第118話 思春期
「僕たちじゃなくシエラちゃんが言えば、強情なサミュエルも気持ちが動くと思うんだ。上手く説得して、せめて水分だけでもとるように仕向けてほしい。サミュエルを頼んだよ」
「分かった!」
とは言ったものの、果たして私はサミュエルを説得できるのだろうか。
勢いで返事をしてしまったが、はっきりした自信はない。
食事を乗せたおぼんを抱えた私は、龍人の後をとぼとぼ歩きながら考えはじめる。
……うーん、ここは泣き落としかな。それとも逆に脅してみる?
サミュエルの命がかかっているので私も真剣だ。
歩きながらあれこれ作戦を練っていると、いつの間にかサミュエルが軟禁されている部屋への前に到着していたらしい。
私は考え事をしていたせいで龍人が立ち止まったことに気が付かず、持っているおぼんをひっくり返しそうになった。
「じゃあ、僕がいると警戒して上手く行かないと思うから、外で待ってるね」
龍人が部屋の鍵を開けて一歩後ろに下がった。
結局作戦が決まらなかった私が緊張の面持ちで龍人に頷き、「こうなったら当たって砕けろ」とノックして中へ入って行った。
扉を少し開けて中をのぞくと、そこは小さなテーブルと寝具だけのシンプルな部屋だった。部屋の隅に置かれたベッドの上で、サミュエルが静かに横になっている。
ベッドの近くには、ポッケが入れられている大きな鳥かごもあった。
私をみたポッケが、嬉しそうにパタパタと飛ぶ。
……良かった、ポッケは元気そう!
ポッケの様子に喜んだ私は、そのまま中へ入って行った。
そして、ポッケの頭を一度なでてから、すぐ横にいるサミュエルの顔をのぞく。
発熱でほんのり肌がピンク色に見える以外、いつもとそれほど変わらない外見からは、ただ眠っているようにしか見えない。しかし、普段はわずかな物音で目を覚ますサミュエルだが、私が入ってきても起きないのでやはり具合が悪いのだろう。
寝ているサミュエルにどう声をかけるべきか分からず、私はひとまず持っていたおぼんをベッドサイドのテーブルにそっと置いた。
すると、小さくカタッっと鳴った音に気が付き、サミュエルがうっすら目を開けた。
「あ、サミュエル。起こしちゃった?」
サミュエルが赤い顔をこちらに向け、私を見ると目を大きく開いて驚いた。
その表情を見た私は、ここに来る途中で龍人に言われたことを思い出し、ハッとして体をこわばらせる。
—— 一度、イーヴォをシエラちゃんに変身させてだまそうとしたんだけど、「全然似てない」って言ってすぐに気づかれちゃってさ。そのあとサミュエルが大暴れして大変だったんだよ。
……どうしよう!
そういえば、今の私は髪型も服装も前とは違うし、お化粧のせいで顔の雰囲気も全然違うんだった。
もし私だって気づかないで大暴れしたら……。
自分の身なりを見下ろした私は、大慌てで弁解しようとした。
「わわわわ……私はイーヴォじゃないよ! こんな見た目だけど、本物のシ……」
大げさな身振り手振りで慌てる私が全てを言う前に、サミュエルの口元が「シエラ」と形を作ったのが見えた。
「……サミュエル、分かってくれたの?」
サミュエルがうなづいた。
すぐに分かってくれて嬉しくなった私は、満面の笑みを向ける。
そして、サミュエルのために一生懸命作った重湯の茶碗を手に取り、気持ちのまま勢いよくまくし立てる。
「なにも食べたりしてないって聞いて、重湯と飲み物を持ってきたんだ。本当はジャウロンにしたかったんだけど、龍人に止められちゃった。きっとサミュエルのことだから、毒が入ってるか心配してるかもって思って、最初から私が作ったんだよ。……サミュエルみたいに上手にはできてないと思うけど」
孤児院でお母さんのお手伝いはしたことがあったけど、料理を一から一人で作ったことはない。
ちょっとだけ味に自信が持てず照れる私に、サミュエルはおだやかな微笑みを浮かべた。
「……食べてくれる?」
色々考えていたが、サミュエルの顔を見ると思わず単純な言葉が口を突いて出た。
龍人から「サミュエルは死ぬつもりだ」と聞かされていた私は、拒否されるのではないかとドキドキしながら反応を待つ。
すると、意外とあっさりサミュエルがうなづき、口を開けた。
……これは、食べさせろということかな?
