第116話 初恋

 ジュダムーアの死人のような目と、私の視線が交差した。

 始めて面と向かって顔を見ると、端正な顔立ちに見覚えのある面影を思い出し、心臓がドキッと脈打つ。


 ……あれ、ちょっとサミュエルに似てる?


 髪の色も背格好も全て違うにもかかわらず、目に何も映していないような暗闇をたたえるジュダムーアは、生きることをあきらめたときのサミュエルに少し似ていた。


 細かい彫刻のほどこされた椅子に座っているジュダムーアは、その冷たい表情には似合わず、子どもを膝の上で寝かせている。一番下の三歳の妹ローリエより小さいから、あの子は一~二歳くらいだろうか。


 小さい子どもをあやすなんて、少しは優しいところがあるのかもしれない。その思いは、次のジュダムーアの行動ですぐにかき消された。

 立ち上がろうとした時、ポイっとベッドの上に子どもを投げ捨てたのだ。


 乱暴に投げ捨てられ、天蓋てんがい付きのベッドで転がる子ども。たちまち、絢爛豪華けんらんごうかな広い部屋の中に泣き声が響き渡った。


「うるさいな」


 子どもの泣き声に顔をしかめるジュダムーアが、かけ布団をめくり、ためらいもなく子どもの上に折りたたんだ。

 それを見た私は「あっ」と息を飲み、気が付いたら手を伸ばして走り出していた。


「なにをするの⁉」


 私は布団の中から子どもを拾い上げ、守るように背中を向ける。すると、高飛車に顎を上げたジュダムーアがだるそうにゆっくり瞬きをして、私に軽蔑の眼差しを送ってきた。


「口のきき方がなっていない」


 そう言うと、あげた右手を私の顔めがけて振り下ろした。


 叩かれる。


 体をこわばらせた私は、目をつぶって叩かれる覚悟する。

 直後、ピシャンッと皮膚を打つ音が聞こえると同時に、何かが子どもごと私を包んだ。


「……何のつもりだ、龍人」


 龍人。

 そう聞こえて目を開けると、唇を血で赤く染めた龍人が私に覆いかぶさっていた。


僭越せんえつながら、結婚を前に花嫁が傷つけば、ジュダムーア様が恥をかくかもしれないと思い、無意識に体が動きました。どうぞお許しください」

「ふん。余計な真似を。この無礼な女に罰を与えなくてはいけない。これでも優しいくらいだ」

「シエラはライオットの村で育ちました。礼儀作法を習うチャンスすらなかったのです。私が責任を持って婚約式までに身に着けさせますから、今は怒りをお納めください」


 頭を下げる龍人に、少し思考を巡らせたジュダムーアが吐き捨てるように言った。


「……興醒きょうざめだ。次はないと思え。もう良い、行け」


 ジュダムーアが手を叩くと、乳母らしき女性がやってきて子どもを抱えて出て行った。

 乳母に続いてジュダムーアの部屋を出た私は、ひとまず危機を脱したことに肩の力を抜き、龍人の後を追って歩き出した。


 ……ジュダムーアがあんな人だったなんて。


 覚悟はしていたものの、実際の残虐の王を見て心がずしりと重くなった。


 今日からここで過ごすことになる。

 でも、私に選べる方法はそれしかない。

 それだけが、サミュエルを傷つけないための唯一の選択肢。


 私は絨毯の柔らかい感触を感じながら、最悪の気分で廊下を歩き続けた。


 ……あれ? そういえば。


 つきあたりにある階段を降り始めた時、ジュダムーアの部屋の階には護衛の兵隊がいないことに気が付いた。

 不思議に思ったが特に深く考えず、誰もいないのを良いことに、小声で龍人に話しかける。


「龍人、さっきはどうもありがとう。でも、私をさらったりかばったり、何を考えてるのか分からないよ」

「良く言われる」


 そう言って龍人は肩を竦めた。

 私の気持ちは沈んだままだったが、自分のかわりに頬を打たれて血を流していた龍人が心配で、目の前で揺れている手をつかみ足を止めさせた。


「ちょっと顔見せて」


 私に引っ張られた龍人が、一瞬ためらいを見せるも促しにしたがって身をかがめた。

 良く見えるよう顔を寄せ、傷の深さを確かめるためにそっと唇に触れる。すると、龍人が小さく身を引いたので、触ったせいで痛みが走ったのかと思って「痛む?」と聞いた。それに対して「痛くない」と答えた龍人が目を伏せたので、より優しく傷の具合を確認する。

 口の端が切れていたが、それほど深くない傷はすでに血が止まっているようだ。


「少し切れちゃってる。コレがなきゃ治してあげられるんだけど」


 私のせいで怪我をしてしまったんだから治してあげたい。そして、あわよくば爆弾を外してほしい、と期待を込めつつ右手を上げてブレスレットを示す。

 しかし、私の下心がバレたのか、龍人は顔を背けてスッと立ち上がった。


「このくらい大丈夫。気持ちだけ受け取っておくよ」


 だめか。

 機嫌を損ねたのか、龍人は先ほどよりも足早に先に進んでいく。

 それに遅れまいと、私も一生懸命後を追い、もう一つの心配事を聞いてみた。


「ねえ、サミュエルとポッケをどうするの?」

「サミュエルとポッケは人質。シエラちゃんが結婚するまでのね。だから、傷つけたりはしないし、ちゃんと生活は保障するから安心して」


 背中で答える龍人に、とりあえず二人の安全が確認できて安心する。そして、これからやってくるであろう絶望の日々に落胆した私は、どんよりした声で龍人に話しかけた。


「本当に私とあんな人と結婚させる気? あんな暴力が毎日になるなんて地獄だよ。それなら、ベニクラゲになって龍人と結婚した方がよっぽどいいかも。……うん。龍人との結婚の方が全然良い。ただし、私と龍人が結婚したら、すぐにサミュエルとポッケは解放し……」


