いか?

 いや、良いわけがない。墓場まで持って行かないと、せっかく守ったサミュエルの右腕が吹っ飛びそうだ。


 心労がまた一つ増えた私は、赤い顔をしながら恨めしい気持ちでイーヴォを見上げる。


「イーヴォまでそんなこと言って。今まで『きれい』なんて言われたことなかったのに、なんか最近みんな変だよ。それに、キ、キスなんて…」

「なに言ってるの。シエラちゃんは十四歳でしょ? ガーネットなら結婚相手を決める人もいる歳だ。もうシエラちゃんは少女じゃなくて、大人の女性。そろそろ自覚しないと後で困るよ。特に龍人の前ではね。いつ暴走するかってヒヤヒヤしてるんだから」

「自覚って言われても…」


 寿命の短いガーネットは結婚が早いって聞いていたけど、私の年で結婚を考えはじめるなんて早すぎる気がする。

 それに、龍人の話では私の寿命は短くないはずだし、つい最近まで十三歳だった。たった数日で大きな変化が起きるとは思えないし、いきなり意識を変えろと言われても無理だよ。


「十四歳になったけど……今までとそんなに違わないよ」

「いや、イルカーダに行く前と行った後じゃ全然雰囲気が違う。まるで神様の仕業みたいに。その格好のせいもあるだろうけど、シエラちゃんは誰が見ても魅力的な女性だよ。変装で失敗したことがない僕が、『かわいい妹』だなんて、あの時のサミュエルが言わなそうなことをうっかり口走っちゃうくらいだもん。自分では気が付いてないの?」

「そんなに……違うかな」


 イルカーダの出来事って言ったら、タケハヤのせいでジャウロンを倒すことになったくらいだ。それで勇ましくなることはあっても、きれいになるなんて到底思えない。

 確かに、なんだかよくわからないご加護って言うのをいっぱいくれた気はするけど、タケハヤは神様じゃなくて野蛮になったガイオンだし、関係ないよね。


 私がタケハヤを思い出しながら「うーん」と唸っていると、わざとふざけるイーヴォがおだてるような言葉を投げかけてきた。


「あーあ、こーんなに素敵な女性になるんだったら、やっぱりダイバーシティでシエラちゃんと虹色の花火を上げておくんだったなーっ。恋人同士の愛が続くようにっていう、おまじないのやつ。もったいないことをしちゃった」


 イーヴォは人に気を使わせないような話術が本当に上手だ。冗談だと分かっていても、私の気持ちが明るくなっていく。キスをされたことへの戸惑いもなくなり、むしろ大人の階段を登った喜びを実感させた。


「もうっ! 私をからかって!」

「あっ、乱暴はやめてよー」


 むくれた私がぽかぽかたたくと、楽しそうに笑うイーヴォの手で何かがキラリと光った。

 私と同じ、シルバーのブレスレットだ。


「イーヴォ、それ⁉」

「あ、これ?」


 自嘲するようにイーヴォが右手を上げる。


「僕も龍人の奴隷さ。笑っちゃうよね。シエラちゃんとサミュエルのブレスレットと、全く同じやつみたいだよ」


 ……もしかして、イーヴォも龍人に脅されて言いなりになってたって言うこと?


「もしかして、イルカーダに来る前からつけてたの?」

「そうだけど……?」


 不思議そうに首を傾げるイーヴォの言葉に、私の中で何かが引っ掛かった。

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