大変な説得が待ち受けていると思っていた私は、拍子抜けしながらスプーンですくった重湯をサミュエルの口に運んだ。
すると、なんの問題もなくパクッと食べてくれた。
「美味しい?」
問いかけると、サミュエルはニコニコしながらうなづいた。
その様子に嬉しくなり、つられて笑顔になった私は何度もスプーンを口に運ぶ。重湯が半分ほどになるまで続けた時、サミュエルが手を伸ばしてきたので一旦スプーンを止めた。
不思議に思った私は、もしなにか言いたいことがあるなら言葉が聞きやすいようにと、お茶碗をおぼんに戻し、体を前のめりにしてサミュエルに耳を近づけた。
すると、サミュエルが私の腕をつかんで力強くグイッと引っぱったので、体を支えきれずそのままサミュエルの胸の上に倒れ込んでしまった。そして、病人とは思えない力で強く抱きしめられる。
「わっ……サミュエル?」
深く息を吸い込んだサミュエルが、かすれた声で囁いた。
「このまま聞け。どこで監視されてるか分からん」
突然の行動に驚いたが、どうやら意図があるらしい。
私が言葉を聞き逃さないよう息を殺すと、サミュエルが小声で話し出した。
「助けてやれなくて本当にすまなかった。俺が戻らなかったらユーリたちが動く。きっと近いうちにお前を助けに来るはずだ。だからそれまで辛抱してくれ」
「なに言ってるの、謝ることなんてなにもないよ。私こそ、簡単にだまされて龍人について行ってごめんね……こんなに危険な目にあわせちゃって」
申し訳ない気持ちでちょっとだけ顔を上げると、サミュエルが困ったように微笑み、私の前髪を指ですくった。
龍人を警戒してのこととは言え、お互いの息がかかるほどの距離で目が合い、恥ずかしくなった私はポッと頬を赤らめて目線をそらす。
……ち、近い。近すぎる!
ユーリとだって、こんなに近くで話したことないよ!
「いや、このくらいたいしたことない。それに、思ったよりすぐに会いに来てくれて助かった。さすがにあと三日遅かったら危なかったかもしれないが」
……この近距離はたいしたことあるから! って、違う話か。
どうやら意識しているのは私だけのようで、サミュエルは平然としている。
一人でドキドキしている私は、心臓の鼓動が聞こえていないことを祈りつつ、もう一度ちらりと見上げた。
「もしかして、私が来るって計算済みだったの?」
「いちかばちかだったけどな。人質が死んだら意味無いだろうから、何かしら動きがあると思ったんだ。ま、死んだら死んだでお前が逃げやすくなるだろうからどっちでも良かったんだが」
「もー、死んじゃったら私が困るよ」
「別にいいだろ、結局お前に会えたんだから」
「そうだけど……」
ついさっき龍人にサミュエルの様子を聞かなかったらと思うと、恐ろしくて身震いしてくる。
サミュエルなら本当に死ぬまでやりかねない。
ここはしっかり釘を刺しておかないと。
「二度とこんなことしちゃだめだからね」
危機感を感じた私はちょっとだけ怒って頬を膨らませた。
それを見たサミュエルが、子どもをあやすように私の背中をポンポン叩く。
しかし、サミュエルは私の心配をよそに相変わらずニコニコしている。二人の気持ちのギャップを感じ、心の底からため息が漏れてきた。
「はぁ。それにしても、なにも食べたり飲んだりしないなんてよくやるよ。私にはできなそう」
サミュエルが「そうだな」と言ってクスクス笑うと、私の体が小刻みに揺れた。
じんわり伝わってくる体温と笑い声に心地よさを感じた私は、怒ってることも忘れて一緒に笑った。
……思ったより元気そうで本当に良かった。
予想より体調が悪くない様子に安心したのもつかの間。
サミュエルの次の言葉で私に緊張が宿る。
「どちらにせよ、わざわざ外から侵入する手間もはぶけたわけだ。このチャンスに、俺たちは内部から崩壊させよう。ユーリたちが動きやすいように」
「ほ、崩壊?」
「お前をこんな目に合わせた上にやられっぱなしでは、俺の腹の虫がおさまらない」
私の背中へ回した手に力が込もる。
そして、復讐心で目を吊り上げるサミュエルが、挑戦的に歯をのぞかせた。
「今度こそ龍人に一泡吹かせてやる」
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