 私が話し出すと龍人が突然よろけ、壁に寄りかかって苦しそうに肩で息をし始めた。


 龍人に何が起きたの⁉


「龍人⁉」


 大丈夫って言っていたけど、ジュダムーアは最大の魔力を保有するガーネット。

 我慢していただけでやっぱり相当ダメージを受けていたのかもしれない。

 驚いた私は、急いで顔を覗き込んだ。


「龍……」


 少しぐったりしている龍人は、困った顔で口をおさえ、目を潤ませて頬を真っ赤に染めていた。

 あきらかに様子がおかしい。


「どうしたの? 具合悪いの? 誰かお医者さん! って、お医者さんはこの人か!」

「……だ、大丈夫。魔力の細胞と四重らせん構造とシエラブルーを同時に発見したような大量のアドレナリンとドーパミンが分泌されているだけだから。ははは、心臓が爆発しそうだ。僕が計画にない行動を取るなんて、恐るべしシエラブルー。生まれて初めて敗北を宣言するよ。まあでも、これはこれでアリかも。むしろこのルートで考えれば……」

「何言ってるのか分からないけど、こんな時まで研究しているなんて、本っ当龍人って変わってるんだから。それで一体何の研究をしてるの?」


 いつも通り饒舌な様子に、私が呆れながら心配していると、壁に寄りかかったままの龍人が潤んだ目を私に向けて言った。


「恋」


 鯉。

 龍人をこんなに取り乱させるなんて、随分すごい鯉がいるんだな。

 でも、こんな時にまで鯉のことを考えなくてもいいのに。


 私が理解に苦しんでいると、苦しそうな龍人がひざまずいて私の手を取った。


「え?」


 何が起きたか分からないでいると、切なそうに眉を寄せる龍人が私を見上げた。


「僕は一万年生きて、初めて恋を知ったんだ」

「龍人……?」

「シエラちゃん。率直に言うと、僕は君に恋をしている」

「あ、そっちか」


 鯉じゃなくて恋ね。

 龍人でも恋なんてするんだな。

 こんな変わった人に好かれたら大変そう。

 一体誰のことが好きに……


 龍人の言葉を反芻はんすうし、やっと意味が分かった私は衝撃に打たれて飛び上がった。


「へっ! 私に⁉」

「声が大きいよ」


 思わず龍人が私の口を押えた。

 キョロキョロ様子を伺うが、階段には誰もいないようだ。


 助かった……これから王様と結婚するって言ってるのに、今の会話を誰かに知られたら速攻殺されそうだ。それにしても、馬車で私に言ってたことは冗談だと思っていたけど、もしかして本当だったの?

 ……でも、もしそうだとしたら、好きな人を他の人とくっつけるようなことしないと思うんだけど。


「私が好きなのに、ジュダムーアと結婚させるの?」

「うん」

「意味が分からないよ」

「良く言われる」

「……本当は、好きじゃないんでしょ?」

「大好き」


 顔を紅潮させ、恥ずかしげもなく笑顔で即答する龍人に、こっちの方が恥ずかしくて熱くなってきた。握られた手から心臓の鼓動が伝わってそうで、さらに恥ずかしくなる。

 やはりちぐはぐな龍人の言動は理解できないが、もし本当に好きだとしたら、私のことを想って行動してくれるかもしれない。


 そう思った私は、一縷いちるの望みにかけてお願いしてみる。


「じゃ、じゃあ! 私、龍人と結婚するから、サミュエルとポッケを解放してあげて」

「それだけはだめ。昨日までの僕なら、君と二人でどこかに逃げていたかもしれない。でも、今はもうだめなんだ」


 立ち上がった龍人が、目線をそらして難しい顔をした。

 昨日は良くて今はだめって、ますます意味が分からない。


「なんで⁉」

「僕の中で革命はもう始まってるんだよ」

「革命……」

「計画に関係ないことなら、どんなことだって君の望みを叶えてあげる。でも、シエラちゃんとジュダムーアの結婚は、僕の中ではマスト。なくてはならない事項なんだ」


 革命って、ガイオンの家で言っていたやつだよね。

 もしかしたら、敵に寝返ったと見せかけて、やっぱり私たちのために動いてくれていたのかも。


 今でも私たちの仲間であってほしい。そう祈りを込めつつ、恐る恐る質問を投げかけてみた。


「龍人は、どっちの味方なの?」


 私の問いに、龍人が表情を消した。


「さぁ……」


 無表情から一変、真意のつかめない怪しい薄ら笑いを浮かべて答える。


「どっちだろうね」


 私に背中を向けた龍人が、再び階段を下り始めた。

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